ライムの逆襲
源太郎と京太の間に割り込み、ライムが両手を広げていたのだ。
「徹人の使うクソ女か。ご主人様がこんな情けない姿を晒していてさすがに怒ったか」
「そうよ。徹人をいじめるなんて許さない」
徹人は知る由もなかったが、この時のライムは彼がかつて目にしたことがなかった般若のような形相をしていた。並大抵の者なら、蛇に睨まれた蛙のごとく尻尾を巻くだろう。
だが、源太郎はその図体に恥じぬ胆力の持ち主だった。胸を張り返してライムに脅しをかける。
「お前のようなモンスターが出しゃばったってどうにもできないだろ。ホログラムだから、こっちの世界に関与できない。どうせ俺を殴ろうとか考えているだろうが、すり抜けてしまうのがオチだぜ」
自らそれを実証しようと、源太郎はライムの胸に手を突っ込む。引っかかることなく貫通し、その手は京太へと達しようとする。
「おい京太、ボケっとしてんじゃねえ。さっさとこれを受け取れ」
突然の介入に気おくれしてしまったのか、京太は完全に呆けていた。だが、我に返って源太郎から携帯電話を受け取ろうとする。
「あのさ、さっきから話を聞いてて分かったんだけど、ここに入ってる写真のデータをばらまかれたらまずいのよね。じゃあ、消しちゃえば問題ないんだ」
「ふざけたことを言うぜ。モンスターのお前が携帯電話の中のデータを消せるわけないだろ」
嘲笑する源太郎だが、その会話を聞いていた徹人は焦りを感じていた。ライムに関するとある能力が露呈したばかりだ。彼女は決してハッタリをかけているわけではない。
今すぐ起き上がって止めようとするも、源太郎の足が邪魔で身動きができない。おまけに胸を圧迫されているせいで、まともに発声もできない。
そうこうしている間に、ライムはついに行動を起こしてしまう。京太に電話が渡るより前に、その画面に触れたのだ。時間にして五秒ほどだろうか。それだけ干渉すると、滞りなく受け渡しは完了した。
京太は指示された通り徹人の情けない姿を撮影しようとする。しかし、とてつもない違和感を覚え、あたふたと指で画面を操作する。
「あれ、おかしいですよ、これ」
京太が慌てているのも無理はなかった。この時代はおろか、携帯電話が普及して数年後には当たり前に搭載されていた機能。それがどこを探しても見つからないのだ。
なかなか撮影しようとしない京太に源太郎はイライラを募らせる。
「京太、何を手間取っているんだ。さっさと撮影しろ」
「それが変なんですよ。この携帯どこにもカメラ機能がないんです」
若干十四歳にして早くも痴呆が始まったかと、源太郎は嘆息しながら携帯電話を取り上げる。だが、すぐさま異変に気が付いた。
「おい、どういうことだよ、これ」
徹人を踏みつけるのも忘れ、画面を操作するのに躍起になる。京太は決して戯言をほざいていたわけではなく、冗談抜きでカメラ機能が消滅してしまっていた。
そのうえ、被害はそれに留まらなかった。偶然にも手に入れた徹人と日花里のお宝写真であるが、それもまたどこにもないのだ。それどころか、今までに撮影してきた画像データも根こそぎ消去されてしまっている。
必死に携帯と睨めっこしている源太郎をよそに、ようやく解放された徹人は駆け寄ってきた日花里に肩を借りながら起き上がる。
「大丈夫、テト」
「このくらい平気さ。それよりもライム、お前源太郎の携帯に何をしたんだ」
「テトが写真を取られたらダメなんでしょ。だから、あらゆる画像データを消して、カメラをアンインストールしといたの」
あっけらかんと白状するが、それは到底信じられる内容ではなかった。ライムが携帯電話に触れていたのはわずか五秒。その間に画像データだけを抽出して削除、おまけにカメラまでアンインストールしてのけたのだ。元々人間ではないのだが、人間業じゃないとしか形容できない有様であった。
「このクソアマ、やりやがったな」
携帯電話を破壊しかねないほど握りしめ、源太郎はライムを睥睨する。いきなり手持ちの画像データを全壊させられたのだから、激昂するのも無理はない。
拳を振り上げてライムに殴りかかるが、それは無残にもすり抜けてしまう。自分でホログラムと認めておきながらの愚行であった。
しかし、完全に頭に血が上った源太郎はそれで気が収まるわけがない。怒りの矛先は当然のように徹人に向けられたのだ。
暴力の標的とされていると悟り、徹人は身をすくめる。一応運動部に属しているものの、強制参加ゆえの建前であり、基本的に喧嘩とは無縁だ。というより、母親から運動するように叱責されている輩が暴力沙汰に強いわけがなかった。
暴徒と化した源太郎の強靭な一撃が迫る。あわや殴り飛ばされる。そう思われたが、拳は徹人に達することはなかった。
それというのも、視聴覚室全体にとある異変が訪れたからだ。いきなり照明が落とされ、加えて勝手に暗幕がかかる。
「誰だ、こんなくだらんいたずらをするのは」
視野を奪われたことで目標を見失った源太郎がどなる。互いの位置関係が分からず、その場の人間たちはただ戸惑うばかりだった。
真っ暗闇の中、ようやく光源が現れる。人間の習性の悲しさというべきか、一同はそこを注視してしまう。だが、それが大きな間違いだった。
その光と共に出現したのは世にも恐ろしい化け物であった。人間のようだが、全身の皮膚という皮膚がただれている。口からはとめどなく涎が垂れ流され、左眼には目玉がなく空洞となっていた。
オカルト作品を少しでもかじったことがある者ならこの怪物の正体はすぐさま把握できただろう。生きる屍、ゾンビである。
正体が分かったところで、この異常事態が解決されたわけではなかった。むしろ、悪化すらしていた。さもありなん、変哲のない視聴覚室に突然ゾンビが現れたのだ。
「おい、どうしてこんなところにゾンビがいるんだよ」
「知りませんよ、そんなこと」
「徹人、てめえゾンビのモンスターなんか召還しやがって」
「ぼ、僕のせいじゃない。っていうか、ゾンビのモンスターなんて持ってないし」
「この野郎、あっち行きやがれ」
源太郎は偶然傍にあった指示棒を投げつけるが、指示棒はゾンビの体を通り抜け、壁にぶつかって音を立てて転がってしまう。この一撃でゾンビの正体はホログラムと判明したが、恐怖を拭い去るには不十分であった。
「ホログラムってことはやっぱモンスターか。ならば俺が退治してやる」
唯一源太郎だけは気力を取り戻し、つけっぱなしにしてあったパソコンを操作する。その間、他の三人は腰が抜けてまともに動けずにいた。京太は単純に恐慌しているだけであった。
徹人はホログラムだと分かってから少しは恐怖感は薄れたが、それとは別の理由で動きを封じられていた。いや、動きたくなかったというべきか。
京太と同じく恐れに支配されている日花里が大泣きしながらしがみついてきているのである。まさか、そんな彼女を無理やり振りほどくなんてことができるわけがない。しかも、ゼロ距離で引っ付かれているせいで、彼女の温かみや香りが直に伝わってくるのだ。もはやどぎまぎとびくびくで体がどうにかなりそうだった。
この状況を打開しようと出現したのは岩石の巨人。源太郎が実体化させたメガゴーレムであった。
「メガゴーレム、このふざけたゾンビをひねりつぶせ。岩石パンチ」
喚くようにメガゴーレムに指示を飛ばす。しかし、メガゴーレムはその命令を無視し、ひたすら棒立ちしている。
「どうしたメガゴーレム、俺の命令が聞けないのか。いいから岩石パンチだ」
それでもなおメガゴーレムは微動だにしない。教室内には源太郎の「岩石パンチ、岩石パンチ、岩石パンチ」という連呼が虚しく響く。
叫び疲れた源太郎は前かがみになって荒々しく呼吸をする。教室内に出現した二体の化け物は互いにけん制しあって沈黙を守っている。
「どうなってやがる。どうしてメガゴーレムは攻撃しないんだ」
「当たり前じゃん。だってこの子モンスターじゃないもん」
ゾンビの背後から軽い足取りでライムが姿を現す。
「ライム、これはお前の仕業なのか」
「うん。テトをいじめる悪い子はお仕置きしないとね。この子はね、動画投稿サイトに違法にアップロードされてたホラー映画から拝借したの。よくできてるでしょ」
ファイトモンスターズのモンスターはモンスター以外を攻撃できないように設定されている。例え殴られたとしても、ホログラムだから実害はないのだが、余計な恐怖心を与えないようにするための配慮だ。メガゴーレムが攻撃しなかったのは、ゾンビがホラー映画の動画キャプチャーから作られた存在であるが故に、敵だと認識できなかったためである。
ゾンビは呻きながら徘徊するばかりで、こちらに危害を加えるつもりはないらしい。当然、殴られても全く痛くない。とはいえ、こんな得体のしれない生物が同一空間にいるというのは精神衛生上よろしくないのもまた事実。
反撃の手段がないと分かった場合、大多数の人間はこんな行動をとる。逃亡だ。例に漏れず、源太郎と京太は教室の出口に殺到する。鍵はロックされていないようで、雪崩れるように廊下に転がり出ると、一目散に逃走を図る。
「逃がさないもんね」
ライムもまた廊下に出ると指を鳴らす。するとけたたましいサイレンが鳴り響く。突然の出来事に源太郎は足を止めたのだが、これが大きな間違いだった。
モンスター(?)紹介
ゾンビ ?属性
アビリティ なし
技 不明
ファイトモンスターズのモンスターではなく、ライムが違法アップロードされていたホラー映画をキャプチャーし、ホログラムを利用して実体化させたもの。
いわばただの人形なので、全く実害はない。
また、学校にゾンビが出たからといって、窓は割れていないし、太郎〇やめ〇ねぇが出てくるわけでもない。




