第51話 奪われた忠誠と失望の夜
王都の夜、王家の書斎に王太子は深く腰を下ろし、眉をひそめていた。
「……側近たちが、まるでキャサリンに心を奪われてしまったかのようだ」
マリアンヌも同席していた。筆頭公爵家の令嬢として、領地経営や事業で磨かれた知性と洞察力を持つ彼女だが、この状況には眉を寄せずにはいられなかった。
「王太子殿下、私も側近たちの様子を見てきました。キャサリンの影響力は計算高く、あの涙や無防備な仕草で心理的に完全に心を引き寄せています……」
王太子は肩を落とす。側近たちを信頼していたはずなのに、こうも簡単に心を揺さぶかれるとは、想像以上だった。
「だが……俺たちはあきらめるわけにはいかない。側近たちは俺の忠誠心を誓った者たちだ。放ってはおけない」
マリアンヌは微かに唇を噛む。彼女自身も、側近たちの感情や忠誠心を一度自分に向けていた経験がある。心理戦の怖さを誰よりも知るマリアンヌだからこそ、王太子の焦燥に共感した。
二人は作戦を練り、翌日、学園内で側近たちに直接接触することを決めた。アルト、ビンセント、ゲオルグ、ニコル――彼らはキャサリンの影響下で微妙に態度を変え、無意識に彼女を優先している。
王太子とマリアンヌは側近たちを順番に訪ね、呼びかけた。
「アルト、君は本当に俺の忠誠心を忘れたのか?」
アルトは一瞬口ごもり、キャサリンのことを思い出して視線を逸らす。ビンセントもまた、表情を硬くしつつも心は揺れる。ゲオルグとニコルも同じだ。
「王太子殿下……私たちは、キャサリン様のことを……」
言葉が途切れる。マリアンヌは苦い顔をする。彼女も心の中で、側近たちが感情で動いてしまっていることに気づいていた。理性では戻らせようとしても、心理的な依存や信頼が先に立ってしまうのだ。
「……どういうことだ、みんな。俺たちは共に戦い、共に学んできたのではないか!」
王太子の声に、側近たちはかろうじて反応する。しかし、その反応は心の奥底にキャサリンが作った柔らかい壁に阻まれて届かない。アルトは小さく息を吐き、ビンセントは拳を握るが言葉にならない。
マリアンヌは静かに側に立ち、王太子の肩に手を置く。
「王太子殿下……今は焦らない方がいいです。彼らの心はまだ完全に奪われているわけではありません。ですが……あの少女の影響力を侮ってはいけません」
王太子は唇を引き結ぶ。焦燥と苛立ち、そしてわずかな失望が入り混じる。マリアンヌの言葉を聞きながらも、側近たちがすぐには戻らない現実に胸が重くなる。
翌日、王太子とマリアンヌは再び学園に向かう。だが、キャサリンはすでに側近たちの心理を巧みに固め、彼らを自分の補佐として機能させていた。視線、仕草、声のトーン、距離感――すべてが計算されている。側近たちは王太子の言葉に反応するものの、体や心の動きはキャサリンに無意識に引き寄せられている。
「……やはり、簡単には戻せないか」
マリアンヌはため息をつき、王太子に目を向ける。
「王太子殿下、私も……側近たちの心の壁を壊すには、時間が必要です。焦れば焦るほど、彼らの心は遠ざかるでしょう」
王太子は肩を落とす。しかし、諦めるわけにはいかない。側近たちは彼の忠誠心を示す存在であり、国や学園の秩序に欠かせない存在だからだ。
夕暮れ、学園の塔の上から見下ろす中庭。キャサリンは側近たちと共に微笑み、自然に指示を出している。王太子とマリアンヌの存在は視界にあるが、心理的な優位は完全にキャサリンにある。
「……これほど巧みな策士だったとは……」
王太子は心の中でため息をつく。マリアンヌもまた、側近たちの心の動きに失望しながらも、冷静に次の手を考え始める。
「側近たちを取り戻すのは、容易ではありません……」
しかし二人は諦めない。心理戦はまだ終わっていない。王太子は忠誠を取り戻すため、マリアンヌは策略と知識を駆使して側近たちの心を正しい方向に導くため、暗い夜の学園を背に再び行動を開始するのだった。




