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第29話:石は溶け、鋼が歌う

 上級冒険者ゴルドに案内され、俺たちが足を踏み入れたのは職人街。


 帝都の中心部から少し外れた区画にあり、鍛冶屋や革職人、細工師の工房が密集している。金属を打つ甲高い音が絶えず響き、空気には油と煤が混じった匂いが染みついていた。


「ここだ」


 ゴルドが立ち止まったのは、通りの中でもひときわ年季の入った工房の前。

 商品などは無い。現在は営業していないらしい。かつての活気を失った空気が漂っている。


 扉を押し開けると、ひんやりした金属の匂いが鼻を刺した。

 中は整理が行き届いておらず、床には鉄屑が散らばり、作業台には使われなくなった工具が積み重なっている。


「おーい、ジルバ! 俺だ」


 ゴルドの声に、奥から低い唸り声が返ってきた。


「ゴルドか。今度は何を連れてきやがった」


 火の消えた炉のそばに腰掛け、酒瓶を傾けていた男が顔を上げる。

 背丈は低いが、横幅が太い。露出した前腕は丸太の様だ。

灰色がかった髭が胸元まで垂れていた この男は、ドワーフか。


「こいつが患者だ」


 ゴルドが説明する。

 この男は、ジルバ。

 戦士であり、同時に鍛冶師。しかもただの鍛冶師ではない。ドワーフの中でも、特に名を知られた腕を持つ。

 ドワーフという種族自体が鍛冶の名手として知られる中で、その頂点に近い位置にいる。


「昔の話だ。今は底辺だ。人族の見習い小僧にだって勝てやしねぇ」


 ジルバはそう言って、また酒を煽る。

 その手の動きはぎこちない。痛みに耐えながら、無理やり動かしている様子が見て取れる。


「こいつはハイド。錬金術師の先生だ」

「錬金術師?」


 ジルバは鼻を鳴らし、酒瓶を置いた。


「医者は何人も来た。みんな首を振って帰っていきやがった。今度は薬売りか」


 警戒と苛立ちが混じった声。無理もない。

 今まで多くの者に助けを求め、見捨てられてきたのだろう。


「てめぇは治せるってのか。正直に言え」


 俺は一歩前に出て、ジルバの目を正面から見返した。


「可能性はある。だが、絶対とは言えない」


 しばしの沈黙。

 ゴルドは口を挟まず、二人の間に流れる空気を黙って見守っている。


「ふん」


 ジルバは鼻を鳴らす。


「確実に治るだとか、金を積めば助けてやるだとか、適当なことを抜かせばすぐにでも叩き出すつもりだったがな」


 そう言ってから、彼は苦々しげに笑った。


「つい最近も来た。妙な護符だの、神の水だのを売りつけようとする連中がな。工房ごと呪われているとか言いやがったから、ハンマーで追い返してやったところだ」

「相変わらずだな。腕が動かなくなっても、その性格は変わらねえか」


 ゴルドが肩をすくめる。


「うっせぇよ! お前が連れてきた以上、話くらいは聞いてやるさ」


 何とか最低限の信用は得られたらしい。

 俺はナトに指示して、診察道具を準備する。


 ドワーフの男を診察していく。

 筋肉の張り、関節の可動域、皮膚の感覚。

 一つ一つ確認していくと、予想通りの反応が返ってくる。内部に沈殿した結石が、筋繊維の動きを阻害し、神経を圧迫している。典型的な冒険者病の進行例だ。


 なるほど。

 状態は良くないが、末期ではない。


「薬さえ用意できれば、治療を始められそうだ」

「今日は何もしねえのか」

「必要な材料と器具を揃える。場当たり的に手を出すほど、軽い症状じゃない」

「……ゴルド」


 ドワーフの男はゴルドに目を向ける。


「何だ」

「こいつ、信用していいのか」


 ゴルドは迷いなく頷いた。


「ああ。俺や仲間の命を何度も助けた男だ。おそらく、これからも」


 ゴルドにはいくつかのポーションを売っている。そのことだろう。

 ジルバは深く息を吸い、ゆっくり吐いた。


「分かった。なら賭けてみる」


 そう言って、彼は酒瓶を棚に戻した。


「しかたねぇから治療を受けてやるよ」

「ああ、準備ができたら、また来る」


 そう言って、俺は彼の工房を後にした。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 工房を出ると、職人街特有の金属音が背後に遠ざかっていった。昼下がりの通りには行き交う職人の姿があり、煤の匂いに混じって油と革の匂いが漂っている。


 しばらく無言で歩いていると、ナトが小走りになって俺の隣へ並んだ。


「師匠、どういう治療法を考えてるんですか?」


 歩幅を合わせながら、真剣な視線を向けてくる。俺の治療法に興味津々だ。


「考えてみろ。どんな治療法があるか」

「えっと、筋肉を切り開いて、結石を一つずつ……」

「できると思うか?」

「無理ですね」


 無理なことは彼女も分かっている。

 しかし使えない手段であっても、使えないことを確認して、選択肢を減らしていく作業は必要だ。

 俺は頷き、先を促す。


「他に何がある?」

「師匠のエリクサーなら、患部を丸ごと切り取って再生させることもできるんじゃないですか?」


 大胆だが確実な方法。

 だが、俺は首を横に振る。


「それが一番手っ取り早いな。じゃあ問題点は?」

「……表に出せませんよね。大騒ぎになります」


 ナトは困ったように肩をすくめる。


「あとは……シャーリニィさんが魔法で結石を動かす?」

「え、やだ」


 シャーリニィが口を挟む。心底嫌そうな表情だ。

 患部に散らばった、無数の目にも見えないサイズの石を取り出す、というのは魔法を持ってしても面倒くさいらしい。


 苦笑するナト。


「それに、シャーリニィさんの力も、人前には出せません」


 ちゃんと分かっているらしい。


「他に手段があるとすれば、結石を溶かしてしまう、とかですか」


 ほう。


「問題は、患者さんの体に害がなく、結石だけを溶かす薬なんてあるのかってことですけど」

「それだな」

「あるんですか?」

「それをこれから確認する」


 あてはある。

 どこまで使えるかを調べる必要はあるが。

 歩きながら、俺は頭の中で状況を整理する。


 ゴルドは、何人もの医者に相談したと言っていた。

 何人もの医者がジルバの状況を知っている。

 自分たちが匙を投げた症状が治ったと知れば、彼らは必ず調べようとするだろう。治療法を、治療者を。

 ゴルドやジルバに口止めをしても、噂は止まらない。


 使えるのは、常識の範囲内に見える手段だけだ。

 医師や錬金術師が知識としては知っているが、実用に至っていない部分。そして、なるべく既存の利権に触れない領域。

 そこを突くしかない。


 俺ならできる。

 前世の知識を、ぎりぎりまで薄めて。

 他者に知られても問題にならない形で。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 翌日、俺は錬金術協会に出向いた。


 用があるのは、そこに保管されている資料。

 帝立研究所には及ばないものの、資料室は広く、棚には基礎理論から近年の研究報告までが隙間なく並んでいる。埃の匂いと、乾いた紙の感触が鼻をくすぐった。

 前世では図書館に通い詰めていたが、この世界の雰囲気も、決して悪くない。


 冒険者病。

 正式名称、薬滓結石症。

 症状と原因は広く知られている。問題は治療法が確立されていない点。

 体内に残った結晶化した異物。

 選択肢は除去か溶解。外科的処置が無理なら、化学的な手段しかない。


 俺は結石の成分に注目した。

 結石の原因は、ポーションの不純物。その由来はポーション原材料の薬草だ。正確には、薬草の繊維質。


 植物由来。それが鍵となる。


 薬効一覧、毒物分類、各種素材の記録を順に当たる。筋肉や神経への影響を最小限に抑え、植物性の沈着物にのみ強く作用する物質。

 いくつか候補はあったが、その中で一つだけ、条件に合致するものがあった。


 問題は入手経路か。

 市場には流通していない。協会の在庫にもない。


 どうやって入手するか?

 決まっている。


 その日の夕方、冒険者ギルドでゴルドを呼び出した。


「素材の調達を頼みたい」

「何だ?」

「グリーンヒュドラの唾液だ」

「猛毒じゃないか」


 ゴルドは眉をひそめる。知ってたらしい。さすが上級冒険者か。


 グリーンヒュドラの唾液。

 再生能力を持つ魔獣の体液だ。

 蛇型の魔物だが、草食で大木を丸ごと齧るとか言われている。

 ひとたび噛みつかれてしまえば、その猛毒により体の内側から溶かされて死に至る。


 だが本来、その溶かす目的は自身の食事。つまりは植物用。

 動物性タンパク質を溶かすのは、副次的作用でしかない。

 適切に希釈し、反応を制御できれば、狙った物質、つまりは結石だけを溶かすことも理論上は可能。


「毒と薬は表裏一体、使いようなんだ」


 俺がそう言うと、ゴルドはしばらく黙り込み、一言。


「それが、アイツを治すために必要なんだな」

「ああ。もし無理だと言うなら、治療は諦めてくれ」


 上級冒険者であっても危険な仕事かもしれない。

 もちろん、俺とシャーリニィであれば容易に調達できる。

 しかしそこまで世話を焼いてやるつもりは無い。素材調達は冒険者の仕事だ。


「いや、やる。やらせてくれ」


 彼は立ち上がり、笑って見せる。


「仲間に声をかける。昔の伝手も使おう。数日はくれ」


 それだけ言って、酒場の喧騒へと消えていった。


 それから二週間後。

 アトリエの扉を叩く音が響いた。


「先生、持ってきたぞ」


 ゴルドの背後には、見覚えのない冒険者が数人立っていた。装備も立ち居振る舞いも一流だと分かる。

 しかしその全員が、傷だらけだった。


「なかなかの激戦だったみたいだな」

「ああ。仲間がいて助かった」


 さすが上級冒険者。人脈と実行力が段違いだ。


「これでいいか」


 そう言って差し出した容器の中には、濃い緑色の粘性液体が収められていた。保管状況は問題なさそうだ。


「ああ、十分だ。後は任せてくれ」


 さらに数日後。

 俺は薬剤を完成させ、ゴルドと共に再びジルバの工房を訪れた。


 工房の奥で、ジルバは相変わらず無気力に椅子へ座っていた。だが俺の手にした注射器を見ると、鋭い視線を向けてくる。


「それが治療薬か」

「正確には、結石を溶かす薬剤だ」


 考え得る副作用をすべて説明する。

 主に結石を溶かす薬ではあるが、どうしても筋肉や神経にも悪影響はある。

 筋力低下は確実。出血しやすくなり、下手をすれば命に関わる。


 ジルバは一通り聞き終えると、鼻で笑った。


「上等だ。どうせ今のままでも、鍛冶も戦もできん」

「後悔はしないな」

「あたぼうよ」


 迷いは無さそうだ。

 その覚悟を見て、俺は薬剤を注射した。


 経過観察は慎重を極めた。

 数日は高熱と痛みが出たが、想定の範囲内。血液の凝固状態を確認し、栄養剤と回復薬で補助する。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 そして一週間後。

 診察に訪れた俺の耳に届く金属音。槌の音だ。


 工房を覗き込めば、ジルバが炉の前に立ち、黙々と槌を振るっている。

 その腕に震えは見て取れない。


「おい、まだ安静にしていろと言ったはずだが?」


 俺の声に、ジルバは一瞬だけこちらを振り返った。


「分かってる。だが、確かめずにはいられなかった」


 そう言って、再び槌を振り下ろす。

 澄んだ音が工房に響き、赤熱した鉄が狙い通りの形へと整えられていく。


 しばらくの後、ジルバは刃を水槽に沈める。

 白い湯気が立ちのぼり、冷却が終わる。そして彼は、ゆっくりとそれを引き上げた。

 刃を見つめたまま、しばらく動かない。


「どうだ?」


 背後から、ゴルドが問いかける。


「治ってるな」


 ジルバは小さく息を吐いた。

 握った指先に、わずかな震えが走っている。だがその震えは、病によるものではない。感極まった、感情の発露。


「ああ。力も、感覚も、全部だ」


 ジルバは刃を作業台に置き、ゆっくりとこちらへ向き直る。

 最初に向けられた猜疑や警戒は、そこにはない。


 彼は一歩前に出て、深く頭を下げた。


「助かった」


 深く、感情を込めた声。


「正直に言う。もう終わったと思ってた。鍛冶師としても、戦士としても、俺はもうダメと思ってた。それがどうだ! こんな剣だって打てる。まだ本調子じゃねぇが、感覚は戻ってきてる」


 その背中を、ゴルドが黙って見守っている。


「先生」

「何だ」

「あんたを信用して、正解だった」


 ジルバは一度、拳を握り締めてから言葉を続けた。


「俺は無礼だった。疑って、期待もしなかった。それでも、あんたは結果で答えた。大した錬金術師だ」


 職人の評価として、それ以上はない。


「礼をしたい」

「気にするな。金なら、もうゴルドから受け取っている」

「そうじゃねぇ」


 ジルバは鼻を鳴らした。


「今後、俺にできることがあれば言え。武器でも、防具でもだ。命を救われた借りは、仕事で返す」

「そういうことなら、そのうち実験器具でも頼むかもな」

「ああ! ぜひ俺にやらせてくれ! 最高の物を作って見せる!」


 彼は最高峰の鍛冶師だという。ならば、良いものが期待できそうだ。


 工房に、再び穏やかな金属音が響き始めた。


 帰り道、俺は歩きながら考える。


 俺は今回、最低限の知識でもってジルバの冒険者病、薬滓結石病を治療した。

 この治療法は、知識としては誰もが知っている素材を使っている。

 しかしこの治療法は思いつかない。

 この世界では、血栓などを溶かす、という発想自体が無かったのだ。

 今回の件が広まれば、冒険者病に苦しむ人々も減るだろうか?


 無理だろうな。

 薬の価格は相応だ。払える人間は多くない。

 今回は、無償で材料を調達するゴルドが居たから安上がりだったのだ。並の冒険者には難易度の高い仕事だ。


 そしてこれだけの治療費を払える人間は、元より上級ポーションを使う。冒険者病にはならない。

 金のない人間が掛かりやすい病気は、治療法が研究されない。

 世知辛い現実だ。


 それでも、今回のような例が積み重なれば、何かが変わるかもしれない。

 そう考えながら、俺は次にすべき研究の方向を思案していた。


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