第11章7
お待たせ致しました。
ローレライが部屋去ると、ゼロは入れ替えられた部屋の荷物の配置を確認すると、軽く汗を流し再び身を整えた。
ローレライがこのまま落ち着いたままで過ごせるとは想像できず、いつでも呼ばれれば出向く準備を整えていたのだが、それは期待を裏切らなかった。
それは喜んでいい事なのか、如何なのか?
「お嬢様が不安がられておいでで……。アイスラント様にお傍にいて頂きたいとおっしゃられております」
侍女にそう告げられて、ゼロは直ぐに移り変わったばかりの隣の部屋へ向かう事となった。
隣の部屋の扉を開けると、切望の眼差しを浮かべながらずっと扉を見つめていたローレライが、直ぐにその腕にしがみ付いて来た。
そこが自らの定位置とでも訴えるように、ローレライはその腕を掴むと何処か安心したような仕草を見せた。
「サンドラ様は、本当にアイスラント様を信頼されているのですね」
ローレライが頬を染め小さく頷くと、ゼロは苦笑いを零した。
嫌いな筈である女と言う生き物に、これ程懐かれて信頼を寄せられると言にも関わらず不快を覚える事無く、それを素直に許している自らの行いがゼロは不思議でならなかった。
侍女達はそんな二人の様子を見、顔を見合わせ笑みを浮かべると一礼をし、後の事をゼロに任せ退出して行った。
(さて、これから如何したものか?)
とりあえずティーセットが目に入り、ゼロはローレライを傍にあるソファーに座らせると、大丈夫だからと二度ほど頭に軽く手を添えると、視界に入ったそれに手を伸ばした。
ゼロはローレライが事ある毎に紅茶を良く飲んでいた事を知っている。
(少しでも飲めば、落ち着けるか?)
自ら紅茶を注いでローレライに差し出した。
「ダージリンだ」
ローレライは注がれた紅茶を両手で受け取ると、ゆっくりと口元に注いだ。
ダージリンの爽やかな香りが心を溶かす様に、一口毎に胸の奥に染み渡る。
すると思いがけずにローレライの頬を一粒の涙が溢れ流れ落ちて行った。
「どうした!?」
少し落ち着いて来ているように見えていたローレライの突然の涙に、ゼロは少し慌てたようにその顔を覗き込む。
「違うの……。ただ嬉しくて……」
ローレライは柔らかな笑みをゼロに返した。
「そうか」
苦笑いを浮かべながら告げられた『そうか』のその一言に、どれだけ優しさが含まれているのだろうか?
ローレライはゼロの不器用な言葉の裏に隠された優しさに触れ、胸の奥が段々と暖かくなって行くのを感じていた。
(こんなにも傍にいるだけで、心が安らげる方がいるなんて……)
最初は怖いと思っていた筈のゼロの事が、いつの間にこれ程信頼のおける人になってしまっていたのか?
出会った頃、はっきりした素性は分からないまでも従兄のフリードルの元上司の騎士である事から信頼できる人であるとは理解していた。
今回の前王弟殿下の甥であるという事を聞き確かに驚かされはしたが、それで高貴な出とか如何だとか、ゼロの印象が変わることは無かった。
ここに居ても何も何処も変わらない人。
相変わらずブラックナイトと言う不思議な集団を束ね、何をしているか分からない人ではあったが、その中においても地位にも拘らず、そこに奢りのようなものは一切感じられない。
厳しい面もあるが皆にとても信頼されているのが良くわかる。そんな尊敬できる人だとずっと思っていた筈なのに、いつの間にか傍に居るだけで心まで癒されるようになっていた。
そして今ではローレライはこの傍から離れたくないと思ってしまっている。
「少しは落ち着いたか?」
「はい……」
「ならば早く休め」
「えっ?」
「眠らずとも横になれば、少しは疲れが癒える」
「……でも……」
「何だ?」
「なんだか、とても怖くて……」
「ああ。ここで見ていてやるから休め」
「はい。……では、おやすみなさい」
「ああ」
誰も来ないようにずっと見張ってくれると言うゼロに促され、一度は安心して隣室のベッドに自ら入り横になったローレライだったが、徐々に何処か空気が冷たく張り詰めて感じられて来て、一人で寝室に居る事が心もとなく怖くなって来てしまった。
(如何しよう……)
そう感じてしまったら最後、叫ばずにはいられなくなっていた。
「ゼロッ! ゼロッ!!」
ローレライの叫び声にゼロが直ぐに寝室へと飛び込んできた。
「何だ? 如何した!?」
「やっぱり無理……。とても一人でいられないの……」
「そうか……」
「ごめんなさい……」
「気にするな。眠るまで傍にいてやる」
ローレライはギュッとゼロの腕の袖口を握りしめると再びベッドに身を沈めた。
こうしていると本当に落ち着ける。
自分はかなり我儘な事をゼロに強いていると言う自覚があった。
今はこう言う状況だから傍に居てくれるけれど、きっと時間が経ってしまえばこの腕は無くなってしまうもの。
ローレライはライサンドに触れられた時に、初めて自分の心を知った。
あの時、思ったのだ。
ゼロ以外の男性に触れられたくないと……。
とても安心できる温かな腕。
ゼロの腕を頬に寄せ、安心するといつの間にか眠りに落ちて行った。
ゼロは自分の腕を頬に寄せ安心しきって眠るローレライの姿を見て、もう耐えられないと思った。
こいつに触れられる腕は、いつでも自分の腕でありたいと思った。
(愛しい……)
こんなにも切ない思いは初めてだった。
若い頃とても好きになった人がいた。
恋い焦がれ、初めて知った想いだった。
しかし酷い形で裏切られる事になり、姉ですら女と言う生き物の存在が信じられなくなった。
女とは自らの保身の為に男を簡単に振り回す生き物だ。
媚び諂い、揚句に裏切る残忍な事すら厭わない存在。
だが今思えば、辛すぎてそう思い込もうとしていただけなのかもしれない。
ローレライに出会たっ時、こいつも始めは所詮同じ女だと思った。
それなのに関わるにつれ、ローレライの人や生き物、物事への対応に唖然とさせられた。
今まで見て来た女と記憶するそれとは全く異なる、とても新鮮印象を植え付けられた。
いつも知らない未知なものに出会ったような感覚で、その行動には驚かされる事ばかりだった。
清々しい気持ちを植え付けられ、いつの間にか傍に居なくては自分が安心できない存在になっていた。
あの時に知った恋はきっと本当の恋ではなかった。
恋に憧れ、甘い香りを知り、若さゆえに溺れのめり込んで行った。
それだけだったのかもしれない。
ローレライと出会い、知り行く中でそう思えて来る自分がいた。
成し遂げなければならない己の定めた道半ばの状況で、これ程までに愛しさを感じる想いを自覚し、この先自分はどうやってこの思いを持ち続ける事が正しいのか!?
何より今こんなにも辛い思いをして不安定な心のローレライに対し、剣の師として自分を慕うだけの彼女を、この先支えながら自分は何処まで気持ちを隠し通せる事が出来るのか?
はっきり言って自信が無かった。
けれどこれ以上、決して傷つけたくはない。
それだけは確かな事だった。
安心しきったように静かに目を閉じ、柔らかな寝息をたてる愛しい存在。
これ以上傍にいては、思わず触れてしまいそうになる……。
そっと握られた腕から手を離し、ゼロが意を決してその場を去ろうとした瞬間だった。
「……ゼロ……」
微かにローレライの唇から声が漏れた。
眠っているのに無意識に自分の字名を呼ばれ、ゼロは溢れ出す想いを押さえきれなくなってしまう。
枕元に再び寄り添いローレライの髪をそっと撫ぜる。
愛しさが込み上げて、もう耐えられなかった。
ローレライの唇に指でそっと触れると、ゼロは自らの唇を静かに押し当てた。
「ん……」
少しだけ身じろぐような仕草をみせながら、鼻から抜けるかすかな声を発したが余程疲れているのかローレライは何も気づく事無く眠り続けていた。
「私も奴と同類だな……」
唇を離し苦笑いすると、愛しげにローレライを見つめながらそう呟いた。
額に再び唇を落とすとゼロはそっとその場を後にした。
不器用な二人です^^;




