0-2 天才歌手
アメリカ――とあるスタジアム。
楽屋の鏡の前で、少女はアシスタンスやスタイリスト達に、髪や服の準備をさせている。
鏡の前に座る少女は口を開けては閉じ、開けては閉じを繰り返す。
アシスタントが顔に化粧をさせようとしたが、止めさせる。化粧をするとしないとでは客の受けが若干違う。少女は今までの舞台でそう感じるようになっていた。
彼女自身は、この素顔を良いとは思っていない。
かわいい、ともなにか違う感じだったし綺麗、と言うわけでもない。だが、周りからはよく言われるのが、「とても良く整っている」ということだった。
歌と踊り。そしてこの姿が絶妙にマッチしている、ということらしい。
そのことについて彼女自身、あまりよくわからなかった。
服と髪のセットが終わり、すぐさま楽屋からアシスタントやスタイリストが出ていった。本番までまだ少しあるため、念のためこれから歌う歌詞を読みながら、耳で歌と曲を聴き、足や手でリズムをとり、口ずさむ。
これは本番前に必ずやることだ。
彼女は歌詞を覚えるのは苦手だったし、たとえそれが自分で作った歌詞だとしても、同じく覚えていない。
だが実際に、本番では必ず、普通に歌えている。体が覚えるというより、口が覚えていると言った感じだ。踊りと一緒になっていたほうがもっと覚えやすい。
「アリシアさん。もうすぐ本番です!」
少女は、自分の行動について考えているところに、楽屋の扉からスタッフの声が聞こえた。
呼ばれた少女、名前はアリシア・ライトベア。
齢一六で、国民的歌手として名が知られている天才少女だった。
アリシアは本名だが、ライトベアは違う。
これは初めて舞台に上がったとき、緊張して思わず転び、スカートが捲れあがった。その際、見えてしまった下着の付いていた熊の刺繍が、スボットライトに照らされた。その事件以降、彼女はそう呼ばれるようになった。
アリシア自身、初めの頃はさすがに恥ずかしがっていたが、今では知名度が上がるきっかけともなり、むしろ呼び名に愛着がわくようになっている。
「はーい!」
返事をして椅子から立ち上がる。
スタッフはまだ準備があったのか、アリシアの返事を聞くよりも早くどこかに行ってしまったらしい。彼女が楽屋の扉を開けたときには、すでに廊下には誰もいなかった。
アリシアは子供のころから人前で歌うのがとても好きだった。
初めは親に聞いてもらっているだけで十分だったが、彼女が一四の時に路上で歌うようになり、そこでスカウトされた。その勢いままオーディションにも合格、晴れて歌手としての人生を進むこととなった。
人が自分の歌を聴き、自分の踊りに釘付けになっている目線が、彼女は心地良いと感じている。ただそれ以上に、来ているファンや客が、自分の歌や躍りに喜びに溢れる顔を見るのが好きだった。
今日も脳裏で、その情景を思い浮かべながら楽屋の扉を開け、舞台へと続く廊下を歩く。
彼女には夢があった。
自分の歌で、世界中の人々の心を和ませ、元気を与える。
その為にはまず、いまより有名になること。そして言葉を覚えること。聞く人の気持ちを理解できるほどの、海より大きく深い器と心を持つこと。
知名度は上がったが、まだまだ夢これからだ。
と彼女は考え、高ぶる思いを拳を握ることで抑えた。
「あー、ぁー、あー」
ちょっとした発声練習をして、本番に備える。
この喉の調子なら本番でも問題ないだろう。日々歌い続けているため喉の手入れは毎日しっかりしているつもりだが、それでも本番前は気になる。
今日の服装は、少し露出がある紅いドレス姿。それと、ドレスの色に合わせた同じ色のブーツも履いている。
髪はそのままの小麦色の髪。
たまに青や緑など変わった色をする時があるが、今回の歌と踊りには地毛が一番しっくりくると思ったため、そのままにしていた。
気分上々、意気揚々と楽屋を出て、ステージまでの廊下を歩く。
バチッ。
誰もいないはずの廊下で何か音が聞こえた。
アリシアは背後を見るが、特に何もない。
首を傾げながら前に向き直る。
「!?」
目の前には少女がいた。
とても白く、綺麗な少女。ただ気になるのは、足が浮いているということくらい。
「ご、ごきげん、よう?」
なぜか咄嗟に口から出た言葉は、歌手の先輩やアシスタント、スタッフに使うあいさつだった。
動揺した。身体が石のように固まり、動けない。
それほど今の状況が彼女にとってよく理解出来なかった。
混乱する頭の中、ふと思い至ったことは、去年仕掛けられたテレビ番組のドッキリだった。
そう考えたアリシアは「またか」とため息をつき、安心し、冷静さを取り戻し始めている。そして「次は何が起こるのだろう」と思い始めた。
少女はそっと腕を広げ、両手でアリシアを包み込む。
「―― あなたの、力が必要なのです ――」
突如聞こえた声にアリシアは思った。
たぶん少女の声だろうか。しかし、口が動いていた風には見えなかった。むしろ頭に直接響かせたような、そんな感じがした。
バチバチッと先ほどと同じ電流が流れる音が廊下に響いた。
音の発生源はアリシアの頭上。
アリシアは発生源の方へと顔を向け、確認してみる。そこには光る球体が目の前で浮かんであった。
球体から伸びる白い紐が、アリシアと少女の周りを囲むように巻き付く。
「な、なに? なに!? どうなってるの!」
今度は完全の混乱した。
起きている現象が本当に理解できなかった。
アリシア自身、自分の頭はそこまで良くないとは思っていた。だが、それでもこの現象を理解しようと必死に、それも今まで経験したことがないほど頭を回転させた。
しばらく使っていなかったからか、頭痛がしてきた。そして気が付いた時には、足は少女と同じく宙に浮いていた。
「ま、待って! これから歌を......!」
アリシアの声が廊下を渡った瞬間、彼女と少女は消えた。
「アリシアさーん。どうしたんですかー?」
先ほどアリシアを呼んだスタッフが廊下の奥から現れるが、彼女はすでにいない。
その後も彼女はステージにも現れる事はなく、敢え無くライブはキャンセルとなった。
その日を境に彼女、アリシア・ライトベアは行方不明となり、世界中が騒然とした。




