遥との邂逅
日花里たちの部屋を後にすると、熱中していたのか喉が渇いたのに気が付いた。少し前まで夜は布団にもぐらないとやり過ごせなかったが、ここのところ暑くて掛け布団を蹴飛ばす日も多くなってきている。
「ちょっと飲み物買ってくるよ」
「じゃあついでにコーラ買ってきてくれないか」
「いいぜ。手間賃込で二百円な」
「徹人、お前ジュースぐらいでケチケチすんなよな」
本気で二百円をふんだくろうともしたが、素直に百八十円を受け取った。ちなみに、この時代、増税の影響で五百ミリリットルのジュースの値段がこの程度まで値上がったのだ。
エレベーター近くのエントランスに団らん室が設けられており、自販機も併設されている。約束通りコーラを買った後、自分用に炭酸飲料水「ファイヤ」のグレープ味を購入した。そして、二本目のジュースを取り出そうとしている時であった。
「お久しぶり。テト君よね」
自らのアバターネームを呼ばれ、徹人は振り返る。そこには、ホットパンツにガウンという快活そうな恰好をした少女が佇んでいた。初対面の顔ではあるが、どことなく以前にも会ったような覚えがあった。ただ、どこかまでは思い出すことができなかった。
徹人がジュースを握ったまま呆けていると、少女はため息をついた。
「うーん、覚えてないかな。っていうか、リアルで会うのは初めてだから仕方ないか」
「あの、僕たちってどこかで会ったことありますか」
「あるわよ、ファイモンの中でね。ハルカって言えば分かるかしら」
ようやく徹人は合点がいった。東海地区大会のやり直しの際、パムゥに自分のモンスターが奪われたと助力を求めてきた少女だ。アバターでしか会ったことはないが、その際の容姿とよく似ていた。
「僕がテトだとよく分かりましたね」
「え、ええ。東海大会の中継で見かけたから。ライムが表舞台に出るっていうから気になっていたし、それにケビンによる妨害もあったでしょ。っていうか、あなたファイモン界隈じゃちょっとした有名人になってるのよ」
「そうなのか」
これまで特段騒ぎ立てられたことはなかったから、気にもしていなかった。興味関心がライムに集中し、その使い手は後回しになっているので仕方ない部分もある。
「いつまでもテトって呼んでちゃ不都合だろ。僕の名は徹人って言うんだけど、君は」
「遥よ。アバターと同じ名前だから分かりやすいでしょ」
どうやら、アバターを現実の自分自身に似せて作っているタイプのようだ。ハルカの外見で正体はむさいおっさんだったらどうしようかと思っていたところだった。
「そういや、私もジュース買いに来たんだよね」
そう言いながら、遥は陳列されているジュースを眺める。彼女の姿を眺めていた徹人だったが、ふと思い当たったことがあった。
「遥さんも全国大会に出るんですよね」
「かしこまらなくても遥でいいわよ。まあ、東北大会で優勝したからね」
「だとしたら、ケビンからの襲撃はどうしたんですか」
訊ねたのと、遥がリンゴジュースのボタンを押したのは同時だった。彼女はその姿勢のまま硬直してしまう。まずいことを聞いてしまったと、徹人はジュースを落としそうになる。しばらく彼女はじっとしていたが、何事もなかったかのようにジュースを取り出した。プルタブを開け、一気に飲み干す。豪快な飲みっぷりはどこぞの酔っ払い親父を彷彿とさせた。
一息つくと、空になった缶を握りつぶした。
「まったく、あの野郎ふざけたことをしてくれたわ」
あまりの剣幕に、徹人は一言も発することができなかった。缶がグチャグチャになってもなお、握力を緩めようとはしない。
徹人が自動販売機に寄りかかっていると、遥は慌ててスクラップと化した缶をゴミ箱に突っ込んだ。さりげなくゴミ箱の前に移動し、残骸を隠す。
「ケビンのことよね。私の所にも人形が送られてきたわ。つまらない悪戯だと思って、ルゥで叩きのめそうとした。でも、あいつの強さは異常だった。こっちの攻撃が一向に当たらないうえ、ありえない威力の技で攻めたてて来たわ。やむを得ず、ライガオウをブレイズレオに融合させて参戦させたけど、手も足も出なかった」
「それじゃまさか」
「悔しいけど、完敗だったわ」
遥は俯き奥歯を噛む。東北大会の代表者が敗北した。人形の強さは実感済みだが、改めてその化け物具合を認識せざるを得なかった。
「負けた瞬間、人形はスキルカードを発動させた。その瞬間、ルゥたちは急に眠りだしてしまった。状態異常を回復させるアイテムを使っても治すことができずに、今も眠り続けているわ」
「まさか、人形に負けると永遠に眠るなんてペナルティが発生するのか」
「そうみたいね。メッセージで『治すならパムゥゲームをクリアすることだ』なんて言われたし」
モンスターの一切の行動を封じる眠りの状態異常。永遠に眠らされたのではバトルどころではない。しかも、手持ちに感染しているらしく、一定レベル以上のモンスターは軒並み行動不能に陥っているらしい。主力を参戦できないとあれば物理的に明日の大会は出場できなくなる。
遠まわしに全国大会への参加を封じられたのだ。憤慨するのも無理はない。慰めようにも、徹人はいい言葉が浮かばなかった。
「徹人。あなたは人形を倒せたんでしょうね」
「うん、まあ」
「よかった。ライムでさえ倒せないのならどうしようもなかったわ。ならばお願いがあるの。明日の大会でケビンをぶちのめしてくれない」
「言わずもがなだ」
即答する徹人に、遥は微笑みを浮かべた。彼女の仇を討つためにも、明日の大会は余計負けられなくなった。
両手でしっかりジュースを握り、徹人は部屋へと戻ろうとする。
「待って」
そんな彼を遥は呼び止める。振り向くと、彼女は後ろ手を組んでいた。
「大会が終わったらあなたにどうしても伝えておきたいことがあるの」
「伝えておきたいってまさか」
「か、勘違いしないで。その、ライムのことだから」
曲解されたことにより、遥は顔を赤らめる。徹人もまた邪推してしまったのだが、真意の程は掴むことができなかった。ともあれ、明日の大会に集中するのが先決である。
「分かった。明日は絶対にケビンの奴を倒す。そして、ルゥたちにかけられた眠り病の治し方も吐かせてやるよ」
「期待しているわ」
徹人は背を向け、コーラを持った手を大きく振る。そんな彼の後ろ姿を遥はいつまでも見つめているのであった。
調子に乗ってコーラを振り回してしまった徹人であるが、その後部屋に戻った際、悠斗にコーラを浴びせてしまったというのはまた別の話だ。
2035年には消費税が10パーセント以上になっているだろうなという予想です。




