羽生英世との初顔合わせ
展開の都合上、今回はちょっと短めです。
生みの親の名を明かされ、脳内で反芻する。だが、既知の人物の中に思い当たる者はいなかった。その他の面子も首をかしげている。よくテレビに出ているような有名人でないのは確かだ。教科書でも読んだ記憶もなく、歴史上の偉人でもない。
「ちょっと待って。ライムを開発したのがその羽生なんとかって人ってのはおかしくない。ライムってファイトモンスターズのモンスターであるネオスライムが元になってるでしょ。ならば、生みの親はゲームの開発者である私のお父さんのはずじゃ」
「半分正解ね。ネオスライムというモンスターの生みの親ならゲームネクストの田島悟になる。でも、ネオスライムに宿ったAI、ライムの思考プログラムの生みの親となると話は別。あのシステムを作ったのは私の叔父よ」
「つまり、ライムは田島悟と君の叔父さんとの合作ってことか」
ライムが誕生した経緯をたどると、彼女との出会いはファイトモンスターズにAIが導入された後に突然ネオスライムが変異したことだった。AIシステムが自社開発ではなく他社からの受託開発であったのならば辻褄はあう。
ともあれ、羽生英世なる人物の正体がつかめないのでは、いまいち話が発展できない。だが、突然綾瀬が声をあげた。
「どっかで聞いたことがある名前だと思ったら、最近見たことあったわ。なるほど、あの人ならライムを開発してもおかしくない」
「綾瀬さん、羽生なんとかって人を知ってるんですか」
「一般的には認知度は低いけど、私たちの学部ではそこそこ有名な人ね。まったく、嫌なものを思い出せてもらったわ」
口を酸っぱくさせながら、綾瀬は手持ちのデバイスを操作する。その中には小難しそうなタイトルの文献が並んでいた。慣れた手つきでスライスしていき、とある項目で指を止める。
「これだわ。自動思考プログラムによるコミュニケーションの考察。大学の課題レポートを書くための参考文献にしようと、前にダウンロードしといたのよ」
タイトルからして、中学生の徹人たちが読むには場違いな代物と分かる。だが、重要なのはそこじゃなかった。続いて表示された著者に驚愕することとなる。
「東都大学工学部情報処理学科教授羽生英世」
東都大学は関東地区はおろか、日本全国からしてもトップクラスの偏差値を誇る大学である。綾瀬ですら、この大学に入るのは学力不足だと卑下するほどだ。そんな大学の教授というと、もはや雲上人であった。ただ、大学の教授というと、バラエティ番組でその道の専門家として紹介されるぐらいしか接点がない。ノーベル賞受賞などで話題になっていれば記憶に残っていたかもしれないが、賞与歴も無さそうである。
「この人って六十近くでもまだ現役の教授だったはず。大学は春休み中だけど、論文作成のために研究室にいる可能性があるわね」
「その通りよ。叔父さんには、徹人君たちにライムのことを伝えるために研究室で待ち合わせしてあるの。さっき連絡を入れたら、いつでも来ても構わないって言ってたわ」
根回しの速さに閉口するばかりであった。疑惑は払拭できないものの、ライムの開発者である羽生英世なる人物に会うことが一番の打開策であることも確かだ。
徹人たちのグループに武藤と遥を加えた一行は、羽生英世が待つ東都大学へと赴くことにした。都葉線で東都へと逆戻りし、地下鉄角ノ内線へと乗り換える。そして、本郷一丁目駅が大学の最寄り駅である。
移動時間だけでも一時間程消費しており、その間にケビンが目的地に到達する恐れがあった。だが、遥曰く、「叔父さんが邪魔立てしているから、簡単にはたどり着けないと思う」だそうだ。ライムのことを伝えたと同時に、パムゥが向かうと思われる場所にトラップを仕掛けたらしい。
本郷一丁目駅からしばらく歩くと、東都大学のシンボルである真紅の門がお目見えする。大学は春休み中ということもあって、昼間でも閑散としていた。後二か月もしたら春の大学祭が開催され大賑わいとなるのだが、徹人たちにはまだ縁がない話であった。
高校にすら足を踏み入れたことがない徹人が大学の門をくぐるなど違法進化している気分になる。普段通っている中学とはけた違いの広さを誇る敷地に、緊迫感が薄れて浮足だってくる。
そわそわしている中学生組の中で、現役大学生の綾瀬と、遥だけは落ち着いていた。遥もまた中学生だが、叔父に会うために幾度か訪問したことがあるようだ。彼女の案内の元、お目当ての人物が待ち受ける工学部棟に辿りついた。百五十年近い歴史がある大学にふさわしく、建物はかなり年季が入っている。耐震強度を高めるための補修工事は施されているが、外観はできる限り開校当時の趣を残すようにされていた。
「いよいよライムの生みの親と対面ってわけか」
感慨深く徹人は呟く。古びた外装とは裏腹に、内部は自動ドアやエレベーターなど近代建築物が完備されている。八人全員でギュウギュウ詰めになりながら三階の研究室へと向かう。まっすぐと続く廊下の突き当りに目的地となる羽生研究室がある。
「私も他大学の教授に会うなんて初めてだから緊張してるんだけどね」
つい綾瀬の背後に隠れてしまった徹人たちに注釈を入れる。彼女にしてみれば、大学教授よりも会社の重役の方が余程接点がある。
尻込みする一同をよそに、近親者である遥がドアをノックする。数秒後に電子ロックが解除された音がした。互いに顔を見合わせ、ゆっくりと扉を開ける。
徹人の身長ほどはあろうかという巨大な本棚にはぎっしりと専門書が陳列されている。その本棚を背に、レトロなパソコンと睨めっこしている初老の男性。腰がまがりかけ、しきりに眼鏡の位置を直している。ポロシャツにジーパンという案外ラフな格好をし、頭髪や髭には所々白髪が混じっていた。
「叔父さん、お久しぶり」
「遥か。よく来たな。話は聞いているよ。ライムのパートナーとその友人たちだね」
「は、はい。伊集院徹人と言います」
流れで緊張しつつも自己紹介をする。好々爺とした笑みを浮かべると、その男は腰を上げた。
「お初にお目にかかる。私の名は羽生英世。君のパートナーであるライムの生みの親だ」




