日曜日
今日は親友のタカオと海に行く約束をしていた。
「行ってきまーす」
元気良く家を飛び出したはずの俺は、一瞬でブルーな気持ちにさせられた。家の前に車に惹かれたであろう猫らしき死体が転がっていたのだ。それは、もはや猫であるかどうかすらわからないほど酷く、そして無残な肉片だった。
そのとき俺が一番最初に感じた感情は『気持ち悪い』だった。そしてその数秒後、『かわいそう』という感情が『気持ち悪い』という感情を隠すように覆った。
かわいそう? かわいそうと思うことで俺はいったいどうなりたかったんだろう? 偽善者にでもなりたかったんだろうか?
後に俺は夢の中でそんなことを考えることになる。
「よー!恵太、待ってたぞ。さあ、泳ごーぜ」
海につくとすでに海パン姿のタカオが準備運動をしていた。タカオのほかにも海水浴を楽しもうとする暇を持て余した老若男女が砂浜に溢れるほど群がっていた。それを高い場所から監視している監視員のおっさんは、さぞかし気分がいいことだろう。
「この蛆虫どもめが! 俺をヒーローにするために波に飲まれろ! できればかわいい子気望。不細工は紫外線に焼き殺されてしまえ! じじばばは干からびてしまえ!」
そんな横暴なセリフを心の中で吐いているのだろうと俺は勝手に妄想し、一人笑った。
「よっしゃ! 今日は日焼けするぞ!」
熱い太陽に照らされて俺のテンションは嫌がおうにも加速した。まぁ、隣にいるのがむさい男であるのは残念だが、そこは多めに見よう。とにかく楽しまにゃ損だよ。
俺は「青春を謳歌していますよ」と高らかに歌いながら、タカオとともにはしゃいだ。
気がつくと、バツが悪そうな顔をした夕日があらわれた。まさに光陰矢のごとし。先人の教えはいつも的を得ていると脱帽させられる。
「帰ろうか?」
「そうだな。疲れた」
疲れきっていた俺たちは、少ない口数で互いの意思を確認した。
俺は帰り支度を始めた。海水パンツの中に入った砂を必死で取り払った。
「助けてーーーー!」
急に大きな悲鳴が聞こえた。
「なんだなんだ?」
「どうしたんだ?」
「誰か溺れてるぞ!」
海水客達がどよめきだした。すぐに野次馬たちの人だかりができた。俺たちも野次馬の一部となり傍観した。
「だ、だじげ、だじげでぇ!」
溺れている人は大量に水を飲みながら、必死で手足をばたつかせていた。
「このままじゃあいつ死んじまうぞ!」
誰かがそう叫んだ。
死? こんなにも近くに死があるなんて。それにしても…………醜い。
俺は不謹慎に感じながらも、そう思わずにはいられなかった。溺れながら必死でもがくあの人の姿は、本当に醜かった。
「大丈夫か! 今行くぞ!!」
ムキムキな小麦肌の監視員のおっさんが海に飛び込んだ
数分後、無事に溺れていた人は救出された。
あんなにも綺麗な人なのに…………。
救出された人は、とても綺麗な女性だった。ほんとうに美しい人だった。でも、あの溺れていた時の醜い姿を思い出すと、どうしても”美しい”という感情を心の中から探し出すことができなかった。
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「死とは何だ?」
どこかで見たことあるような変なじいさんに尋ねられた。
「死とは醜いものです」
「そうか、そうか。醜いか」
そう言うとじいさんは髭を何度もかまいながら微えんだ。
「昨日は確か”怖い”と言っておったが、どうして今日はそう答えたんじゃ?」
「今日、死なないように必死になってもがきながら溺れる人を見たんです。よく、スポーツ選手が必死になっている姿はかっこいいとか、若者に「必死になれるものを探せ!」なんて言ったり、必死な姿は肯定的にとられがちです。僕もそう思っていました。でもほんとは違ったんです。本当に、『必ず死ぬ』状況において必死になっている人は、かっこよくなんかないんです。醜いんです。しょせん、スポーツ選手の『必死』なんてお子茶魔の考えなんです。だってスポーツに必死になったくらいで死にはしないでしょ? 結果的に死ぬ人はいるかもしれないけど、少なくとも本気で”死ぬ”と思いながら必死になっている人はいないはずです。あんなにきれいな人をあんなに醜くしたもの、それは死です。つまり死は醜いものなんです」
「ふむ」
じいさんは再び髭をなでた。
「ところでお主、さっきから何でそんな変な顔をしておるんじゃ?」
じいさんは不思議そうに尋ねてきた。俺はじいさんの言っている意味がわからなかった。
「ほれ」
じいさんが鏡を差し出してきた。鏡に映る自分の顔を見て俺は驚いた。
「…………醜い」
ものすごく、あの溺れていた人よりも醜かった。自分がこんなにも醜い顔をしていたなんて……。
そうか、俺は死んだ生物や死にそうな人を哀れむことで、醜い自分を隠していたんだ。本当に醜いのは死じゃなくて、死を傍観する生きた人々のほうだったんだ。生きていることをさも当たり前のように感じ、身近な死をさげすむことで死を否定しようとする姿こそが、その姿を隠そうと「かわいそう」と言ってみたり、「大丈夫?」と心のこもっていないセリフを吐く姿こそが、醜いんだ。
「バリン!!」
俺は鏡に映る醜い自分の顔に渾身の右ストレートをぶち込んだ。右手から真っ赤な血が滴り落ち、白黒の世界を赤で染めた。そこで目が覚めた。