エロゲーじゃねえよ
「おにぃ、入るよ」
ふと、部屋のドアがノックされ、そのまま開かれようとする。
「まずい。ライム、隠れて」
「どうして。まずいことでもあるの」
「妹が来たんだ。お前がいると色々と面倒くさいことになる」
「面倒くさいことってなに」
「いや、食いつかなくていいからさ」
隠れる素振りを見せるどころか、目を輝かせて身を乗り出してくる。ちらりとドアを確認すると、すでに半開きになっていた。
「聞き慣れない声がするけど、誰かいるの」
愛華の不安そうな声。どうにか取り繕わなくてはならないが、そんなにすぐ言い訳を思いつくほど徹人は頭の回転が早くはなかった。
「ねえ、テト。面倒くさいことって」
「だから、そんなもんに興味を持つな」
「おにぃ、やっぱりそこに怪しい人がいるんじゃない。警察呼んだ方がいいかな」
「いや、必要ない。すぐ行くから下に行ってろ」
「う、うん、分かった」
しぼむような声を出し、愛華はドアを閉めようとする。これで一安心か。そう思ったのだが、病原菌は思わぬいたずらをしかけてきたのだった。
「へくちゅ」
可愛らしいくしゃみをしたかと思うや、勢い余って徹人の部屋のドアが逆に全開にされてしまう。まだ昨日の風邪が完治していなかったのだろう。今日もまた愛華は学校を休みかな。などと、妹の体調を心配してみたのだが、徹人自身の身にそれ以上の心配事が降りかかってしまった。
ドアが全開になったということは、徹人の部屋の様子が丸見えになっているのである。それはつまり、愛華は徹人とライムが二人きりでいるところを目撃してしまったのだ。
ライムの手が掛け布団をすり抜けていることから、彼女がホログラムであることはすぐに判断できた。それでも、愛華の中に生じた疑念を払拭するには不十分であった。酸欠の金魚のごとく口をぱくつかせながら、恐る恐る徹人を指差している。
「お、おにぃが……」
「えっと、愛華。この娘は、別にやましいのじゃなくて、えっと、その」
「おにぃがエロゲーやってる」
「違うわ」
予想の斜め上をいった結論に徹人はツッコミを入れるが、慄いてしまっている愛華には通じなかった。
「いくらおにぃでもこれは擁護できないのです。そもそも、中学生がそんなのやっちゃダメなんだよ」
「だから、エロゲーのキャラじゃないって」
「メっ」と窘められた徹人は躍起になって反論する。ホログラムを使った恋愛ゲームなら発売されているらしいが、健全な青少年の育成のなんちゃらでレーティング設定が為されていた。少なくとも、中学生が遊ぶのは推奨されていない。ただ、推奨されていないだけで、遊ぶことはできる。なので、愛華の推理はあながち間違いとは言い切れない。
愛華は足を震わせながらも部屋から去ろうとしている。行き先を推測した徹人は大慌てで先回りしようとする。
「テト、どこ行くの。もっと遊ぼうよ」
「そのセリフ、やっぱりエロゲーじゃん」
「違うっての。ライム、誤解を招くようなこというなよ。どうにかお前がファイトモンスターズのキャラだって証明できないか」
「そうね。じゃあ、こういうのはどう」
ライムはおもむろに立ち上がると、指を鳴らした。すると、空中にシャボン玉が発生する。それは一つに留まらず、二つ、三つと数を増やしていく。
突然の手品に愛華の目は釘付けになる。徹人でさえも、得意げにシャボン玉を発生させていくライムに見とれていた。
「ライム、お前手品なんてできたのか」
「手品じゃないわよ。これ、バブルショットよ」
そう言われて徹人は合点がいった。元ネオスライムであるがゆえ、ネオスライムが得意としていたバブルショットを発動させたようだ。それにしても、相手にぶつけて攻撃させる技のはずだが、それをお手玉にして操るとは想像以上に器用である。
「これじゃ不満かしら。じゃあ、こんなのもできるわよ」
指パッチンでシャボン玉を消すと、それに代わり炎が出現する。ゆっくりと独りでにライムの周りを漂うそれは鬼火を連想させた。夜中の墓場でこれをやられたら冗談抜きで怪奇現象扱いされそうだ。現に、愛華は完全に腰が引けている。
ドヤ顔をしてくるライムであったが、徹人は二の句も告げずにいた。バブルショットであればまだ分かる。だが、炎を出現させたのは予想外だった。なにせ、ネオスライムは炎属性の技を使うことができないのだ。
もはや蝋人形と化している愛華を横目に、徹人はそそくさとライムの傍に寄り添う。
「なあ、いつの間に炎なんか出せるようになってるんだよ」
「炎だけじゃなくてこんなのもできるわ」
再び指を鳴らすと炎が消滅する。そして、ライムが右手を広げるや、指先の間に稲妻が走る。どうやら、雷属性の技まで使うことができるらしい。ネオスライムでは不可能の技を次々に繰り出され、徹人は頭を抱える。姿が変わっただけに飽き足らず、普通にプレイしていたのではあり得ない技を使えるようになっている。今更ではあるが、あまりに深刻なバグが発生してしまっているようであった。
このバグをどうにかするのも大事だが、それよりも愛華を説得するのが先決である。とはいえ、この不可思議現象のおかげでどうにか突破口を開くことができそうだ。
「えっと、愛華。エロゲーのキャラがこんなことできるわけないだろ。こいつはファイトモンスターズのキャラなんだ。そうでなけりゃ、炎や電気なんか出せるわけがない」
「そ、そうね。エロゲーのキャラが炎出したら怖いし」
むしろ、火炎放射できる少女を攻略するエロゲーなんてのもあるかもしれないが、あまりにもマニアックすぎて売れなさそうなタイトルである。
「でも、その子がモンスターだなんて未だに信じられないな」
「僕もまだ信じられないくらいだからな」
「あ、そうだ。本当にモンスターなら私のピクシーと勝負できるはずじゃん。久しぶりにおにぃとゲームしたいし、戦わせてみようよ」
「おお、その手があったな」
単純明確にライムがモンスターだと証明できる方法だが、今の今まで思い付きもしなかった。さっそく愛華を部屋に招き入れ、彼女にマイページへログインさせるよう促す。その矢先だった。
「あんたら、いつまで部屋にいるんだい。学校に遅刻するじゃないか。さっさと朝ごはん食べちゃいなさい」
母親の怒声にライムまでも身をすくませる。ふと時計を確認するや、七時半になろうとしていた。徹人はまだ着替えてすらいないので、このままではゆっくり朝ごはんを食べている時間もない。
「すまないな、愛華。勝負は学校が終わるまでお預けだ」
「学校だから仕方ないわね。じゃあおにぃ、先に下に降りてるからね」
せわしなく階段を下りていく音を聞きつつ、徹人は急いで制服へと着替える。ただ、その間ずっと視線を感じてどうにもやりにくかった。
「あの、着替えるからしばらくホログラムを解除してもらえないかな」
「もうおませさんなんだから。別にいいじゃない、減るもんじゃないし」
「なんていうか、気持ちの問題なんだ。ライムだって、着替えを見られるのは嫌だろ」
「私、着替えるって概念ないんだけどな」
言われてみれば、ピクシーのような人型のモンスターは常に同じ服を着ている。衣替えするとしたら、期間限定でサンタコスチュームのモンスターが配信された時とかぐらいだ。強制的に着替えさせられることはあっても、能動的に着替えることはないらしい。
「まあ、徹人が言うなら、しばらく引っこんであげてもいいわよ」
「ああ、そうしてくれ。ただでさえ急いでるんだから」
ライムが一回転すると、足元からデータが分解されていき、パソコンの画面の中にその姿が収束されていく。深いため息をつきながら、徹人はためらっていたズボンに手を掛けるのであった。
モンスター紹介
ライム 属性不明
アビリティ 不明
技 バブルショット 鬼火の舞 スタンガンアーム
徹人の育てていたネオスライムが突然変異して誕生した美少女型のモンスター。複数属性の技を操ることができるらしいが潜在能力は謎に包まれている。
最近導入されたAIが組み込まれており、トレーナーと会話することが可能である。