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場違いな天才達  作者: 紅酒白猫
第一章 場違い召喚
20/47

19 途中成果



 この世界に来て十日目となった。


 柔らかなソファに身体を預け、僕――ジョンは片手にティーカップを持ち、淹れられたミルクティーを飲んでいた。

 一見して落ち着いた姿勢を取りつつも、頭のなかでは忙しなく思考している。イメージしているのは、メモリーパレスによって創られた家のひと部屋のタンス、引き出しに入れた大量の記憶。

 その記憶から考えている内容は、先日のチーム会議で決定した計画と進歩状況だった。

 まず<計画:五>にあたる購入した労働者の活用は、なんとかなった。

 しかし、逆に他の計画は全くもって進んでいない。


 <計画:一>

 自らの身体能力の向上は、ソウジとクリエットにより行われたが成果が実らず、事実上廃止。


 <計画:二>

 武器、防具の製造および発見は、ロディオとユリアーナが頑張っているが、いい結果が出ていない。


 <計画:三>および<計画:四>

 敵チーム同士で戦わせる。チーム自滅工作は、今のところ実行自体が困難だ。


 そして、残る<計画:五>は僕がやっている。いや今は、やっていた、と言うべきか。

 結果から言おう。すこし時間がかかってしまったが、アリシアの協力もあって、計画はいちおう進んだ。

 おかげで労働者達は僕達に対し、かなり従順となり、僕等の言うことならほとんど聞いてくれるはずだ。


 昨日そのことをソウジ言ったところ、彼は「<計画:一>を彼等にシフトしよう」という提案をしてきた。

 もちろん了承した。

 洗脳や暗示はもう十分だったからだ。

 もうあの労働者達は、僕ら無しでは生きていけないだろう。僕がそう仕組んだのだから間違いない。


 計画の進歩状況は、だいたいこんな感じだったはずだ。

 思考して疲れた頭に、甘いミルクティーの褒美をあげる。糖分を摂取した脳が喜ぶと同時に、自分自身も幸福感に満たされていく。

 この甘いミルクティー、隣の椅子に座っているソウジが、クリエットから貰ったカードでつくりだしたものだ。彼は最近あのカードに夢中らしい。ことあるごとに創っている。


 それにしても、久しぶりにゆったりできた。

 ここ数日は、今までにないほど慌ただしかったな。

 別の世界に突然連れて来られたり、変な『ゲーム』に強制参加されたり。そのゲームのせいで命を狙われたり、この世界で生き残るために計画を立てたり。その一つの労働者の確保と教育、調教。

 などなど......。

 いまは安全な都市で、その労働者の調教を終えたから、幾分かはラクになった。


 ところでよく考えてみると、僕ってかなり重労働すぎるか?

 九歳の子供にしては頑張っているのではないのか?

 すこし前にソウジが、「八歳の子供が一人で泥棒を撃退した」話をして、「それよりはマシだろう?」とは言っていた。彼の事だ、正直あやしい。

 だけど、僕がそんな人に騙されているなんて、考えたくもないな。


「んー、やっぱりアップルティーが好きだね~。ジョン君はどうよー?」


 ちょうど考えていた人物である、僕の隣に座っているソウジがティーカップに口をつけた後、淹れられたアップルティーの匂いを嗅ぎながら言った。

 彼も僕と同じく計画を離れたため、いまは暇をしているらしい。

 

「僕はミルクティーが好きですね。あっさりとして飲みやすく、それでいて頭も冴えますので。落ち着きたい時はとくに飲みたいものです」


 素直に返すと、話しかけてきたソウジは「おっとな~!」と言い、アップルティーを一気に飲み干す。彼につられ、僕もミルクティーを飲んだ。

 口一杯に広がるミルクの甘味と、紅茶の風味が絶妙にマッチし、鼻から抜ける茶葉の香りは、考えすぎる頭をクリアにしてくれる。

 やはりミルクティーは素晴らしい飲み物だ。


 それにしても、彼は今まで見てきた人の中でかなり特殊な人物だ。

 こう......、ふざけているように見せて常に何かを考えている。

 問題はその考えていることが、この僕がまったく読めないことにあることだ。

 口を開くとふざけるか、決定的な提案を出す。いま思えば彼が提案、発案してきたことは、それなりに重要性が高い事ばかりだ。

 例えば、店や商品の購入、街で見かけた魔具の活用。現在実行中の計画の発案に、初日の騎馬兵と他参加者の対処など。


 彼は自身の事を発明家と言っていたが、いったい何者なんだ?

 まさか本当に、このゲームを創った者なのか?


「どったのさ~ジョン君?」

「あ、いえ......」


 彼に対して興味が湧く。

 行動がわからない人なんて、生まれてこのかた、初めてだったから。


「うん。そういえばソウジさん、今日は何をするつもりですか?」


 そう質問した直後、どこからか着信音が聞こえた。

 着信音の発生源は隣のソウジだ。彼はいつも履いているだぼだぼの紫カーゴパンツに付いた、無駄に多いポケットを両手でまさぐりはじめた。そこから右足太もも部分の、長細いポケットから取り出したのは、一つの銀色のボールペンだ。

 違った、ペンではない。

 アレはサテライト・キャノン通信用携帯電話。

 名前は確か......『エステル』と言う名前。なんか人名っぽいな。

 ソウジは僕に対し「待って」と手の平を見せて合図をした後、エステルを耳元に当てる。


「もっしも~し......あ、ユリアん? ふぬ......、オッケー今からむかうぜ~」


 ソウジはエステルを仕舞い、立ち上がる。

 電話の内容からユリアーナのところに行くのだろう。


「行くのですか?」

「ま~ね、何か見つけたっぽい。ジョン君も来ないかい?」


 少し考える。

 とは言っても、一秒も経過せずに返答をした。


「うん。今日は時間が空いているので、一緒に行きます」


 時間が空いているのは本当だ。

 それに、ユリアーナが何かを見つけたと言うのも気になる。

 もしかすると、<計画:二>に何か進展があったのかもしれない。






…………






 ユリアーナの実験室は、この施設の地下四階に創られた。

 ちなみに、他の階はどうなっているかというと。

 地下一階はステージ。

 地下二階はロディオ専用の作業場。

 地下三階はソウジ専用の遊び場。

 地下五階は僕の休憩室。

 地下六階はアリシアの楽屋。

 その下からは、購入した『彼等』の寝床に、いまのところはなっている。


「ユリア~ん! 来てあげたよー!」


 地下四階、ユリアーナ専用実験室に着き次第、扉を思いっきり開けてソウジが叫んだ。彼女はこの世界で調べ、学んだ知識を用いて、武器や防具に転換および使用できないかを、毎日夜遅くまで格闘している。

 そしていま、開けた実験室の扉の奥から投げられた赤い球に、ソウジは頭をぶつけて、そのまま倒れた。

 赤い球がそのまま僕の足元まで転がってきた。

 赤い球の正体、それは。

 ただのおいしそうなリンゴだった。


「イィヤァッッハァー! ソウジの頭にぃぃいッ! クリイィィン、ヒィッットォオオ!!」


 実験室から高らかな歓喜の声が響く。

 一瞬だけ困惑した。何が起きたのか? 叫んだのはいったい誰だったのか? なぜソウジがいま倒れているのか?

 結論から言えば、ユリアーナがリンゴを投げ、額に当たったソウジが倒れ、そして彼女は叫んだのだった。それも彼女の声は、いままでのクールな声ではなく、トーンの上がった声をあげて、だ。

 個人的にはいつもよりも好みの声だった。


「ユリアん、なのか~い? やけにテンションが高くて、誰なのかわかんなかったぜ~」


 ソウジはぶつけた頭を抑え、笑いながら立ち上がる。

 あの調子なら彼の心配は無用だろう。それに、彼も僕と同じく、ユリアーナなのかどうかわからなかったみたいだ。顔が微妙に引きつっている。

 足元に転がるリンゴを拾い上げ、彼の思っていることを出来るだけ考えてみた。


 彼女のテンションが高いのはたぶん、左手に持っている瓶のせいだろう。

 部屋を開けたときに気が付いたが、彼女はいま、酒を飲んでいる。匂いからして葡萄酒、つまりワインだ。

 それも、大量に。いつものキャラを忘れるほどに。


 頭を抑え、わざとらしく痛がるソウジと共にユリアーナの実験室へと入る。彼女の格好はいつもと同じ、ジャージの上にぶかぶかの白衣。違いがあるとすると、目の下にある隈くらいだろうか。その隈が日々の研究での大変さを物語っている。


 実験室の壁は黒と白。壁自体の色もそうだが、壁一面に張られた大量の資料の文字や白紙部分が、一層色を目立たせている。

 棚も立てられている、中には何種類もの実験用器具が置かれていた。

 大きな冷蔵庫も見えた。何が入っているのか少し気になるが、気にしない方が身のためな気がする。

 机もいくつかあり、そのほとんどがすでに書類や器具、魔具などで埋め尽くされていた。

 床はもう、足の踏み場などどこにあるのか見当が付かないほど、資料や道具、瓶などで散らかっている。

 この部屋を創って、まだ七日と経っていないはずなのに。ある意味すごいな。


「そ、それで。オレを呼んだってことは、何が分かったてことかなー?」

「さっすがボクのライバゥ! いきなりクルねぇ!」


 無駄に高い声を出し、ユリアーナは身体をくねらせながら僕の持っているリンゴを「ビシッ!」指した。寒気と共になんか気味が悪かったため、リンゴを彼女に投げる。と、彼女はリンゴを鮮やかに片手でキャッチした。

 酔っているはずなのに掴めるとは。彼女は案外、身体能力が良いのかもしれない。


「うん。それでユリアん、そのリンゴがどうしたのですか?」

「ジョンはぁ、このリンゴを見てぇ、なんにも思わなかったのぉかぃ~い?」


 ユリアーナは椅子に座り、瓶に口をつけ中の赤い液体を流し込んだ。

 これはかなり酔っているな、普段のクールさが微塵もない。だがいまは、彼女こうなった原因であるであろうあのリンゴ。それを解明することを先にしよう。酔い醒ましは後だ。

 しかし、いくら見ても、考えても、あのリンゴは何の変哲もない、ただのリンゴだ。


「いえ、ただおいしそうなリンゴだと、程度ですかね」

「ふふぅー、そうだよねぇ。おいしそうなリンゴだよねぇ。もう七日は経っているのにねぇ......」


 採り立ての様に見えて、七日も経っているのか。その日付から考えるにあのリンゴは、この都市に来て二日後に買ったあのリンゴだろう。

 色も変色していない。形も変わっていない。

 それで、どういうことだ?


「うん。何が変なのですか? 普通に見えるのですが」

「もぅジョンくぅん、そこの馬鹿みたいにすこしは察しなよぉ。......変わらないんだよ。あの時買ったリンゴ、すべてがね!」


 ユリアーナが怒鳴りながら、机上の袋から別のリンゴ取り出して答える。アレも同じ時に買ったモノのひとつだろう。


「変わらない、とは? さすがに七日程度であれば、あまり変化は......ぅわっ!」


 ユリアーナは取り出した別のリンゴを僕に投げてきた。

 慌ててそれを両手でキャッチするが、僕はあまり身体能力は高くない。落としかけて、ソウジが軽くキャッチし手渡ししてくれた。そういえば彼はレベルが上がっているんだった。レベルアップの成果が落ちかけのリンゴキャッチとか、すこし虚しく悲しいな。

 そんなことを考えつつ、とりあえず貰ったリンゴを見る。

 うん。さっきと同じ普通だ。形も、大きさも、重さも、模様も......先ほどのリンゴもまったく同じ。


「うん。ユリアん、これって......」

「気が付いたかいジョンくん。そうさ、ここにあるリンゴすべてが同じだった」


 袋をひっくり返し、机の上に中身をすべて出す。

 出てきたモノは三つの別のリンゴ。もちろん、そのすべてが同じ模様と形だった。

 確かに奇妙だ。

 だがここは別の世界、元の世界と違うのは当たり前じゃないのかな?


「それってさ~、他もそんな感じなのかな~?」


 ソウジが机の上に散らばった資料をパラパラ見ながら言った。

 他とは、どういう意味なのだろうか。リンゴは分かったけど、他の果物も、ということなのだろうか?


「ソウジの言う通り、ボクもすぐに調べてみた。そしてこれからその結果を見せる」


 ユリアーナが言い机の上にあった、透明な水の入ったフラスコを持った。

 次にその水を同じく机の上の、中央に穴が空いた台の上に置き、台の下にコンロのような物を設置し、ボタンを押して点火した。


「さてジョン、ここでひとつ問題です。この状態が続けばこの水はどうなるでしょうか?」


 簡単な問題だ、九歳の僕でもわかる。むしろ馬鹿にされている感じがする。


「うん。子供でも水が沸騰するくらいは分かりますよ」

「確かにジョンの言う通り。簡単に言えば水の熱せれば100℃ほどで沸騰し、水蒸気になる。それが元の世界での現象で常識で、当たり前の事だった。しかし、けど! だが!! この世界では別の(ことわり)が働いている!!!」


 ユリアーナはコンロを操作し、点けられた火をさらに強めた。

 あれだけの火力ならこの後すぐ、フラスコの水が沸騰する、はず、だ......。

 だが、いくら待っても何も起こらない。

 台の下では強火のコンロ。その上には湯気も発生しない、何の変化も起きない水。


「思うんだけどさー、それは水なのですか~い?」


 ソウジが指摘した瞬間、ユリアーナはフラスコを持ち、そのままソウジの顔に中の水をかけた。

 彼は一瞬だけ熱がるような仕草をするが、すぐに止まる。手についた水をなめて、肩を上げる。


「水......でしたね~」

「このボクが、そんな単純な事で間違えると思ったのか?」

「ごめん、思っていたよ」


 彼女は持っていたワインの瓶をソウジに思いっきり投げた。慌てて彼も両手でキャッチしようとしたが、水で濡れた手だったためだろう。手から滑った顔面に当たり、時間がゆっくりと流れるように倒れた。

 どうして彼はこうも相手を怒らせたがるのだろう。

 でもおかげで、怒らせた相手の情報が簡単に手に入るから、有り難いけどね。

 そんな事を考えている内に、ユリアーナはフラスコに水を入れ直し、それをまたコンロの上に置こうとした。だが彼女は手を止め、こちらに向き直した。


「そうだね、もうわかったと思うからやめようか」

「うん。いえ、それで、何がどうなっているんですか?」


 僕の質問にユリアーナが顎に手を当て考え、そして口を開く。


「この世界の(ことわり)は、この前教えたよね。三つの原理。マナ、エレメンタル、フォース」


 ユリアーナはいつぞやの時と同じく一気に空気を吸い、そして放った。


「さまざまな実験から分かった事だが......。どうやらこの世界は元のいたボク達の世界と違い、原子や分子などが存在しないみたいだ。そのため物質の変化には別の方法をとる必要である。その方法は図書館の資料に書いてあった『合成』と呼ばれている方法だ。だが、それについての詳しいことが、どの資料を読んでも書いていないし、載っていない。まるで悟られないように、あえてそうしているようにすら思えた。だから、この結論に行きつくまで、相当な時間が掛かったんだ。これは言い訳ではなく、情報が少なかったため、仕方なく起きた状況なんだよ。分かってくれた?」


 途中何を言っているかよくわからなくなる。

 ただユリアんが相当追い込まれていたということは、十分に理解できた。

 しかし、僕にはその事実を知る術なんてまったく全くなかったため、彼女の発見は大いに助かる。


「お、おう、お疲れユリアん」

「う、うん。それで、話の途中で出てきた合成とは、どういったものですか?」


 僕の質問にユリアーナは少し考え、そして持っていたフラスコを台の上に戻す。


「それは......、見たほうが早い」


 いつも通りに戻ったユリアーナがコンロに点いた火を指し、小さく何かを呟いた。その後すぐ、変化が起きた。それもフラスコとコンロ、両方にだ。

 変化とは、コンロの火が消えたこと。同時にフラスコ内の水が沸騰し、湯気が立ち上っている。

 変化が一瞬で起きたため、残念なことに何が起こったのか理解が追いついていない。


「うん。ユリアん、これはどういったことですか?」

「これが、さっき言った『合成』だよ、ジョン君。『水』という存在と『火』という存在を融合させ、沸騰した『お湯』という存在が出来た。さらに火力があれば沸騰したお湯ではなく、水蒸気になっていただろうね」


 頷きながら説明するユリアーナ。残念だが、そんなこと言われてもまだよくわからない。

 そうだ、僕なりに目の前にある現象を整理しよう。普通の水に対し火を合成させ、合わさったモノが沸騰させたお湯ということだろう。

 理解は出来るが、原理が不明だ。


「ボクが調べた限り他にも、氷を火に近づけただけじゃまず解けない。対する何かと合成させることで初めて、ボク達の知るような変化や現象に近いものが発生する。逆に言うと合成がなければ、ほとんどのモノは何にも変化しない、と言うことが今回のことで分かったことだよ」


 ユリアーナが熱心に、今までないほど熱のこもった力説を唱える。


「それで、ユリアんは何が言いたいのか~い?」


 ソウジが近くの机の上を整理しながら問いかけた。いつの間にか床もある程度片付けられている。

 といよりも、彼はユリアーナの話を聞きに来たのではないのか? 呼ばれていない僕の方が、彼女の話を聞いているような気がする。むしろ聞かないと、また怒られますよ?


 そんなソウジに対し、ユリアーナはため息を吐いた。まるで「これだけ言っても分からないのか」と言わんばかりの態度だった。

 残念なことに、非常に残念なことに。僕も分かっていないのが事実だ。

 ここは代わりに聞いた彼に感謝しよう。


「つまり、この世界の全ての存在は......、すでに完成されている(・・・・・・・・・・)とボクは結論付けるよ」

「完成されている、ですか?」

「そう、完成されている。完璧ではなく完成。不完全さを含め、あらゆるモノは完結しているんだ。先のリンゴや、この熱湯と同じく全てのモノと現象は、その一つでこの世界に存在している。逆に言うと、それ以上の変化は自然に起きない。変化に必要なこと、それは......」

「それが、先ほどやった『合成』ですね」


 僕の問にユリアーナは小さく頷いたが、何か納得していない様子だ。

 彼女はまたフラスコに何かを呟く。次はわかった、「返還」と言ったのだ。

 言った後、また変化が起きた。水の沸騰が収まり、蒸気だけが空中に舞い、そして消えた。ユリアーナは沸騰が収まったフラスコに口をつけ、中の水を一気に飲んだ。

 どう見ても熱いだろうが彼女は意に介さない。平然と、すべて飲んでしまった。


「あ、熱くはないのですか?」


 口の周りに付いた水を手で拭うユリアーナに、思わず問いかける。


「......大丈夫。熱を『マナ』に還すと元の温度の水に戻ることは実証済み」


 水を飲み終わったユリアーナは、酔いがさめたのだろうか、知っているクールな彼女に戻っていた。

 彼女の言うマナに還したとは、いったいどういう意味なのだろうか。この世界が変だと言うことは理解したけど、事は僕が考えている以上に変なのかもしれない。


「つまり、さっきやったってのは、お湯の熱部分だけを消滅させ、元の水に戻したってことかい~?」

「それは少し違う。具体的にボクが行ったことは、世界の理の一つ、エレメンタルの火と水の属性の分離と返還。先ほどの熱湯の元となっているのは、フラスコの水とコンロの火の合成だった。そのコンロの火の部分だけを排除し、全ての存在の元となるマナへと還した結果、元の水に戻った」


 もう少し単純な話をしてほしい。そう、例えば九歳の僕に分かるように。

 人の事なら誰よりも理解できるけど、物とか現象とかは、まったくさっぱりだ。


「ここまでやってボクは、とあることに気が付いた」

「とあることね~。どんなの?」

「......この世界では、ボクらのいた世界の、知識や技術なんて、ほとんど役に立たない」


 僕はそうとは思えないが、ユリアーナが言うのならそうなのだろう。

 彼女は丸椅子に座り、足元から新しい瓶を手に持ち、キュポンと音を立てコルクを開けた。そのまま瓶に口を付け、大きなため息を吐きながら頭を抱えた。


「いいかい。ボク達のいた世界とは、常に変化し続けているんだ。その変化の原理を検証し、実験し、実証することがボクの仕事であり、ボクの生き甲斐だった。けど、この世界はすでにほとんどのモノが完成され、変化という変化が見受けられない。変化をさせるにも、『合成』という、とんでもなく楽な方法がすべてやってくれるから、誰でも気軽に、知識もなしに、安全にできる。それも方式も法則も全て無視して、だよ。ホント、わたしの知識は、この世界では、無意味だ......。くそっ!」


 ユリアーナはさらに瓶の口に柔らかなそうな唇を付け、瓶の底を持ち上げる。

 漂うワイン特有な果汁とアルコールの臭いに、僕は思わず鼻を引っ込ませるように顔をしかめた。これはかなり度数が高いモノだろう。


「もう気が付いていると思うけど。この世界の空気も、みんなが知っているようなモノではない。たぶんこの大気そのものに、ボク達の言語の壁を無くす役割を持っているんだろうな。そうそう、他にも面白いことがわかったよ。この世界には、重力は存在しないみたいなんだよ。代わりにボク達自身が、この地上に身を落とすようになっている。だからかもしれないけど、長期間は無理だったが、ボクらですら空間と合成を行えば、簡単に宙に浮ける。ホント、ふざけてるよね」


 ユリアーナは呟くように、愚痴るように口を動かし、その動く口を酒の入った瓶で閉じる。

 ワインの瓶を机に置き、まるで倒れるように彼女はそのまま、顔を伏せた。

 見たから彼女はは落ち込んでいた。僕には全く分からなかったが、つまりこの世界に存在するモノそのものが僕達の世界のモノとは違う。そして変化を許された方法、合成と返還。それらすべては紛れもなく彼女の成果だ。

 なのになぜ、これほどの発見をした自分を無力と言えるのだろうか。


「ユリア、ナさん」

「......大丈夫、ちょっと考え事しているだけだから。大丈夫、だいじょうぶ......」


 うつ伏せのまま、顔をすこしこちらに向け、そしてまた机に伏せた。


 これは絶対大丈夫なんかじゃない。まずいな。

 彼女と同じ顔をした人を僕は何度も見たことがある。


 この顔は、心は折れかかっている人の顔だ。


 彼女のようなタイプは、自分の強みを大事にしている人が多い。

 しかし、今回のことで自分の強みが無くなった。唯一の長所を失い途方に暮れている。

 あのソウジに電話を掛けたのも苦渋だっただろう。この実験室に入って最初、彼にリンゴをぶつけたことは、彼女にとって事実からの最後の抵抗だったのだろう。

 全てを吐き出しいま、彼女は崩れかけている。このままでは最悪、彼女の心が壊れる。

 普通ならそっとしておくなどするだろう。だが、彼女の挫折は一人にしておくことは逆効果だ。誰かが立ち直らせなければいけない。そして僕なら確実に、彼女を立ち直らせることが出来る。

 大丈夫だ。僕は手品以外にもカウンセラーの経験がこんなところで使えるとはね。彼女のような人を立ち直らせるくらい、僕なら出来るはずだ。


 深呼吸をしてからユリアーナに近づく。

 座り込んだ彼女の二の腕をつかんだ。彼女の腕は思ったよりも冷えていた。

 次に自分の体温を送る様に強く握り、頭で思い浮かんだワードを唱える。

 

「ユリアーナさん、あなたは僕達のために尽力して頂き、ありがとうございます。

 ユリアーナさん、あなたのおかげで僕達はこの世界のことをさらに知ることが出来た。

 ユリアーナさん、僕はあなたより思考力が劣るため、先ほどの現象も分からないところが多いです。

 ですので、どうか、僕を、いえ、僕達をまた助けてください。どうか、お願いします」


 ゆっくりと、かみしめる様に、甘くささやく。同情と感謝、そして彼女の重要性を問う言葉を。

 彼女はまだうつ伏せで動こうとはしない。

 普通の人ならこれで心の状態が平常に戻る、普通ならば。しかし、彼女は普通の人ではない。この程度で良いのか分からない、けど手ごたえはある。

 だから、あともう一息だ。


「ユリアーナさん、あなたは自分で思っているよりずっと強く、特別な人です。

 ユリアーナさん、あなたはこんなところで立ち止まるような方ではありません。

 ユリアーナさん、あなたしか出来ないことがまだたくさんありますよ。

 ユリアーナさん、どうか、また僕達を、あなたの力で導いてください。

 あなたの力は必ず、僕達を元の世界に戻してくれます。僕はそう、確信しています」


 ユリアーナが掴んでいた手を掴み返し、顔を上げ、僕を見つめる。

 その顔は、先ほどの様にやつれていない。むしろすっきりとした良い顔だった。


「......君は、人を動かすのが本当に、うまいね」

「うん。それが僕の仕事ですので」


 よかった。どうやら成功したみたいだ。

 ユリアーナは掴んた僕の手を離し、背伸びをした。


「おかげですっきりした。ボクはもう、大丈夫だよ」


 初めてみたユリアーナの微笑み、とても新鮮だ。彼女はここ数日、かなり悩んでいたのだろう。

 それを今回ので吹っ切れていればいいのだが、問題はまだまだ山積みのままだ。何一つ解決していない。


「はい二人とも、おっつ~」


 そこにソウジが、いつの間にか用意されていた紅茶を持ってきた。

 ユリアーナにはレモンティーを、僕にはミルクティーを用意してくれた。相変わらずのにやけ顔の彼だが、たまにこうして空気を読んでくれる。


「あ、ありがとう。......ソウジ、あなたにも迷惑かけたね」


 僕が知る限り初めて、あのユリアーナがソウジに対しお礼を言った。

 はっきり言って、今までの中で一番驚いた。こんなこともあるんだな。


「いやいや、水をかけられた程度じゃ怒らないさ~。それに君を元気づけさせたのは、そこにいるジョン君だぜ? オレは何もやってなっしんぐ~」

「そうだね。でも、連れてきたのは君だよ」


 たしかにそうだ。元はといえば、ソウジが僕をこの実験室に連れてきた。まさか、こうなることが分かっていたからなのか? いや、あの短い電話の間に分かるはずない。きっと僕の勘違いだろう。

 そんな彼を見ると椅子に座ろうとして転んだ。相変わらず鈍感そうなのに、変なところでは気が回る。不思議な人だ、彼だけが動向を読めない。


「さて、元気になったユリアんに、ひとつ聞いてもいいかな~? 僕の予想だと、完全でない存在があると思うんだけど、そこんとこどうかな?」


 転んだときに打った腰を擦りながらソウジは問いかけた。

 彼の言葉に、ユリアーナは一瞬目を見開き、すぐもどした。

 どうやら完全でない存在というモノは本当にあるらしい。一体どういったモノなのだろうか。


「......やっぱり知っていたか。そうだ、ソウジの言う通り。実験や検証を繰り返している内に、その存在をボクは確信していった。この完全な世界の中で、恐らく唯一の完全ではないモノ。その存在は......」


 ユリアーナは自信の胸に手を当て、つづけて言った。


「ボク達、人間(ヒト)という存在だ」




 まるでタイミングを図ったかのように、彼女の話の直後、聞き覚えのある着信音が鳴った。

 ソウジはポケットからまたエステルを取り出し、耳に当てる。エステル自体、持っている人は少ない。かくいう僕も残念だが持っていない。

 持っている人物はソウジとユリアーナ、そしてもう一人......クリエットだ。


「はいは~いクリエちゃ......え、あ、はい。わかりました。......すぐに行きます」


 電話の断片から、何か慌てている感じだった。

 ソウジは電話を切ってすぐこちらを向くと「じゃ、続きは後で、みんなで一階に行こうか~」と言い、僕とユリアーナを引っ張っり起こして、そのまま実験室を出る。


「うん、すいません。状況がよくわからないのですが......」

「大丈夫さー。オレよく分からないけど、クリエットに『さっさとこっちに来い』て言われたから、行ってみるだけさ~」


 クリエットが彼に対し暴言を吐くのはいつものことだが、大抵そういった時は慌てているときか、彼がふざけすぎた時だ。

 たぶんこの場合は前者になるだろう。


 かくして僕達は、施設の一階へと向かうことになった。

 せっかくユリアーナが安定したのに、なんだこの嫌な胸騒は。


 これが気のせいであってほしいと願いながら、僕達は階段を駆け上がった。



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