第30話:金の悪意と白い罠
ある日、アトリエに一通の手紙が届いた。
差出人はロディーム辺境伯。用件は簡潔で、屋敷へ来てほしいというものだった。
何の用件だろう。
心当たりとしてはやはり、ドワーフの鍛冶師ジルバが患っていた冒険者病を治療した件か。治療法の存在しないとされていた病気だ。
名匠として有名なジルバの作品は、冒険者だけでなく騎士や貴族たちの間でも人気だという。
であれば、領主の耳に入っても不思議ではない。
なるべく早く来て欲しい、という事だったので、翌日すぐに領主館へと出向く。
応接室で出迎えたロディーム伯。しかしその表情は、以前会った時よりも心労の色が濃い。
「よく来てくれた、ハイド殿」
形式的な挨拶を交わした後、雑談のように話題を振った。
「冒険者病の治療が実現したそうだな」
「ええ。ただし、誰にでも勧められるものではありません。治療費も高額になります」
「そうか。それはまあいい」
本題ではないらしい。
辺境伯の回りの人間なら質の良いポーションを使うだろう、そもそもポーションを何度も使うような機会は無い。冒険者病の可能性は低い。
「君は、治療不可能と言われている病も治せるのだな」
「特別な事は何もしていませんよ。薬の効能も、既知のものです」
「それでも、他の医師や錬金術師が成し得なかった結果を出した」
「それは、そうですね」
それは否定しない。
この世界においては、少しばかり珍しい発想を用いたのは確かだ。
「頼みがある」
「はい」
来た。本題だ。
「娘を診てほしい」
「娘さん、ですか」
「そうだ。ここ半年、体調がすぐれなくてな。医者にも錬金術師にも診せたが、原因が分からん。日に日に衰えていく」
娘? 辺境伯令嬢か。
冒険者病ではないだろう。
「なぜ私に?」
「他の者に治せなかった病を癒した。その力を買っている」
ジルバの件を知り、最後の望みとして俺を呼んだらしい。
他にすがれそうな綱は尽きたという事か。
「お役に立てるかは」
「構わん」
症状を聞く。
食欲不振、慢性的な倦怠感、手足の痺れ、肌のくすみ、時折の吐き気。魔力的な異常は確認されていない。
上級ポーションを飲ませれば一時的に症状は治まるが、またすぐに悪化するという。
話を聞きながら、いくつかの単語が頭に浮かぶ。
微量の毒性物質が、長期間体内に蓄積したときの症状だ。
「それだけではなんとも……直接診させてもらっても?」
「もちろんだ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
伯爵に案内され、屋敷の奥へと進む。
広い廊下を歩く伯爵の背中は、わずかに丸まっていた。領地経営の重圧とは別種の不安と苦労が、隠しきれずに滲んでいる。
通されたのは患者の寝室。
大きな窓から柔らかな光が差し込み、白いカーテンが静かに揺れている。調度は高価だが、嫌味のない落ち着きがある。
ベッドに上体を起こして座る金髪の少女。
白磁のような肌、淡い瞳。薄化粧の下でも血色の乏しさは隠せない。それでも、こちらを見て柔らかく微笑んだ。
この少女が患者か。
そしてベッドの傍らには、少女よりはお年を召した女性が椅子に腰かけていた。
少女とよく似た金髪。目元に刻まれた皺には、ここ最近の心労が見受けられる。おそらく患者の母、伯爵夫人だろう。
「ハイド殿、妻のイリジナ、そして娘のカリミナだ」
伯爵の紹介に、夫人は小さく会釈をし、少女はにこやかに微笑んだ。
「あら、あなたが新しいお医者様?」
対照的に夫人は警戒の視線。
「はじめまして。錬金術師のハイドと申します」
「今さら錬金術師など……それよりあなた、知り合いが、よく当たる祈祷師を紹介できると」
「イリジナ、そんな怪しげなものに頼るのはやめろ」
伯爵にたしなめられて夫人は唇を噛み、視線を伏せる。その仕草だけで、彼女がどれほど追い詰められていたかが伝わった。
祈祷師、ね。
胡散臭い話ではあるが、そこまで追い詰められていたのだろう。医師にも錬金術師にも見放された末であれば、縋れるものに手を伸ばすのも無理はない。
それに、と伯爵は続けた。
「彼は他の者とは違う視点を持っている」
俺に期待しているのは、他の人間とは違う発想力か。
「……ハイド殿、妻が失礼した」
「いえ、構いません。それでは、診察を」
空気を切り替え、俺はベッドの少女に向き直る。
「よろしくお願いしますね、ハイド様」
カリミナはそう言って、小さく微笑む。その仕草ひとつにも、育ちの良さが滲んでいた。
視診、問診を進める。息は浅く、脈は弱い。肌の色、唇の色、瞳の焦点。どれも微妙に異変を示しているが、決定的なものはない。
次にナトに視線を向けた。
「ナト、触診を頼む」
「は、はいっ」
ナトは緊張した面持ちでカリミナの傍に立つ。
医療行為とはいえ、俺は医者ではないのだ。伯爵令嬢に触れるのは避けたい。女手があるのだから、任せる方が無難だ。
「失礼します……」
ナトの手は少し震えていた。
伯爵令嬢、本来であれば雲の上の人間だ。緊張しない方が無理だろう。それでも動きは丁寧で、教えた通りに腹部や腕を確認していく。
その様子を、カリミナは興味深そうに眺めていた。
一方で、シャーリニィは落ち着かない様子で、部屋の中を見回していた。調度品、壁、天井、そして人。
まるで何かを探しているようだ。
嫌な予感が、薄く胸をかすめた。
しかし今は患者を診るのが先決。俺は診察を続ける。
「ご主人様。あの人、臭います」
と、思っていた矢先、突拍子もない一言。
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
視線を辿ると、シャーリニィは伯爵夫人を真っ直ぐ見ている。
「な!?」
伯爵夫人が息を呑み、目を見開く。
「シャーリニィ、なんてことを――」
無礼にもほどがある。
叱責しかけた俺の言葉を遮るように、彼女は夫人を真っ直ぐに指差した。
「違う。人じゃない……その首飾り」
指先が示したのは、夫人の首元。
金の鎖に大粒の宝石をあしらった、華美なネックレス。格式ある伯爵家の装いにしては、不釣り合いかもしれない。
「え……?」
夫人が戸惑い、皆の意識が宝石へ向いた。その瞬間。
シャーリニィの額の神石が、淡く光る。
乾いた音が室内に響いた。宝石の表面に、細かな亀裂が走る。
「なっ!?」
そのまま、首飾りは砕け、床に散乱した。
エルフの少女の突然の凶行に、伯爵側の人間は色めき立つ。メイドが悲鳴を上げ、執事が夫人とカリミナを庇うように前に出る。
緊張が爆発寸前まで高まった。
「シャーリニィ、何を!」
俺も声を荒げるが、異変はそれだけでは終わらなかった。
砕けた宝石の欠片から、黒い霧が立ち上る。空気を汚すような、不快で邪悪な気配だ。
素人目にも、はっきりとわかる。あれは、良くないモノだ。
だが、シャーリニィが指先を払うと、霧は薄れ、空気に溶けるように消えた。
部屋に沈黙が満ちる。
何が起きたのか理解できずにいた。
「……シャーリニィ、今のは?」
「呪いの一種です。身に着けた者の不安を煽り、判断を鈍らせるものと思われます」
「カリミナ嬢の病の原因か?」
「そこまでの力はありません」
シャーリニィは俺の質問に淡々と答える。
それがかえって、事態の深刻さを際立たせていた。
「セバス、どう思う?」
「今のを見る限り、そのエルフの少女の語る通りかと」
伯爵は執事に確認。
答えは、シャーリニィの言葉を肯定する物だった。
「イリジナ。そのネックレスは、どこで手に入れたものだ?」
伯爵の質問。動揺を抑え、状況を把握しようとしている。
「さ、先ほど言っていた知人から……身に着けていれば心が軽くなり、願いが叶うと……」
夫人の声は震え、消えてしまいそうなほど。
娘の病に悩む母の心ににつけ込み、悪質な者が近づいたのだろう。
夫人は青ざめ、椅子の肘掛けに手をついて俯く。
伯爵は一瞬だけ目を閉じ、すぐに顔を上げた。
「その出所を洗え。関係者は全員だ」
短く、だが鋭く命令を下した。
部下が即座に動き出す。カリミナ嬢の病気の原因ではないにせよ、伯爵家に悪意を持ってのことに間違いはない。徹底的に調査が行われるだろう。
夫人はメイドに支えられ、部屋を退出した。背中は小さく、心労の深さが痛々しい。
床に散らばった首飾りの残骸は、メイドたちが怯えた様子で片付けていく。
再び、静寂が部屋に満ちる。
「……感謝する、ハイド殿」
伯爵は深く頭を下げた。領主としてではなく、一人の父としての礼だった。
「大事に至らずに済んだのは、あなた方のおかげだ」
「いえ、お役に立てたようで何よりです。それに、診察はまだ終わっていません」
診察を再開する。
呪具の発覚と破壊。伯爵夫人の動揺と退室。
部屋にはまだ、わずかな緊張の余韻が残っている。
そんな中で、カリミナ嬢だけは不思議なほど穏やかだった。ナトに語りかける。
「あなたも錬金術師ですの?」
問いかけは軽やかで、気負いがない。
あんなことがあったのに、特に動揺した様子は見せない。
むしろ周囲を気遣って、明るい調子でいるのかもしれない。強い娘だな。
「あ、あたしは、見習いです」
ナトは慌てて答える。声はわずかに裏返り、指先がそわそわと落ち着かない。
貴族の令嬢を前にするのは、さすがに緊張するらしい。
「そうですの。でも、私と同じくらいなのにちゃんと働いて、すごいですわ」
「そ、そうですか? えへへ……」
ナトは頬を赤らめ、照れたように笑った。
続いてシャーリニィに向く。
「それに、エルフさんの魔術って、すごいのですね」
先ほどの光景を思い出しての言葉だろう。
畏怖のようなものは感じられない。純粋に、驚きと憧れによる感情。
「……」
シャーリニィが使うのは魔術ではなく、魔法だ。
だがそれを言うことはできない。なのでシャーリニィは視線をそらしたまま、沈黙で答える。
シャーリニィが返事をせずとも、気にした様子もなく話し続ける。
育ちの良さだけでなく、天性の朗らかさを感じさせる娘だ。
俺は診察を続けながら、渡された過去の診療記録に目を通す。
紙の束はそれなりの厚みがあり、この半年間、何人かの医師や錬金術師が関わってきたことが分かる。
医師たちは毒物の可能性を疑っていた。だが、どれも決め手に欠ける。
そして違和感。どこか踏み込むのを避けているような記述が目立つ。
「私も妻も、娘と同じ食事をしている」
伯爵が補足してくれる。
「食器も同じだ。最近は使用人にも同じものを食べさせてみている。にもかかわらず、症状が現れるのは、娘だけなのだ」
となると、食事に毒を盛られた線は薄い。
しかし、俺はこれに似た症状を知っている。
特定の環境、特定の習慣、そして気づかれにくい慢性症状。即効性はない。だが、確実に身体を蝕む。
俺は、カリミナの薄く化粧された顔を、改めて見つめた。
その儚げな美しさの影に、何が潜んでいるのか。
ようやく、輪郭が見え始めていた。




