0-1 天才手品師
イギリス――とある地下劇場。
広々としたステージの上には、スポットライトによって照らされた椅子が一つ置かれていた。
灯りが照らされていない椅子の後ろには薄っすらと、しかし多くの小道具が綺麗に陳列されているのが見える。
ステージの端から、コツコツと革靴の良い音を立てながら木の床を歩き、椅子に近づく一人の少年。
年相応の低身長で顔も童顔。髪は明るい赤茶色。
ライトに反射した綺麗なグリーン瞳は、あらゆるモノを見透かすような鋭く、そして愛想よく開かれた。
服装は白シャツの上に、裾が少し長い、縦のボーダーが入った黒のスーツを着て。スーツと同じ柄と色のパンツを穿き。数日前購入したばかりの紫の靴を履いている。
少しませたその少年には、とある才能があった。
簡単に言えば、相手の思考と感情を読むことに長けていた。
仕草、態度を一目見ただけで、相手が嘘をついているかを見破ることも出来た。
その才能を更に生かし、少年は得意な話術で相手を洗脳や催眠状態、トランス状態にして、相手をある程度操ることも可能だった。
そんな少年はある日、両親の離婚をきっかけに家を離れた。
当時は六歳だったが、すでに読み書きはほぼ身に付けていた。
学んでいた理由は、相手と意思疎通をするのには必要であったため。
もちろん学校ではなく、すべて独学で得た知識。
そう、彼はすでに、生まれ、自我に目覚めた瞬間、自分という存在を確立させていたのだ。
親元を離れた少年は、仕事を探すため街を歩き、そこでとある有名手品師と出会う。
手品師は当初、少年など見向きもしなかった。だが少年の持つ驚異的なまでの才能、そして目的のためなら手段を選ばない貪欲さに、手品師は惹かれた。
この小僧なら、また一儲けできる。
手品師は金儲けのために少年を利用しようと決めたのだ。
この御時世、いくら有名だと言ってもいつ人気が終わるかわからない。手品師もまた、最近人気が落ち初め、収入も減ってきていた。そこに現れた読心術の才能を持つ少年。それを利用しない術はなかった。
誘われた少年は、笑みを浮かべた。
その日から少年は、有名手品師の弟子として寝床と職を得て、傍にいることもできた。
少年は理解していた。
数年前まではすさまじい人気があったその手品師。今では日の当たらない地下劇場で、席は埋まるが前のように溢れるほどはいない人――彼のファンやを相手に、時代遅れのマジックを披露する。
哀れで滑稽な、有名気取りの愚か者の存在を、彼は出会った瞬間に理解していた。
手品師の知名度を利用し、少年の名を売る。
二年ほどで予想通り知名度が上がり、名が売れ。そのさらに半年後、少年は有名手品師の引退を機に、その名前をもらった。
もちろん手品師の引退は自分の意思ではない。
少年によって催眠にかけられ、自ら発表したものだったが、そんなこと普通の人には知り得ない。
そのため誰もが、少年に引き継ぎをして自らの身を引いたのだろうと思われた。
こうして少年は、新しい名前と肩書き、そして幅広い人脈と世界屈指の知名度を手に入れた。
彼の新しい名前と肩書き。
天才手品師、ジョン・リードの完成だ。
「こんにちはみなさん。僕のステージに集まって頂き、ありがとうございます! 皆さんには今宵、眠れぬほどの刺激をアナタにお約束しましょう!」
上がったステージの上で、今日も堂々とした態度で、富豪の客から喝さいを浴びる。
こうして彼は、目的を一つ達成した。
そう、すべては彼の、計画通りだった。
バチッ。
未だ止まぬ拍手に混じり、何か弾ける音がした。
普通なら気にもとめないが、それは違和感のある音だった。
ジョンはその音の出所を探ように、客に気取られないよう注意しつつ、眼を左右に動かす。
目前に広がる観客の中には、先ほどのような、電気の流れるような音が鳴る物を持っている気配はない。
横目で後ろに並べられた手品の道具を確認してみたが、準備する前とは変わっていない。つまりは異常なし。
ジョンは思った。
気のせいとは思いたくなかったが、今は本番中。
スイッチを切り替える様に集中するんだ。
客の方へと向きなおした。そして、より集中できるように、最初に得意な手品を披露することに決めた。
「では、お待たせしましたお礼として、私の得意な『瞬間移動』から始めさせていただきます!」
さらに客から高らかな喝さいを浴びる。
とても気持ちがいい。音は気がかりだが、異音の事はたぶん、気のせいだろう。
彼は自分ながら呑気なことを考える、と思いつつ進行を始める。
「では、誰かお手伝いをおねがいしたいので――?」
道具を確認しようと振り向いた時、目と鼻の先に知らない少女がいた。
ジョンはすぐさま目の前の少女を観察した。
少女の歳は自分よりも五歳ほど上くらい。
全身が白、と例えたほうがわかりやすいほどの白々とした姿。着ている服もそうだが、肌もこの世のものと思えないほど白い。服の加工のせいなのか、光っているようにも見える。
よく見ると、頭には青いカチューシャのような髪飾りを付けている。
そして、なによりこれは、浮いている、のか?
ジョンは突如現れた少女を、上から下へとじっくり観察していると、少女は彼に抱きつくように、腕を彼の後ろに回した。
「―― あなたの、力が必要なのです ――」
頭に響く声に多少困惑しつつも、いまの状況を理解しようと、ジョンは必死で考える。
身体が宙に浮き、ステージの上で回転する。
いつの間にか出現していた、頭上で光る球と白い紐。その紐が二人の周りを囲み、巻き付く。だがジョンは、今の現象よりも彼女の存在のほうが気になった。
「君は、いったい......」
話す間もなく、ジョンと少女は急上昇するように姿を消す。
残された客は、初めこそ呆然としていたが、これが新しいマジックだと考え、歓声をあげスタンディングオベーションをした。
ただ一人。
ジョンの専属マネージャーだけは、「こんなこと聞いていない」と呟く声は、劇場に溢れるほどの拍手の音でかき消された。
その後ジョンが再びステージの上に姿を現すことはなく、その日のうちにテレビやネットで大々的ニュースになる。
ニュースのタイトルには、
『天才手品師少年、別世界へ瞬間移動!?』
と書かれていた。




