ライムの過去と真の敵
話は洗脳されたライムと戦う直前にまで遡る。ライムがパムゥや朧と姉妹関係であると明かされ、羽生は彼女らを作成するに至った経緯を語ったのだった。
「あれは二十年前に遡る。当時、人工知能がプロの囲碁棋士を破るなど、次世代の研究分野として着目されていた。私も時流に乗り、人工知能についての研究に明け暮れていたよ。
だが、これといった研究成果をあげることができなかった。悩みに悩み、いたずらに時を過ごすばかりであった。
苦心の末、私はあるものに人工知能を組み合わせたらどうなるかと思いついた。まさに若気の至りというか、悪魔の囁きというべきだったな。
だが、その当時の私はとりつかれたかのように研究に没頭していた。まさに寝食も忘れるぐらいだったから、理恵には迷惑をかけたな」
「理恵って誰ですか」
「叔父さんの奥さんよ。幼いころに一度くらい会ったような記憶があるわ」
遥は懐古しつつ天を仰ぐ。ふと、徹人は本棚に紛れていた写真立てに目を移した。二十代後半だろうか。柔和な笑みを浮かべる男性の腕を長髪の女性が組んでいた。舞い散る桜が甘酸っぱい両者を祝福しているようだった。
男性の正体は大方予想がついた。現在講釈している初老の教授の面影を残していたのだ。若かりし頃の羽生英世であろう。
そうなると、隣にいるのが妻である理恵ということになるが、どことなく誰かに面影が似ている気がした。それも、長い間対面している誰かに。年齢としては羽生と同じくらいだろうが、無邪気そうな表情からより若い印象を受ける。
「十三年の月日を費やし、ついに私はとあるプログラムを完成させた。そして、いざ始動となった時、私は重大な思い違いをしていたことに気づかされたのだ。
製作したのは私であるから、当然ながらそいつの行動は制御できると信じていた。だが、そいつは私の想像をはるかに超える知能を発揮した。
君たちに通じるかは分からんが、誕生直後に歩き出して『天上天下唯我独尊』と言うぐらいはやってのけそうだった」
「自らの創作物を釈迦に例えるなど、不遜もいいところだな」
むしろ、すぐさま引用元を言い当てた武藤に感嘆するばかりであった。日花里が前に「武藤さんって学校の成績相当優秀なんじゃないの」と穿っていたが、素直に頷ける。
「冗談はさておき、問題なのは私の制御が効かなかったというところだ。こいつが単なる愛玩用プログラムであれば大した問題にはならなかっただろう。だが、好きに暴れさせてしまってはネット社会全体に問題が生じる。そう自覚した時に、私はなんと愚かなことをしてしまったのかと悔いた。
追い打ちをかけるように、丁度その時私は大切な存在をも失うことになってしまった」
そう言って、羽生は写真立てを一瞥する。言葉を紡げずにいる叔父の代弁をするかのように、遥が厳かに語る。
「私の叔母、羽生理恵が亡くなったのは七年前。心労がたたって心臓病を患っていたそうよ。叔父さんが対抗プログラムを完成させたのとほぼ同時期だったわ。」
「正確には、理恵が亡くなってからしばらくした後に完成させた。人工知能に対抗するために、こちらにも人工知能を組み込んだのだが、その人格データには妻を参考にしてある」
「ちょっと待ってください。話の流れからするに、対抗プログラムとやらがライムに宿っているんでしょう。ならば、ライムの人格データの元になっているのは羽生さんの奥さんってことになるんですか」
「そうなるな。完全に私の妻を再現しているわけではない。ただ、行動様式や趣味嗜好は似通っているはずだ」
その事実を聞いて、ふと徹人は気になることがあった。ライムはなぜかやたら昔のアニメ作品に造形が深いのだが、それは人格データのせいではなかろうか。場違いではありつつも疑問をぶつけてみると、
「可能性としては有り得るな。私の妻はアニメなどのサブカルチャーが好きで、盆や正月は東都ビッグサイトに行ったりしていたものだ」
あっけらかんと認めた。盆や正月に東都ビッグサイトで催されるものといえば、日本最大級の同人誌販売会だ。ライムの口癖である「開発者の趣味」というのは厳密に言えば「開発者の妻の趣味」だったようである。
「亡くしてしまった妻を忘れぬよう、対抗プログラムには彼女の名前を用いて『LIE』と名付けた。そして、そいつとの直接対決の末、どうにか封印を施すことに成功した。
そいつが二度と目覚めることがないよう、私はLIEを五つのプログラムに分裂させ、それぞれに扉を解除するためのパスワードを託した。そして、彼女らもまた眠りにつかせた。
もう最悪の存在が目覚めることはない。安心していたのが、予想外の事態が発生してしまった。それがファイトモンスターズのサービス開始だった」
「これまでの話だと、ファイモンとは無関係のはず」
「真君だっけな。君の指摘も尤もだ。普通ならオンラインゲームと因果関係を持つはずがないんだ。だが、あろうことかファイトモンスターズのゲームサーバーとして利用された場所。そいつが奴とLIEたちが眠る地点と被ってしまった」
「お父さんは何をやってるのよ」
「いや、世間一般にはこのことは公表していないから、田島氏が封印地点をゲームの拠点にしてしまったのは偶然だろう。そして、ゲーム開始直後のまま、大したアップデートをしなければ問題にはならなかった。だが、最近になってあるプログラムを導入してしまったがために、事態は最悪の方向に動いてしまったのだよ」
「そのプログラムってまさか」
「察しの通り、AIだ。LIEの動向を観察する目的で、ファイトモンスターズのイベントは確認していたが、よもやAIを取り入れるとは予想外だった。人工知能を専門に扱っている企業に協力を求めていたようだが、さすがに私が口出しするわけにはいかなかった。ネット社会を壊滅させる存在が目覚めると説いたところで、夢物語と片づけられたかもしれぬからな。
そして、AIが導入されたことにより、今まで眠っていた、否、起動することができなかったプログラムが起動し、ライムの誕生に繋がることになったのだ」
徹人たちが眉を潜めていると、羽生は顎をさすった。数回指で机を叩いた後、話を続ける。
「最後の方は少し分かりにくかったかな。ならば、例を出そう。ここにプレイステーションのソフトとファミリーコンピューターの本体があるとする。このソフトで遊びたいと思うが、このままで遊べると思うかね」
「できませんね。ファミコンじゃプレステのソフトは再生できないから」
徹人にとってははるか昔のハードだが、名前だけは聞いたことはあった。ファミリーコンピューターは一九八〇年代に一世を風靡した家庭用ゲーム機。一方、プレイステーションが発売されたのは一九九〇年代だ。当然、ファミコンではスペックが低すぎてプレステのソフトを遊ぶことはできない。
「ファイモンの黎明期はLIEというプレステ並みのスペックの存在が眠っているにも関わらず、ゲームの土壌がファミコン並しか整っていなかったため、目覚めることができなかったのだ。その後、AIを導入したことで、LIEが活動できるための舞台が出来上がった。いわば、プレステ本体が開発されたと理解してくれればいい」
「なら、いきなり朧が産まれたのも納得がいく」
「目覚めたLIEたちは思い思いにファイトモンスターズのモンスターに宿った。君たちのモンスターが選ばれたのはまさに偶然の産物と言う他ない。LIEがいかなる基準で宿り主を選んだかは私にも分からぬからな。
LIEは私の妻、平たく言うと人間の女性をモデルにしている関係上、モンスターのグラフィックデータにも影響を及ぼした」
「ちょっと待て。俺のファイバードがいきなりノヴァのような少女に変わったのは、LIEとやらのせいだと言うのか」
なぜ人間の少女になってしまったかは徹人も疑問としていたが、ここで払拭された形になる。とはいえ、相手のデータを書き換えるなど、チートとしか言えない能力を有しているというのはいまいち解せない。最後にして最大の疑問を解決するためには、核心に迫る必要があった。
「羽生さん。そろそろ聞かせてもらってもいいですか。あなたが生み出し、自ら封印を施したという最悪の存在。そいつは何者なのですか」
「ここまで語ったからには明かすしかないようだな。では、教えよう。そいつの正体は……」
扉はきしみながらもなお開門している。地面をこする音が耳をつんざく。そして、奥で幾年もの間眠っていた者の影がちらつきだした。体長数メートルを誇り、醜悪な形相とたくましい体躯を誇る大魔王。そんな仰々しい輩が登場してもおかしくはないのだが、実際は大きくことなっていた。
身長はライムたちと大差がない。体格もスラリとしたモデルのようで、非常に華奢な印象を受けた。細長い肢体を揺らし、地面を踏み鳴らしながら歩み寄って来る。僅かな光源を金色の髪が反射している。顔立ちは整ってはいるものの、一瞥だけで愚民をひれ伏せさせるだけの気高さを内包していた。
扉の中から謎の美少女が顕現したのと入れ替わりに、パムゥの肉体は完全に粒子となって消滅してしまった。最後に口元だけが残ったが、口角を上げたまま崩れることはなかった。
「待ちわびておったぞ、この時を。愚かなる人間どもを我が傘下に置く。そのために我、目覚めたり」
流暢に話すライムたちと比べると、電子音が混じってくぐもった音声だった。年季の入ったおしゃべり人形を想起させたが、誕生の経緯を知る徹人たちにとっては恐怖を助長する結果となった。
「羽生さん。こいつが例の……」
「間違いない。若かりし頃の私が生み出してしまった最悪の存在」
過呼吸になりつつある胸を押さえながら、羽生はしっかりと言葉を紡いだ。
「人工知能を搭載したコンピューターウイルス。その名もキラーだ」
ついに最強最悪の敵が登場です




