金曜日
今日は社会学習の一環として広島平和記念資料館に来ている。原爆の悲惨さについて学ぶためらしい。俺は散々戦争や原爆について授業で習っていたので「なにをいまさら」と思いながら展示品を流れるように歩いてただ見ていた。ふと、一つの展示品が気になり俺は足を止めた。
『8時15分で止まった懐中時計』
詳しいことは知らないが、異様な雰囲気に俺は誘惑されてしまった。
10数分くらいの時間が経っただろうか? ふと我に返りその場を後にしようと思ったそのとき、俺は自分の目を疑った。
「カチ、カチ、カチ、カチ……」
懐中時計の針が急に動き出した、と同時に懐中時計を中心に眩い光があたりを包んだ。
俺はあまりの眩しさに目をあけることができず、強く眼を瞑った。瞼の上からでも強烈に眼球に痛みを与えるような強い光が数秒間続き、徐々に引いて行った。光が薄れていくのを感じた俺は、恐る恐る瞼を持ち上げた。すると、そこには逃げ惑う群衆の姿が移っていった。どうやらタイムスリップしてしまったらしい。
「うわぁ!」
全速力で自分に向って走ってくる少年に驚き俺は身をかがめた。少年は俺に気づくことなく俺をすり抜けていった。どうやら目の前の人々に俺は見えてないらしい。俺は触れることもしゃべることもできない。どうやら”ただ傍観すること”のみが俺に許された行為らしい。
俺が状況を把握し終わり、ふと空を見上げると空を悠々と泳ぐ『リトルボーイ』が目に入った。その数秒後、爆音と強烈な光とともに大きなキノコ雲が空へと駆け上がっていった。たった数秒の出来事、テレビをボケェーっと見ていたら簡単に消費してしまうような時間。その僅かな時間の間にさっきまでの人間はあきらかに違う『何か』へと変貌してしまった。
それが死であるということに俺は気付けなかった。
俺の目の前で悶え苦しみ死んでいく人々、少年、女学生、おじさん、おばあさん、一人一人の苦悶の表情が俺の脳裏へと焼き付いた。俺はただそれを見ていた。奥歯を噛みしめながらただ、見ていた。
気がつくと俺は現実に戻っていた。
『死者7万3884人』
その記載をみて俺は驚いた、というより愕然とした。人々は『原爆=たくさんの人が死んだ』、くらいにしか思っていないのだ。例えば原爆により死んだり被爆した人がたった一人しかいなかったとしよう。そうであったとしたら人々はどう思っただろう? たくさん死ぬことに意味があったのではないだろうか?その場合一人一人の死に対する価値は? 原爆だけじゃない。戦争だってそうだ。今現在、人の死は、人一人の死はそれなりの価値があるとされている。少なくとも俺はそう感じている。でも、それって本当なのだろうか? どこかの誰かが無理やり付加したものではないのだろうか? もともと人間の死には価値なんて無いんじゃないだろうか? 死に価値や尊厳が本当に存在するのなら大量虐殺など歴史の中で起こらなかったんじゃないだろうか?
俺は狭い閉ざされた頭の中で意味のない自問自答を延々と繰り返した。俺一人がこんなこと考えたところで何の意味もないことはわかっていた。それでも俺は考えずにはいられなかった。……まったく、俺らしくない。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「死とは何だ?」
いつものように変なじいさんは尋ねてきた。
「死とは価値の無いものです」
「そうか、そうか」
そう言うとじいさんは髭を何度もかまいながら微えんだ。
「死に価値がないのなら、生には価値があるのかのぅ?」
俺は生に価値を見出そうとした。数分間悩んでみて気づいた。俺は生に価値を見出そうとしたんじゃない、価値を見出したかったんだ。生には価値があると信じたかったんだ。そう思いたかっただけなんだ。じゃないと救われないだろ? 死に価値があると思いたい気持ちもこれと同じなんだ。死ぬということには価値がある、そう思わないと駄目なんだ。いや、そう思うことが生きることの価値に繋がるんだ……
狭く閉ざされた世界の中で俺は不毛な議論を一人交わした。世界は時間切れを告げるように「ホタルの光」を鳴らし照明を落とし始めた。数秒後、目の前が暗闇に包まれた。そこで目が覚めた。