狂気のイナバノカミその1
先に対峙した時と同じく、神殿のフィールドが広がっている。これまでに訪れたどのフロアよりも広く、二チームが同時にドンパチを繰り広げても問題なさそうだ。
おあつらえむきに大ボスのために用意されたフロアで、二体のイナバノカミは木槌を担いで睨みを利かせていた。体力は前回減らしたままなので、テト達赤チームが有利に働いているのが分かる。
「くっそ、テト達が優勢なのかよ。でも、こっちには特攻モンスターがいるんだ。簡単には勝たせないぜ」
キリマロの気合に呼応するように、グレドランが進み出る。そんな彼とは対照的に、アイはすっかり怯えきって、シンの袖をつかんでいた。
「どうした、愛華。気分が悪いのか」
「そうじゃないの。なんか、あのウサギさん、さっきと違って怖いなって思って」
震えながらも青鉢巻のイナバノカミを指差す。特に変調はないように見受けられる。とはいえ、ただでさえ赤い眼を更に血走らせ、ウサギにあるまじき唸り声を発している。
「こういうのはビビったら負けだぜ。グレドラン、ブレイズブレスだ」
キリマロの指示に、赤き鱗のドラゴンはあぎとを開く。そして、胸を膨らませ、火炎の息を吹き付けたのだ。
特攻効果によりイナバノカミの体力は大幅に削られる。そのはずであった。しかし、微動だにしない相手を炎が包んだものの、減少した体力はごくわずかだった。特攻が効いていないどころか、相性が悪い技を使ったのではないかと疑われるダメージである。
そして、イナバノカミの反撃。神殿の加護を受けた強襲爆砕を繰り出す。ターゲットはグレドラン。自然属性の技なので、直撃したとしても半減することができる。
逃げ遅れたせいで木槌に押しつぶされてしまうが、大したことはないと高を括っていた。だが、予想に反してグレドランの体力は恐ろしい勢いで減っていってしまう。
「おい、どうなってんだよ、これは」
キリマロがうろたえているうちに、グレドランの体力はゼロとなる。魔法陣へと還元されていく巨竜を無言のまま見守るほかない。
一同の間に広がった沈黙はなかなか打破されることはなかった。苦手な属性の技を受けても、半減されるため余裕で耐えることができるというのが常識的な判断だ。しかし、予想に反して一撃必殺という惨事を招いてしまった。
立て続けに降りかかった異常事態に、テトはあることを想起せざるを得なかった。ほんの十分足らず前に、同じような場面に直面してはいなかったか。
「もしかして、あのウサギ。異常なまでに強化されているのか」
一度戦ったからこそ分かる。前回よりも大幅にステータスを上げてきているのだ。
レイドボスは一度倒した後にパワーアップして再来する。しかし、倒しきれずに逃がした場合は、同じ強さで再登場するのが定例だ。逃がす度に強化されたのでは倒せるわけがない。
それも、ほんの少し強くなったなんて生易しいレベルではなさそうだ。この事態を一言で表すならこうするしかない。運営の仕業。
手をこまねいているうちに、イナバノカミが先制して攻撃を仕掛ける。またも強襲爆砕。受ければ一撃必殺されかねないと分かり、一同は方々に逃げ惑う。
赤のイナバノカミが木槌を地面に叩き付けたのを合図に、青のイナバノカミも攻勢を開始する。反撃しても雀の涙のため、テト達は逃げに徹するしかなかった。
「テト、あいつに体当たりしてステータスを弄る?」
「そうしたいけど、あちこち動き回られたら狙いをつけられそうもない。せめて動きを止めることができれば」
「綾瀬姉さんのレディバグの魅了を使えば」
「いや、ボス相手だとあのアビリティは不発になることがあるんだ。それに、攻撃されたら一撃必殺されかねない」
「でも、綾瀬さんのレディバグ以外で身動きを封じる方法なんて……」
「できなくはないわね」
突拍子もないことを言ったのはシンだった。彼女とは一応敵同士だが、緊急事態に四の五の気にしている場合ではない。
「イナバノカミは体力が減ると、餅を食べて体力を回復しようとする。その間は動きが止まる」
「なるほど、そこを体当たりしてステータスを弄るってわけか」
行動のアルゴリズムを変更してしまえば、いくらでも隙を作ることができる。熟練のプレイヤーだからこそ編み出せる戦法だった。
しかし、それはそれで別の問題が生じていた。
「でも、餅を搗かせるためには体力を削る必要があるわけでしょ。矢継ぎ早に木槌を振り回してくる相手をどうやって攻撃するの」
ライトの指摘にすぐに応じられる者はいなかった。逃げるだけで手いっぱいなのに、反撃などできるわけがない。毒でも浴びせられれば勝手に体力が減少するので、逃げているだけでも回復技を誘発することができる。だが、そんな技を使えるモンスターはこの場に存在しなかった。
攻撃することなく相手の体力を減らす方法。各々思案を巡らすが、なかなかいい考えは出ない。そうしている間にも、イナバノカミの技が被弾し、着実にHPが削られていく。それも、チーム全体がほぼ均一に窮地に陥っているのだ。
そんな中、アイがスキルカードを片手に進み出た。
「よし、さっきゲットしたこれを使って。スキルカード拡散。そしてピクシー、ヒーリングよ」
シンのチームもまた、ドロップ報酬で拡散のスキルカードを入手していた。さっそくそれをピクシーに適用し、回復技のヒーリングを発動する。
柔らかな日差しがピクシーのみならず朧にまでも降り注ぐ。それを浴びるや、体の節々に生じていた傷が徐々に塞がっていった。
ピクシーのヒーリングは通常だと単体にしか効果はない。しかし、技の効果を全体に広げるスキルカードにより、同チームの朧にも適用されたのだ。
しかし、違うチームのライムたちには技が及ぶことはなかった。それでも、打開策を見いだせたのは大きい。
「拡散を使えばこんなこともできるってわけね。スキルカード拡散、そして回復」
ライトは体力回復のスキルカードを使用するが、その前に効果範囲を拡大させる。カードより放たれた光はジオドラゴンのみならず、ライムやレディバグにまで広がった。その光を浴び、テトのチームもまた体力を回復していく。
「拡散にこんな使い方があったなんて。とんでもなく便利なカードだな」
感慨深くテトは呟く。うまいことこのカードを利用できないものか。手持ちのデッキを見直していると、ある一枚が目に留まった。
それはイナバノカミの戦法に対抗するために選出したものだった。これを拡散と組み合わせれば、状況を打破できるかもしれない。
「ライム、お前ってスキルカードの効果を弄ることってできないか」
「うーん、やったことないな。モンスター相手と勝手が違うかもしれないし」
「そうか。じゃあ朧、お前も協力してくれ」
「おいおい、あたいは敵だぞ。易々と力を貸すわけないだろ」
「もはや、チーム戦がどうのこうの気にしている場合じゃない。そうだろ、シン」
「どうして私に振るかな。でも、テトの言っていることは正しい」
「ま、まあ、シンがそう言うなら」
渋々ではあるが、朧はテトの元に寄り添う。テトは彼女たち二人に思いついた作戦を打ち明けた。その途端、ライムはもちろんとして、朧の顔色までもが晴れやかになっていった。
「ったく、こんなことを思いつくなんて。やっぱあんたは食えない男だよ」
「でしょ。テトは偉いんだからね」
自分のことのように胸を張るライムに苦笑しつつも、テトは手持ちのスキルカードを差し出した。対象となるのは拡散のカードだ。
実はスキルカード「拡散」はスキルカードに対しても使うことができるのです。
設定しておいてあれですが、ドロップ報酬にしては破格の性能ですね。




