思春期の男女を同室に置いてみた
大きな戦いの前の最後のイチャラブ回です。
そして、ついに木曜日が訪れた。徹人はもちろんのこと、クラス全体がそわそわとして落ち着きがなかった。授業も上の空で、しきりに時計の針を気にしている。目当ての時間まで半日以上あるにも関わらず、そんな体たらくだ。当然、先生からの叱責の嵐を受けたが、当の教師陣も半ば致し方ないと諦観していた。
授業が終わるや否や、徹人と日花里は申し合わせたようにマンションへとダッシュする。他の生徒も部活動そっちのけで帰宅し始めている。もし、ファイモンが正午に放送されていたら、八十年代後半に発売された国民的RPG三作目の発売日を再現するところだった。当時は、学校をサボってソフトを買いに行く小中学生が続出し、問題になっていたという。
携帯に入っていたメールによると、綾瀬と真も島津へと向かっているらしい。
「大慌てで帰ってきたけど、面子が揃うまで時間がかかりそうね」
「そうだな」
武藤も高校の授業の都合上、通信が取れるのは放送開始間際になるようだ。全力疾走してきた体を落ち着かせようとソファにもたれたが、ふと徹人はとんでもないことに気が付いた。
ノートパソコンの電源を入れていないので、ライムたちは実体化できない。おまけに、日花里の母親は仕事でファイモンのアニメが終わるぐらいにならないと帰ってこない。つまり、この状況は、
(クラスメイトの女子の家の中で二人きりかよ)
一旦意識してしまうと、まともに日花里を直視できなかった。もちろん、色恋沙汰にうつつを抜かしている局面ではないことは分かっているつもりだ。しかし、自室で油断しているのか、だらしない格好でくつろいでいる彼女を目撃する度、心臓が跳ね上がりそうになる。少しでも膝を動かせば、見たいけど見てはいけない布きれを直視してしまいそうで、余計心臓が早鐘を打っている。
「あ、あのさ」
「ひゃい」
不意に声をかけられ、訳の分からない返事をしてしまう。日花里はクスリと微笑むと、姿勢を正した。男子学生羨望の瞬間が絶たれ、鼓動が若干落ち着く。とはいえ、心拍数を計ったら異常数値になるぐらいは活動を続けている。
「徹人と一緒にバトルするだとか、果ては人類の危機を救おうだなんて、こんなの少し前には思いもよらなかった。こうなったのも、ファイモンのおかげというか、せいというか、とにかく、ファイモンってすごいなって思ってるの」
「そ、そうだろ。前から言ってるけど、ファイモンはすごいし面白いんだ」
「本当、食わず嫌いにならずに、もっと早くから始めていればな」
日花里は遠い目をしながら言った。振り返ってみれば、あの事件がなければ日花里と友好関係を結ぶことはなかっただろう。ライムの出現やら、彼女の父親がゲーム開発者だったことやら、幾多の偶然が重なり合った結果ではある。
自分のことで精いっぱいの徹人は与り知らなかったが、日花里もまた徹人を直視できずにいた。自分の部屋にいるはずなのに、なぜだか落ち着くことができない。気を紛らわせようと、「せっかく来てくれたのにお茶を出すのが遅れたわね」と台所へ出向く。が、紅茶を運ぶ足つきは危なっかしく、ノートパソコンが水没の危機に晒されていた。
とりあえず、互いに紅茶を口にする。砂糖も何も入っていなかったうえに薄っぽい。一瞬顔をしかめた徹人であったが、気取られないうちに表情を戻す。尤も、日花里はとうに失敗を悟っていたが。
そのまま無言で紅茶を飲み続ける。緊張感あふれる空気に耐え切れず、ファイモンを起動しようかと思った。しかし、ノートパソコンに向かう手がどうしても躊躇してしまうのだ。無意識のうちにこの状況を維持したいと望んでいるのが憎らしい。
ちびちびと飲んでいた紅茶がついに底をつく。最後の一滴を嚥下させた徹人は、その勢いで喉を鳴らす。
「えっと」
偶然にも唱和してしまった。慌てて口を紡ぐが、日花里はそっと右手を差し出す。レディーファーストという概念があるのだけどなとぼやきつつ、徹人は口を開く。
「今日のアニメでどんなことが起こるか分からないけど、ファイモンはずっと続けばいいなって思ってるんだ」
「私も同じ。前だったら、こんなアニメどうなってもいいって思っていたでしょうね。でも、今は続いてほしいって願っているわ」
「やっぱりそうだよな。ファイモンは悪くないから、急に打ち切りとかはないよな」
心の底で危惧していたことだが、大規模な事件の影響でファイモンというコンテンツが打ち止めされてしまう可能性もある。現に、大会が開催されたドームが襲撃され、バッシングを受けているのだ。存続しているのが奇跡と論じる週刊誌もあるぐらいである。
ただ、徹人たちにとって世論などどうでもよかった。自分たちが夢中になっているものが末永く続いてほしい。子供向けホビーにハマった者なら誰しも抱く感情だろう。そして、彼らには付随する想いがあった。
「ねえ、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「大変な時にどうでもいいって言うかもしれない。でもさ、きちんと聞いておきたいんだ」
指先でくせ毛を弄びながら、日花里は顔を伏せる。すでに空になっていると分かっていつつも、徹人はマグカップに手を伸ばすのであった。
「この戦いが終わった後でも、私といつでもバトルしてもらえないかな。なんというか、クラスの友達でファイモンやってる子、あまりいないから」
照れ隠しするように後頭部を掻く。日花里にしては精いっぱいの訴求であった。しかし、徹人からすると拍子抜けするような申し出だった。
「一向にかまわないぜ。むしろ、大歓迎だ」
「本当」
机に両手をついて、徹人に迫って来る。少しでも前屈みになれば、彼女と額が接触しそうだった。徹人としても、日花里といつまでもバトルできるというのは願ったりかなったりである。にやけそうになるのを悟られないよう、表情筋を制御するのに精いっぱいだった。
有頂天の日花里は「お茶菓子でも持ってくるわね」とキッチンに出向こうとする。だが、足元が疎かになっていたのがいけなかった。
「キャッ」と悲鳴をあげ、バランスを崩す。彼女の危機に気付いた徹人は助けに向かおうとする。だが、あろうことか彼もまた足元がお留守になっていた。と、いうよりもドジを踏んだだけかもしれない。
日花里はどうにか態勢を立て直そうとして、ソファへと体を預ける。もし、徹人が行動しなければそこで終わりだった。だが、つんのめった徹人もまたソファへとダイブしてしまったのだ。
結果、徹人は彼女の全身に覆いかぶさることとなる。先ほど額が接触しそうになったことなど他愛ない。互いの息遣いまでもが明確に感じられる。密着している肌と肌でぬくもりが伝わってくる。
早く体をどかさなければ。頭でわかっているものの、体は鉛と化したように動くことはない。むしろ、動くことを拒んでいた。いけないと認識しつつも、禁断の状態を維持したいと願ってしまっていたのだ。
彼と彼女の間には永遠に近しい時間が流れている。このまま一線を越えてしまうのも厭わない。不純異性交遊となじられようと僕らの勝手だ。欲情に支配されつつあった両者だったが、
「あなたたち、それ以上は十年早い」
ジト目のまま真になじられ、慌てて跳ね起きた。その際、徹人は机の角に小指をぶつけてしまった。のたうちまわっていると、追い打ちをかけるように綾瀬が横槍を入れてきた。
「はは~ん、日花里ちゃんも隅におけないね。密室で二人きりだからって野獣になっちゃって。それとも、徹人君が先に仕掛けてきたのかな」
「ち、ち、違うわよ。そんなんじゃ、ないんだから」
「そうだ、これは、事故だ」
必死に潔白を訴えるが、既成事実を目撃されてしまったため俎上の鯉状態だ。どうにか助け舟を呼ぼうと、徹人はパソコンの電源を入れる。
すぐさま、ライムとジオドラゴンが人間形態で実体化した。
「あれ、どうしたの。テトがすっごく困ってるみたいだけど」
「そうなんだ。すっごく困ってる。えっと、どう説明したらいいか」
呼んでおいて今更だが、徹人は墓穴を掘ったことに気が付いた。素直に日花里と色恋情事でこじれていると相談したらどうなるか。
そして、綾瀬がそんな弱みを利用してきた。
「ライムぅ、さっきまで徹人と日花里が抱き合ってたみたいなのぉ」
媚びるような口調に、当事者二人は開いた口が塞がらない。そして、爆弾発言を受けたライムは酸欠の金魚のごとく口を開閉していた。
「うむ、まさか主がそんな真似をするとは。大人になったということか」
「納得してんじゃないわよ、馬鹿蛇」
半ば涙目になりながら、日花里はジオドラゴンを殴りつける。もちろん、ホログラムなのでダメージはない。しかし、心に受けたダメージは深刻だった。
そして、徹人とはいうと、恐る恐るライムの顔色を窺う。血の気が引いており、風に揺れる柳の如く佇んでいる。ムキになってぐるぐるパンチでもお見舞いされると身構えていたので、この反応は戸惑うばかりだった。
「お、おい、ライム。お前大丈夫か」
「テトが、テトがどっか遠くに行っちゃった」
「やめろ、死んだ魚の目はやめろ」
「うん、まだ生きてるよ。死んだ魚の目日照不足シャトルラン部じゃないよ」
「いや、まったく意味が分からない。っていうか、色々と怖いから正気を取り戻してくれ」
てんやわんやになる二人と高笑いしている綾瀬。そんな一同を遠目に、真はつぶやいた。
「この人たちで本当にみんなを救えるのかしら」




