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第31話:名探偵ハイド

 伯爵令嬢カリミナの病気を調べ続ける。

 一通り、症状と状況は判明した。問題は原因。


 思考を巡らせるうち、一つの可能性が浮かび上がった。

 俺の視線が、彼女の白く整えられた頬へと向かう。


「化粧品などについて教えてください」

「化粧品、ですの?」

「はい。奥様と違うものを使っていたりしませんか?」

「お母様と違うものですか……」


 カリミナ嬢は少し首を傾げ、考え込むように視線を宙に漂わせる。


「ほとんどはお母様と同じものを使っていますけれど……ああ、いくつかは別のものですわ」

「ひょっとして、白粉おしろいなどでは?」

「まあ! 正解ですわ!」


 カリミナ嬢は目を丸くし、ぱっと表情を明るくした。


「どうしてお分かりになりましたの?」

「いくつか、思い当たる点がありまして」


 俺はそう答えながら、内心ではほぼ答えに辿り着いていた。

 日本の歴史でも、白粉に鉛白が使われていた。それを用いた役者たちが毒に蝕まれた、という話を聞いたことがあったのだ。

 もちろん、前世の記憶などとは言えるはずもない。その辺りは曖昧にごまかす。


 メイドが化粧棚から小さな壺を取り出し、差し出してくれる。

 それを受け取り、中身を見てみれば、細やかで真っ白な粉。


「とても美しい白さでしょう? 最近、商人が持ってきたものなのです。気に入って愛用しておりますわ」


 話を聞けば、その白粉は最近になって発明され、売りに出された品だという。

 伯爵夫人は従来通りの化粧品を使い続けており、新しい白粉を使っているのはカリミナ嬢だけだった。


「これが、病気の原因の可能性があります」

「白粉が?」

「そんな、まさか!」


 伯爵や執事が驚きの声を上げる。

 化粧品を納めている商会は、先代伯爵の代からの付き合い。信用に足る相手だという。不審な点など考えられない、ということだ。


「正確には、この白粉に含まれている成分です。鉛が使われている可能性があります」

「鉛は、毒なのか」


 伯爵が疑問を口にする。


「ええ。お嬢様の症状は、鉛中毒のそれと酷似しています」


 伯爵は即座に判断を下した。

 メイドたちが慌ててカリミナ嬢の頬や首元についた白粉を拭き取っていく。

 まだ確信には至っていない。それでも、可能性がある以上、今まで通りに使い続けることはできないだろう。

 それを見ながら、俺は伯爵と話す。


「原因が白粉だとすれば、なぜ担当医は鉛に言及しなかったのだ?」

「それは……その医師の方と話させてもらえますか?」

「分かった」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 医師控室へと案内される。

 そこは屋敷の奥まった一角にあり、窓は小さく、薬草と消毒薬の匂いが混じった空気がこもっていた。


 部屋の中央に机があり、その向こうに年配の医師が座っていた。

 白衣は清潔だが、ところどころに使い込まれた皺があり、長年この屋敷に仕えてきたことが一目で分かる。頭頂部は薄く、額には深い皺が刻まれていた。


「こちらが、娘を診てきた医師だ」


 伯爵の紹介に、医師は立ち上がり、形式的な礼を取る。

 俺は錬金術師であることを告げ、切り出す。


「予想されていると思いますが、お嬢様の病気の件です。単刀直入に伺います。鉛中毒の可能性については、検討されましたか」


 空気が一瞬、張り詰めた。

 医師の眉がわずかに動き、口元が強張る。


「……錬金術師殿。医療の領域に、軽々しく口を出されては困りますな」


 口調は丁寧だが、拒絶の意思が感じられる。


「素人は、黙っていていただきたい」


 俺は銀のペンダントを取り出し、見せる。


「私は医師ではありませんが、素人でもない」


 このペンダントは帝国認定の錬金術師の証明。そこに示されている階級は――


「一級か……」


 医師は苦虫をかみつぶしたような顔をする。適当にごまかせる相手ではないと理解したのだ。


「鉛中毒とは、どういうものなのだ」


 伯爵が割って入り、問いかける。


 俺は説明する。


「鉛は体内に少しずつ蓄積し、神経や内臓を蝕みます。即効性はありませんが、長期間摂取すれば確実に身体を壊す。お嬢様の症状と一致します」


 医師は否定しない。しばらく黙り込み、視線を逸らしていた。

 机の木目を見つめるその姿に、逡巡がありありと浮かんでいる。


「……確証がありませんでした」


 ようやく絞り出すように言う。


「可能性としては、考えました。しかし、断定できなかった。無用な不安を煽るだけになると判断しました」


 俺は問いかける。


「ひょっとして、リード侯爵家ですか?」


 沈黙。

 やがて、医師は重く息を吐いた。


「リード? 何故その名が出てくる?」


 俺は説明する。

 リード侯爵領には鉱山があり、鉛を素材とした食器を名産品としている。

 鉛の有害性を騒ぎ立てれば、その貴族の不興を買う。

 だから医師や錬金術師の間では、鉛の危険性に関して積極的に触れない。暗黙の了解となっていた。


 錬金術学園でも鉛の有害性は教えられたが、それは教科書の隅に小さく書かれていただけ。

 大きな声では語られていなかった。


 そもそも、貴族や富豪は鉛よりも美しい銀食器、あるいは磁器を用いることが多い。

 問題が表面化しにくかったのだ。


 この医師も、鉛害の可能性には気づいていた。

 だが確証がない以上、口にすれば貴族の機嫌を損ねるだけになる。だから言及できなかった。

 黙って原因となる鉛製品を排除できれば、それが最善だったのだ。


 彼を責めることはできないだろう。実際、彼は職務に忠実だった。

 食事、食器、調理器具に至るまで、鉛が含まれていないことを徹底的に確認していたのだから。


 盲点だったのは、白粉。

 最近売りに出されたばかりのそれに、鉛が含まれていることを彼は知らなかった。


 一方で、美容品業者にも悪意はなかった。

 白く、美しいという理由だけで鉛白を用い、それが毒だとは知らなかったのだ。

 錬金術師や医師が、鉛の有害性を発信していなかったせいで。


 誰かが悪意を持っていたわけでもない。

 貴族に対する忖度が招いた、不幸な事故だったのだ。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 数日後、伯爵から一通の手紙が届いた。

 そこには、カリミナ嬢の容体が明確に回復へ向かっていることが記されていた。食欲は戻り、朝には自分で庭を歩けるほどになったという。長く続いていた倦怠感も薄れ、顔色も見違えるほど良くなったらしい。


 俺の方でも確認は取れている。

 譲り受けて持ち帰った白粉を分析したところ、鉛成分が検出された。

 やはり、原因はあの白粉だったのだ。


 ひとまず、病気の件は解決した。

 少女の命を蝕んでいた原因は取り除かれ、あとは回復を待つだけだ。

 だが、胸の奥に引っかかるものが残っている。


 伯爵夫人が身に着けていた、あの首飾り。

 呪いを宿したあの装身具について、伯爵は徹底的に調査を行ったらしい。

 夫人に首飾りを渡した人物の素性もすぐに割れた。

 だが、兵士が身柄を確保しに向かった時には、すでにその姿はなかったという。


 家には、いくつかの呪具が残されていた。それらの性質から、邪神を信奉する邪教徒ではないか、という推測がなされた。

 だが結局、本人の行方は掴めず、事件は迷宮入りしたかに思われた。


 そんな折だった。

 アトリエを訪ねてきたのは、一人のエルフ。

 金色の髪を短く整えた、少年のような外見。年の頃は若く見えるが、実年齢はどれほどか。

 この街に住むエルフたちの代表、ヘリオスだ。

 彼は俺とシャーリニィの前で恭しく頭を下げ、語る。


「ご報告に参りました」


 背筋を正し、静かな声で続ける。


「この街に潜伏していた、邪神を信奉する邪教徒を処理いたしました」


 処理。

 つまりそういうことか。物騒な話だ。

 邪教の排除は先日、シャーリニィ自身が命じたことでもある。


 彼女は邪教徒を毛嫌いしている。正確には、邪神と、それに連なるすべての存在を。

 それも致し方ない。彼女の故郷は、邪神の使徒である魔王に滅ぼされたのだから。魔王に従う邪教徒を滅ぼそうとするのも当然である。


 そして、結果的に話がつながった。

 あの時、シャーリニィが放った命令。邪教徒を消せという、乱暴な指示。

 それが、こういう形で結果をもたらしたのだ。


 邪教徒の狙いは、結局のところ不明なままだ。

 カリミナ嬢の病につけ込み、夫人を操ろうとしたのか。あるいは伯爵家そのものに、何らかの工作を仕掛けようとしていたのか。

 いずれにせよ、ろくでもない企みであることは間違いない。


「ご苦労。もう帰っていい」


 シャーリニィの声は、いつも通りにそっけない。そこには何の感情も見当たらなかった。

 彼女にとっては、害虫駆除の報告に過ぎないのだろう。


「はっ」


 ヘリオスの方も、特に大きな反応を期待していたわけでもなさそうだ。

 再び平身低頭し、音もなくアトリエを後にした。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 後日、再び伯爵邸を訪れた。

 目的は当然、カリミナの容態の確認のため。


 案内されたのは屋敷の中庭。

 柔らかな陽光が石畳を照らし、噴水の水音が静かに響いている。初夏の風に揺れる木々の葉が、心地よい影を落としていた。


 そんな緑の中央、白いテーブルの前に彼女はいた。

 ティーカップを手に、こちらに気づけば、ふわりと表情をほころばせる。


 初めて会った時に感じた、あの儚さはもうない。

 血色の戻った頬。澄んだ瞳。健康的な美しさ。健やかな少女の姿だった。


「お久しぶりですわ、ハイド様」


 微笑みとともに向けられる挨拶に、思わずこちらも口元が緩む。

 間違いなく、自分の働きによってこの少女が救われたのだと思えたから。


 傍らには伯爵夫人もいた。

 彼女は俺に向き、優雅に頭を下げる。


「先日は、無礼な態度を取ってしまいました。そして、本当にありがとうございます」


 娘の病の原因を突き止めたこと。

 自分が身に着けていた呪具を暴いたこと。

 一つ一つを噛みしめるように、丁寧に礼を述べる。


「いえ。結果が出たのなら、それで」


 正直なところ、これほど丁寧に頭を下げられると、居心地が悪い。

 俺は話題を切り替えるように、一つの小箱を取り出す。


「こちらは、回復祝いということで」

「まあ!」


 箱を開けた瞬間、カリミナ嬢の声が弾む。


「白粉です。もちろん、鉛白は使っていませんので、健康への影響もありません」


 代替品ではあるが、鉛白と同等の白さを誇る。


「とても綺麗ですわ。お肌への乗りも、こんなに」


 嬉しそうに試すカリミナ嬢を見て、夫人も目を細める。

 どうやら、気に入ってもらえたようだ。


 俺は続けて、執事に一枚の紙を渡す。


「こちらが配合レシピです。これを参考にすれば、業者でも再現できるかと」


 酸化亜鉛を用いた処方だ。この程度なら、並以上の錬金術師であれば問題なく扱えるだろう。

 酸化チタンを用いればもっと良い白粉が作れるのだが、それでは俺以外には作成が難しい。現実的ではないだろう。

 妥協案として、こちらを選んだ。


 するとカリミナ嬢がふと首を傾げる。


「あら? ハイド様が、また持ってきてくださるのではないのですか?」


 小さく、こてん、と。

 可愛い。

 美しい令嬢にそんな仕草をされては、大抵の男は恋に落ちてしまうのではなかろうか。


「申し訳ありません、自分はあくまで、錬金術師ですので」

「残念ですわ」


 おほほ、と夫人が上品に笑う。娘の戯れと楽観視しているのか。

 健康を取り戻した母娘は、以前よりも一層、美しさに磨きがかかっていた。


「それにしても、白粉が原因と突き止めたハイド様は素敵でしたわ! まるで探偵のようでした!」


 どうやら彼女は、推理物の物語がお気に入りらしい。


「他のお医者様たちが全く気づかなかった原因を突き止めるだなんて! あなた達もそう思いますわよね?」

「え、あ、はい! 師匠はすごい人です!」


 話を振られたナトは慌てて答える。


「ご主人様だもの。当然よ」


 続いて口を開くシャーリニィ。

 普段無口で人間を無視しがちな彼女も、俺のことになると積極的に反応する。


「やっぱりそう思いますわよね!」


 少女たちの笑い声が中庭に広がった。

 噴水の音と共に、穏やかな時間が流れていく。


 カリミナ嬢の病気は癒えた。婦人を狙った呪具も取り払われた。

 だが、まだまだ不明な点も多い。邪教徒の狙いも、すべてが解明されたわけではない。


 しかし少なくとも、今この時この街が、平和になっているのは間違いない。今はそれで十分だろう。

 俺はそう、自分に言い聞かせた。


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王水といい鉛といい何者か作為的な情報操作を感じずにはいられない(迷推理)
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