23 天空都市 二日目
目が覚めたとき、目の前はただ、蒼一色だった。
ここは天空都市パラディソスにある『パラディソス城』の一室。
その部屋で俺――ロディオ・ジーヴァピスは昨日、寝泊まりした。
部屋は城と同じく壁、床、天井。それら一面すべてが蒼で覆われている。
置かれている物も寝ているベッドと窓以外、特に何もない。
強いてあげるとしたら、俺の着ていたコートや帽子、ブーツ。それと持ってきた画材などの道具等が入った栗皮色した鞄くらいだろう。
寝返り、違和感がある左腕を上げる。
違和感の正体、それは腕につけた何の装飾もない銀色の腕輪。上げた拍子に窓から覗く日の光が反射して、輝いているように見える。
この腕輪はソウジがこの都市に来る直前に、全員へと渡してきた物だ。彼曰く一種の魔具らしい。
出来るだけ外さず、そのままつけていてほしいとも言っていたな。
彼の危機探知能力はずば抜けている。たぶん、この腕輪は何かしらの力を持っているのだろう。
今は何の変哲もない腕輪。しかし、何かしらの力があるのはわかる。腕輪の力が発動する条件があるとしたら、どんなものなのだろうか。
そしてこれを見ると、ここが敵地だと言うことを再確認させられる......。
昨日は途中、ユリアーナがグリュフィザという、シアンの長い髪の少女に連れられて、どこかへ行ってしまったその後。ジョンとアリシアが率先してディストラス達と会話し、全員で彼等が用意した夕食を食べた。
おかげでこの都市の事や、チーム『神の集い』面々のことも少なからず知ることが出来た。彼等は皆、規律を守り礼儀を怠らない人物たちだ。あの金髪長身縦ロールのミュリティアですら、いつもはあれほど高圧的ではないらしい。やはり自分たちが敵だと言うことが問題なのだろう。
これからあと二日間ほど、この都市で過ごすことになる。
残された時間は少ない。この間に出来るだけ多くの他情報を集めなければな。
「あやー、目が覚めましたかー」
上体を起こしてすぐ、ベッド下の隙間から顔だけを出す少女。
昨日の道案内から会話、色々かなりお世話になってしまっている少女。
若草色の、頭の後ろで結ばれたポニーテールを動かし、シワ等が無いキッチリとした白い学生服を着こなし。左胸には常磐色の盾エンブレムを付けていた、ライトブルーの瞳を持つ少女。
彼女の名はルヴィヴィナ・ゼニス。チーム『神の集い』の一人だ。
「何故ぇ、ここにいる......?」
「いやー、あれだよー......。ちょぉっと君とね、一緒に行きたいところがあってー。それで誘いに来ただけだよー?」
共に行きたいところ、か。それはそれは危険なお誘いだな。
この都市に来る事前にソウジやジョン達と話し合った結果。出来るだけ単独行動は控えよう、ということを決めていた。もちろん、敵チームとの行動なんてまっぴらごめんだ。
それに、ただの誘いなら朝食を食べているときでもいいはずだ。なのにわざわざ俺の部屋まで来るとは、怪しすぎる。
例え、ここが都市だからと言って油断はできない。
警戒は怠らない。
それがいま一番、生き残ることが出来る方法だ。
「そこまで警戒しなくてもいいじゃんかーもー。流れるまーま、身を任せなさいなー」
「いちおう君とは『敵』同士、だからなぁ。警戒しないと言うのが、不思議だと思うがぁ......。悪いが、君の誘いを受け取ることは出来なぃ......」
素直に答える。
少女のせっかくの誘いを断るなんて男として最低だ、と思われるだろう。
しかし、変に友達感覚でいる方が危ない。彼女達は俺の敵なのだから、どんな事をしでかしてくるかもわからない。
油断はしない。決して、絶対に......。
「そっかー、あたしの誘いを断っちゃうかー、残念だなー。せぇっかくこの都市にある美術館を紹介してあげようかなと、思っていたのに――――」
「さて、行く前に朝食をとってもいいかなぁ......?」
素直に答える。
こんな可愛らしい少女の誘いを断るなんて男として最低だ。
さらに言うと目的の一つが叶うのだ。いま重要なのは出来るだけ多くの情報を手に入れること、なら彼女の誘いは目的を達成するための良い事ではないか。
それにずっと警戒していては肩が凝ってしまうからな。息抜きというのは必要だ......。
「そ、そっかー。来てくれるかー。......本当に言ってた通りだったなー」
「何か言ったかぁ?」
ルヴィヴィナは「何でもなーい」と首を振り、ベット下から出て、いつも通りスーっと浮きながら部屋から出ていく。
部屋を出た直後、こちらを向いて可愛らしく手を振ってきたためこちらも手を振り返す。なんとも子供らしさがあるな。
彼女が出たと同時にベッドから立ち上がり、部屋の角に置いてある服や荷物を確認する。確認と言っても、昨日持ってきた物などがちゃんとあるかどうかを視認するくらいだ。
さすがに泥棒とかはされてはいないと思うが、勝手に入って来たのだ。一応は確認はしておいた方がいい。そう考えての行動だった。
元の世界で旅をしていた名残というモノか......。
例え有名で安全だと言われているホテルでさえも、油断するとすぐにベッドの隣に置いてあった財布が盗まれたりしたものだ。しかも犯人はルームサービスときたものだ。もちろんの事ながら、犯人が分かっていたためおとなしく返してもらった。案外話せば分かる相手が多いのが救いだった。
ほんの数か月前の事件なのに、もう数年前の事を思い出しているような感覚だ。それほどにこの世界というのは、元の世界とは比べ物にならないほどの違いがある、と言うことになるのだろう。まだまだ帰れるかもわからないし、それに自分の目的もある。
十数日前に起きた衝撃的なほどの『参加者』同士の闘いは、今でも脳裏にはっきりと思い出し、瞼を閉じれば映像が鮮明に、まるで映画ワンシーンを観ているように流れてくる。
一対一での、決闘のように戦う彼等、彼女等。
最後の二人を相手に、たった一人で、しかも圧倒的な力でねじ伏せたヴァンと呼ばれる褐色の男。
戦闘の後、まるで物語のシナリオで決められていたかのように、唐突に始まったソウジとの意思の確認。
俺はその時、はっきり言えば迷っていた。
元の世界では描くことが出来ず、限界を感じ始めていた時に偶然訪れた、まるっきり別の世界への移転。そこで見る物すべてが目新しく、何度も雷に打たれたような衝撃をもってしても、未だ『自分の絵』を描くには程遠い。
もしかすると、この世界ならば。そう考えていたために、帰還を迷ってしまった。
結局のところ、今でも迷っている。帰れるものなら帰りたい。だが、方法は見当もつかず、あるとしたら敵を全員殺す事。野蛮だ。それに実行しようにも途方もなく、無理難題。の、はずなのに、彼はそのことを笑っていた。
「オレだけでは無理だったけど、君らとなら出来るさ~」
会議終了後のソウジの笑い声と、変わった口調から発せられたその言葉は、俺の中で疑問を持たせた。
彼のその自信は、一体どこから来るのだろうか。だが、何故だろうか。彼ならば、彼とならばあらゆることもやり遂げれそうな感じがする。
ソウジの独特な発想は、俺達をどこまで導いてくれるのだろうか。
もしかしたら、その先に俺の求めていた『自分の絵』があるのかもしれない。
そのような事を考えながら、一通り荷物を確認した。持ってきた物は全てあった。
自分の行動に何となしに頷き、そのままお気に入りのコートを羽織るようにしてから袖を通す。
いつものようにボタンをすべて閉じ、流れる様にハット帽子を被り、ブーツを履いて紐を締め、スケッチブック等の画材道具が入った鞄を肩に掛けて部屋を出る。
今日は良い作品と巡り合えたら良いな......。
…………
昨日ディストラス達と話していた庭のような、幻想的で美しい部屋。
今日も同じ床一面に広がる芝生。部屋中央の空中で金魚鉢のような水の塊から滝のように流れ、目に見えない傘に遮られて落ちる水。その水の塊の直下、見えない巨大な傘の下に、純白で流れる川のような装飾がされた大きなテーブルと、その周りを囲むように設置された同じく白い、背もたれが滑らかな歪曲の椅子。その数、合計十三脚。
数ある椅子の一つに見知った少年が座って、こちらに手を振っているのが見えた。
「おはようございます、ロディーさん。朝食はもう用意されていますよ」
誰もいないただ広い庭の部屋に、一人で座って待っていたのは俺達の仲間の一人、ジョンだ。
自分も彼の隣に座った直後、爽やかな笑顔と共に語りかけてきた。
彼は昨日と同じ服装。黒いスーツと白いシャツ、黒のシューズ。相変わらずの全身黒尽くめで、大人っぽさを出そうと背伸びしている感じの服装だ。
身長が足りないのか、座った椅子に地面が着いておらず。浮いた足をぶらぶらと揺らしている。
「ぉはよう、ジョン。相変わらず朝が早いな、羨ましいよ......」
「うん。いえ、これはただの癖ですので。それに彼等は僕よりも早起きでしたよ。僕がこの場所に着たときには、これらはすでに準備されていましたし」
ジョンが机の上に用意されていた、良く磨かれた食器や朝食らしき食べ物を指しながら言った。
目の前の大きなテーブルの上には、籠の中に入れられたパンや皿に盛られたハムエッグ。青い装飾が塗られた白いティーカップがそれぞれ椅子の数程、綺麗に並べられていた。
とても優雅な朝食だ。まるで本当に俺達を客として持てなしているみたいだ。
つまりそれは、俺達を敵として見ていないと言うことにもつながる。
これはかなり馬鹿にされているのか、それとも単なる礼儀としてなのか。彼等の事はまだわからないことだらけだが、たぶん後者だろう。
「ヤー、来たねぇー。起こしに行ったかいがあったってもんだよー」
向かい側の扉が開いた直後、ルヴィヴィナの声が聞こえてきた。
今朝と同じように空中に浮き、長い髪を左右に揺らしながら、その小さな手に似つかわしくないほど大きな大皿を持ってきた。
「うん。おはようございます、ルヴィヴィナさん」
「おはよー。それとジョン君、あたしの事はルヴィーって呼んで良いよって、昨日言ったじゃんかー」
ルヴィヴィナとジョンが仲が良さそうに話す。
思い出してみると、昨日の会話にはジョンとルヴィヴィナが言葉を交わす事が多かった気がする。彼等はもしかして気が合うのかもしれない。
理由の一つとしては、身長も同じくらいだからだろうか。関係は無いと思うが。
「おい! なぁに気軽に、オレ達のルヴィに話しかけてんだよ。あぁん?」
怒鳴るような威圧的な声。
昨日、何度も聞いたようなセリフを言いながら現れたのは金髪縦ロールのミュリティア。凍ったもみあげ部分も綺麗に戻っている。
彼女の服装はルヴィヴィナや他の者と同じ、白くキッチリした制服。だが彼女の場合は、襟のホックを外し、ボタンも上から二つ外した、無駄に大きな胸を強調した格好だ。服の左胸に付けられている黄金色の盾エンブレムが光に反射してキラキラと眼に刺さる。
彼女の手には、大量の小皿。すでに料理が盛られているため、それぞれ一枚一枚を別々にして持っているが、どう見ても指一本一本で支えているとしか見えない。いやでも、皿の数は十を超えているようにも見える。どのように持っているのか分からないが、この状況で分かった事と言えば、彼女は恐ろしいバランス感覚の持ち主だと言うことだろうな。
「もー、ミュリー! どうしてそう彼等に厳しいのさー。ジョン君とかアリシアちゃんとか、みんな良い子じゃんかー。それに客だよ? もっと丁重に扱いなさい!」
ルヴィヴィナが手に持っていた大きな器をテーブルに置いた直後、同じく小皿を一枚一枚を丁寧に置いているミュリティアを叱る。
身長だけ見るならば、どう考えても立場は逆だろう。だが彼等には彼等で上下関係があるみたいだ。あまり外野がとやかく言うのはよくなさそうだな。
「わ、わかったよルヴィ。......お前ら悪かったな」
「うん。僕は気にしていませんよ。それと、おはようございます。ミュリさん」
先ほどひどい言われようだったが、そんなこと意に介さず、にっこり笑い挨拶をするジョン。彼の挨拶に少し戸惑いながらミュリティアも「お、おはよう」と挨拶を返した。
やはり、この少年も恐ろしいな。人の心をつかむのがうまい。
それと話すのも上手い、自分も彼から習いたいものだな......。
「この熱気は、またミュリーが失礼な事を言ったのかな?」
二人が入って来た扉から聞こえる声。その主は彼女等が所属するチーム『神の集い』のリーダー。
俺の胸くらいの身長の少年、ディストラス。
彼もルヴィヴィナやミュリティアと同様の白い制服姿。ボタンはもちろん、襟のホックもキッチリと閉じている。彼の制服の左胸部分にも、深緋の炎のような盾エンブレムを付けているのも見える。
「おはようございます、ディトラさん」
「ぉはよう......」
「おはようございます。ジョン君、それとロディオさん」
ディストラスは右手で首下、鎖骨の間に添え、会釈をする。
彼に合わせる様に、いつの間にか彼の隣に移動していたミュリティアとルヴィヴィナも同じ姿勢をとり、会釈する。これは彼等の挨拶か何かなのだろう。
あとこれは昨日の会話などでわかったことの一つ。
彼等のチーム『神の集い』には、上下関係が存在するということだ。
そのトップにいるのが彼、ディストラス。
彼の命令は絶対だ。
ルヴィヴィナ達、たぶん全員は彼の指示に従い、共に行動し、彼が動けば彼女達も同じように動く。これはグループのリーダーとメンバーとは違う、主従関係に近いものだろう。
なぜそうなのか、いつか聞いてみたいものだな。
「では立ち話も何なので、朝食を食べましょう。僕程度が作ったもので、お口に合うかわかりませんが」
「うん。ありがとうございます。ではロディーさん、頂きましょうか」
ジョンの掛け声に頷き返す。
ディストラスが「どうぞ」とにこやかに笑って椅子に座る。同時の立っていたルヴィヴィナとミュリティアも、それぞれディストラスの両隣に座った。
テーブルには先ほど、ルヴィヴィナとミュリティアが持ってきた皿が追加されている。
ルヴィヴィナが持ってきた大皿は中央に置かれ、中には白い麺と野菜を混ぜ合わせた料理。これは初めて見る料理だ。
ミュリティアが椅子の数分ある小皿には、黄色いバターとトマトケチャップのようなドレッシングが花のように丁寧に盛られている。これも一応、料理なのだろうか。こちらも初めて見た。
そして、それらの食事を囲む俺達五人。
......なんか変だな。普通に馴染んでいるが俺達、敵のはずだよな?
「まーだソソっちとグリュっちが来ていないんだけどー、呼んでくればいーい?」
予想以上に甘いパンを齧っている最中、前の席に座っていたルヴィヴィナが頬に人差し指を当てディストラスに対してだろう、聞いている。
そういえば、クリエット達四人。それと昨日の途中から見なくなったユリアーナがまだ来ていない。
なんだか嫌な予感がする。
「大丈夫だよ。直に感じると思うよ」
「えっと、んー......。あ、ほんとだ!」
よくわからないやり取りだ。
ソウジが彼等の事はサイキックだと思ったほうがいい。と言っていたが、まさにその通りなのだろう。彼等には彼等にしか分からない知らない、何かを持っており、そして何かを感じ取れる。
今回の目的の一つは、その彼等の『能力』の解明だ。だからこそ、いまは友好的に振る舞い接近する必要があるのだ。
「ほら、皆さんもう集まってますよ! だから早く行きましょうって言ったじゃないですか、ソウジ!」
「マジか!? マジか......。マジだったか~!!」
「大丈夫よ、クリエット。いま準備され終わった感じ、みたいだから。......もう食べ始めてるけど」
俺の後ろにある扉の方から見知った声が二つ。あまり聞かない声が一つ。
振り向き、その声の主を確認する。
やはりクリエットとソウジだ。見知った二人の顔を確認でき安堵する。
彼等の前を軽い足取りで歩くのは、チーム『神の集い』を召喚した、と言っていた、この都市の王女。名前は確かソーソ、だったはずだ。そう、間違いない......、はずだ。
クリエットとソウジも昨日と同じ服装だ。
薄紅梅色の足の先まである長いドレスに、動きやすそうな白いシューズを履いたクリエット。頭には髪色と同じライトブルーのカチューシャを付けている。
ソウジは灰色のパーカー、その下に黒いシャツを着ている。深紫色でポケットの多いズボンを履き、黒色のシューズを穿いている。彼の黒髪は相変わらずボサボサでそこかしこに跳ねていた。
「うん。おはようございます。クリエさん。ソウジさん。そして、ソソさん」
「お、ジョンく~ん。それとロディーさん。あと、えっと......『神の集い』面々さん。おはよ~さん!」
ジョンの挨拶に、いつものように気軽なあいさつを返すソウジ。その直後隣にいたクリエットに横腹を叩かれ、ソウジはその場でうずくまった。確かに失礼な言い方だったかもしれないが、暴力は良くないと思うぞクリエット。
だが、二人は普段通りそうでよかった。
「す、すみません。朝からお騒がせして......」
「いえいえ。こちらのミュリが騒がしいので、お互い様ですよ」
騒がしい事は認めるのか。ディストラスもディストラスで、リーダーとして大変なのかもしれないな。
ただその事とは別にオレが気になるのが、あのソーソというクリエットよりも二つほど年上の、サラサラとした腰辺りまであるストレートの黒髪を持つ女性。
肩甲骨が見えるほど背中が空き、ボディーラインがくっきりわかる濃艶な漆黒のドレス。滑らかでスラっとした足を更に魅力的に見せる、ドレスと同じ黒いストッキングに漆黒のハイヒール。
それら全てを見事に着こなす彼女は、とても素晴らしい。
この幻想的な空間と合わせてぜひともモデルとして描かせてもらいたいものだ。
「ロディオさん、でしたか? 私の顔に何かついていますか」
「いや、何でもなぃ......」
危ない。つい見過ぎてしまった。
咄嗟に誤魔化したが、大丈夫だっただろうか。
彼女だってクリエットと同じ、何かしらの能力を持っている可能性がある。
まさかとは思うが、気付かれている可能性が、無くも無い......。
ソーソが「そうですか」と微笑む。
よかった。どうやら気が付いていないみたいだ。
「どうぞ。食事はすでに用意されていますので、座って一緒に食べましょう。僕程度が作った朝食で、申し訳ないですが」
ディストラスが謙虚に言ッたあと手の平を椅子に向け、立ったままのクリエット達を座らせる。
初めて会った時から思ってはいたが、彼はチームのリーダーと言いつつ、率先して雑用のような事をよくやっている。昨日もお茶汲みをやったり、夕食を用意してくれたり、寝泊まりする部屋までの案内なども行っていた。そして極め付けが、「僕程度が」と彼の口癖らしき言葉だ。
力と優しさ、謙虚さを兼ね備える彼は、慕われて当たり前だろうな。
「うん。ところで、アーちゃんとワスタさんはどちらに?」
「そうですね。先にこちらに向かう、と言ってましたが......。まだ、来られていませんか?」
首を横に振るジョン。俺もワスターレとアリシアの二人を見ていない。
むしろクリエット達と共に行動をしていると思っていたため不安がなかった。だが、また心配になってきた。
ワスターレは問題無いだろう。が、アリシアは別だ。彼女は危険すぎる。
自分の正義を信じて突っ走る癖がある。数日前も近代都市『モドュワイト』でひと騒動起こしていたし、彼女のトラブルメーカー加減は、たまにきついときがある。
「針はこっちだって指してるけどなぁ......。あっ、いた!」
また後ろから声と足音が近付いてくる。
振り返ると、そこには今しがた話題に上がっていたアリシアとワスターレ。そして、お互い支え合う様に歩くユリアーナと青髪の少女。あの少女の名前は確か、グリュフィザだ。
彼女達の服装も昨日と同じだ。
アリシアは新着の紅いドレス。前着ていた物よりも少し露出度が下がっている。
恐らく自身の身体のラインをごまかすためだろうか。サイズが少し大きめで、全体的にぶかぶかしているのがよくわかる。
彼女の左腕には俺と同じ無装飾の銀の腕輪と、右手にはコンパスのような物を持っていた。
彼女の後ろを追従するように歩くワスターレは、いつもの銀の全身鎧。彼があの鎧を脱いだところを未だ見たことない。いつもはジッと動かず。剣を腰に下げたまま、俺達を見守るように全てに対し警戒する彼には、個人的に俺は彼に敬意を表している。
ユリアーナは昨日、と言うよりいつもと同じ上下のジャージに白衣を纏っている。
ヨタヨタとした歩き方で危なっかしい。昨日何をしていたか少し気になる。彼女の事だから、また何かしらの実験に夢中になって寝不足になっていたのだろう。
最後に、そのユリアーナにもたれ掛かりつつ、支えとなっている少女。
名前は確かグル......、グリュフィザだ。個人的に少し言いにくい名前だ。
彼女の紺碧色の長い髪にはいくつもの髪留めがされているが、それらが機能しているかは不明。他の者達と同じ白い学生服を着ているが、他の者達と違いシワが目立つ。胸に付けられているのは瑠璃色の盾エンブレムだった。
ユリアーナとグリュフィザは昨日共に消えたらから、一緒にいるのは何となく分かる。だがなぜ、アリシアとワスターレも一緒にいるんだ?
「おー、アーちゃん。やればできるじゃないか~」
「と、当然よ! 私だってぇ? 人を探すくらいぃ? 余裕に出来るわよ!」
声を張り上げるアリシアに対し、椅子に座っていたソウジが馬鹿にするように称賛を送った。どうやらアリシアがユリアーナ達を連れてきたらしい。ついでに恐らくソウジの口ぶりから言って、彼が二人を探しに行かせたのだろう。
それにしても、あれほど近代都市の街で道に迷っていた彼女が......成長したな。
アリシアがスキップしながらこちらにやってくる。
「うん。ところで、そのコンパスのような物、何ですか?」
ジョンの発言の直後、スキップが止まった。
観察力と洞察力が常人以上にあるジョン少年。彼が気になると言うことは、アリシアが持つコンパスに何かある、ということになってしまうのだろう。
また嫌な予感だ。それもとてつもなく。
「こ、これは、えっと、......ねぇ?」
問に対し、顔と目線を上にして苦笑いするアリシア。
ジョンもジョンで笑顔を浮かべているが、あれは「怒らないから素直に言いなさい」と言う親のような顔だ。つまりは、素直に言うと怒られることになる。
微妙に不穏な空気が流れるが、すぐに断ち切る者が現れた。
「まーまー、ジョンく~ん。ちゃんとみんな集まったんだからさ、先に朝食にしよ~ぜ!」
ティーポットを持ったソウジが二人の間に割って入り、紅茶の入ったカップを未だに固まっているアリシアに渡し、彼女の耳元で俺達に聞こえないように何かを囁いた。アリシアは「あ、ありがと」と呟いて椅子に座り、受け取った紅茶を飲み始めた。緊張が解れたのか、ホッと一息しているが、ジョンの目は先ほどから彼女を観ている。恐ろしい子供だ。
それにしても、ソウジはいつも紅茶を淹れているな。昨日はほとんどディストラスに任せっきりだったのに、まさか悔しかったのか?
当のディストラスは微笑を浮かべながら、いつの間にかソウジが全員に淹れていた紅茶を、彼は躊躇いなく飲んだ。両脇の二人の可憐な女性は、ディストラスが紅茶に口をつけた確認してから紅茶を飲み始めた。
なんと優雅で鮮麗された飲み方だろうか。これだけでも絵になる。
描きたい、しかし今は我慢だ。だからこそ、今この瞬間をこの目に焼き付けておこう。
「......うん、そうですね。すみません、朝から嫌な思いをさせてしまい」
「ぅ、ううん! 私こそ、その......、ごめん」
朝から何とも歯切れの悪い会話が出てくるな。
もう少し彼等のような落ち着きとかを俺達も身に付けたほうが、もしかしたら必要なのかもしれない。
「さて、みんなが集まったところで、食事の続きと行きましょう。僕程度が作った料理で、しっかりおもてなし出来ているか、分かりませんが」
「いいえ。ありがとうございます、ディトラさん。ではお言葉に甘えて、僕達も頂きましょうか」
ようやく食事の続きが出来るのか。朝から騒々しかったな。
「これが昨日話した......理の例外」
「......やはり、これらもその一つだったか。やはり人類に関わるモノが対象になるのか」
食事をしながらブツブツと呟くユリアーナとグリュフィザ。
彼女たちは仲良く、ナイフとフォークで並べられた料理を分解しながら会話をしている。その後、ディストラスとジョンにそれぞれ怒られた。
仲良くなるのは良いが、殺す相手だと言うことを忘れないでほしいな。どれだけ仲良くなろうとも、友情を芽生えさせようとも、最終的には殺さなければいけない相手だ。それくらい彼女なら分かっているはずだが、それほどグリュフィザと気が合ったのか。
いつものように不愛想なユリアーナだが、いまは不思議と楽しそうに見えた。
「どうしましたか、ロディーさん。手が止まっていますけど?」
笑顔のディストラスの声で我に返る。またしても、ボーっとしていた。
何をやっているんだ、ユリアーナに注意する前に自分が注意しなければいけないな。
「いゃ彼女等、仲良くなっているなと、思ってなぁ......」
「ははは、相性が良い方だからですよ。僕だってあのグリュフィザが興味を持つ人間がいるとは、てんで思ってもみませんでしたからね」
グリュフィザとユリアーナだけではない。ジョンやクリエット、アリシア、ソウジでさえも楽しそうにしている。会話をし、冗談を言い合い、まるで数年代の友人にでも会ったかのような。そんな風景が目の前で行われていた。
本来の目的を忘れているのではないかと思えるほど、彼等は楽しんでいる。
「ロディーさんもそう警戒せずに、肩の荷を下ろして食事をしましょう。それとも、やはり僕程度が作った料理では、口に合いませんでしたか?」
すごく悲しそうな顔をするディストラスと、ものすごく睨んでくるミュリティア。そんなつもりはなかったのだが、申し訳ないな。
ディストラスが作ったと言っていた料理。白い麺と色彩が綺麗な野菜を合わせた料理、それを自分の小皿に盛り付け、バターとトマトケチャップを添えて食べる。
一言、美味だ。
白い麺は思ったよりも歯ごたえがあり、野菜も新鮮でシャキシャキと音を立てる。下味が付いているためそれらだけでも十分イケるが、このバターとトマトケチャップのようなタレが更に味を引き出してくれている。これは、食べるだけで楽しい気分になる。
絶妙な味付けの料理に満足良く一品。朝食としては完璧だ。
…………
城の外は相変わらず辺り一帯、霧のように雲で覆われていた。
昨日使用していた、スカイブルーのタイルに乗りながら移動する。
上下に浮き沈みする地面ごと引きちぎられたような家。土を包み込むように根を絡ませた木。途切れ途切れの道。元の世界ではありえない光景を横目に、俺は世界を旅した時のとある記憶を思い出した。
アレは確か、山を登り切った時の事だ。
灰白色で波打つ羽毛のカーテンを通り抜け、目に刺さるような金色の花の強烈な臭いのような光を全身で浴びた時。目に見えた白い海の上に浮かぶ街並みは壮観で絶景だった。だがそれ以上に感動したのが、自分の四方を囲む果てしない月白のじゅうたんと蒼い天井の境目。
目前に広がるその素晴らしく幻想的な風景に、俺は人生の数時間を奪われてしまった。
その光景がいま一度、ゆったりと流れる俺と合わせて現れた。
違いがあるとすれば、見えるのが街並みの境いだと言うことと、俺以外に四人の影があるくらいか。
「ほえー、思ったよりも上手だねー。この絵ってあの『幻想園』だよねー?」
その影の一つ。移動用タイルを使わず浮いているルヴィヴィナが、俺が描いている絵を見ながら話しかけてきた。他の影はジョンとアリシア、それとお目付け役だろうミュリティアだ。
俺が描いていたのはあの城の一室にある、朝食をとった幻想的な部屋。『幻想園』とは、どうやらその部屋の名前らしい。
「ま、暇だったからなぁ......」
この移動式タイルは振動がほとんどない。風は周りで揺れる木の枝を見れば吹いているのが分かる。だが、なぜか自分たちの周りにはそよ風程度しか吹かない。これもこの世界にある魔法の力なのか、乗っているタイルが制御しているのかもしれない。
「まー確かに、そのタイルって便利だけど、遅いんだよねー。ゆったり、流れるまーま自由に動けるんだけど、つまらないんだよねー」
ルヴィヴィナはその場で宙返りをしながら答える。だから彼女はタイルに乗らず、自分の能力らしきものを使用しているのか。
彼女の能力は未だによくわからないが、ただ浮遊するだけ、というわけでもないだろう。そんな手の内を見せる様な真似をしないはず。つまり、この浮遊はおまけの様なモノか、見せても問題ないモノととらえたほうがいいのかもしれない。
「うん。確かに動きは遅く、ゆっくりはしていますが、乗る人の事を考慮しているところが多々ありますね。例えば移動中はタイルからはみ出さないよう見えない壁が遮っていますし、風も制御されている気がします」
「おー、さすがジョン君! そうだよー、ほとんどが簡単な魔法と魔術の組み合わせでー、それをタイルに付け加えているだけ、らしいんだよねー」
最後に「よくわかんないけどねー」とルヴィヴィナは付け加え、そしてうれしそうに、まるでフィギュアスケーターの高速スピンの如く激しく回転する。
そんな彼女を見つつ、スケッチブックの絵の続きを描き始めた。
この乗っているタイルは、彼等のチームの一人であるグリュフィザが造った魔具、と言うことを朝食中に聞いた。興奮気味で熱心に聞いているユリアーナの表情が、今でも容易に思い出される。その表情をいま描いている絵に描き加えろ、と言われれば、十秒以内に描けるほどだ。
ただ頼まれても、絵が汚れるから描かないがな。
「それで、あとどれくらいで、目的の図書館に着くの?」
俺と同じく、暇そうに辺りを見渡しているアリシアが問う。
そう、俺達は現在、五人でこの都市にある図書館へと向かっている。今朝起こしてくれた時はてっきりルヴィヴィナと二人きりで観に行くと思っていたが、違ったようだ。いや、期待なんてしていなかったが、城外に出るまでデート前の気分だったことはこの際、隠しておこう。
ただ残念なのが、美術館が図書館の後だと言うことくらいか。そのお陰で少しテンションが下がった。
他の者達はと言うと城の中で待っている。
待っている理由はそれぞれあったが、ソウジの理由が一番面白い。どうやら過去、スカイダイビングにチャレンジしたとき、パラシュートが開かなかったことがあったらしい。その日以降、彼は高いところが苦手ということだ。
もちろんのことだが、彼は生きている。ダイブする直前に嫌な予感がしたらしく、あらかじめ共に飛ぶ仲間にも伝えていた。彼はパラシュートが開かない事を悟ってすぐに、仲間に掴まって地上に降りたらしい。まったく、勘の良い奴だ。
「んー......、あんまり行ったことなかったからなー。ミュリーは分かる?」
「なんでそこでオレに振るんだ。確か......この路地を抜けたところを左折して、喫茶店を通り過ぎた辺りにあったはずだが」
ミュリティアが面倒くさそうに、だが的確に答える。
あの口調と態度さえなければ、良い姉として慕われるだろうに。
「さっすが、ミュリー! よく一人で都市を散歩している人は違うわー」
ルヴィヴィナが茶化すようにミュリティア周りを回りながら、彼女自身も回る。見ているだけで酔いそうになるが、フィギュアスケートをしている人たちは酔わないと聞いたことがある。彼女も酔わない体質かもしれない。
周回しながら高速回転するルヴィヴィナに対し、ため息を送るミュリティア。彼女も苦労しているのだろうな。
「うん。つまり、この人通りの少ない路地が一番の近道と言うことですか?」
「ま、そう......なるな」
「それにしても、こんな大きな街なのに車等の乗り物を使わず、この動くタイルに乗って移動しようとしたのは、どうしてですか?」
「そ、それはお前たちがこの都市の街並みを見学したいと思ってだな......」
「これは、気を使っていただきありがとうございます。ですが、思ったよりも距離がありましたし、出かける前に移動手段を相談して頂ければ、このようにあなた方にお手を煩わせることもなかったと思うのですが?」
「......」
ジョンの質問攻めにミュリティアは口を閉じてしまった。
何故彼がここまで気になるのかが気になるが、察しの良い彼の事だ、理由があるに違いない。それに、彼女もジョンの質問に答えづらいと言った感じだ。
本当に何かあるかもしれない。気を引き締めておこう。
「ま、まーいいじゃんかー、目的地はもうすぐなんだしー。それに彼女が決めたんじゃなくってディトラの提案だからさー。ね、分かるでしょ?」
すかさずルヴィヴィナが割って入る。
上下関係のトップの命令だったから、ということか。
それなら仕方がないのかもしれない。それでも少しはジョンの言う通り、一度は聞いてほしかったな。さすがに歩きはしていないから疲れないが、暇で仕方がない。
「きゃぁぁぁぁぁあああああああああ!!!!!」
移動する俺達の耳に突如、甲高い声が入って来た。
「きゃ、悲鳴!?」
アリシアが小さく悲鳴を上げ、声の出所を探るようにキョロキョロと周りを見渡す。
声の高さから考えると、アリシアと同い年くらいだろうか。それに、彼女は音に関しては職業柄か、かなり敏感だ。だからこそ気になるのだろう。
「うん。どうやらそのようですね」
「ど、どうするのよ?」
アリシアの問にジョンは、冷静な顔で顎に手を当て考える。そしてすぐ近くにある、ある一軒のヨーロッパ風のレンガ造りの土色をした民家を指した。
「あの家から聞こえてきたと思うのですが、アーちゃんはどう思いますか?」
「ま、まあ確かに、あの家から聞こえてきたと思うけど......」
「行きましょう」
「えっ!?」
ジョンが唐突にそう言い、タイルの進行方向を変更した。このタイルの主導権は彼だ、俺達にはどうすることも出来ない。
俺の後ろから「ちょっと待ってよ!」とアリシアが声をあげた。彼女はあまり行きたくなさそうだったが、ルヴィヴィナはすでに俺達より前に移動し、ミュリティアは先程から黙ったままだ。
俺自身も悲鳴が気になる。彼女には悪いが図書館に行く前に確認しておくとしよう。
…………
タイルから降りて例の民家へと入った。
民家の中は、綺麗に磨かれた大理石の床に白い壁。天井も同じように白く、外形よりも高い気がする。
木で出来たと思われるチーク材の丸テーブルが三つと、同じような色の倒れたテーブル。壁際には黒色のソファが合計四つ。バーカウンターのような台もあり、その奥の壁にはワインなどの酒瓶が綺麗に陳列されているのが見えた。扉はそれぞれカウンターの後ろに一つ、左側に一つ、そして俺達が来た扉を含めると、合計三つ。どれも黒色の扉だ。
その風景に置かれるように、四人の男女が立ったまま俺達に視線を送る。
「お、お前たち何者だ!」
「誰が呼んだ!?」
「お、お願い助けて!!」
「......」
三人の男女がそれぞれ、別々の言葉を発しながら口を動かした。
最初に声を出したのは倒れたテーブルの近くにいる赤い髪の男。顔のシワから俺よりも年上と分かるが、身長は俺よりは少し低く、ソウジくらいだろうか。服は白と黄色の長袖ボーダーTシャツに青緑のジーパンのような物を穿き、茶色のシューズを履いている。
次に叫びキョロキョロしてカウンターの前にいる茶髪パーマの男も、先ほどの男同様の年齢で、身長も同じくらいだ。服も白いシャツの上に朱色のジャケットを着ている。ズボンは短パンにシューズ、共に色はブラウンだ。
助けを求めるように叫んだ黒茶髪の女性は、身長はユリアーナくらいか。ナイトブルーの半袖の服に薄黄色のスカートを穿き、かかと部分が鋭い赤紅のハイヒールを履いている。部屋の左側にある扉の前で、両手を胸辺りで組み若干震えている。
最後の一人は現れた俺達に反応せず、バーカウンターの奥で黙々とグラスを磨く黒スーツ姿の男性。髪も黒くオールバックで、眼は閉じているのか、細めたままだ。
「うん、すみません。ここで悲鳴のような声が聞こえたのですが......。そこの赤髪の男性の方は何か知りませんか?」
「......しらねーな」
「そうですか、ではそこの薄い茶色のジャケットを着た男性は何か知りませんか?」
「お、俺はしらねーぞ!」
声を震わせ、明らかに動揺している茶髪パーマの男性。彼等は何か隠していることがあからさまに分かる。先の悲鳴といい、嫌な予感しかない。
むしろこの奇妙な状況で何も感じないほうが変だと思うが。
「うん、わかりました。そうですね、そちらの女性の方は、何か言いたいことはありませんか?」
「ト、トイレの前で、人が......!」
「おい! 言うな!」
女性が口を震わせながら絞り出した言葉に、赤髪の男が必死に止める。
なんだか馬鹿らしい茶番に付き合わされている気がしてきた。
「うん。いえ、もう大丈夫です。では最後に、カウンターにいるそこの方、何か最近変わったことはありませんでしたか?」
「......変わったこと、ですか?」
一人ひとりに何が起きたのかを聞いていたジョンだったが、カウンターのような場所にいる彼にだけには別の事を聞く。これに何の意味があるかは分からない。しかし、最近知った事だが、ジョンは人の話だけで心を読み取れる。そのような才能があることがわかっている。
だからこそ彼は会話する。相手の心を読み取り、ウソを見抜き、真実を炙り出すために。ただただ会話する。
「二日ほど前に来られたお客様なのですが、とても不思議な少女でしてね。その時居られましたすべてのお客様を順に、名前と職業、趣味と家族構成、そして本人しか知らないであろう事までを皆の前で、一人一人を指しながら言っておられましたね」
「うん。確かに変わったお客さんですね。ありがとうございます」
ジョンが礼を言うが、カウンターにいる黒髪の男性は何の反応もしない。ただ表情を変えず、磨いていたグラスを置き、別の新しいグラスを磨きだした。
カウンターの男が言う少女の事は気になるが、それよりも女性が言っていた「トイレの前の人」と言うのが気になる。ジョンを見ると彼も同じように気になっているのだろう、部屋の左側にある――黒茶髪した女性の後ろにある扉――に、先ほどから顔を向けている。
そしてジョンがゆっくり、歩を進める。
続くように俺もついていく。
真後ろで「ちょ、ちょっと!」と言い、俺の後ろを駆ける音が聞こえる。声の主からして後ろに来たのはアリシアだろう。ルヴィヴィナは部屋の入り口付近で浮いて待っているし、ミュリティアは腕を組み、同じく入り口付近でこちらを監視するように睨みを利かし、ピクリとも動かない。
彼女たちを無視して扉の奥をジョンと共に確認する。
扉を開けた瞬間、悲鳴の理由が分かった。
扉の先はちょっとした廊下になっており、部屋と同じく大理石の床に白い壁と天井。廊下には黒色の扉が更に二つあり、黒いスペードのマークと赤いハートのマークがそれぞれの扉に付けられていた。黒茶髪の女性がトイレと言っていたことから、ここがトイレ前の廊下であろうと推測してみた。
廊下の見取りはそんな感じに広がっているだけだ。ただ問題は、その綺麗な大理石の床で、血を流して仰向けに倒れている銀髪の少女がいると言うことだけだ。
「ヒィッ!」
「うん。アリシアさんはルヴィさん達のところに戻ったほうが――」
「呼んだー?」
ジョンがルヴィヴィナの愛称を呼んだと同時に、目の前に上下逆さまの彼女が現れた。少々驚いたが、大丈夫。俺の心臓はそこまでやわではない。少し心臓が止まったくらいだ。
「うん、ルヴィさんはこちらに来られていましたか。ではミュリティアさんのところにいてください。彼女は入り口付近にいると思いますが?」
そうジョンが、空中で回っているルヴィヴィナに問いかける様に答える。彼女も首を縦に振りながら「いるいるー」とにこやかに言い、さらに回転数を上げる。
ルヴィヴィナは来たがミュリティアは来ないのか。興味がないのか?
違うな、それが普通の人の行動だ。人が血を流している現場を見ることに興味を持つ奴は、職業柄かもしくはただの異常者、変人だ。
「ロディーさんは、大丈夫ですか?」
「俺の心配はいらなぃ......。むしろジョンは大丈夫なのか?」
「うん、僕は思ったより平気の様です。さすがに見慣れてはいませんが、人が死ぬところは、数度見たことがありますので......」
「それは、なんかすまなぃ......」
唐突に暗い表情を浮かべたジョンに詫びを入れる。
彼は確かに出来た子供だ。しかし、まだ本当に子供なんだ。本来ならばアリシアと一緒にこんな場所を離さなければならない一人だ。
だが、彼は立ち去らない。むしろ倒れている少女におもむろに近づく。ジョンは少女の口元に自分の手を当てた後、胸に耳を当て、手首を触る。本当に手慣れているように、少女の状態を調べている。彼は手品師と言っていたが、本当は何者なんだ?
という疑問が生まれた自分に対し、チームメイトを信じていない自分に対し苛立ちを覚える。いまの自分の姿を思い描いてみると、これは何とも無様な絵だ。
「うん。心拍、脈、息などを調べましたが、死んでいますね」
「そうかぁ......」
そう言うしかなかった。
ジョンは思いのほか落ち着いている。不思議なほどに、恐ろしいほどに。死体と判断してもなお、顔色ひとつ変えず、普段と変わらない口調と仕草をしている。残酷なのかそれとも子供という純粋さからこそなのか、感情が成熟していないからなのか。
ただ一つ言えることがあるとすれば。それは、彼はやはり普通の子供ではないのだろうと言うことだ。
「死因は胸を一突き......開けられた穴からによる出血性ショック、というモノでしょうか。僕自身もテレビとかで見ただけなのでよくわかりませんが、この床に広がる血液の量だとそう判断しています。ロディーさん、それとルヴィさんはどう思いますか?」
「確かに、この感じはしてるねー」
ルヴィヴィナは先ほどから浮かべている笑顔を絶やさぬまま、空中で回りながら答える。
当の俺は、ジョンの問にただ頷くことにした。そんな死体など見たことないし、見たところでどうということは無いと思っていた。
現に俺はいま、少女の死に直面しても何も感じていないのだから。だから、少女の死因何て考えていない。考え付きもしなかった。
ジョンは俺の頷きを見て「わかりました」と一言呟き、「戻りましょう」と変わらぬ表情のまま、俺の横を通り過ぎた。
ルヴィヴィナもふよふよ浮きながらジョンの後について行くのを見て、俺も出ることにする。こういうのは警察とかが処理するだろう。ならばここは、そういった者に任せておくのが良いだろう。
「ルヴィさん。僕はこの世界の常識に乏しいので、出来れば教えてほしいのですが。この世界には警察、もしくは憲兵と言ったような機関は存在しますか?」
「あるよー。それと大丈夫、もう呼んでおいたから。あと五分もしないうちに来ると思うよー」
手を頭に当てながら空中宙返りをしているルヴィヴィナが答える。
彼女は用意周到で、行動が早いな。
「うん、わかりました。ありがとうございます。あとルヴィさん、少しお願いがあるのですが......いいですか?」
ルヴィヴィナは「なーにー?」と手を耳に当て、ジョンの方に傾ける。傾けられた耳元にジョンは、俺に聞こえない声でルヴィヴィナに小さく囁く。
本当に何を言っているのか分からないが、何かをしようとしていることは確実だろう。
ジョンはいつも何かを企んでいるときは、一人では必ず行動しない。恐らく彼は、自分一人で出来ることをしっかりと理解し、出来ないところは他人に任せることを知っているのだろう。あの若さも武器になる。誰だって子供の言うことには出来る限り協力したいはずだ。その事さえも彼は理解していそうだな。
だがジョンよ。いま相談している相手もまた、見た目は君と同じ少女なのだが。
「おっけー。それくらいなら問題ないねー」
「うん、よろしくお願いします。残念ですが、この世界では僕達かなりの弱者の様でして、普通にやったところで返り討ちに遭ってしまうでしょう」
「まーねー、あたしも君達を最初に見たときは驚いたからさー。ホントに君たちが居た世界が気になるくらいにねー」
「あなた方がこちらの世界に来たら、それこそ世界が大パニックですよ。でも普通に生活していれば、スーパーヒーロー的な扱いにはなるのではないでしょうかね」
ジョンは冗談を言いながら笑う。だが彼の言ったことは冗談ではない。
俺達が居た世界に彼女達のような者が来たら、確実にパニックが起きる。まだ実際に彼女達の力を実際に見ていないが、チーム『ドラゴンズフォース』と同等の力を持っていると仮定すると、恐らく核と同等かそれ以上の脅威として見られるだろう。
それこそ、各国が欲する人材になる。そして、手に入れた国は、確実に世界を制する。つまり、彼女たちは俺達の世界に着た瞬間、世界のバランスが崩れ、最悪戦争が起こるまでになると言うことだ。
まぁ、こちらの世界に来るなんてことは無いだろうがな。
扉を開け、先ほどの部屋に戻る。
部屋にいた者たちの位置は変わっており、全員ソファに座っている。いや違った、ミュリティアは来た時と同じく、入り口付近で腕を組み、同じ姿勢で立って。その隣に気まずそうにしているアリシアも見えた。あと、カウンターにいる男も動いていない。
「そ、それでジョン君。その......。あ、あの子はどうだったの?」
「うん。やはり死んでいました」
「そんな......」
「でも大丈夫です、もう犯人は分かりましたから」
突然、ジョンはみんなに聞こえるほどの声で言った。もちろんこの場にいる全員が「えっ?」と言いたげな表情をしている。ついでに言うと、俺もその一人だ。
「まず、そこの女性の方。あなたに伺いたいのですが。この場にいた全員はあの死体の事を知っていましたか?」
唐突に質問された黒茶髪の女性。見たからに動揺している。
「し、知っていました。私がこの場で『女性が死んでいる』と言いましたので......」
「うん、そうですね。では次にそこの男性の方、なぜ彼女を口止めしようとしたのですか?」
次に質問された赤髪の男は、ソファに深く座った状態でジョンを睨む。やはり、彼が怪しいのだろうか。
「口止め、ね。そんなつもりはなかったんだが。ただいきなり来た部外者が勝手にこういった現場に入られては後々に警察とかが困ると思ったからだよ。だからお前らを止めるために口止めしようとした」
「わかりました。では次に、バーカウンターにいるあなたは、何故そこまで落ち着いていられるのですか? 先ほどからずっと静かに、黙々とグラスを磨いていますが」
カウンターにいた黒髪の男は、持っていたタオルとグラスを机に置き、ジョンを見つめる。
確かに、彼は俺達が入って来た時から動揺せずグラスを磨いていた。怪しさといえば、この中で一番だろう。
「私は、この店のマスターです。如何なる時も冷静に見極め、動揺せず対処する。今回は私の店で少女が死んだと言う悲しい事件ですが、それでもこの店を守ることの方が重要ですので。警察の方が来たとしても、私は今の態度を崩さないでしょう」
そう言い切り、黒髪の男はまたグラスを磨き始める。
残るは茶髪パーマの男だが、ジョンは見向きもしない。彼は怪しくないと言うことなのだろうか、一番挙動不審だったのだが。
ジョンは四人から刺さるような眼差しを受けながら、入り口付近のミュリティアとアリシアのところまで歩き、振り向いて俺を手招きする。
俺はジョンに従い、入り口付近へと歩くが、ルヴィヴィナだけはその場で浮いたまま動かない。
これから一体、何が始まるんだ?
「うん、あなたはそういう方でしょう。では、結論から言います。あの銀髪の少女を殺したのは......、この場にいた四人全員です。警察が来たらすぐに彼等を差し出しましょう」
ソファに座っている三人が同時に立ち上がる。カウンターにいる黒髪の男もまた、グラスを磨くのをやめ、ジョンを鋭く見つめる。
「おい、ふざけるのもいい加減にしておけよ!? 俺じゃないし、俺達でもない。だいたい、俺達がその少女を殺す動機なんてないだろう!」
「そ、そうだ! こんなの推理でも何でもない、ただの言いがかりだ!」
「わ、私達がやったって証拠はどこにあるのよ!」
ソファに座っていた三人がジョンに対し同時に声を荒げた。
彼等の言い分はもっともだが、それにしても動揺しすぎで逆に怪しい。
「うん、皆さんの言い分は分かります。ですがこれは事実であり、変えることの出来ない真実です。もう数分で警察は来るでしょうが、それまで僕達はあなた方をこの部屋から出しませんので、そのソファに座ったままでいてください」
「ふ、ふざけんな!! 何が事実だ。何が真実だ! 動機も証拠も、俺達が刺し殺した方法すらも明らかじゃない! こんなふざけたガキのお遊戯に付き合ってられるか、俺はもう帰るぞ!」
赤茶髪の男は歩き出そうとした瞬間、足がもつれソファに勢いよく座り込んだ。
驚愕な表情をしたまま男はソファに座った。それから何度か男は起き上がろうとしているが、足や手に力が入らないのか、すぐに座り込む。
「な、なんだこれ、身体が、クッソ重てぇ......ッ!」
「聞いたろ? 座っていろ、と言ったんだ。黙ってそこにいな」
声の主は俺の隣にいるミュリティアだった。
彼女は赤髪の男に睨みを利かしている。まさか、彼女は何かしているのだろうか。これは彼女の能力なのか、それともただの脅しているだけなのか、まったく分からない。
「うん。ミュリさん、ありがとうございます。では、これから答え合わせをしましょう。まず、あなた方は二日前現れた少女、恐らく殺された銀髪の少女でしょう。その少女が言ったことが本当かはもうわかりませんが、それをあなた方は信じた。それも口封じをしなければいけないほど重要なことを、この場にいる全員に言った。だからこそあなた方は結託して少女を殺害する計画を立て、そして実行した。殺害方法はいたってシンプルです。相手が少女なら四人がかりで抑え込み、殺した。殺害方法は貴方のハイヒールのヒール部分を胸に押し当て刺し込んだ、と言ったところでしょう」
そう言いジョンは、ヒール部分が鋭く尖った紅いハイヒールを履いている女性を指した。
指された女性は肩を動かし、赤髪の男と同じようにソファに座り込んだ。
「しかし、少女だとしても刺し込むには相当の力が必要なハズ。そのため抑えていた男性を刺し込む一人に回した。その結果、口が一瞬だけ自由になった少女は叫んだ。僕達が外で聞いた悲鳴は、その少女の声だったというわけですね」
ジョンはまだ立っているジャケットの男を指して、ソファに座らせる。
「あなたとそちらの女性の方が抑え、そちらの男性とカウンターにいる男性が刺した。喋り方と動作や仕草、少女に付着していた匂いや僕が言ったことへの反応の仕方。それらをすべて踏まえて推理してみましたが、どうでしたか? 合っていましたか?」
「......」
ジョンの感じの良い笑顔に四人は黙り込む。
どこでどう見ていたら、そんな推理が出来るのか全く分からないが、ジョンの言ったことが真実だとすると彼等は全員殺人犯だ。それも子供を殺した、最低なクソッタレ野郎共だ!
アリシアも同じ感情を持っていそうだ。彼等全員を涙目になりながら睨んでいる。
ミュリティアとルヴィヴィナは先ほどから表情と態度は変えていない。それに、殺害を行ったと思われる四人より、ジョンの方に目がいっている気もする。
カウンターにいた男が磨いていたグラスを落とす。割れたグラスの音が部屋中に響き、全員の注目がそちらに行く。
「......はぁ。君たちは何と都合の悪い者達なんだ」
カウンターの男はグラスの代わりに、カウンターの下に隠していたのであろう、ショットガンらしき銃に持ち替え、銃口をこちらに向けた。
ソファに座る三人がざわめく。同時に俺の後ろにいたアリシアから小さな悲鳴が聞こえた、その瞬間に俺は、ジョンの言ったことが真実で、この男を完全に敵だと判断した。
「何事もなく。何もせず。勘づいても無視していればいいものを、全ては君たちが招いたことだ。悪く思わないでくれよ?」
「俺達を殺したところで、何も変わらなとわからないのかぁ......?」
「いやいやいや、この世界では死んだ者の処理は結構簡単なんだよ。あの女の子だって、あんな事を言わなければ何もしなかったさ、だがあの子は誰も知らないことを知っていた。そこの三人だって俺と同じさ、知られたくないことを堂々と言いふらすガキをそのままにしてはおけない。だから組んで、殺した。事後処理の前にお前たちが来たがな」
こいつはむちゃくちゃだ。
ただの子供の戯言だろう、それを本気にして殺した。こいつらは本当に最悪で自分勝手な野郎共だ!
そのクソッタレ男は「じゃあな」と言い、引き金に掛けていた指を引き、躊躇なく俺達に撃つ。想像以上に大きな銃声に、思わず身を反転させ、後ろにいたアリシアをかばう。
しかし、自分が身を挺してかばったところでどうにもならない事は知っている。それでも、アリシアとジョンは守りたいと自然に身体が動いたのだろう。
銃声が鳴って数秒たった。
背中の痛みを覚悟していたが、どうも神経が死んでしまったのか、何も感じない。
「......なんだぁ?」
数秒間、小さな背を抱きしめていたが、まだ痛くない。まさかこの距離であの男は外したのか?
そっと後ろを確認すると、理由が簡単に分かった。
飛び散った小さな鉄の弾が全て、俺の目の前の空中で止まっていた。
「いやー、本当に君たちは弱いねー。友達のジョンとの約束だし、しょうがないから今回は手を貸すよー」
いつの間にか俺の横にいたルヴィヴィナが、右指をくるくる回しながら、ふよふよ浮いて、ケタケタと笑っていた。
「お、おまえは、まさか『参加者』か!!」
「ルヴィだけじゃねぇ。オレもだ」
ルヴィヴィナと同じく、バーカウンター男の真横にいつの間にか回っていたミュリティアが、拳を振りかぶっていた。
だがまて、ここは都市だ。つまり『規則』が適用されているはずでは!?
「お、お前は馬鹿か!! 俺を殴ればゲームの『規則』でお前は死ッ......!」
「お前こそ馬鹿か? その『規則』の具体的な説明は、『参加者同士』か『都市を傷つける行為』に結び付くかどうかなんだよ。それで......お前を殴ったら都市が傷つくのか?」
バーカウンターの男はミュリティアの説明を聞いた途端、情けない悲鳴を上げながら彼女に銃口を向けるが、ミュリティアは引き金を引くよりも速く男の顔面を殴った。
男は五回転ほど回りながら、壁にめり込み、動かなくなる。
死んだかと思ったが、ただ痙攣しているだけで、まだ生きているみたいだ。こういうやつは本当にしぶとい。念のためソファに座っている三人を見てみたが、先ほどのミュリティアの行動を見て恐れたのか、全員身体を強張らせ、縮こまっていた。
静かになった部屋に、外からのサイレンの音が近づいてくることに気が付く。
「ジョンくーん。どうやら警察さん達が来たみたいだよー」
「うん。あとは警察の人に任せて、僕達は当初の目的である図書館へと向かいましょうか。それでいいですよね、皆さん?」
何事もなかったかのように笑顔で提案するジョンに、とりあえず頷き返すことにした。
もしかして、この中で一番恐ろしいのはこの男の子なのかもしれないな。などと考えながら。
…………
警察は初めに俺達を疑ったが、ジョンの証言とソファに座っていた者達の自供により事情聴取などなく、俺達は自由の身になった。
その後目的の図書館で、ある程度書物を漁るが収穫はほぼ無し。ほとんどが近代都市にあるようなものばかりだったが、歴史系の書物は変更点などがあったため、後でユリアーナに聞いてみよう。ということになった。はっきり言えば、俺達だけでは判断できないと言うのが一番大きかった。
図書館を出たあと、何度かの回り道をしてようやく、本当にようやく美術館に着いた。
半透明の空中移動できるタイルに乗りながら、予想していた以上に大きい建物を見上げる。
外形は元の世界にあった、世界遺産のサグラダ・ファミリアに似ている。だがやはり大きな違いは、その色彩だろう。
全体を、この都市のイメージカラーともいえる蒼で塗られている。建物自体も周りと同じく浮いてはいるが、他とは違い地面から引っこ抜かれたような形状ではなく、同じような建物をもう一つ、逆さにしてくっつけているような形状をしている。
つまり、サグラダ・ファミリアを上下逆さまにした物を、サグラダ・ファミリアの下にくっつけたようなものだ。
本当に、どうやって浮いているのか不思議だ。
「おい、着いたぞ」
「うん。ありがとうございます、ミュリさん」
「ほへー、初めて来たけど。思った以上にデカいなー」
「この都市に住んでいるのに、ルヴィもここは初めてなんだ」
アリシアの問にルヴィヴィナは「興味なかったからねー」と、笑いながらその場で宙返りをする。彼女のこの行動も、相変わらず謎だな。
アリシアとルヴィヴィナは先の騒動以降、妙に仲良くなった。
お互いの世界で歌われている歌を教え合ったり、音楽についても色々と話していた。
ジョンとミュリティアも、お互い気まずくならない程度に話すようになったが、それでも相変わらず壁を感じる、気がする。
しかし、そんなことよりも、早速この建物の中に入ってみたい。
この世界なら見つけることが出来るかもしれない。自分自身が求めていた絵を、作品を、傑作を。
思わずにやけてしまった。
隣にいたアリシアが、俺の顔を見て微妙な表情をしていることに気が付いた途端、帽子を深くかぶり誤魔化すが、もう遅いだろうな。変な顔を見られてしまった。
「うん。では、入りましょうか」
色々と妄想している内に、美術館の入り口付近に着いた。
このサグラダ・フィミリアの様な建物の名前は『ヴェルマク・ブルグ』と言うらしい。ま、名前には興味ない。俺が興味あるのは、中に飾られた宝の山だ。
そう、ここから先は、俺の独壇場だ。




