猫は言う
僕がいなくなったとしても、誰かの頭に残った僕との思い出は残り続けるのだろうか。たぶん残らない。自問自答をする必要はなかった。条件反射で僕は答えを導き出した。
しかし、結論は出たけれど、どうしても僕は納得がいかない。僕は再度自分に問いかける。そうして気づいた時には、カーテンの向こうは明るくなっていた。
混沌とした思考回路を浄化するように光は、丈の足りないカーテンの下から僕を照らす。やはりどうしようもなく明るい。もう無駄なことを考えるのはやめよう。
今日もこの足で歩ける。今日もこの目で見られる。今日もこの耳で聞ける。暗い記憶を引っ張り出すことよりも、いまこの瞬間に感謝をしよう。
僕は新しい人間に生まれ変わった気持ちで、街へと散歩に出かけた。いつもは野良猫とは縁がないこの僕だけれど、今日ばかりはやたらと遭遇率が高い。
何ともなしに、僕は一匹の猫に問いかける。君は一体どこへ向かっているのか、と。手を差し伸べてみる。しかしチラリとこちらを見るだけ。知らん顔。僕はムキになって追いかける。君はどうしてひとりでいるのか――お前にわかるものか。小さな身体を凛とさせ、猫は確かにそう言った。僕はなおも問うた。僕が泣いても君は何とも思わないのか。僕が怒っても君は何とも思わないのか。もう、返事はなかった。僕の言葉は意地悪な風にさらわれて、あてもない旅を始めてしまう。僕は去り行く猫の背中を見つめる。僕は思った。
やはり僕が消滅したら、誰の記憶にも留まることは出来ないのだ、と。ああ、僕は今日も必死に何かを掴もうとしている。ああ、今日も僕はこの胸で息を吸って吐いている。
十分――いや、十年後も僕は同じようなことをしているのだろうか。そうだとしたらやはり僕は、誰の中にも残ることは出来ないのだろう。
僕は消える。けれど電車は三分おきに動く。僕は消える。けれど花は綺麗に咲き誇る。僕は消える。けれど戦争は終わらない。
僕はもう、歩みを止めてしまった。これ以上の進歩は望めない。どこまで歩いても僕が残り続けることはないのだから。それならもう、止まってしまった方が楽だろう。
朝から昼へと変わる。喫茶店が店を開き、僕の目の前を先程の猫がテクテクと歩く。昼から夕方へと変わる。喫茶店が店を閉じ、僕の目の前を先程の猫がテクテクと歩く。
僕は最後に、猫に問いかけた。僕は君の中に残ることも、許されないのか――知ったものか。やはり猫は、最後まで冷たかった。
僕は仕方なく足を前へと踏み出す。その場に居続けても、意味がない。猫は小さな身体を凛とさせ、少しだけ僕へと振り返る。猫は言った。猫は、言ったのだ。
思い出は生き続けるさ、と。たとえお前が死のうと誰かが生きている限り、忘れはしても残りはするだろうさ、と。猫はもう――冷たくはなかった。




