第三話
「わかったでしょう。自分がどんなに甘かったかが」
しばらくの間、リタは放心したようにただ歩いていた。よほどショックが大きかったのだろう。頃合いを見て、落ち着き始めたと思いアルバートは言った。
「……どうして、殺したの?」
彼女は言葉を絞り出すようにして言った。どういった反応を示すかと思案していたアルバートだったが、その答えは予想外だった。
彼女より一歩ほど前を歩いていたアルバートは一瞬歩みを緩め、振り返った。
彼女と目が合う。少し、淀んでいるように見えた。
すぐに前を向き直し、立ち止まることなく歩き続けた。
彼は問う。
「殺す必要はなかった、ですか?」
「たしかに相手は悪人だわ。けど、だからって」
彼女はそう答えた。だが、自分の答えに自信が無いようだった。言葉は続いてこなかった。
「僕もそう思います」
「じゃあ……!」
段々と彼女の語気が強くなっていく。それに対してアルバートは淡々と答える。
「綺麗ごとだけで生きていけたら、どんなに素晴らしいでしょうね」
「何とも思わないの?」
「そんなはずないでしょう」
彼は立ち止まり、振り返り、リタを睨んだ。
「人を殺すたびに胸が痛みます。例えそれが極悪人だとしても、です。最初に人を殺めたとき、しばらく自責の念にとらわれ続けました。けど、それじゃあ、生きていけないんです。だから、僕は自分で自分のルールを作った」
彼は前方に向きなおし、再びゆっくりと歩き出す。
「『目には目を歯には歯を』という言葉を知っていますか? 有名な異国の言葉ですね。よく『やられたらやり返せ』といった意味にとられます。ですが、実は違うんですよ。『やられたこと以上のことをやり返してはいけない』という意味なんです。
僕もこれに倣うことにした。武力を脅しでしか使わない町のチンピラには脅しまでしかしない。命を奪わんとする賊に対しては、身を守るために命を奪っても致し方ない、と。
僕は自ら命を奪ったりしない。だから、最後も戦意をなくした二人を見逃したでしょう。
これが僕のルールです。こうやってルールを作って、無理やりでも納得しないと、気が狂いそうになる。
わかったでしょう? 王都で育ったあなたには、外の世界は過酷すぎる。これは馬鹿にして言っているのではありません。あなたは幸運だということです」
リタは黙ってしまった。俯き、ただ歩いていた。
アルバートはそれ以上何も言わなかった。彼女に自分の言葉を理解させるのに時間が必要だと感じたからだ。
もしかすると、理解することはできないかもしれない。
王都では厳格に法が守られている。殺人を犯せば捕まり、罰せられる。その他ほとんどの犯罪は法によって裁かれるようになっている。
他の街でも同じではある。だが、どれほど厳密かと問われれば、あまり厳密ではないと答える他ない。王都から離れるほど無法に近くなる。
彼女にとって人を殺めることは法によって禁止されたことであり、それが当然であるのに対し、王都の外の人間には黙認された行為であり、また、ある者にとっては積極的に肯定されるべき行為かもしれない。
それほど環境が違うのだ。彼女が王都の外の何かを理解するのは、異国の言葉を理解するのと同じくらい困難であろう。
二人は山道の峠を越した。上り坂よりも下り坂の方が多くなった。もう賊に襲われることはないだろうから、もうすぐ山道を抜けることができるだろう。
「…………さい」
忘れたころになって、リタが何かを言った。だが、アルバートは聞き取れなかった。
「何か言いましたか?」
「ごめんなさい。助けてもらったのに、酷いこと言って」
「何だ、そのことですか。構いません。殺さないに越したことはないのは事実ですから」
「けど……」
「悪いと思っているなら、おとなしく王都に返ってください」
アルバートは優しく笑いかけた。だが、それがかえって皮肉に捉えられてしまったようだ。彼女は気落ちした表情から、拗ねたような表情に変わった。
「それとこれは話が別」
アルバートは思わずため息をついた。
「これだけの経験をして、まだ懲りないんですか? ……ちょっと待った」
アルバートは立ち止まった。辺りを見渡し、耳を澄ます。
「どうしたの? また山賊?」
「わかりません」
石が岩肌を転がる音が聞こえた。まだ、誰かいるようだ。どうやら、上からのようだ。範囲を絞って、上を見渡した。
「いたっ!」
先ほどと同じような服装の山賊が岩肌を滑ってきた。先ほども上から降りてきた。どうやら、アジトはこの上にあるらしい。アルバートは腰の剣に手をかける。
二人組の男だった。地に着く前に、男は何かを投げつけてきた。球状の何かのようだったが、すぐには何なのか判断できなかった。
それが地面とぶつかると、辺り一面に煙が充満してくる。
「これは、煙玉?」
あっという間に視界がゼロになる。アルバートは咳き込む。ただの煙ではないようだ。
「きゃあっ!?」
リタの悲鳴が聞こえた。だが、何も見えない。
「クリスティ!? どうしました?」
反応はない。何とかしたかったが、煙のせいで何も見えずに、動けなかった。口を開けば咳も酷くなる。コートの袖を口元に当て、じっと煙が治まるのを待つしかなかった。
やがて、風が煙を運んでいく。やっと、視界に灰色以外の物が認識できるようになってくる。
「……くそっ」
アルバートは地を蹴った。久々に感情を表に出したのではないかと思えた。
そこには誰の姿もなかった。
リタが目を覚ますと、そこは薄暗い空間だった。自分のいる場所を把握しようと、体を動かそうとしたが、思うように動かなかった。
すぐにわかったことは、手足をロープで縛られていることだった。藁のような物で雑に編んだ敷物の上に寝かされている。
見える範囲だけで考えるに、どうやら洞窟のようだ。あちこちに松明が灯され、洞窟の中にしては明るかった。通路が折れ曲がっているせいで、洞窟のどのくらいの位置にいるのかはわからなかったが、少なくともここは行き止まりの空間のようだった。
「気づいたか」
ずいぶんと低い声がすぐ近くで聞こえ、その方向を向いた。後ろ手に縛られているため、体勢を変えるのは幾分難しかったが、何とか上体を起こす事は出来た。
頬に傷のある、体格の良い男が、岩でできた天然の椅子に腰かけていた。格好は先ほどの山賊と似たようなものだったが、彼の着ているものは幾分か立派なようだった。
「あなたは誰? 山賊のボス? 私を攫って何がしたいの?」
「嬢ちゃんよ、そんないっぺんに質問しないでくれ、俺ぁ、頭悪ぃからな」
男は豪快に笑った。薄気味悪い笑顔だった。
「じゃあ、一つずつ。あなたは誰?」
「俺ぁ、山賊のボスだ」
一気に二つの質問が解けた。
「私を攫ってどうする気?」
「ちいと聞きたいことがあんだよ」
「それに答えたら返してくれるの?」
「返すと思うか?」
いやらしい笑みが帰ってきた。リタは背中に悪寒が走るのを感じた。
「とりあえず、質問に答えてもらおうか? イアン・ライアンはどこにいる?」
「え?」
意外な質問にリタは言葉を失う。しばらく呆けていると、剣を突き付けられた。
「どこにいる?」
先ほどの、不気味な笑みとも違う、低く突き刺さるような冷たい声だ。
「知らないわ。私だって探しているんだもの」
自然と、声が震えてくる。
「嘘、つくなよ。お前らはさっき俺の部下に言ってたらしいじゃねえか」
「本当に知らないわよ! 知らないから聞いたんじゃない!」
あなた、馬鹿なの? という言葉は寸前で飲み込んだ。この場面で言ってしまったら、本当に殺されてしまうかもしれない。
男は舌打ちした。
「まあいいさ。お前の連れも、もうすぐ来る。俺の部下にボコボコにされてな」
男は下品な笑い声を上げた。その声が洞窟の壁で反射されて、より一層不気味に響く。
『いませんよ』
それほど大きい声ではなかったが、男の笑い声をかき消すようにして、洞窟内に声が響き渡った。
「あなたの部下は、もう誰もいません」
洞窟の陰から血まみれのアルバートが姿を現した。