日花里と謎のおっさん
お待たせしました。第二章地区大会編スタートです。
それは清々しい朝の出来事であった。カーテンの隙間から漏れ出る朝の陽ざしを受け、日花里は大きく伸びをする。それとともに冷気に触れ、体を震わせる。さすがにこの時期になるとネグリジェだけでは身に染みる。
時刻は七時ジャスト。自室の壁を隔ててすぐのキッチンでは、香ばしい匂いが漂ってきそうな焼き音が聞こえる。家を出る時間まではまだまだ余裕がある。今日もまたゆったり、パンと目玉焼きの朝食をいただこう。洋食派の日花里は色気より食い気を優先させながら舌なめずりをする。
そして、制服に着替えようとネグリジェを半分脱ぎかけた時であった。ただならぬ視線を感じ、はたとその手を止める。徹人の部屋もそうであったが、この時代プライベートルームのドアや窓にオートロック機能がついているのはほぼ当たり前となっていた。日花里が住む家賃十数万円台のマンションなら間違いなく設置されているといっていい。
それが作動しているとなると、日花里が睡眠中は完全密室だったわけだ。それなのに、背後からじっと睨まれているような気がしてならない。
はだけたネグリジェをしっかりと巻き付け、恐る恐る首を動かす。そこには誰もいない。そのはずであった。それが正常であるはずなのだが、あろうことか日花里は目にしてしまったのだ。
ベットの上でふてぶてしく胡坐をかいている謎の男を。
「誰よ、あんた」
叫びながら一気に振り返る。年のころは三十路ぐらいだろうか。山伏のような装束を着崩し、無造作に伸ばしたブロンドの髪はところどころが跳ね上がっている。はだけた上着から覗く胸板からは相当鍛えられていることが窺える。
「お目覚めか、我が主よ」
「主って、私あんたのこと知らないわよ」
「もしや寝ぼけているのか。我はそなたのことをよく知っているぞ、ライトよ」
「いや、私ライトって名前じゃないし」
「いたわしい。主は自分の名前まで忘れてしまったか」
仰々しく額に手をやり嘆いている。正直うざいと思った日花里だが、ともあれこの不審人物を排除するのが先決だ。
あいにく彼女の部屋には武器のような野蛮な道具は備えられていない。護身のために使えそうなものと見渡し、咄嗟に掴んだのが枕だった。
「ほう、それで我に刃向うつもりか。そんな軟弱な代物が通用するなど片腹痛いわ」
「ふざけないでよね。いい加減にしないと警察呼ぶわよ」
「警察? 人間の治安維持部隊か。それは無意味なことだな。我は人間の法律では裁けん。そもそも我は自然を害する愚者を裁く者。裁くことはあれど裁かれるなど断じてありえん」
「訳分からないこと言ってんじゃないわよ」
激昂した日花里の必殺投擲(まくら投げ)が不審者に炸裂する。それに対し、避けるまたは受け止めるというのが一般的な反応であろう。だが、枕はそのどちらでもない行く末を辿ることとなった。
あろうことか、不審人物を透過し、背後の壁に激突したのだ。
これには日花里は愕然とするしかなかった。無様に直撃してのたまうのならまだしも、体を通り抜けるなど想定の範疇を遥かに逸脱していた。
そして、彼女もまた彼の正体について二通りの考察をすることとなる。すなわち、妖怪変化の類か、コンピューターにより生成されたホログラムであるか。まず下した判断はこれであった。
「あんた、もしかして幽霊」
無意識のうちに壁に寄り添い、ネグリジェを必死に掴む。当の不審人物はその反応が意外であったのか、呆けた顔をしていた。だが、一瞬後に豪快に笑い飛ばす。
「愚問だな、主よ。我はアンデットではない。そもそも我が属性は自然であるぞ」
「あんたが自然属性って、そりゃ山伏みたいな恰好してるからそうかもしれないけど」
自分でそう言っておいて、日花里はふと気が付いたことがあった。自然属性。その概念はどこかで耳にしたことがある。日常生活ではまず使用することのない語彙ではあるが、確実に自分の口で発言したことすらあるのだ。
それをヒントにして手繰っていくと、ようやくこの人物の正体に思い至った。まさかと思った日花里であったが、おずおずと訊ねてみる。
「ひょっとして、ジオドラゴン?」
「ようやく分かったか。いかにも。我が名はジオドラゴン。大自然を統べる龍族の長であるぞ」
「いや、冗談も大概にしなさいよ」
日花里が怒鳴ったのも無理はない。ジオドラゴンはその名の通り、緑の鱗をした龍のモンスターのはずだ。こんなむさくるしいおっさんがドラゴンなどとんちんかんな話である。
だが、この不審人物が突如出現したもう一つの理由を鑑みれば納得のできる答でもある。すなわち、こいつの正体がコンピューターより生成されたホログラムであるという想定だ。
その仮定を確かめるため、日花里は恐る恐るパソコンを開いてみる。寝る前に電源を切ろうとしたらソフトウェアの自動更新が開始されてしまった。その余波なのか、シャットダウンしきれずスリープモードに移行している。それを解除してブラウザを開くとすぐにファイトモンスターズのマイページに繋がる。表示されていたのは、ホログラム機能が有効になったジオドラゴン。
「あんた、本当にジオドラゴンなの」
「そう言ってるであろう」
信じたくはなかったが、決定的な証拠を発見してしまった以上認めるしかなさそうだ。
時計の長針は「二」を指し示しており逸る気持ちもあるが、とりあえず日花里はジオドラゴンに向き直る。相変わらずふてぶてしくくつろいでいるおっさんを怪訝に見つめながら口を開いた。
「あんたがジオドラゴンだとして、どうして人間になってるの。伊集院君のライムじゃあるまいし」
「愚問だな。それを我が答えられるわけがないだろう」
「もったいぶらないで答えなさいよ。消すわよ」
「い、いや待て、主」
画面上のカーソルが「逃がす」に向かってるのを目にし、ジオドラゴンは慌てふためく。これを実行されると野生に帰ることになるが、それは日花里との永遠の別れを意味していた。
「我が答えられないと言ったのは単純な理由だ。我もなぜこうなったのか知らんからだ」
「あんたも知らないって、それじゃどうしようもないじゃない」
嘆いたものの、それは無理からぬことだった。ネオスライムが少女になったライムも、自分がそうなった経緯について把握していないという。ジオドラゴンにとっても無自覚のうちにこうなったのであれば、これ以上詮索しても無意味である。
「とりあえず伊集院君とかに相談してみるしかないわね」
頭を抱えた途端、ネグリジェがずれ落ちかける。このジオドラゴンは元々父親から借り受けたモンスターである。それがいきなりこんな姿になったなんてとても打ち明けられそうにない。さしずめ相談できそうな相手となると、似たような境遇にある彼が第一に思い浮かんだ。
「ところで主よ」
唐突にジオドラゴンが瞠目しつつ訊ねる。首を傾げていると真っ直ぐ胸元を指差された。
「そのはしたない衣装でこれから儀式でもやるのか」
そこで日花里は自分の今の姿を認識し顔を赤らめた。はだけた寝間着の隙間からはちらりと下着が覗いており、それをどうにか隠しているという現状。見方によってはパンツ丸見えよりはるかに艶めかしい。
「こ、このバカトカゲ! いつまでも見てんじゃないわよ、変態!!」
閑静な住宅街に日花里の悲鳴が響き渡ったのだった。
モンスター(?)紹介
謎のおっさん 自然属性
アビリティ 容赦なき一撃:相性が抜群の技で攻撃した時、その技の威力を上げる。
技 ガイアフォース アースクエイク
山伏っぽい格好をした三十路ぐらいのワイルドなおっさん。その正体は何故か人間の姿になることができたジオドラゴンである。
外見はおっさんだが、中二病な口調は変わらない。むしろ、姿が姿だけに痛々しさが増している。
ちなみに、二十代半ばの作者は「自分ももうすぐおっさんと呼ばれるのか」と嘆いているらしい。




