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携帯電話

作者: 森春

 携帯電話を池に捨てた。

 九月の中旬に入っているのに蝉がまだ鳴いていた。あんな小さな体で俺より大きな声を上げている蝉を少しだけ尊敬していた。一ヶ月前はただただ鬱陶しかっただけなのに今になると、少しだけ寂しく感じるのは蝉には死んでも構わないという気概を強く感じてしまっていたからなのかもしれない。

 

 携帯電話は九歳の頃から親に持たされていた。小学生の俺は今より活発で、今より平均的な人間だったように思えた。平均的な小学生は、外に遊びに行く時に持って行くものと言えば小銭と帽子とゲーム機の三つしかないので、俺のズボンのポケットに携帯電話が入っていることはほとんどなかった。そのおかげでよく親に怒られた。小学生の俺にとっては携帯電話は、持たされているもので、邪魔なもので、満腹状態から食べるデザートみたいなものだった。


 中学生になると、周りの友達も少しずつ携帯電話を持ち始めた。中学生の頃の俺は、自尊心もアイデンティティもあやふやで、ただ何か良いことがあるようにと毎日を生きていた。中学生になって初めて携帯電話の利便性を理解した。一人でいる時に、誰かと同じ共有できているような感覚になれるメールが楽しくて仕方がなくて、他人のメールアドレスが価値あるものとなった。異性やクラスの人気者のメールアドレスを知っていることがステータスで、携帯電話を持つ目的になっていたのかもしれない。中学生の俺にとっての携帯電話は、新しい玩具みたいなもので、最新のゲーム機となんら変わりはなかった。


 高校生の俺にとって携帯電話は、自分だった。高校生の俺は、携帯電話に使われている毎日だった。当時、携帯電話の機能は競い合うように進化していき、デジカメ、ゲーム、カーナビ、音楽プレーヤーなどの役割も果たしていた。百五十グラムの小さな機械に俺を構成する好きなものが全部凝縮され数値の羅列にされて詰め込まれていた。高校三年生の時から、携帯電話がないと落ち着かなくる自分に少し違和感を感じはじめていた。SNSのアカウントを知っているだけでその人との距離感が縮まったように感じたり、インターネットで仕入れてきた薄っぺらい無機質な雑学を人に話したり、SNSで安い自己顕示欲を満たしている自分が嫌になってきた。


 二十一歳、大学生の秋に携帯電話を池に捨てた。小さな機械に俺の友人は入っていないし、俺の好きなものは俺が覚えてる。人との繋がりは目に見えるものじゃないし、例え目に見えたとしてもそれが本物なのかは俺には断言できない。このまま携帯電話を持ち続けると、自分の大切な部分がどんどん携帯電話に流れていってしまうように思える。大切な部分とは何なのかは上手く説明できないけど、とにかく俺が薄っぺらくなるような気がしてならない。生まれてきた以上何か生産性のあることがしたい。だから、俺のやりたいことが見つかって、俺の目的のために本当に必要になったら、携帯電話をまた買おうと決めた。

 友達が減るのが少し怖い。


 蝉の鳴き声が止んだ。

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