第28話:門前の騒動と甘い香り
ある日の昼下がり。シャーリニィがお茶を淹れてくれた。
魔法で湯を沸かす。宙に浮かんだ水の球が、ぽこぽこと音を立てながら温度を上げていく。
湯気が立ち、空気がほのかに湿る。
茶葉を量り、静かにカップへと注ぐ。それだけの仕草も流れるように優雅だ。
テーブルの上には、三つのティーカップが並ぶ。
ナトはそれを見て、一瞬だけきょとんとした。
そして、遅れて状況を理解したのか、小さく目を見開く。
「あ……ありがとうございます」
「はい」
それだけのやり取り。
だが、昨日までの空気を思えば、十分に改善したといえる。
俺が内心でほっと息をついた、その瞬間。
「ぎゃあああああああ!!」
家の外から、男の悲鳴が響いた。
しかもやけに近い。距離感からして、家のすぐ外だ。
「……なんだ?」
「なんでもありません」
俺のつぶやきに、澄まし顔で返すシャーリニィ。
何でもないはずがないだろう。
俺は溜息をつき、玄関へ向かった。
そして扉を開け、状況を察する。
「た、助けろ! 誰か! ぐえっ!」
アトリエの敷地内、門をくぐった辺りで、一人の男が宙づりになっていた。
全身をツタに絡め取られ、がっちり拘束されている。
そのツタの正体は、敷地を囲うように植えられた庭木だ。
薔薇に似た花を咲かせるそれは、シャーリニィが魔法で育てたものだった。普段は大人しいが、不審者が侵入するとこうして動く。
まるで食虫植物のように、貴族の男を捕えて逃がさない。
防犯に使えると聞いていたが、こうして動くさまを見るのは初めてだ。
そして、捕らえられた男の顔には、見覚えがあった。
「……ブルンブか」
俺を帝都の研究所から追放した。貴族のボンボン。
先日、シャーリニィに吹き飛ばされたばかりだが、懲りずにまた来たらしい。
「ハイド! 貴様これは何のつもりだ!」
プルンブが喚く。
「貴族であるこの私に、こんな仕打ちを――」
だが、その言葉は途中で途切れた。
俺の背後に立つ存在に、気づいたのだ。
「あっ……!」
長い銀髪の少女。
無表情で立つシャーリニィ。
「エ、エルフの君! また会えたなんて!」
何故か目を輝かせる。
「先日のことだ! 君を見た瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けてね! きっと、あまりの美しさに気を失っていたんだ!」
気絶した理由はシャーリニィに吹っ飛ばされただけなんだが。
「これはきっと運命だ!」
「……」
「僕は君と出会うために生まれたに違いない! さあ、こちらへ――」
「気持ち悪い」
少女の一言。
「うっ!」
彼女の言葉にダメージを受けるプルンブ。
しかし、どこか嬉しそうだ。そういう趣味なのか?
シャーリニィはそれ以上何も言わず、指を一振り。
「うっ!?」
ツタが一気に締まり、プルンブが簀巻になる。
そのまま、敷地外へと放り投げられた。
「ぐえっ!」
ほどなくして、どこからともなく現れた兵士たち。
普段、俺たちを監視している領主の兵だ。
彼らは手慣れた様子でプルンブを担ぎ上げていく。
「おい降ろせ! 俺様を誰だと思っている! 離さんか!」
わめく声を無視して運ばれていくのを見送り、俺は心の中で兵士たちに敬礼した。
ご苦労様。
さて戻ろう、と思ったところで。
「朝からにぎやかだな、先生」
門の外から、聞き慣れた声がした。
振り向くと、そこに立っていたのは体格の良い鎧姿の男。
上級冒険者、ゴルドだ。
どうやら、先ほどの一部始終を見ていたらしく、苦笑いしている。
「いい家じゃないか」
「引っ越したばかりでな。どうした、こんな所まで」
ここは市民向けの店や住宅が並ぶ区画。
上級とはいえ、冒険者であるゴルドには似つかわしくない。
ゴルドは片手を上げてみせるv。そこには小綺麗な紙袋。
「引っ越し祝いだ」
引っ越し祝い? 少し引っかかる。
彼とは友好的な付き合いをしているが、そんな理由で家を訪れる程の関係か?
「実はな、知り合いの治療を頼まれてほしいんだ」
「俺は医者じゃないぞ」
錬金術師は薬に詳しいせいで、よく混同される。
「わかってる。だが、医者には断られた。あんたが頼みの綱なんだ」
難病か、それとも訳ありか。
「……取り合えず、話を聞こうか」
「助かる」
俺はゴルドを家に招き入れ、応接間へ案内した。
ナトがすぐに湯を沸かし、茶を淹れてくれた。
「お茶どうぞ」
「ん? そっちの嬢ちゃんは新顔だな」
「助手だ」
「ナトです。よろしくお願いします!」
ナトはぺこりと頭を下げた。
「そうか、じゃあこれは皆で食べてくれ」
そう言って紙袋を彼女に渡す。
「え? これって!」
袋の絵柄を見たナトが目を輝かす。
「金の水あめ亭の焼き菓子!?」
「知ってるのか?」
「すっごく美味しいって有名ですよ! 高いし人気でなかなか買えないって」
素直な反応に、ゴルドは満足そうに頷いた。
なるほど、奮発したらしい。
「じゃあ、聞かせてくれるか」
「ああ。その患者は、冒険者病なんだ」
「ふむ?」
聞き慣れた単語だ。
同時に、面倒な予感。
冒険者病。
ポーションを長期間、頻繁に使用することで発症する慢性疾患だ。
質の悪いポーションには、薬効とは無関係な不純物が多く含まれている。
傷口にポーションをかけると、それらが体内に侵入する。それらは体外に排出されず、少しずつ体内に蓄積していく。
やがて結石のような形で固まり、筋肉の繊維や神経の隙間に無数に散らばる。
結果として起きるのは、激しい慢性的な痛みと、関節や筋肉の可動域低下。
酷くなれば、剣を握ることすらできなくなる。
ポーションの使用頻度が高い冒険者ほど発症しやすいため、そう呼ばれている。
「ああ、もちろんだがな」
ゴルドは、先回りするように言った。
「あんたのポーションで冒険者病になったわけじゃねぇ」
「当然だ」
俺のポーションは、蒸留によって不純物を完全に排している。
冒険者病の原因となる要素は、ゼロ。
「昔の仲間なんだがな。去年あたりから、兆候はあった」
「うん」
「最近じゃ、どんな医者に診せても首を横に振られる」
ゴルドは奥歯を噛みしめるように言った。
「医者連中は口を揃えて言う。『結石が多すぎる』『取り出しようがない』ってな」
それが常識的な反応だろう。
小さな結石が筋肉の中に無数に散っている。一つ一つを切開して取り除くなど、現実的ではない。
この世界の医療水準では、まず不可能だろう。
「でもよ、あんたのポーションは冒険者病にならねぇって有名だ。俺も一度使ってみたが、他とは比べ物にならねぇ」
「……まあな」
「それだけのものを作れる先生なら、何か方法を思いつくんじゃねぇかと思ってな」
期待。
そして、縋るような色。
確かに、前世の知識を踏まえれば、治療の発想自体はいくつかある。
溶解、排出、再結晶化の抑制。理論上は可能。
だが問題は多い。難易度も高い。
俺にできるか? 医者の真似事が。
外科的な行為は論外。生きた人間を切り裂くなんて、考えたくもない。
もしやるとするなら、内科的な治療に限られるだろうが……それにしたって、人の命に責任は持ちたくない。ポーション作成より、遥かに人の命に近づくことになる。
そもそも、俺の仕事は冒険者病の予防であって、治療ではない。
質の悪いポーションをばら撒いてきた、低級錬金術師たちの尻ぬぐいは気が向かない。
「先生、頼む!」
ゴルドは、テーブルに両手をついて頭を下げた。
「アイツの腕が使い物にならないってのは、世界の損失なんだ!」
損得勘定だけの言葉ではない。
長年の友を思う、感情が溢れていた。
俺は冒険者には詳しくはない。上級冒険者という肩書の重みも。
しかし、この男が冒険者ギルドに訪れれば、皆の視線が集まる。羨望と憧れの視線が。
それだけの実力と人望を持つ男なのだ。そんな男が必死に頼み込んでいる。
さらに、そんな男に「世界の損失」とまで言わせる患者。ここで見捨ててよいのか?
視線を横に向ける。
ナトは焼き菓子を遠慮がちに小さくかじり、丁寧に味わっている。オレンジのポニーテールもあって、リスのような小動物を連想させる。
一方のシャーリニィは、無言のまま次々と手を伸ばしていた。夢中で食べている。相当気に入ったらしい。
甘い香りがただよって来る。
金の水あめ亭。
貴族や富豪向けの高級菓子店と思われる。
上級冒険者とはいえ、気軽に買える代物じゃない。
それを手土産に持ってくるあたり、ゴルドの本気度が伝わってくる。
「俺は錬金術師だ」
「ああ」
「治療の経験はない。確実に治る保証もない」
「かまわない」
俺は小さく息を吐く。
「分かった」
「やってくれるか!」
顔を明るくするゴルド。
「ただし条件がある」
「何でも言ってくれ!」
「俺の指示には、絶対に従ってもらう」
「もちろんだ」
「失敗する可能性もある。それでも文句は言うな」
「もちろん言わねぇ。患者の奴にも言わせねぇ」
覚悟はできているようだ。
再び視線を横に向ける。
シャーリニィは焼き菓子の最後の一つを大事そうに口に運び、ナトはそれを少しだけ羨ましそうに見ていた。
……まあ、いいか。
彼女たちを楽しませてくれた分くらいは、働くとしよう。
主人公「あれ? 俺の分は?」
シャーリニィ「はっ!? 私はなんということを!?」




