月曜日
「かったるいなぁ。6限サボるか」
最近寝不足がつづいていた。我慢できなかった俺は5限の授業が終わると同時に仮眠をとるため屋上へと避難した。
屋上にはすでに先客がいた。同じ学年の女子生徒だ。顔は何回か見たことあるが名前までは知らない。ましてや話したことなどない、いわゆる他人だ。
「…………」
何か様子がおかしいことに俺は気づいた。よく見ると女子生徒は柵の向こう側にいた。柵の手前には綺麗に揃えられた靴と封筒が置かれていた。
「あたしね、これから死のうと思うんだ」
女子生徒は空を見ながら言った。俺に向けて言っているのか独り言なのか俺にはわからなかった。
「……何で?」
俺は正直困った。とりあえず、相手を刺激しないようにしようと思い、問い掛けてみた。
「別に。これといった理由なんてないよ。すべてのことが死ぬ理由になるし、すべてのことが生きる理由にもなるんだよ」
俺には彼女が自分自身に言い聞かせているように聞こえた。
「ただ、私には死ぬ理由の方が多かっただけ。それだけなの。ありがとう。あなたのおかげで飛び降りる決心がついたわ」
彼女の言葉に俺は困惑した。まさか、自分の何気ない言葉によって彼女の自殺を助けてしまうことになるとは。
「……ありがとう」
彼女はボソッと言った。
「!?」
彼女のかすれた声があまりにも震えていたので、俺は身震いした。
まだ、間に合う。彼女は死を恐れている。ほんとうは生きたいんだ。
「死にたくない!自殺しようとする私を止めて!お願い!!」
彼女の震える聞こえない声はそう叫んでいた。俺は確かに彼女の心の叫びを聞いた。まだ、死にたいと思う彼女の中に生きたいと思う小さな彼女が確かに息吹いていた。でもそれはとても、とても小さな、今にも消えてしまいそうな息吹だった。
彼女は今にも飛びそうだった。
俺は必死で言葉を考えた。俺の一言でまだ彼女を救うことができる。まだ望みはある!
「…………ドン!」
鈍い音が校庭に響いた。花壇に血の花が咲いた。
結局俺は何も言えなかった。何も……
俺は彼女の残した封筒を手にとり、中に入っていた手紙を読んだ。そこには生きることがいかにつらいか、苦しいか、惨めか、醜いかということが書かれていた。最後に
「だから私は死ぬことで生から逃げたいと思います」
と書かれていた。俺は手紙がくしゃくしゃになるくらい強くコブシを握り締めた。やり場のないモヤモヤが胸の中で暴れた。俺は黙ったままそのモヤモヤが消えてくれるのをただ待った。
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「死とは何だ?」
俺は再びじいさんに尋ねられた。
「死とは生からの逃避です」
「そうか、そうか。逃避か」
そう言うとじいさんは髭を何度もかまいながら微えんだ。
「じゃあ、死から逃げるためには生き続けなくちゃいけないのかのぉ?」
じいさんは独り言のように呟いた。
例え死が迫ってきているとしてもそれを我々人間は知ることはできない。でも、もし死がはっきりと目で、耳で、肌で感じることが出来るものだったとしたら? 恐ろしい形相で死のカマを振り回しながら追いかけてくるものだとしたら? その影におびえながら逃げるように生きる姿を思い浮かべると俺は身震いせずにはいられなかった。
人が人として文化的社会的に生きるためには死から逃げるのではなく、死を忘れる必要があるんだ。生から逃げた彼女、死から逃げている俺。いったい何の差があるだろうか? 俺には何一つ差がないように思えてならなかった。ただ、逃げた先にあったのが死であるか、醜い生であるかの違いだけであるとしか思えなかった。
「なんて……なんて言えば彼女を止められたと思いますか?」
彼女の死の間際を思い出し、俺は自分で出すことの出来なかった答えを知りたくてじいさんに尋ねた。
「何言っても無駄だったじゃろう。確かに”ある言葉”を言えば彼女を救うことはできた。でもその言葉を言えるのはお前さんじゃなかった。だって、お前さんと彼女は他人だったんじゃろ? お前さんはたまたまあの場にいて、たまたま彼女に声をかけることが出来て、たまたま彼女を救える人間じゃなかった。それだけのことじゃよ。本当に彼女を救う言葉を言えたのは本当に彼女のことを思っている人だけだったんだからのぉ」
俺は正直その言葉に救われた。
「……ありがとう」
彼女の最後の小さく震えていた声が耳から消えなかった。俺は耳を抑えてうずくまった。それと同時に白黒の世界は少しずつ狭くなっていった。白黒の世界がいよいよ俺を押しつぶそうとさらに狭くなり、世界の端が俺に触れた瞬間、目が覚めた。