第65話 隣国薬屋の令嬢
隣国の小さな町。教会の鐘の音が朝の静寂を破る中、キャサリン・フラン男爵令嬢は一軒家の窓辺に立ち、町の景色を見渡していた。脱走後、側近たちとともに身を潜めているこの地は、王都からの追跡も容易ではなく、彼女にとって安全な拠点となっている。
「ここなら、少なくとも王都の目は届かない……」
側近たちは忠誠心に突き動かされ、キャサリンの指示の下で生活の基盤を整えていた。アルトは財産管理、ビンセントは護衛、ゲオルグは地理と移動手段、ニコルは物流と物資の手配を担当。忠誠心の暴走は、かえってこの隣国での行動を円滑にする力となっていた。
キャサリンの視線は、机の上に置かれた数冊の書物に落ちる。前世で学んだ薬学、漢方の知識、化学反応の理解――すべてが彼女の頭の中に鮮明に残っている。王都での心理戦や忠誠心操作の経験と合わせれば、この隣国での薬屋開業は、単なる生計手段ではなく、戦略の一環となる。
「まずは風邪を予防する薬、漢方薬の試作からね……この町で信頼を得るには、健康を提供することが一番手っ取り早い」
キャサリンは微笑む。彼女の計画は明確だ。王都での混乱や側近たちの暴走忠誠に関係なく、隣国で自立した経済力と影響力を構築する。薬屋を開くことで、町の住人や貴族たちの信頼を得ることができる。信頼は金銭以上の力であり、次に王都や乙女ゲーム続編で自らの存在を強くするための布石でもある。
早速、町の薬材店や市場を回り、原材料を揃える。生姜、桂皮、甘草、山椒、シナモン、棗――風邪予防に有効な薬草や材料は、現地の薬屋で手に入る限り集めた。アルトが材料のリストを整理し、ニコルが在庫管理と仕入れを担当。ビンセントとゲオルグは安全管理や作業効率のチェックを行う。
「温度と分量、抽出時間……これをきちんと管理すれば、効能にばらつきは出ないはず」
キャサリンは小さな乳鉢を手に、材料を慎重に砕き、計量し、煎じる。香りの確認、色の変化、煎じ時間の微調整――すべて前世の知識に基づく科学的判断だ。側近たちは忠誠心を全開にして作業をサポートする。アルトがフラスコを差し出し、ビンセントが火加減を調整し、ゲオルグが手順を確認し、ニコルが材料を正確に秤で計量する。
「効能の確認も忘れずに……副作用があれば即座に調整よ」
キャサリンは慎重だ。前世の知識を活かし、科学的に正確な薬を提供することが信頼を得る第一歩だと理解している。王都での心理戦とは異なるが、健康を提供することで町の住民や貴族の間に影響力を築くことは可能だ。
完成した薬は小さな瓶に入れられ、側近たちによって丁寧にラベルが貼られる。「風邪予防」「体力増強」などの効能を明記し、視覚的にも信頼性を示す。
「これで町の人々の健康を守ることができる……そして薬屋の評判も上がるはず」
キャサリンは微笑む。漢方薬の販売を通じて、彼女は隣国での地位を固め、王都における将来の影響力も増幅させるつもりだ。さらに、薬屋を通じて住民や貴族の動向、王都の情報を収集し、次の心理戦や乙女ゲーム続編での戦略に役立てることができる。
王太子やマリアンヌが王都で秩序回復に努める中、キャサリンは隣国で静かに力を蓄えていた。忠誠心に突き動かされる側近たち、前世の知識に基づく正確な薬作り、そして町の信頼の獲得――これらはすべて、彼女が次に王都に圧力をかけるための準備であった。
「この薬屋が成功すれば、私の影響力はさらに広がる……王都も、続編のゲーム世界でも、私の存在を無視できなくなる」
キャサリンは遠くの教会の塔を見上げる。鐘の音が静かに響く中、彼女の心は冷静かつ熱く燃えていた。脱走劇、側近の忠誠心、前世の知識、そして薬屋――すべてが次なる策略の一部であり、乙女ゲーム世界での彼女の立ち位置を強化するための布石だった。
この一軒家の薬屋は、風邪予防の漢方薬を提供するだけの場所ではない。キャサリン・フラン男爵令嬢が、前世の知識を駆使し、隣国の地で影響力と経済力を蓄え、心理戦の次の舞台に向けて着実に歩みを進める戦略拠点なのである。




