第10章6
お待たせいたしました。
仕度が整い、鏡の前でローレライは自分の姿に凝視する。
「こっ、これが……、本当に私?」
「はい。お嬢様は素材がとてもお宜しいですので、こちらも力が入りました」
侍女は自分の腕に満足したのか、満面の笑みで大喜びしている。
髪は都会的に結いあげられ、化粧も奇麗に施されている。
自らの屋敷でして貰っていた時とは全く違い、ドレスもそうだが化粧もいつもよりポイント的に濃く描かれており、童顔なローレライが少し大人びて見える。
普段心もとない胸も、寄せられコルセットで絞めて持ち上げられているせいか、窪みもしっかり見えていて、その点は少し自分でも気恥ずかしく感じつつも、ローレライはずっと憧れていた若い貴婦人になれた様な錯覚に陥り、自然と何処か誇らしくも思えて来て背筋も伸びて来る。
(ゼロは何と思うかしら?)
いつの間にかそんな事を思っている自分に気付き、ローレライは思わず高揚して染まっている頬を両手で抑える。
いるとそこへ、部屋を誰かがノックした。
「仕度は出来たか? そろそろ行くぞ」
「はっ、はいッ」
ローレライは更に早くなる胸の鼓動を感じる。
「アイスラント様ですわ。さぁ、お嬢様」
ローレライは大きく息を吸い込み呼吸を整えると、侍女に背を押されながらゆっくりと部屋の扉を開いた。
「えっ!?…………」(ドクンッ)
ゼロはいつもとは違うローレライの印象に、一瞬言葉を詰まらせる。
全身をゆっくりと見上げ、そして言葉を口にする。
「ほぅ……、これは見事に化けたものだな。まるで別人のようだが……」
(今、胸に大きく跳ねた感情は何だったのか?)
自分でも掴み所のない感情を、如何表現していいかわからず、ゼロは思わず言葉を濁してしまう。
ローレライはと言えば、自分でも気づかぬ内にゼロに褒めて貰えると少し期待していた自らの感情に気付き、少なからずショックを隠せない。
「……酷いわ……」
その声はかすかに震えている。
あまりに落胆するローレライの姿に、ゼロは少し慌てるようにローレライの顔をまじまじと覗き込む。そして言葉を付け加える。
「いや、綺麗だが……、私は普段のお前の方が一緒に居て落ち着く。だが、たまにはこういう姿も悪く無い」
そう告げるとゼロは、今度は柔らかく微笑んだ。
「ゼロ……」
今の姿を否定されている訳では無い事に少し安堵しつつも、ローレライはゼロの言いようを如何受け取ればいいのか、思いがけず困惑してしまう。
(今の言葉は、素直に……、喜んでいいのよね?)
ゼロの反応にローレライが半信半疑でいると、タイミングを見測っていたのか或いは偶然か、今度はそこに意気揚々と、また借り物らしき衣装に身を包んだもう一人の者が並びの部屋の扉から出て来た。
「わぁ~、綺麗になったな。見違えた! お前別人だぞ。こんな綺麗な妹を持って俺は幸せ者だ! うん」
明るく屈託のない声はローレライに癒しを与える。
「お兄様!」
妹を褒め称える兄の何処か大げさとも言える言葉は、途切れることなく暫く続けられ、ローレライは段々と笑みがこぼれはじめる。
兄のお蔭で少し気が楽になり、先ほどまで気にしていた事も何でもない事に思えて来る事が出来たローレライは、やっと気分良く皆と一緒に晩餐の席へ向かうべく歩き出す事が出来た。
ゼロはローレライの姿を見て感じた己の中の不可解な感情に疑念を抱きながらも、看過できぬ表面的な印象に少々不味い事になったと感じていた。
いつもより濃く描かれた化粧は幾分大人びて見え、少し前の開いたドレスで恥ずかしげに頬を染める姿は少しばかり艶っぽくもある。
自分ですらこの様に感じるのだから、これを女好きのライサンドが見て何と思うのか?
興味を抱かぬとはとても思えず、ゼロは危機感を覚えていた。
「ライサンドから目を離すな。あいつ、狙われるかもしれん」
廊下で耳打ちされたシドとフリードルはゆっくりと頷いた。
晩餐の席には、既に侯爵と子息ライサンドが席に着いていた。
ゼロ達に気付くと二人は同時に席を立つ。
「やあ、アイスラント! 久し振りだな。城を逃げ出して何処に雲隠れしているのかと思っていたが、馬鹿二人も一緒とはこれは愉快だ」
「これ、ライサンド止さないか。冗談が過ぎるぞ」
歩きながら甥に歩み寄っていく息子の声に、公爵は言葉を添えた。
「ああ、失敬。まあ、元気そうで安心した」
そう言ってライサンドはゼロに手を差し伸べる。
「……お前も元気そうで何よりだ」
ライサンドを警戒しているのか憮然とした表情をそのままに、ゼロも右手を差し出した。
目の前で繰り広げられる従兄弟同士の何処かぎこちない対話。
ライサンドの所行を聞いていた上にゼロに対する粗暴な態度は、目の前で見ていたローレライに更なる嫌悪感を与えていた。
「おや!? そちらのお嬢さんは?」
前に垂れるチャコールグレーの長い髪を指で透かして掻きあげながら、こちらに近付いて来る男の姿にローレライは数歩身を引いた。
ゼロと同じ切れ長の目に少しくすんだブルーの瞳だが、とても同じようには見えない。
見つめられる異様な視線に肩を竦めていると、急に手が伸びてきて触れられそうになり、ローレライは怯えるように慌ててゼロの後ろに身を隠した。
「私の妹ですが何か?」
その姿にシドが睨みをきかせて威嚇した。
「おーこわ! そんなに睨むなよ。可愛いお嬢さんだな~と少し思っただけだのに……」
口ではおどけた様な態度を見せているが、目は獲物を射るように鋭く、ローレライはその姿を正視出来ない。
「おお。これは見違えたぞ。一昨年娘が嫁いでから、すっかり屋敷から華やかさが消えて寂しく思っていたが、暫くは目の保養が出来そうだ。そのドレスは亡くなった妻が娘に見立てたものだが、いや良く似合っておる」
ローレライを見つめる、侯爵の瞳は純粋で、目を細めてとても嬉しそう微笑み、とても好感が持てるものだった。
似たような容姿の親子なのに、これ程までに印象が異なる事を不思議に感じながらローレライは慌てでゼロの後ろから姿を見せる。
そして、侯爵に向かい丁重に頭を下げた。
「恐れ入ります。今夜は晩餐にお招き下さり有り難うございます」
何処か緊張しながらも、静やかで気品に満ちた公爵に対する凛とした姿は、ゼロに今までにないローレライの一面を感じさせていた。
ついにライサンド登場!
ローレライ、気を付けて!!




