日花里と父親
徹人が謎のモンスターと激闘を繰り広げたその日の夜。田島日花里は自室で髪をとかしながらくつろいでいた。風呂上がりで顔が火照っており、湯冷めしないためか黄色のパジャマの上からカーディガンを羽織っている。
勉強机にベット、本棚には参考書や児童文学小説が並ぶという質素で堅実な様相の部屋であった。ただ、所々に可愛らしいテディベアやファンシーな小物が飾られており、それが女の子の部屋であることを際立たせている。
秋の夜長を過ごすために、読みかけの小説でも読もうかと本棚に手を伸ばす。三十五年前にヒットした、魔法学校に通う少年が主人公のイギリスのファンタジー作品だ。
すると、それを阻止するかのように、携帯電話が鳴らされる。クラスの友人が気まぐれにこんな時間に電話してくるなんてことは珍しくない。しぶしぶ電話を手に取り、画面に表示された名前を見るや顔をしかめた。
そこにはあまりにも予想外の名前が映し出されていたのだ。正月やお盆の時期ならまだしも、十月の後半という特に行事もなさそうな時に連絡してくるなんてただ事ではない。
その名前は「田島悟」であった。
「もしもし。こんな時に何か用」
「久しぶりに電話したのに冷たいな。親子水入らずじゃないか」
「それはそうだけど、いきなり電話されたんだから、不審に思うのは当然じゃない。毎日顔を合わせてるなら別だけどさ」
「違いないな」
電話の相手である田島悟は日花里の父である。訳あって母親とは別居しており、現在は東都の多賀谷区にある会社で働いている。盆や正月に対面することはあるが、それ以外はまず会う機会はない。
しばらくは学校での様子などとりとめのない話題が続く。最初はしぶしぶといった呈だった日花里も話に花を咲かせるにつれ、いきいきとしゃべりこんでいった。ただ、心の奥底では引っ掛かりを感じていた。世間話をするためだけにこんな中途半端な時期に電話してきたとは到底思えないのだ。
そして、その懸念はとある話題に入った時に解消されることとなる。
「ところで、日花里はファイトモンスターズというゲームに興味はないか」
「ないっていったらどうする」
「それはひどいな。私が仕事にしているのに」
「まあ、少しは興味があるってことにしておくわ。クラスの男子なんか、休み時間になるたびに教室のパソコンでゲームやりだすからさ。気にするなってほうが無茶よ」
「ははは。学校で遊ぶのは感心しないが、そこまで熱中してもらっているのはうれしい限りだ」
電話口の向こうで楽しげな笑い声を響かせる。仕事にしているもなにも、あのゲームの開発責任者は紛れもなくこの父親なのだ。今頃有頂天になっているというのは容易に想像できる。
しかし、そんな楽観的な態度を一変させ、突然低い声で語り掛ける。
「ところで、そのファイトモンスターズに関して、日花里にお願い事があるんだ」
「私に? 一体どんな頼み事よ」
そこから説明されたのは、おいそれと許諾できるものではなかった。端的に言えば、同じクラスメイトの男子を説得してくれというものだったのだ。
もちろん、ただ単純に懇願するだけでうまくいくわけはないだろうから、お膳立てはするという。それがファイトモンスターズのIDとパスワードであった。
「そのIDでログインすると、私が育てたモンスターを使うことができる。それを利用して説得するきっかけを作ってくれ」
「簡単に言うけど、要するに私にバトルしてくれってことでしょ。私、ファイトモンスターズなんてやったことないわよ」
「心配するな。そこに入っているモンスターは全国対戦でも十分渡り合えるほど強化してある。そんじょそこらの中学生相手ならば、適当に戦っていても十分に勝つことができる」
「そうはいってもね……」
熱狂的になっていく悟とは対照的に、日花里はいたって冷ややかであった。率先して「ファイトモンスターズは校則違反だ」と注意している自分が能動的に規律を破ろうとしているのだ。そもそもあまり興味がないということも合わさり、乗気にならないというのも仕方ないことであった。
もちろん、悟の方も娘がすんなりと了承してくれるとは思っていなかった。なので、諸刃の剣ともいえる切り札を使うことにする。
「無理を言っているのは十分承知だ。だが、これはどうしても成し遂げなければならない。そうしなければこのゲーム、いや、ネット社会全体の危機になるかもしれないからだ」
「ちょっと、たかがゲームでの話でしょ。どうしてそんな大事になるのよ」
笑い飛ばす日花里であったが、悟の声音は真剣であった。ただならぬ雰囲気に日花里は息を呑んで次の言葉を待つ。
「なぜなら、その少年が使うモンスターの正体は……」
それを聞いた途端、日花里は携帯電話を取りこぼしそうになった。素直に信じられるような話ではない。よもや、そこまで危険な存在があのゲームの中に介入していたなんて。
余計な混乱を防ぐためにも、この事実を知っているのは父親を含めた開発チームだけだという。また、日花里に対しても、その少年以外にはこのことを言いふらさないようにと厳命された。
もし、父親が虚言を吐いているのではないとしたら、どうにかして少年を説得しなければ大変なことになる。
「もちろん、ただでこんなことをお願いしているわけではない。協力してくれるというなら、今度の冬休みに会った時に何でも好きなものを買ってやる。それでどうだ」
「子供を買収するなんて汚いわよ。でも、そんな条件つけてくれるならやってあげるわ」
「恩に着る。では、後でIDをメールで送る」
それだけ言い残し、通話が切られる。そこからしばらくして、IDとパスワードが記載されただけの簡素なメールが届けられた。
半信半疑ながらも、日花里はパソコンを起動し、ファイトモンスターズのページにログインする。そこには一体のモンスターと五枚のスキルカードが登録されていた。
ルールすらも分からないので、適当にメニュー画面にあるボタンをクリックしてみる。すると、偶然にも「実体化」のボタンを押してしまったのか、ホログラム機能が起動する。
投影されたのは巨大なトカゲであった。いや、トカゲと呼ぶにはあまりにも武骨すぎた。全身を緑の鱗に覆われ、鎌首をもたげて、狭そうに比翼を折りたたんでいる。その猛々しい姿はこう称するしかない。
「これって、ドラゴン」
「その通り。我が名はジオドラゴン。そなたの忠実なる僕である」
「あんた、しゃべれるの」
「愚問だな。人間の言語を解することなど容易い。そこらの下賤な龍と同一視されては困る」
ファイトモンスターズのモンスターはホログラムで実体化するという前知識があったため、いきなり現実世界にドラゴンが出現したことはさほど驚きではない。しかし、しゃべることができるのは想定外であった。
モンスターに会話機能があることも、ターゲットとしている少年が使うモンスターから予習済みであるが、実際に目の当たりにしてみるとただ驚嘆するばかりであった。
「これが父さんの言っていた特別なモンスターというわけね。えっと、ジオドラゴンだったかしら。協力してもらいたいことがあるんだけど、いいかしら」
「愚問だ。我が力をもってすれば、俗世界の催事など些末な事象に過ぎぬ。望むなら世界を掌握してやってもよいぞ」
「そこまで大事じゃないわ」
いちいち鼻につく言い方に意気消沈しながらも、こういうキャラクター設定なのだと諦観する。一抹の不安が残るが、課せられた使命を全うせんと、日花里は遠く窓の外を眺めるのであった。
スキルカード紹介
回復
HPを回復させる。回復量は最大HPの半分。
基本的なカードではあるが、かなり凡庸性が高く、バトルでは必須の一枚である。




