25 蝶の証明
天空都市を離れ、今日で三日が経った。
拠点となっている施設の一階。
エントランスのソファーの上でくつろぎながら、オレ――ソウジは《エステル》を使い、創造した人工衛星からとある場所を見下ろしていた。
この三日間でオレ以外の皆は、それぞれ手に入れた情報を整理したり実験したり。はたまた、次の都市旅行への備えを行ったりとしていた。
オレ以外と言っていたが、自分だってちゃんと仕事はしている。
三日間を使ってやっていた事とは、とある能力を持った者に対しての対策と研究だ。
調査対象となる能力は『時を操る』力。
元いた世界では数多くの漫画や小説、アニメやドラマ、映画やゲームなど、能力者モノ作品には欠かせないと断言できるほど、定番中の定番であり、言わずもがな最強クラスの力。
逆に言えば、異世界からやってくるような『参加者』の中にもいる可能性は十分あると考えられた。むしろいないほうが不思議だ、と思ったりもしていた。現にいたわけだし。
クリエットが言うには、過去のゲーム参加者にも近しい能力を持った者が多くいたらしい。
あんなのが全チームに一人居たと考えると、はっきり言って恐怖しかない。
たぶん、今回は無いとは思うけど。
そんなことを考えながら、何となく飲食用カードを取り出し、氷の入りの冷えたオレンジソーダを合計五つほど『具現化』させた。このカードも、天空都市ではほとんど使っていなかった。
食事や飲み物は彼等が積極的に出していたから、使用する機会がなかったのが本音だが。
いま思えばヘタに行動出来ないように、あらかじめ彼女が他の者達に教えていたからかもしれないな。
時を操る能力。
この力がもし本当に、時間を自由自在に操れる力とするならば、いったいどのようなことが可能なのか。
時間停止、早送り、巻き戻し、タイムトラベル、過去、未来、ループ、別次元移動、etcetc......。
はっきり言って出来ることを上げればキリがない。それに、この力は限りなく無敵に近い。
例えば、どんな強力な罠を仕掛け引っ掛かったとしても、その直後に過去へ戻る事が出来たとしたら、罠を回避できる。さらに言えば、二週目から同じことを罠に引っかかる直前まで行い、罠の分析をし、そしてまた戻る。と言ったことも可能だ。
こんなことを繰り返せばどんな罠でも回避可能であり、相手の仕掛けた罠を利用し、逆に引っ掛けることさえも、多少の知識があれば出来るだろう。
だが、そんな最強無敵、天下無双とも言える能力だって、必ず限界や制限がある、はずだ。
例を上げるとすれば、時間停止だ。さすがにずっとは止められない。時間の停止範囲が決められている、もしくは止められる回数と使用限界時間が決められていたりしている、かもしれない。時間停止に限った話ではない。これは過去や未来への時間旅行だって同じことが言える。
きっと制限がある。
オレ達が生きていること、そしてこの城へ無事に戻って来れたのが、確固たる証拠だ。
『神の集い』の一人である、キリティム・ツァイト。
彼女とは三日目までその存在を現さなかったが、彼女自身はオレ達の事を、もしかするとオレ達以上に知っていたのかもしれない。
何回も何十回も繰り返してきた時間の中で、何度も何度も逃げられては戻り、逃げられては戻りを繰り返し、そして諦めた。最後までオレ達の仕組んだトリックに気が付く事が出来ずに。
思わず口の端が吊り上がり、にやける。してやったり、といった気分だ。
「なに画面を見ながらニヤニヤしてるのよ、はっきり言ってキモイわ」
座るソファーの背後から、厳しくも可愛らしい声が聞こえた。
のけ反るように後ろの人物を確認する。そこには逆さまになった状態の、紅いドレスを着たブロンドヘアの少女アリシア。と彼女の隣にもう一人、緑色の髪をした少女――替戦闘員候補兼ユリアーナ専用被験体――ティーヴァの姿があった。
ティーヴァはあの、というかこの施設が奴隷店だった頃からいた。つまり彼女は元商品で、オレ達が購入した労働者の一人であり、今はそういった労働者達を集め結成した組織『ジーニア・ズ』のメンバーの一員だ。
また、彼女はアリシアに特別懐いた。主人としてではなく、彼女のあの性格のせいだろう。彼女の誰にでも手を差し伸ばし、自分が正義だと思ったことを貫こうとする姿勢に、ティーヴァ自身も感化され、憧れに似た思いを抱いた。その結果、アリシアと共に行動することが憧れへ近付くための一歩だと考えた。と、予想してみた。
ただ、オレはそんなアリシアの考えが、未だこの世界でも同じだと言うことに対し、はっきり言って警戒をしている。
彼女の行動は人として正しい。
だが逆に、味方としては危険すぎる行動だと言うことを、知ってほしいと常に思っている。
その性格はいつか、必ず、自身に牙を剥き、後悔する羽目になる。そんな感じがしてたまらない。
「いやいやー、今日も監視さ。あいつらいま何やってるかな~って、上から覗いていたわけさ~」
「それって盗撮じゃない? ソウジはほんっと悪趣味で変態っぽいよね」
「ひっどいな~。オレはね、みんなの為に、仕方なく、この貴重な時間を割いてまで、こうして彼等を監視しているんだぜ~」
若干引き気味なアリシアを説得するように、《エステル》の画面を軽く叩きながら弁解する。残念ながら、彼等はまだ城の中にいるらしく映像では何も映ってはいなかった。
アリシアは画面を見たかは定かではないが、そっぽを向いて「はぁー」と息を吐いた。
「もう、いいわ。あなたやジョンには口で勝てる気がしないから、もうやめる」
手を振り、オレと逆側に設置してあったソファーにアリシアが座る。
彼女は隣の開いた席を手でポンポンと叩いてティーヴァを横に座らせた。
「んでー、アーちゃんもいま暇なのか~い?」
「さっき皆の前で歌ったばっかりだからね、おかげで喉が渇いちゃった。だからこの場所で暇そうにしている誰かさんに、いつものように飲み物を出してもらおうかなって思って来たのよ」
「なるっほ~。と、おっと。ちょうどここに、誰も手を付けていない冷えっ冷えの飲み物がっ!」
ワザとらしく驚き、自分が先ほど出したオレンジソーダを彼女の前に滑らせるように置いた。
何となく誰かが来そうだったから用意していたけど、やはり来た。自分の勘は相変わらず当たるね。今日も今日とて絶好調だ。
「悪いわねいつも。それに、ティーヴァの分までちゃんと用意してくれてありがと」
「ありがとうございます、ソウジ様」
ティーヴァが両手で大事そうにグラスを抱え、お礼を言う。
「いやー、オレは良い子にはつい優しくしちゃうんだよね~。あ、もちろんティーヴァちゃんの事ね」
そういえばティーヴァって名前も、なんか言いにくいなぁ。
ティー......、ィヴ......、ティちゃん......、ティもん......、テア!
決まったぜ。
「いまからオレは君を、『テア』と呼ぶぅ!」
「えっ? あっ、は、はい!!」
「勝手に決めんなッ!!」
彼女たちがジュースを飲んでいる間に、再び画面に視線を戻す。
空から見下ろすしかできないため室内に居た場合、彼等が何をしているかは確認できない。だが、どこにいるかは分かる。
(マーキングを付けていたのはグリュちゃんだけじゃ、ないんだよね~)
画面をタップして『LOCK-ON』を表示させる。この状態では城がマークされるだけだ。しかし、この状態で画面裏をタップすると......、ほら出た。
画面中央に出ていた『LOCK-ON』が消え、代わりに丸いマークが合計六つ表示する。色は全て赤色で誰が誰だかは区別できない。が、問題無い。オレが欲しい情報は、この映っている都市に赤いマークが六つ、ちゃんとあると言うことだけだ。そしていま、それが確認できた。もう十分だ。
「まだ、見ているのですか?」
またもや背後から声をかけられる。
静かな鈴音のような綺麗な声。ただその声に隠された怖く、恐ろしい記憶がいまでも脳裏に浮かぶ。
「や、やあクリエちゃん。君も今日の訓練は終わったのか~い?」
話しかけてきたのは、いつもと同じ白いドレスと青髪、頭にカチューシャを付けた少女。怒るとめちゃくちゃ怖いクリエットだ。
その彼女の後ろには、いつもの輝く銀色の鎧を身に纏った、騎士ワスターレが立っている。
クリエットはこの近代都市に帰ってから、少しの間悩んでいた。理由は天空都市にいたソーソと言う、彼女と同じ召喚者であり、クリエットの恩師であり親友である女性。その女性に裏切られてのではないのか、という事が原因だった。
今はジョンから、彼等の想定出来る範囲の心境を聞いて、どうにかこうにか立ち直ったみたいだ。
ホントにジョン様々だよ。
「そうですね。今日の訓練は無事に終わりました。やはり皆さんとは違い、レベルアップの効率とステータスの上昇率は労働者......ではなく『ジーニア・ズ』の方達のほうがいいですね」
「そ、そっすかー。それはよかったッスー。あ、はい。これ、どうぞ。お飲み物をご用意させておきました」
そう言った後、用意しておいたオレンジソーダを出来るだけ丁寧に、丁重に、献上するように、クリエットとワスターレに渡す。
「ありがとうございます。それとソウジさん。何か変ですが、大丈夫ですか?」
「い、いやいやいや! 大丈夫、だいじょうぶッスよ! そんな、クリエちゃんが心配するようなことではないッス~」
正直に言うと、クリエちゃんが怖いですねー。
少しでもふざけるとマジ切れされるからねー。
元の世界での冗談やノリがまるっきり通じない。いや、世界自体が違うから、考え方や感じ方が違うのも当たり前だけど。なんというか、やりにくい感じかな。軽いお話が出来ないと言うか、そこまで気にはしていないけれど、でも気になると言うか。
だけど、別段彼女の事が嫌っているわけでもない。
むしろ、オレよりも子供なのにしっかりとしているし、生き残るための知識を惜しみなく教えてくれるため、個人的には好感は持っている。オレ達が死なれて困ると言うのはあると思うが、それでもかなり親しくしてもらっているのもあるね。
それに彼女自身、可愛くて可憐だ。
この事実だけでも彼女は救う価値はある存在だ。
「......いいでしょう。そういうことにしておきます」
クリエットがため息交じりに言い、こちらも「あ、あはははー......」と誤魔化す様に笑顔を返す。
彼女はオレの右側、アリシアの左側にある椅子に姿勢よく座る。後ろに控える様に立っていたワスターレにも、彼女の隣にある椅子を指し、座らせた。
最近、彼女はよくワスターレに気を使っているような気がする。いや、気を使っているのだろう。ワスターレも初めて会った時より、かなり行動的になってきた、だが、まだ彼女の命令が優先されるみたいだ。恐らく、いまクリエットが「ソウジを斬れ」と言ったら、躊躇いなく斬るはずだ。そんなこと、ない。と、思うけれど。たぶん。
「それで、何か変化はありましたか?」
「いや、素晴らしいことに、特に何もないかね~。ここ三日間、しっかり頭上から監視してみたけど、やっぱりアイツ等は何かしてくる感じはないね。これだったらもう彼等を警戒しなくても大丈夫かもッスね~」
「そうなの? てっきりもう大丈夫だと思っていたけど......」
ジュースを飲みながらアリシアが可愛らしく首を傾げた。
確かに、普通ならば問題ない。この都市に入った時点で、瞬間にオレ達の無事は保証される。
『規則 其の四 参加者は特定の都市での戦闘行為を禁ずる』
だが今回の訪問で分かった事の中に、この『規則』にはさらに、より具体的で細かな内容が含まれていると言うことが分かった。
この『規則 其の四』もその一つだ。文字通り読めば『参加者は都市でのどんな相手でも、どんな場合であっても、戦闘行為を行ってはいけない』と考えられるが、実際は違った。
ジョンとロディオ、そして目の前でオレンジソーダをストローで美味しそうに飲むアリシア。その三人が出くわした事件の最中、『参加者』の一人であるミュリティアが都市の住民を思いっきり殴ったと聞いた。この事についてをジョンに詳しく聞いてみると、驚くことに彼女はこの規則を知っていて、さらにしっかりとした解釈を理解していることが分かった。
(それでも、都市内での参加者同士の戦闘、および都市を傷つける戦闘を禁止ずる、なんて。どこを調べれば分かるんでしょうかね~)
画面の中では、ちょうど城の外を出て、うろつき歩いているミュリティアを発見した。
指を二本、画面に当て開くようにして映像をズームする。彼女は庭で風船のようなモノを膨らませたり、囲いを作ったりと、何かしらの準備をしているみたいだ。
もし、このミュリティアの言ったことが本当なら、この都市だって絶対安全とは限らない。むしろこの都市を離れたほうがいいのかもしれない。と言うことが今回の訪問での、個人的に一番の収穫だ。
「まぁね~。もし何かするなら、この三日間でやっているだろうしね~」
「そうですね。ですが彼等、チーム『神の集い』には時間を操る者がいたはずですが、その方に対しては大丈夫なのですか?」
先ほど渡したオレンジソーダを一口飲んだ後、クリエットは心配そうな顔を向ける。
「そだねー。でも三日経ったから、そろそろ大丈夫だと思うけどな~」
「相変わらず曖昧で不安がある言い方ですね......。ですがソウジさんがそう判断するのなら、私はその考えに肯定します」
「えっ、いいの? ソウジが言ったことなのよ?」
アリシアは苦い顔で言った。
アーちゃん、その言い方ってひどくない?
この都市に帰還するために、オレけっこう頑張ったんだけどな。
「そうですね。ですがこういう時のソウジさんは頼りになります。こういう時だけ、ですが」
クリエちゃんも、最後のは余計でしょーよ。
だけどまー、オレの判断に同意してくれただけでも、良しとしますか。
「あっ、そうだ。すっかり忘れてた」
おもむろにアリシアが手を後ろに回し、ごそごそとピンクの可愛らしいポーチ――クリエットのお下がりに貰ったモノ――を探り、中から手乗りサイズの小さく円い、赤色したモノを取り出した。
「はい、ソウジ。これ返す」
「ぅん?」
アリシアが取り出したモノをそのままオレに手渡す。
それは天空都市に行く直前に、アリシアに渡した方位磁石だった。そういえば、彼女に渡す際、道に迷った時に使うようにも言ってたっけかな。
「あと......ごめん。それ、壊れちゃった」
叱られて反省する小さな子供のように、アリシアは申し訳なさげに顔を下げ、しゅんとする。
受け取ったコンパスの針を見る。
針は北にも南にも向いていない、傾けたら傾ける方へと針がクルクルと回るだけだ。まっ、ユリアーナ先生が言うには、この世界には東西南北とかいう方角の概念は存在しないらしいんだけどね。
この世界の謎が深まる~、なんてね。
「なるへほ~。でも大丈夫だよ、アーちゃん。これは元々、そういうモノだからさ。壊れてないよ~」
「えっ? でも、針はどこにも向いてないけど......」
「そりゃそうさ。このコンパスが指すのは北とかの方角じゃなくて、蝶がいる方向だからね」
アリシアがまたも可愛らしく首を傾げ、頭の上にクエスチョンマークを浮かせる。
「ちょう? って普通に、あの虫の?」
彼女のその問に「イェス!」と答え、両手の親指付け根部分をくっつけ、人差し指から小指をぴったり合わせ、手で蝶をつくって彼女に見せた。
本物がいたらそれを指すのだが、この世界に生息している生物は、人か『異獣』とかいう化物しかいない。
ペットとして猫が欲しかったのに、誠に残念だ。
「それで、蝶がなんなの?」
「まぁー、蝶っていうのも比喩なんだけどね~」
そう言って、アリシアから返して貰ったコンパスを弄びながら眺める。
コンパスは渡した時や購入した時と同じ、特に変わりはなく、針は傾けた方へと動く。
「この魔具はエレメンタルの属性の一つである『時』、その流れを発生させている場所を指しているんよね。基本的な用途といえば、『時』のエレメンタルが多く存在する場所。例えばこの近代都市にもある『教会』のようなところを探すためのなんだけど、もしかしたら時間操作系の敵を見つけるのにも役に立つのかも、って思ったんだよね~。そしたら......」
「ビンゴ!」と言って、なんとなく指を弾く。
ただ指は掠っただけで、綺麗なパチンッという音は出なかったのが若干恥ずかしい。こんなのなら指パッチンが得意なジョン君とかに習っておけばよかった。
「アーちゃんは、このコンパスを使ってオレ達のところまで来た。そうだよね?」
「ま、まあ、そうだけど。でも途中まではいい感じに行けたのよ! ただ思ったよりも広かったとか、扉か多かったとか、曲がるところを間違えたとかがあっただけで。別に、本当に途中までは、迷ってなかったのよ、それに――」
アリシアは両手をあたふたさせながら、弁解するように言った。
彼女のその反応から察するに、普通に、いつも通りに迷ったみたいだが、面倒なので追求はしないでおこう。
「そう予想通り、アーちゃんが道に迷いコンパスを使用したおかげで、キリティムの居場所がわかった」
道に迷った、という言葉にアリシアが何か言いたそうに口をパクパク動かし、身振り手振りしたが、結局何も言わずそのまま黙った。
「ですがソウジさん。その『時の流れの発生源』とキリティムには、どんな関係があるのですか? 確かに彼女は時間を操れるとは思いますが、時の流れを生み出しているようには視えませんでした」
左目を閉じ、ウィンクした状態のクリエットが問いかけた。
右眼を開いているのは、彼女が持つ『神眼』を発動させた、と言った意味合いなのだろう。彼女の『神眼』で視えなかったモノが本当に存在するのか、とも言いたいのかもしれない。
「クリエちゃんの言う通り、アレは見える様なモノではないからね。ただどんな人でも、先が見える、分かる、予想できるなら。もし、その結果が自分にとって不都合だったら、事が起きる前に結果を変えようとするじゃん? オレはその、事を変える瞬間の行動を利用したんだよな~」
クリエットは「ですが......」と答え、顎に手を当て、また考える素振りを見せる。
個人的には逆に、彼女が何故わからないのかと言った気分にもなる。
困ったな。これ以上、具体的にどう言えばいいのか思いつかない。
オレが言いたいのは、元の世界で使われていた理論を利用したということだ。
それは......、あの、えっと、アレだ、アレ。バタフライ――なんだっけ?
ダメだな、こんな時に思い出せるのが泳ぎ方しか出ない。
違うんだよな。なんて言うんだっけかな。あの、ちょっとした小さな出来事で予想できないような事が起きる、的な言葉。映画のタイトルでもあったと思うし。
やばい、完全にど忘れした。
「......ソウジが利用したのは、『バタフライ効果』じゃないのか?」
またしてもや背後から声が聞こえた。
ブリッジするように後ろを確認すると、上下の青い縦縞ジャージに白衣を着た女性が見えた。
歩くWikipediaさん。聞いたら無駄に詳しく教えてくれる人。酒癖最悪ウーマン。愛称ユリアん。
新しく来た人物は、オレの事を心底嫌っているユリアーナだった。
だがおかげで思い出した。そうバタフライ効果、バタフライ効果だ。何度も心の中で唱えている内に、数年前に観た映画の内容と、初見の衝撃を思い出す。
ユリアーナは自分の左側の、空いている椅子に座り、残ったオレンジソーダの入ったグラスに口をつけた。
残ったら自分が飲もうと思ったのに、少し残念だ。
「ソウジ様。申し訳ありませんが。ばたふらいこうか、とは、どう言ったものなのでしょうか?」
それは、アリシアの隣で聞いていたティーヴァからの質問だった。
とりあえず笑顔を返す。こっちに振られるとは困った。映画の内容だって、ただ過去に戻った主人公がちょっとした事を変え、その結果の未来が大きく変わる、と言ったくらいしかわからなかった。
こんなの、どうやって教えればいいんだよ。
「そうだね、いま来たばかりのユリアんなら、オレより詳しく知って......」
「バタフライ効果。カオス理論におけるカオスの定義あるいは特性、第一に挙げられる初期値鋭敏性。この初期値鋭敏性によって生じた極小の差による未来変動の性質を長期予測不能性または予測不可能性。それらの性質を標準的、寓意的にバタフライ効果と呼ばれている。したがって――――」
質問を投げた途端、もういつ息をしているのかもわからないほどの速さでユリアーナは語り始めた。
マシンガン、というよりガトリング? と言っても過言ではない。それほど早口で、永遠に続くのではないかと思えるほど、長々とした単語をスラスラと、瞳を閉じて、まるで鼻歌を歌うように気持ちよく彼女は口を動かす。
すでに聞いても意味が無い、と悟ったアリシアはジュースを飲み始め。クリエットも同じように、グラスに入った氷をストローで突っついている。ワスターレは相変わらず無言で微動にしていないが、聞いてはいないだろうな。
この中でユリアーナの話を真剣に聞いているのは、組織『ジーニア・ズ』で一番の頑張り屋さんであるティーヴァくらいだ。分からない単語ばかりで語っていることにも理解が追いついていないにも関わらず、適当なタイミングで相槌を打っている。
だがこれで、いつもの他人に押し付ける作戦は成功した、と思う。この作戦は、たぶんわかるであろう人物にそれっぽい理由を付けて、全力で質問の回答をぶん投げる方法なのだ。元の世界ではよく副社長にやってたっけかな。
それにしても、話し始めてからユリアーナが止まらない。止めようかと思ったが、これほど生き生きとしたユリアんを見るのも悪くない。少し様子でも見てみるか。
「――――で、あるからして、a線からx線へと変えた直後にエレメンタルの『時』が発生、生み出されると考えられる。つまり、未来を変えれば変えるほど『時』の力を持つキリティムの周りには、そのエレメンタルの属性の一つ『時』がまとわりつく事になる。この魔具は『時』の属性が集まっている箇所を指し示すため、結果としてあのパラディソス城の中で一番濃い『時』の属性を持つ彼女を指すことになる。同じ事が渡された腕輪にも考えられる。あの腕輪がいつの間にか消失したのは、彼女の『時』を操る能力を阻害するためなのだろう。腕輪はについては魔具屋では見つからなかったけれど、恐らくあの腕輪には、ソウジが考えた予想がインプットされ、その予想と現実と違った場合は消失すると言った物だったと思われる。そして焼失したと同時に効果が発揮される。ボクが推測するに腕輪に仕掛けてあったのは、緊急脱出用の転移効果。つまりは、ソウジは彼女の能力自体を利用し、彼女の能力を無効化していたということ、そうでしょ?」
「ん? えっ? な、あっ......そ、そうだ、そうです。そうだよね~、うん。確かにユリアンの言う通りだよ~」
いきなり話を振られるようにユリアーナが顔を向けてきたため、それっぽい返事を返した。
ユリアーナもその回答に満足したのか、また話し始めよう口を開いた瞬間、手の平を見せて止める。これ以上語られては、頭がパンクしそうだったからだ。
日の光の傾き加減から、恐らく彼女が会話してからすでに一時間くらいは経っていそうだ。
アリシアとクリエットは頭を上下に動かしうとうとして、今にも眠りそうだ。ワスターレは相変わらず動かない。もしかしたらヘルムで顔が見えないだけで寝ているかもしれない。ティーヴァはいつの間にか相槌をするのを止め、眠らないように耐えているようだった。
つまりは、みんなもう限界だ。ということを彼女の察してほしかったけれど、無理そうだったため、語りを止めさせたということだ。
「......なにソウジ。これからが彼女の存在を証明させるための説明の前工程を言おうと思ったのに、なんで止めさせる?」
「いや、大丈夫だぜユリアん。もうだいたいみんな理解したっぽいから、あとは何か聞かれたときに答えればいいんだと思うぜ~」
とりあえずユリアーナの語りを止める為の、正解っぽい事を言う。どうやら思った通り、渋々という感じだが彼女は語りが終わった。
語りが終わったことを察したクリエットが、眠たそうにして目を擦る。
アリシアは隣のティーヴァに肩を叩かれた後、半開きの目で辺りを確認しはじめた。
「......それで、質問は何かない?」
ユリアーナが周りを見渡しながら言うが、ソファーや椅子に座る者達からの反応は無い。というよりも、反応したくないのだ。ここで質問すればまた語り始める。この場にいる全員が思ったに違いない。
そして、正解だ。彼女の事だからきっとまた、数時間にもおよぶ授業が始まる。だからこそ、黙る。あの時、目の前に姿を現したキリティムのように、それが対策だから。
特に質問が無いと分かったユリアーナはオレンジソーダを一気に飲み干した。
本来ならば、氷は解け、グラスの下は水滴でびっしりと濡れているはずなのだが。この世界の特性と言うべきか、全てが具現化させた状態で留まっていた。ユリアーナが言うには、『例外』として人が使用または関わることで変化する、という事らしい。
彼女の言う事は正しい。もし本当に何も変化しなければ、食事だってそのままの状態だ。
つまりよくある食品サンプルと同じということだろうな。食べられるような物ではない。料理や調理も同じことが言える。この世界では料理できないのかと思っていたが、例外のおかげで作れるようだ。
これはもう、この世界はまるで、人の為に創られた世界だと考えたほうがよさそうかもしれないな。
「ところでですが、ソウジさん。キリティム......、『時を操る』能力者がいると、どうして初日の、それも城に着いて間もない間に分かったのですか?」
まだ眠たそうに瞼をパチパチしながら、クリエットが聞いてきた。
キリティムの存在に気が付いたところはまだ言っていなかったか。ただ、これは本当に単純で、しかも自分の勘が大きく出ている。言ってもため息を返されて終わり、だろうな。
まっ、別にいつもの事だし、教えてもいっか。
「簡単だぜ~。あの城に着いたすぐ後、廊下に並べられた花瓶を覚えているかい?」
クリエットは顎と目を上げ、思い出そうとする。正面に座っているアリシアも同じように上を見るが、思い出せないのか首を傾げた。
「あの花瓶に入れられた花。いつ頃に刺されたっけかな~?」
正面を向いたクリエットは今度は下を向いて、顎に手を当て「確か......」と呟く。
「私達が天空都市『パラディソス』に着く前日、だったと思います」
「イェス、クリエちゃんの言う通り。オレもジョン君からそのことを聞いた。じゃあ何故、ジョン君はそんなどうでもよさそうな情報をオレに伝えたのか。このことについてアーちゃん、何か分かるかい?」
いきなりの質問にアリシアは肩を一瞬上げ、眼を見開いた。
アリシアはしばらくの間、目と首を左右に動かし、考える仕草をとった。
ただ残念ながら、はっきり言ってしまえば、この質問はアリシアが答えられるとは思ってもいない。これは、この世界の常識と元の世界の常識との違いから生まれる情報だからだ。普通に、自身の常識で考えただけじゃ解けるわけがない。
ちなみに言うと、ジョンはクリエットからそのことを聞いた直後、違和感に気付いたらしい。
「んー。......お手上げ、分かんないわ」
アリシアは両手を上げ、降伏のポーズをとった。
彼女が諦めることが分かってたため「知ってた」とにこやかに返すと、可愛らしく頬を膨らませた。
アリシアの仕草を見たクリエットも、何故か自分の頬を撫でる様に触る。
この二人は相変わらず面白くて可愛いな。
「......そうか」
呟いたのは、アリシアの質問を同じように考えていたユリアーナからだった。どうやら聡明な彼女は、この違和感に気が付いたようだ。
むしろ彼女は真っ先に気が付くと思っていた。何せ、この世界と元の世界の大きな違いを知っている彼女ならば、きっと解かると知っていた。
「なに、なに? 花瓶の花について、ユリアんは分かったの?」
「......花瓶の花は、特に関係ないよ。必要な情報は、花瓶がどうしてボク達が来る前日に刺さっていたか、ということ」
「そ、それは......、たまたまじゃないの? 私達が来る前日に刺さっていた花が萎れていたり、枯れていたりしていたとか」
「そのことが、まず間違えだ。何せこの世界は『完成された世界』なのだから。あらゆる全ての物は人が関与しない限り、壊れたり腐ったり、枯れたりしない。そう、つまりは......」
「変える必要が、ない?」
ユリアーナのセリフを取る様に、クリエットが呟いた。
セリフを盗られたユリアーナは何か言いたげに口を半開きにしたが、何も言わず黙って椅子にもたれ掛かる。たぶん、オレだったら殴っていただろうな。
「そ、それでも、気分で変えたって可能性だって、あると思うけれど......」
「可能性はあるね~。でもオレが考えるに、生ける花を変えるタイミングは、刺さっている花が萎れたり枯れたりした時もしくは、何らかのイベント前だったりとか、かな~」
アリシアの疑問に答える。彼女の考えも分からないでもない。
ただそれは、一軒家や個人宅ならば可能性はあった。しかし実際はお城だ。そう簡単に、気分で変える様な事はほぼ無いはずだ。
「イベントの前......」
「そうだぜクリエちゃ~ん。花を変えた翌日、何のイベントがある? 何があった?」
クリエットは更に深く考える様に顎に手を当て止り、「......私達が、天空都市に来た」と呟いた。
答えを見つけた彼女に対し、親指を立て「イェス!」と言う。
「まさしくその通り。花を変えた翌日はただの、何の催し物がない、普通の日だった。にも関わらず花を変えた。理由は簡単。オレ達が来ることを事前に知っていたから。キリティムが時間を戻して、他の者達に教えた。ま、これは確実、間違いないね~。ただ、花を変える様に命じたのは、あの城の王女様であるソーソだとオレは思うけどね~」
ソーソの名前を出した瞬間、クリエットの顔が一瞬だけ強張ったが、すぐに戻った。彼女はまだソーソの事で気になるようだ。
「けど、まだ花瓶の花だけでしょ? 他に何を根拠で『時』を操る者がいるって分かったのよ?」
「それは......」
まだ納得していないアリシアに対し「勘かな~」と素直に答えた。
その場にいた、ワスターレとティーヴァ以外が頭を抱え「またか」と呟いた。
これも、もうすでに見慣れた光景。自分の勘については、オレ自身も分かってもらおうとは思っていない。現に存在していたわけだし、敵対は分っていたし、それで逃げても来られた。
すべては結果良ければ何とやら、だね。
「はー。それでよく、『時を操る』能力を持つ者がいると知って、すぐに逃げようとはしなかったわね」
「まーねー。時間操作系の能力は確かに強いよ。でも絶対ではなく、最強でも、無敵でもない。これは確実な弱点はあるんだな~」
「弱点って、そんなのあるの?」
アリシアの疑問に対しにこやかに笑い、頷く。
時間操作系能力の最大の弱点、それは......。
「能力の使用者が物理的に不可能な事と、イベントに対して理解が出来ない事、だね~」
天空都市にいたキリティムについての話が終わり、再び《エステル》の画面に目を向けた。
彼女の能力が分かったところで、有るはずの制限までは把握していない。先ほどはあのように言ったが、三日経ったからといって完全に警戒を解くのは危険が大きすぎる。
オレの予想も、まー基本当たるが、それでも勘は勘だ。こっちの世界では予想やあらゆるパターンを超える事態だって普通に有り得る。かもしれない。
現にいま、《エステル》に映し出されている画面にちょうど『神の集い』の五人と、召喚者ソーソが確認できた。どうやらオレ達が話し合っている間に外に集まったようだ。
画面に親指と人差し指を置き、二本の指を開けるようにして、画面をズームする。どうやら彼等の衣装も変わっているようだ。それに、あんな大きな水たまりが、城のあの場所にあったか? 先ほど確認したときにはなかったと思うのだが。
「まぁた、エステル見てる。変なところ見てるんじゃないでしょうねー?」
「なっ! 失敬だな~。油断大敵って言うっしょ~? だからこうして、まだ監視してるんスよ~」
「だったらちょっと貸しなさいよ。先に言っとくけど、変なの見てたら殴るからね」
アリシアの可愛いジト目をしてくる。
本当なのに信じてもらえないとは、何とも悲しい事だろうか。とりあえず、自身の潔白を証明するために、画面をそのままにして《エステル》を彼女に渡す。
一応彼女にも《エステル》を渡しているがあまり使用している感じはない。やはりスマホのように、もう少し遊び心ある物を創れば良かったな。と心の中で反省する。
「ちなみに画面の左上をタップすると、音も発生するよ~」
「そうなんだ、思ったよりも便利......、うん?」
「ん?」
眉を顰め、元アイドルらしからぬ険しい顔をするアリシアに、つい反応する。
親指と人差し指を使い更に画面をズームしたアリシアは、動きを止め身体を震わしはじめる。彼女の異変に、つい彼女の横にいたティーヴァも同じように覗き込み、口を両手で塞いだ。更に少し離れていたクリエットも気になったのか、画面を観るが、その直後アリシアと同じように眉を顰めて口が開く。
「えっ? な、なんすか? 変なモノでも映ってましたか~?」
さすがに気になったので聞いてみた。はっきり言って、嫌な予感しかしない。
アリシアは言葉にピクッと反応した後、左上をタップして《エステル》の映像音を流す。
『もー、ティムー! 当たる直前にー、時間を止めるのきーんしー!』
『卑怯だと思うけれど。そもそも力を使用してはいけないとは、誰も言っていないし決めていない。それにルヴィだって浮いてるし、空間壁で防御してるし。つまりこれはフェアで、問題無し』
『ちょ、グリュ!? 弾を凍らせるのはずるいだろ。かなり痛いぞソレ!』
『単なる液体じゃ......ミュリは満足しないでしょ? つまりは......そういうこと』
『あんまりはしゃぎ過ぎないように、怪我をしないようにしてくださいね。僕は治癒魔法は苦手ですから、大怪我されては困ります』
『ふふっ、ディトラは相変わらず優しいわね。大丈夫よ、怪我をしたら私が直すわ』
聞こえてくる声は、天空都市にいるチーム『神の集い』の五人と、召喚者のソーソだ。だが、何をやっているかは音声だけでは把握できない。もう少し言えば、何かパリーンやバシャッ的な音は聞こえるけれど、情報が少ないため、彼等が何をしているのか全く解らない。
「えっと、アーちゃん? もしよろしければ、映像をお見せ頂けないでしょうか?」
「んっ!!」
言葉に反応したアリシアは、勢いよく《エステル》を反転させ映像を見せる。
さっそく映し出されているモノを確認する。映像にはプールらしきところではしゃぐ六人の姿があった。
緑色のバンドゥビキニの水着を着たルヴィヴィナが、ハンドガンタイプの水鉄砲を両手に持って宙に浮いて。
白いフリフリのついた水着を着たキリティムが、ショットガンタイプの水鉄砲を持ち、空中で水を止めている。
背中が大きく空いた、黄色の水着を着たミュリティアが、迫る氷の粒から全速疾走で逃げている。
その氷の粒を次々と生み出しているのは、青いシャツのような水着を着たグリュフィザ。
少し離れたところでビーチチェアにもたれ掛かかり皆を見守る、サーフパンツの水着を履いたディストラス。
そんな彼の隣で微笑む、黒のクロスホルダービキニを着たソーソが並んでいた。
「これは、なに?」
アリシアがこれはもう、素晴らしい笑顔で問いかける。
ある程度状況が把握したところで、冷静に考える。
うむ、これは本当に、嫌な予感しかしない、と。直感で、動物的判断で感じ取った。
「水遊び、ッスかね~」
「そうね。女の子五人が水着姿で、楽しそうに遊んでいる。こんなのを、ずっと見てたの?」
「た、たまたまッスよ~。あ、あれれ~? さっきまで何もなかったはずだったのになー。可笑しーなー。なんでだろーなー。どうしてだろーなー?」
「そんなのどうでもいい。私がさっき言ったこと、覚えてる?」
あ、これ。あかんヤツや。
「へ、変なの見てたら、殴る......とか?」
「せいかぁぁっっっいぃっ!!」
一気に間合いを詰めたアリシアが繰り出したアッパーが、オレの顎に見事クリーンヒットし、そのままソファーと共に倒れ、持っていた《エステル》と共に飛んだ。
床に落ちた瞬間、後頭部をぶつけたショックで意識が薄れていく中、共に飛んだ《エステル》の画面に映し出されていたモノが目に映る。
それは、こちらの方――空を向いて微笑む、キリティムの姿だった。




