第32話:お題は密室殺人事件
俺たちは再び伯爵邸へ招かれた。
今日はお茶会だ。
招いてくれたのは辺境伯の娘、カリミナ。この深窓の令嬢にすっかり気に入られてしまったようだ。
悪い話ではない。彼女と、その父である領主に好感を持たれれば、この街での暮らしは格段に楽になる。
この世界は良くも悪くもコネがものを言う。研究環境、素材の調達、厄介事の回避。権力は便利に使える。
帝都にいたときのように、不条理に耐える必要も無くなる。
案内された中庭には、すでに白いテーブルが用意されていた。
陽光を受けてきらきらと揺れる噴水の水面。その傍らで、カリミナ嬢がこちらを見つけ、ぱっと表情を明るくする。
「お待ちしておりましたわ、ハイド様」
淡い色合いのドレスに、背中まで流れる長い金髪。
頬には血色が戻り、瞳にも生気が宿っている。健康を取り戻したことが、一目で伝わってきた。
「お招きいただき、光栄です」
「まあ、そんなに改まらなくても。今日は楽しいお茶会ですのよ?」
俺だけでなく、シャーリニィとナトの席まで用意されている。
席につくと紅茶が配られた。
ナトは緊張した様子で、シャーリニィはいつも通り無表情のまま、椅子に腰を下ろす。
向かいに座ったカリミナ嬢は、興味深そうにこちらを覗き込んできた。
「今日は、どんなお話を聞かせてくださるのです?」
彼女はもともと推理物が好きだったが、どうやら、先日の白粉の推理が彼女の琴線に触れたらしい。
「推理物がお好きなのですね」
「ええ。謎が解ける瞬間が、とても素敵ですもの」
期待に満ちた視線を受け、俺は懐からメモ帳を取り出す。
「それでは、さっそく」
話し始める。前世で読んだ推理小説を、この世界向けに改変したものだ。
ある屋敷の一室で、屋敷の主人が遺体で発見された。
窓は内側から施錠され、扉も内側から閂が掛けられている。
外部からの侵入経路はない。にもかかわらず、被害者は確かに殺されていた。
典型的な密室殺人事件だ。
「まあ、王道ですわね」
「カリミナ様には、事件の真相を推理していただきたいと思います」
問いを投げると、カリミナ嬢は顎に指を当て、真剣な顔で考え込む。
ナトもつられて腕を組み、首をひねる。
シャーリニィは興味が薄いらしく、出された焼き菓子を淡々と口へ運んでいる。
「鍵の仕掛け……ですか?」
「魔術とかは?」
「魔術や、錬金術、一般に知られていない手法などは使われていません」
ヒントを与える。
「部屋の中に、不自然なものがいくつかありました」
「不自然なもの……?」
「一つは、水です」
「水?」
首を傾げるカリミナ嬢。
「ドアの前の床が濡れていたのです。もちろん、雨漏りなどではありません」
「ほかには?」
「暖炉には大量の灰が残されていました。発見者が部屋に入った時は、部屋はまだ暖かかったのです」
カリミナ嬢は顎に指を当て、真剣な表情で目を細める。
可憐な仕草だが、その瞳は鋭い。状況を一つずつ整理しようとしている。
「まず……侵入経路がないという前提が本当かどうか、ですわね」
静かに言葉を紡ぐ。
「窓も扉も内側から閉ざされていた。でしたら、犯人は最初から室内にいたか、あるいは、閉ざされたように見せかけた、か」
ナトが目を丸くする。
「そこから疑うんですか?」
「ええ。密室という言葉に惑わされてはいけませんわ。事実と、解釈は分けて考えるべきですもの」
ほう。
俺は内心、感心する。
状況を鵜呑みにしない。与えられた前提を疑う。
「不自然なものは、水と灰……」
彼女は視線を宙にさまよわせながら、続ける。
「水が床にある理由を考えるべきですわね。偶然ではなく、意図的にそこにあると考えるなら……」
そして、ハッと顔を上げた。
「もしかして、融けたんですの?」
「……あ!」
カリミナのつぶやきにナトも声を上げた。
「例えばですが……」
推理を始めるカリミナ。
「ドアの閂を氷で支え、部屋を出た後に扉を閉める。
時間が経てば氷は融け、閂が落ちて密室が完成する。
暖炉の灰は、部屋を温めて氷を早く融かすため」
ずいっと俺に迫る。
「どうでしょう?」
自信満々で彼女の瞳が俺を見つめる。
「ふっ……正解です」
「やりましたわ!」
「なるほど……」
ナトは感心した様子で頷く。
「……?」
シャーリニィはピンときていない様子。魔法で何でも解決できる彼女は、人族の小細工がイメージし辛いのだろう。
カリミナ嬢の瞳がきらきらと輝く。
「そんな発想があったなんて……とても面白いです!」
身を乗り出し、声を弾ませる。その仕草が無邪気で、思わず笑みが浮かぶ。
そんな中、ふと、視線の端に動く影があった。
屋敷の回廊。柱の陰から、こちらを静かに見ている人影。
整えられた髭の男性。伯爵だ。
表情は読めないが、偶然通りかかったという雰囲気ではない。最初から様子を見ていたように思える。
なるほど。
今日の茶会、ただのお嬢様のわがままではないらしい。
伯爵は、娘の様子を測っている。
視線が一瞬だけ、こちらと交差した。すぐに逸らされたが、その目は静かに笑っていた。
試されているのは、カリミナ嬢だけではないのかもしれない。
俺は何にも気づいていない風を装って話を続ける。
「では、二つ目」
「まだあるのですの?」
「今度は、少し意地が悪い話です」
「何でも解いてみせますわ!」
自信満々な宣言に、俺は苦笑しつつ語り出す。
俺はもう一つの事件を語る。
ある殺人事件。手記形式で進む物語。
語り手は誠実で冷静な人物。読者は自然と彼を信じる。
少女たちは推理を重ねるが、核心に届かない。
「分かりませんわぁ……」
観念した様子で肩を落とす。
「では種明かしです。犯人は――語り手自身でした」
説明する。語り手が確信を誤魔化していたことを。巧妙に、真相から遠ざけていたことを。
いわゆる『信頼できない語り手』のネタだ。
「……まあ!」
一瞬きょとんとし、次の瞬間、カリミナ嬢は頬を膨らませた。
「そんなの、反則ではありませんか! 信じて聞いておりましたのに!」
ぷっくりと頬を膨らませる仕草も可愛らしい。
「でも、面白いでしょう?」
「むう……」
しばしの沈黙。
唇を尖らせながらも、やがて堪えきれずに笑みがこぼれる。
「ええ、とっても!」
弾む声。揺れる金髪。
病に伏していた少女とは思えぬほど、生き生きとしている。
お嬢様とのやり取りを楽しんでいると、屋敷の方から足音が近づいてきた。
視線を向けると、整った髭を蓄えた伯爵の姿。
ナトが慌てて立ち上がった。
シャーリニィは、俺が立ち上がるのを見てから仕方ないという風に腰を上げる。
「よく来てくれたね、ハイド殿」
穏やかな声だが、当主としての威厳は隠しきれない。
「お招きいただき、ありがとうございます」
軽く礼をする。
「あらお父様。今日は執務でお忙しいのではありませんでしたの?」
カリミナ嬢が不思議そうに首を傾げる。
「その予定だったがね。ハイド殿が来ていると聞いて、ちょうど良いと考えてね」
視線がこちらへ向けられる。
やはり、世間話をしに来たわけではないらしい。
「実は、少し頼みがある」
穏やかな口調のまま、空気がわずかに引き締まった。
「カリミナの勉学についてだ。病に伏していた間、予定していた課程が滞っていてな」
カリミナ嬢が小さく肩をすくめる。
「貴族教育の一環として、近隣の街で領地経営を学ばせる予定だった。実地での視察と、簡単な判断の訓練だ」
なるほど。机上の理屈だけでなく、実地で学ばせる方針か。
この伯爵家が安定している理由が垣間見える。
「体調も安定している。そろそろ再開してもよい頃合いと判断した」
邪教徒らしき者も街から姿を消し、警備にも余裕が出ているという。
不安材料は、今のところ少ないらしい。
伯爵は続ける。
「それで、だ。ハイド殿に同行を願えないかと思っている」
思わず眉をわずかに上げる。
「同行、ですか」
「うむ。主に助言役だ。君の発想力には驚かされる。娘にとっても良い刺激になるはずだ。もちろん、それなりの報酬は用意しよう」
カリミナ嬢がぱっと顔を輝かせた。
「ハイド様、ご一緒してくださるのですか?」
期待を隠さない声音。
具体的な期間と訪問先を確認する。領地の端の街まで、期間は約一ヵ月。
悪くないな。
新しい研究素材も手に入るかもしれない。単なる旅行としても楽しめる。
それに、伯爵家との関係をさらに強められる。彼らは俺に過剰な干渉はしてこない。俺にとって、非常に都合の良い権力者だ。
……カリミナ嬢は可愛いし。
シャーリニィやナトとはまた違った魅力がある。
カリミナがどのような貴族になるのかは分からない。けれど、彼女の成長に俺が関わるというのは、面白そうな話だ。
「そういうことであれば、お引き受けします」
一呼吸置いて答える。
カリミナ嬢が嬉しそうに微笑む。
「感謝する。娘を頼む」
「お任せください」
視察という名の小さな旅。
令嬢の教育が主だが、俺にとっても、楽しい旅になってくれそうだ。
カリミナ「推理小説のお話、他には何がありますの?」
主人公「(そろそろネタが尽きてきたな)それでは、不思議な薬で子供の姿に変えられてしまった名探偵のお話を……」
カリミナ「まあ! とっても面白そうですわ!」




