9 近代都市
昨日の話は、ほとんど聞きっぱなしだった。
まさかこの世界が、俺達のいた世界と違うなんて話を誰が信じるのだろうか。
だが、ジョンやソウジの言い分だと、あり得る。むしろ、その可能性でないと、今までの事が納得できない。
そんなことを考えながら俺――ロディオは手にもったふわふわで小麦色に焼けたクロワッサンを口に含む。このパンや別のカゴに入っているゆで卵は、昨日の夕食と同じくクリエットが用意してくれたものだ。もちろん謎のカードを使って。
起きたときにはすでに日は真上まで来ていた。
他の者はすでに起きていたらしく、いま食べているこのパンは他の者が食べた朝食の余り物ということになる。
それにしても、朝から皆やけに疲れている顔をしている。しっかり寝れなかったのかもしれないな、無理もないが。
それに、宿の店主や住み着いている子供からも、何故か良い顔をされている。挨拶は昨日とは比較にならないほど勢いがあり、子供たちも俺達――特にアリシア――にくっついている。
俺が寝ている間に、ずいぶんと仲良くなったものだな。
そんな光景を眺めながら、再びパンを口のなかに放り込む。
あぁ、早く絵を描きたいなぁ......。
「さて、みなさん、お待たせしました。これから近代都市『モドュワイト』へ行きます」
朝食もとい昼食を食べ終わってその直後、クリエットが今までにみたことが無い、とても可愛らしく屈託のない笑みを浮かべる。
「うん、いきなりですねクリエットさん」
紅茶を飲みながら、やや疲れぎみのジョンがクリエットに顔を向ける。彼が飲んでいる紅茶もクリエットが出したものだ、もちろん謎のカードを使ってだが。
朝に出かけるとは言っていたがすでに昼近くになっている。だがジョンの言う通り、それでも急なことだ。まだ身支度もしていない。
「は、はい。夜のうちに準備は整えておきましたので。それに今朝も何かと忙しく、行くタイミングがなかったのですが、もう大丈夫なハズです! さぁ、すぐにでも行きましょう!」
「そうは言ってもまた歩くんでしょ? 今朝のこともあったし……。また長距離を歩くのなら、その準備とかもした方がいいんじゃない?」
アリシアの疑問に、クリエットは宿の地下室の方を指す。
「それは大丈夫です! すぐそこなので」
「すぐそこって、地下鉄でも走ってるんですかね~」
クリエットの指さした先を笑いながらソウジが冗談を言う。もちろんそんなものあるようには見えないからだ。
だが、この世界ならありそうだ。
元の世界では徹夜してでも出来ないことも、この世界ならあり得る。
何故か俺はそう確信していた。
「そうですね。地下鉄、と言うのは知りませんが。移動手段、と言うことでしたその通りですね。いつでも行けますよ」
クリエットは胸を張る。......地味に揺れたな。
それほど彼女は、きのう準備した物に自信があるらしい。
彼女の意欲に負け宿に忘れ物がないか確認した後、全員で地下室に向かうことにした。
地下は日が差さないため暗く。地上と同じかそれ以上に床や壁の木もほぼほぼ朽ち果てており、所々に穴が空いている。
先頭のクリエットが持つ懐中電灯の様なライトを照らしている。その光がなければ床につまずき、転びそうなほど足取りが悪い。
ふいに前を歩く少女アリシアが少し心配になる。
「着きました。こちらになります」
クリエットが立ち止まり、前方にライトの光を向ける。そこにあったのは、直径4メートルほどの、大きな魔法陣のようなものが描かれていた。
魔法陣は二重丸の中に六芒星と四角、それと読めそうで読めない文字を周りに書いている。
元いた世界の書物にも似たようなものがあった。もちろん描いたところで変なことにはならなかったな、と少し思い出しながら、注意深く魔法陣を観察する。
「『転移札』がいま無いため、今回は私の直筆で描かせてもらいました。では皆さん、さっそく陣の上に乗ってください」
得意気に語るクリエットがライトを魔方陣の中央に置き、俺達に指示を仰ぐ。
俺とソウジ、ジョンは言われた通り乗るが、昨日の話もあってのことか、アリシアとユリアーナは警戒して乗ろうとしない。
そんな二人をソウジとジャンが強引に引っ張り、魔法陣内に入れる。
「これでいいですか?」
全員が入った事を確認しつつ、ジョンが首をかしねながら聞く。
その問いにクリエットは「大丈夫です」と一言だけ返事をした後、鎧の擦れる音を出しながら歩くワスターレと共に魔法陣の上に乗った。
「少し衝撃がありますが、途中で『移転陣』の外に出さえしなければ無事に終わりますので安心してください。では......」
なにか途中で重要なことを言っていた気がしたが、それを問いただす前に魔法陣が光り出す。
「それでは行きます。『移転・Mー06』発動!」
クリエットが叫ぶ。
同時に地面に押さえつける様な力が全身を襲い、思わずその場でしゃがみ込む。
周りの皆も同じように膝をついていたり、手を床についたりしているなか、平然と馴れた感じに立っているクリエットとワスターレ。
「これはぁ......」
「なに、よ。コレッ!」
「潰されそう......ですね」
「これ、楽しいなあっはっはー!」
「......チッ! 何笑ってんだよ」
魔法陣の光が徐々に強くなり、それに合わせて身体にかかる重力らしき力も強まり……。
そして、視界が変わる。
周りは薄暗く、よく見えない。しかしうっすらだが、分かる。
目に見えて痛んでいた床や崩れている壁などがなく、ただ地下にいるということ以外、完全に別の景色が広がっていた。
身体に震えるほどかかっていた力も消えていることに気付き、軽くなった身体を立たせる。
地面に描かれていた魔方陣の光も消え、後が薄く残っているだけになっている
「ここは、いったぃ......?」
「はい! ここは私の城であるモドュワイト城の地下です!」
魔法陣から出たクリエットが、大声を出し両手を広げクルクル回りながらはしゃぐ。
「うん。つまりもう移動したと、言うことですか?」
「そうです! 私が描いた『転移陣』を使用してです!」
はしゃぎ回るクリエットをワスターレが頭を掴んで止める。彼女達を見ているとまるで兄弟みたいだ、もちろんクリエットが妹で、ワスターレが兄になる。
そういえば彼女は何歳くらいなのだろうか?
見た目は15歳ほどだが、今までの言葉遣いや仕草をみてそれ以上の歳かと思いきや、いまのこのはしゃぎよう。
隣にいた、先の衝撃で足元がおぼつかないジョンを見て、最近の子供は出来た子が多いと素直に思った。
彼女のその無邪気な姿を心の中のキャンバスで描いておこう。なかなか見られない姿かも知れないからな。貴重な映像はすぐにでも描いておきたい。
本当は本物の紙と筆で描きたいのだがなぁ。
そんな未だワスターレに頭を掴まれたままのクリエットだったが、気にせずワスターレと共に部屋の端にある薄暗い階段を上る。
それに続き、少し警戒しつつ俺も彼女達に着いていく。
階段を上り終えた先にあった両開きの扉を全開すると、開けた扉から目が眩むほど眩しい日の光が差し込み、思わず手で影をつくる。
目が光に馴れはじめ、そこで初めて扉の奥の景色を見ることが出来た。
「ようこそ! 近代都市『モドュワイト』へ!!」
前にいる少女、クリエットが叫ぶ。彼女もようやく、ワスターレの鎧の手から解放されたようだ。
近代都市『モドュワイト』
その都市の風景を見た瞬間、その都市の由来が分かった。
確かに近い、元いた世界に似ている。いやむしろ、元いた世界よりも少し進んでいる。
どちらかと言うと近未来都市と言ったほうがいいかもしれない。
家は木造からレンガ、コンクリートなど様々に建てられているが、近くで見ないとわからない材質のものさえ見える。
街道もしっかりしており、車の様なものが走っている。どの車もほとんどが白く、日の光を反射するほど光沢を放っている。外形は見知った形だが、そのタイヤ違った。タイヤは前に二本、後ろに二本と元の世界と同じ位置だが、少しはみ出している。というのも、タイヤ自体が完全に球体のためだろう。紅赤色の球体タイヤをどうやって動かしているか分からないが、この都市にある車は全てそれだった。
見える人達も観察してみた。この都市の全体の光景は、昨日......いや先ほどまでいた廃れた町とは明らかに雰囲気が違う。
買い物をしているのであろう人々が、まるで川のように街道に溢れ、客引きの喝采声が都市全体に広がり、遠くにいるはずの俺の耳にまでその声が静かに届く。人々の服装も、俺達の世界で見られるような服装の者や、どこかの全身を覆い隠すような民族衣装の者。上着が浮いているような、不思議な服を着る者までいる。
街道から少し離れた裏道などでは、そこに住むであろう人々が笑いながら、楽しそうに雑談をしている様子もうかがえる。
一言で表すのなら、この都市にいる者は一人ひとりが活気に満ちていた。
後ろを振り向く。
目の前に広がるのは、どこかの物語に出てきそうな立派で白いお城――元の世界ではノイシュヴァンシュタイン城が近いだろうか――が築かれている。これが先ほどクリエットが言っていた『モドュワイト城』という建物だろうか。
いつの間にか、この城に勤めている使用人らしき人物の出迎えに、クリエットが微笑みを浮かべながら応対していた。
城からさらに上、この都市の空を見る。
この城を中心にドーム状のような鳥かごのような、いくつもの線が周り囲み、その線と線の間には別の線が均等に繋がっている。そのさらに開いた間を、膜の様な透明な何かに覆われている。
その線をたどって走る電車のような物がいくつも走っており、遠くて見辛いが、人らしき影が乗っている。
さらに線を目でたどると、途中で長細いビルの様なものに当たる。そのビルの隙間に、線上を走っていた電車のような物が停まっている。
走っている物を電車と考えると、あのビルは駅の様なものなのだろうか?
一通り周りを見ても、似ているようで違うところが多い。
それと、この街並みを一言で表すと、白い。この都市全てのモノが、白を基調に彩りされている。
日の光が反射して見ていてまぶしいと感じるほどだ。
この光景、描きたいなぁ。
手が震える。
禁断症状というわけではないが、いつも筆とスケッチブック、キャンバスを持ち歩き、常に見える物を描いていたためだろうか。
描きたくても描けない、このもどかしさがいまのこの手の震えなのだろう。
「さて、クリエちゃ~ん。約束ど~り、いろいろと教えてもらえるかな~?」
心のキャンバスに描いている所に、横から黒い絵の具をぶちまけたような、全く不快なタイミングでソウジがクリエットに問いかける。
聞かれた彼女は下を見ながら、下唇に人差し指を当てる。
見たからに何か考えてそうだが、俺はそれが分からなかった。
「......そうですね。長くなると思いますので、城の中でお話しましょう」
その場の全員が頷き、クリエットを先頭に歩き出す。
早くこのありのままを描きたいものだ。先を行くクリエットの後ろで考えたのがそれだった。
…………
城の裏側にある小さな扉を開け、城内に入る。
なぜ正面から入らないのか聞いてみたいが、今は彼女に従おう。
彼女自身から言えない、何かしらの理由があるかもしれない、ここは察してやろう。
城の中は外形と同じく、床も壁も天井までもが白一色。
汚れと言う汚れはほとんどなく、自分達のの姿がうっすらと映るほど綺麗に清掃されていた。
その白い床、ではなく赤いカーペットの上を歩く。さすがにこの美しい床を歩くのは抵抗があった。
城と言うこともあり、数名のメイドらしき女性達もいた。
メイドの服装や髪型は統一されているらしく、髪は丸めて後ろに束ねてあり、服装は紺色のワンピースの上に白いエプロンを付けている。
出会ったメイドは皆清潔で、美しい女性ばかりだ。
礼儀作法もしっかりしている。
作業中でさえも俺達に向き直り挨拶を送り、頭を下げてくれる。
「何も、無いですね」
「それはこの城の内部が、と言うことでしょうか?」
呟くジョンの問を俺は初め、理解できなかったが、続くクリエットの返答でようやく気が付く。
確かにこの城は綺麗だ。どこも丁寧に清掃され、今のところごみ一つ見当たらない。
本当に何もない。
歩く赤いカーペット以外、何もない。
調度品や花瓶、それを置く机。蝋燭など火を灯すモノでさえ無い。ただ綺麗な廊下が続くだけだった。
辛うじて窓が有るから進んでいることは分かるが、もし窓さえも無ければ、この道は何もない赤いカーペットが引かれただけの真白な廊下。暗闇で出歩けば迷子になりそうだ。
「これは、ただ単純に置いていないだけです」
「蝋燭などもですか? これだと夜とか、暗いと思うのですが」
確かに、数歩譲って何もない廊下はそういうデザインだと言えなくもないが、それでも明かりを灯す物などは必要だろう。
その疑問に対し、クリエットは廊下の窓を指す。
「そうですね、ですが安心してください。見ての通り、姿が映るほど綺麗な廊下です。ですので少量の光さえあれば廊下を照らすことが出来ます。それと夜になるとわかると思いますので、ご自身の目でお確かめください。あ、こちらの部屋になります」
何かはぐらかされたような気がするが、あまり気にせず指示された通り部屋へと入る。
描きたい。
その部屋はとても大きく、八畳ほどの広さはあるだろうか。
この城の外形や先ほど通った廊下とは違い、ピンクを基調とした可愛らしい部屋になっている。
ピンクのカーペットが敷かれ、桃花色のベッド。ピンクのカーテンに薄紅色のソファーといくつかの赤い椅子、それとガラス製の机がそのカーペットの上に置かれている。
ベッドの上には寝転がった巨大なウサギのぬいぐるみが転がっていた。いかにも女の子の部屋と言った感じだ。
そう思いながらクリエットを見ると、少し照れくさそうにしている。
ここはどうやら彼女の部屋らしい、思ったよりも子供だった。
少し頬を染めたクリエットが、俺達をソファーと椅子に座らせる。
彼女は淹れた、ではなく謎カードを『具現化』させた紅茶を全員に配り、最後に自分用とワスターレ用に紅茶を創ってから、両手で紅茶を持ちつつベッドの上に座る。
「お待たせしました。では、そうですね。何から話しましょうか」
「では先にいいかぁ......?」
誰よりも早く、すかさず質問する。
誰もが息を飲み、質問する内容を聞こうと耳を傾けているのが分かる。
......描きたい。
「はい、ロディオさん。何でしょうか?」
震える右手を手をかるく左手で抑え、帽子と少し目にかかった髪の隙間から彼女を見つめる。
「この世界には、絵を描くための筆やペン、キャンバスやスケッチブックはあるかぁ......?」
誰かが「それかよ~!」と言う声が聞こえたが、気にしない。俺にとって一番重要な事は、この世界の事や『ゲーム』の事じゃない。絵を描くことが出来るかだ!
俺の問にクリエットは少し驚愕した表情を見せるが、すぐに笑顔を浮かべ立ち上がる。
彼女は少しベッドから離れた机の引き出しから何かを取り出し俺に渡す。
彼女が取り出してきた物は、十種類ほどの色鉛筆と新品同様のスケッチブックだった。
渡した後「このようなもので、大丈夫ですか?」と、クリエットが俺の顔をうかがう。その間に色鉛筆の赤色を取り出し、軽くスケッチブックに絵を描く。
「十分だぁ......」
俺はこの瞬間、この世界に来て初めて心の底から喜んだ。
この心境を心のキャンバスで描くとしたら、天高く右手を振り上げる自分を描くだろう。




