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第27話:溶けた感情

 宿からの帰り道、街路はすでに夕暮れに沈みかけていた。

 人通りはまだあるが、昼間の喧騒は引き、どこか落ち着いた空気が漂っている。


「ご主人様と私の街に……」


 ぽつり、と。

 シャーリニィが低い声で呟いた。

 感情を表に出さない彼女にしては珍しく、不機嫌さを隠そうともしていない声音。


 この街に邪教徒が出入りしている。そんな話を聞いて以降、ずっとこれだ。


 その隣で、ナトが明らかに怯えている。

 時折シャーリニィをちらりと見ては、すぐに視線を逸らす。


「あ、あの、師匠。シャーリニィさんって……」


 小声で尋ねてくる。


「ちょっとな」


 歩きながら話せる内容ではない。

 すると、シャーリニィがぴたりと足を止めた。


「ご主人様」

「ん?」


 振り返ると、彼女は真っ直ぐこちらを見ていた。


「害虫は、駆除する必要がありますよね?」

「そ、そうだな」


 害虫、か。


「先ほどの件。エルフを使ってもよろしいですか」


 その蒼い瞳には、冷たくも強い感情が現れる。


「……ああ。けど、あんまり派手な事はするなよ」

「はい」


 一瞬、目を閉じる。

 そして、何事もなかったかのように、銀髪の少女は歩みを再開した。


 しばし歩き、帰宅。

 家の前に、人影があった。


 街灯の下、静かに佇んでいるのは金髪のエルフの少年。

 年若く見えるが、その実年齢は測れない。

 この街のエルフたちの代表、ヘリウスだ。


 彼は俺とシャーリニィの姿を認めると、すぐに姿勢を正し、深く頭を下げた。


「お呼びでしょうか」


 声は静かで、礼儀正しい。

 だが、その態度はただの上司などに向けるものではない。

 圧倒的上位者に対するそれだ。


「え? え……?」


 ナトだけが完全に状況を理解できていない。

 エルフが、同族であるはずのシャーリニィに、ここまで恭しい態度を取る理由が分からないのだ。


 シャーリニィは一歩前に出た。


「この街に、邪教徒が集まっていると聞いた」


 感情を排した、冷たい声。


「事実なら、探し出しなさい。そして排除を」


 一切の婉曲なし。


「もしお前たちで対処できないなら――」


 そこで、彼女は一瞬だけ言葉を切る。


「――私がやる」


 静かな宣告。


「はっ!」


 脂汗を流しながら命令を聞くヘリウス。

 まるで判決を聞く罪人の様だ。


「承知いたしました。すぐに!」


 それだけを告げ、彼は踵を返した。

 音もなく、闇の中へと溶けるように姿を消す。


 残されたのは、状況が分からず戸惑うナトだけだ。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 アトリエに戻り、俺はソファに腰を下ろした。

 ナトの視線が俺に向く。何も言わないが、聞きたいことがあるのは間違いない。


「どこから話すかな」


 背後では、シャーリニィが湯を沸かし、手際よく茶を淹れていた。

 用意されたのは、俺と彼女の分、二つだけ。

 命令すればナトの分も淹れてくれるだろうが、できれば自発的にするようにしてやりたい。


 結局、ナトは自分の分は自分で入れることになる。


 湯気の立つ茶を受け取り、一息つく。


「まあ、座れ」

「は、はい」


 そう言って椅子を勧めると、ナトは素直に腰を下ろした。


「まず、シャーリニィについてだ」


 そう切り出した瞬間、ナトの視線がぴくりと跳ねた。


「シャーリニィの種族は、何だと思う?」

「え……?」


 唐突な問いに、ナトは困惑した顔でシャーリニィを見る。


「エルフ、ですよね?」


 答えながらも、どこか自信がない。

 俺の質問の意図を、掴みかねている。


「他の可能性について、考えたことは?」


 ナトは黙り込んだ。

 そして再度視線を向け、今度はシャーリニィの額を見る。


 シャーリニィの額に嵌め込まれた、紅い石。

 血のように深く、内側から脈打つような光を放つそれ。


「まさか」


 喉が鳴る。


「……ハイ、エルフ?」


 シャーリニィは何も言わない。

 ただ、いつも通り静かに俺の横に座っている。


「そうだ」


 ハイエルフ。

 神話やおとぎ話にしか登場しない存在。

 エルフたちにとっては、神に最も近い、神から直接力を授かったとされる存在。


「じゃ、じゃあ、さっきのエルフの人が、あんな態度だったのも……」

「当然だな」


 理解が追いつかない様子で、ナトはしばらく黙り込んだ。


「ついでに、俺の方の話もしておく」

「え? 師匠は、人族ですよね?」

「ああ。それは間違いない」


 それは間違いない。俺の身体は一般的な人族のそれだ。

 ただ、前世の記憶があるだけ。

 俺は立ち上がり、実験室へ向かう。

 ナトも慌てて後に続いた。


 俺はナトに指示。棚から薬品瓶を取り出し、作業台に並べさせる。

 指示すると、ナトは即座に動く。塩酸、硝酸、魔石、金の小片。


「金と魔石の性質を言ってみろ」

「えっと……」


 少し考えてから、彼女はすらすらと答え始めた。


「金と魔石は完全な物質で、錬金術的には最も安定した存在です。

 あらゆる酸や魔力反応に耐性を持ち、変質せず、不変。

 だからこそ、触媒や基準物質として使われ――」


 すらすらと答える少女。

 彼女の言葉は、錬金術的な常識としては、正しい。

 しかし、それはあくまでこの世界での常識。


「塩酸と硝酸、これを3:1の比率で混ぜろ」

「……? そんなことしていいんですか?」


 ナトは手を止め、不安そうに眉をひそめる。


「瘴気が発生する恐れがあるって、教わりましたけど……」


 現代の錬金術学会では、酸性液体同士の混合は忌避すべきこととして教えられている。

 まるで、誰かが意図的に王水の発見を妨害しているかのようだ。

 そんな疑念が拭えない。


「問題ない」

「……はい、あ、橙色になった」


 恐る恐る作業を続けるナト。


 やがて、金が溶け。

 魔石が、音もなく崩れていく。


 そうして彼女は、金と魔石を溶かす液体の存在を知った。


「こんな……」


 ナトの声は、かすかに震えていた。


「こんなことが、あるなんて……」


 不変の象徴だったはずの物質が、目の前で溶けている。

 金が、魔石が、ただの液体へと姿を変えていく。


 それは、彼女がこれまで信じてきた錬金術の常識が、根こそぎ覆される光景だった。

 積み上げてきた知識が、音を立てて崩れていく。


「私が学んできた、今までの錬金術って、何だったの……?」

「錬金術自体が、まだ発展途上なんだ。あるいは、意図的に隠されているか、だな」

「……」


 一拍置いて、ナトは小さく首を傾げた。


「じゃあ、師匠は……なんで、こんなことに気づけたんです?」


 どう答えるべきか、少し迷う。

 前世の話をするわけにもいかない。この世界には、生まれ変わりという概念自体がないのだから。


 言葉を探している間に、ナトは何かを悟ったように目を瞬かせた。


「……ひょっとして」

「ん?」

「ひょっとして、師匠って、すごいひと?」


 そんな結論になったらしい。

 あまりの衝撃に、語彙が追いついていない。


「そうです!」


 そこに、すかさずシャーリニィが口を挟んだ。


「ご主人様は、偉大な方なのですよ!」


 なぜか胸を張り、誇らしげに言い切る。


「すごい」

「でしょう!」


 ふんす、と鼻を鳴らすシャーリニィ。

 ナトは一瞬きょとんとしたあと、思わず小さく笑った。


「……シャーリニィさん、すごく自慢げですね」

「当然です!」

「えっと……ご主人様のことですよね?」

「はい!」


 即答。

 何なのだこれは。


「……師匠本人が目の前にいるのに」

「問題ありません」


 俺本人を無視して話が進む。

 ナトはしばらく考え、そして小さく頷く。


「……じゃあ、私も自慢します」

「?」

「あたしのお師匠は、すごい人です」


 胸の前で手を握りしめる仕草は、どこか誇らしげでもある。可愛い。

 その言葉に、シャーリニィがぴくりと反応した。


「……そうでしょう」

「はい。すごいです」

「当然です」

「当然なんですね……」


 二人の視線が、自然と同じ場所、つまり俺に向く。


 居心地が悪い。

 褒められるのはまんざらでもないが、真正面から二人同時は想定外だ。


「えっと……二人とも、落ち着け」

「落ち着いています」

「落ち着いてますよ?」


 声が揃った。


 一瞬の沈黙。

 そしてナトが、くすりと吹き出す。


 シャーリニィの方はわずかに目を瞬かせた。

 感情の動きを表に出さない彼女にしては、珍しい反応だ。


「ナト」

「は、はい」

「あなたは……悪くありません」


 具体的には、意味をなさない言葉。

 しかしそれでも、シャーリニィなりの精一杯の譲歩だったのだろう。


 ナトは一瞬きょとんとし、それからぱっと顔を明るくした。


「ありがとうございます」

「……」


 シャーリニィは目を逸らし、ふん、と小さく鼻を鳴らした。


 妙な会話だ。

 不器用で、噛み合っているとは言い難い。


 それでも、彼女たちの間の空気は、確実に和らいでいた。

 少なくとも、俺を話題にして話せるようにはなったらしい。


 なんだか良く分からんが、これで良かったのだ。

 そう思うことにした。


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― 新着の感想 ―
さすごす!
エルフたちちゃんと邪教徒に対応出来るのかな?
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