第25話:玄関先の蜘蛛の糸
俺は、念願のアトリエを手に入れた。
これで周囲に気を遣うことなく研究に没頭できるし、シャーリニィとの生活も落ち着いて楽しめる。
そう思っていた矢先に、予想外の訪問者。
「あたしを弟子にしてください!」
玄関先で放たれたその一言に、思考が一瞬止まる。
ハニトラ? 産業スパイ? 美人局?
物騒な単語が頭に浮かぶ。
「悪いが、弟子を取るつもりはない」
即答する。
彼女の正体が何であれ、俺は弟子を取ることはできない。
ただでさえ情報流出に神経質になる錬金術師。
俺の場合はなおさらだ。外に出せない秘密が多すぎる。王水、そして魔王水の知識は、この世界の経済、さらに体制を根幹から揺るがすものだ。
素性も分からない少女をアトリエに入れるなど、論外だ。
オレンジ色の髪を結んだ短めのポニーテールが小さく揺れる。握りしめた拳が震えている。
「お願いします! 何でもします! 雑用も、危険な作業だって! 話だけでも、聞いてください」
声が裏返り、目尻に涙が滲む。
その必死さに、玄関の奥から様子を見ていたシャーリニィが、わずかに眉をひそめた。
「ご主人様、追い返しますか?」
ぞっとするほどひややかな声。
少女はその声を聞いた途端、びくりと肩を震わせた。シャーリニィと目が合うのを避けるように、視線を床へ落とす。小動物的な仕草。
「……五分だけだ」
俺はため息をつき、扉を開け放った。
「立ち話も何だ。入れ」
「あ、ありがとうございます!」
少女は何度も頭を下げながら中へ入ってきた。
居間のソファーに座らせ、対面する。シャーリニィはいつものように、俺の隣に控える。
「あたし、ナトって言います」
ナトと名乗った少女は、膝の上で手をギュッと握り、少しずつ言葉を紡ぎ始めた。
父は錬金術師で、彼女はその下で見習いとして修行していた。
工房の経営は順調で、新しいアトリエを建てることもできたほど。それが、この建物だった。
だが、完成から間もなく父は病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
支払いを待ってもらいながら商売を続けてはいたが、状況は厳しい。
残された半人前の娘と、積極的に取引を続けてくれる商人は、ほとんどいないのだ。
そこへ追い打ちをかけたのが、フラルゴ共和国の壊滅。
主要な取引先が音信不通となり、資金の流れが完全に途絶えた。
結果、残ったのはアトリエ建築のために背負った借金だけ。
「工房は、差し押さえられました」
彼女はその後、街中の錬金術師を訪ね歩いた。弟子として雇ってもらえないか、必死に頭を下げ続けた。
だが返ってくるのは断りの言葉ばかり。経験、信用不足、借金持ち。彼女を採用する理由はどこにもない。
絶望の中、無意識に足が向いたのが、ここ。かつての父の工房。
そして見た。かつての自分の家に、新しく入った錬金術師を。
それが、俺だった。
最後の希望、可能性として縋ったのだという。
思い出した。以前、錬金術師協会の受付で話していた娘だ。
何かしらのトラブルで困っている様子であった。
協会に泣きついて、しかし対応してもらえず困り果てていたわけだ。
彼女には錬金術しかない。身内もいない。弟子として働けないのであれば、身体を売るしかない。
少女を眺める。可愛らしい娘だ。幼げのある顔立ちだが、身体の発育は悪くない。
娼婦になればそれなりに客はつくだろう。
ぜひ俺も客として会いに行って……違う違う。
「フラルゴ、か」
俺はつぶやく。
フラルゴ共和国のあの事件は、俺も無関係ではない。
俺がシャーリニィの神石を再生させたことで、眠っていたヴァルナが目覚め、フラルゴは滅んだ。
俺は自分が原因だなどとは思わない。だがその余波が多くの人間の人生を狂わせたのは事実だ。
借金を完済する見込みは元から薄かった。彼女は遅かれ早かれ、破滅していた。
例の事件は、ただ最後の一押しをしただけだ。
彼女を助ける義務も、責任もない。
それでも。
「顔を上げろ」
少女は一瞬びくりと肩を震わせ、それから恐る恐る顔を上げた。
涙をこらえきれず、赤くなった目がこちらを見つめている。
「弟子入りは簡単に許可できない」
その言葉を聞いた瞬間、わずかに浮かびかけていた期待の色が、音もなく曇る。
それでも視線を逸らさず、必死に耐えている様子が伝わってくる。
「条件は二つ」
その言葉に、ナトの表情がぱっと明るくなった。
希望を見つけたと思ったのだろう。
「一つは、最低限の実力」
「はい! テストでも何でもしてください!」
即答する。迷いはない。
まあこの点は、当然予想して然るべき話。問題はここからだ。
「もう一つは、機密を守るという、絶対の保証」
「え、それって、まさか……」
顔を青くするナト。
それが何を意味するか、理解したのだろう。
「嫌なら帰れ」
突き放すように言う。
ここで首を横に振るなら、そこで話は終わりだ。
「や、やります! やらせてください!」
「そうか」
椅子から立ち上がりそうな勢いで身を乗り出す。
恐怖よりも、錬金術への情熱が勝ったのか。
「来い。テストしてやる」
「はい!」
研究室へと移動する。
試すのは、彼女の錬金術師としての基礎。
課題は回復用ポーションの作成。基礎中の基礎。だがそれだけに、実力と性格が試される。知識、手順、素材への理解、集中力、その全てが露骨に出る。
「配合比率は?」
「薬草三、安定剤一です。ただし鮮度が落ちている場合は――」
淀みなく答える。暗記ではなく理解している答え方だ。
「抽出温度は」
「七十前後です。沸騰させると成分が壊れます」
一般的な錬金術師としては十分な回答か。
質問を重ねても、即座に返ってくる。基礎理論は叩き込まれているようだ。
「始めます」
作業に入ると、今まで怯えていたのが嘘のように表情が研ぎ澄まされる。
多少拙い部分はあるが、手順は正確。
素材の扱いも丁寧で、無駄な動きが少ない。
シャーリニィが睨むように観察しているのにも、気づいていない。
集中すると周囲が見えなくなるタイプだ。
完成したポーションは、色、粘度、測定結果、いずれも合格点。下級ポーションとしてであれば、店に並んでいても問題ないレベル。
少なくとも、見習いとしては及第点だろう。
そしてシャーリニィと比較すれば、遥かに優秀だ。このハイエルフの少女は読み書きこそできるが、錬金術師としては全くの未経験。助手として使おうと思えば、ゼロから教えていく必要がある。
ナトは、そのための数年をスキップできる。
「ど、どうでしょう」
ナトは両手を胸の前で握りしめ、落ち着かない様子でこちらを見上げてくる。視線が泳ぎ、肩が強張っている。
「いいだろう」
短く答えると、彼女の目がぱっと見開らかれた。
「じゃあ」
「ああ、契約するか」
「っ……はい」
一瞬だけ喜びが表情に浮かぶが、俺の言葉に表情が曇る。契約という言葉に、現実を思い出したのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そのまま俺たちは、街へと向かった。
目的地は、商業区画の外れに位置する一軒の石造りの店。
周囲の店舗が木造や煉瓦造りで彩り豊かなのに対し、そこだけはまるで砦のような佇まいをしている。壁は分厚く、窓は少なく、いくつかには鉄格子が嵌められていた。入口の扉も重厚で、無駄な装飾は一切ない。
ここは、奴隷商。
扉を開けば、鈍い金属音とともに室内の冷たい空気が流れ出てきた。
内装は質素で、棚には書類箱が整然と並び、奥には鉄格子で区切られた区画が見える。人気は少ない。
「いらっしゃいませ」
低く落ち着いた声で迎えたのは、がっしりとした体格の中年の男だった。髪には白いものが混じり、鋭い目が油断のない眼差しをしている。
以前も会った、ここの店長だ。
男は俺の顔を見て、わずかに目を細めた。
「おや、お久しぶりでございます」
「覚えてましたか」
「ここに直接訪れるお客様は、あまり多くありませんので」
そう言って男は小さく笑い、視線を俺の後ろへ向ける。
シャーリニィとナト、その二人を順に観察する。
「ひょっとして、以前お話していた弟子の件で?」
「ええ」
「そちら、小さい方の娘でしょうか」
男の視線がナトに向いた。彼女は反射的に一歩下がり、俺の背中に半分ほど身を隠した。肩がこわばり、指先が震えている。
一方のシャーリニィは微動だにしない。彼女の首には首輪代わりの黒い革製のチョーカー。既に俺のモノであると示している。
「市民を奴隷にする場合、費用と手続きはこのようになります」
彼の取り出した書類を確認。金額は俺にとっては大したことはない。契約内容も問題なさそうだ。
「では、こちらへどうぞ」
男に促され、奥の応接室へ通された。
手続きは淡々と進む。登録、確認、署名。煩雑な作業はすべて奴隷商館が代行するらしい。
やがて男が小さな箱を取り出し、蓋を開けた。
中に収められていたのは、簡素な金属製の首輪。隷属の魔道具。
俺は少女の首にそれを向ける。
少女はギュッと目をつぶり、震えていた。それでも、逃げ出すことなく耐えている。
カチン、と小さな金属音が響き、首輪が閉じられた。
これで、彼女は俺の奴隷となった。
俺がこの世界で所有する二人目の奴隷。もっとも、シャーリニィはすでに形式上の束縛からは解放しているが。
俺が求めた「情報を漏らさないための絶対的な保証」これがその答えだ。
奴隷に堕とすことで、魔術によってその行動を縛り、強制的に秘密を守らせる。これが最も、確実な手段だった。
首輪を嵌められた少女は恐る恐る顔を上げ、俺を見た。
その瞳に浮かんでいるのは不安と覚悟。そして、わずかな期待。
ふと、小さなつぶやきが聞こえた。
「これで、錬金術を続けられる……」
この首輪は、生殺与奪を所有者に預ける物。
もし俺が悪人であれば、彼女は娼婦になった方がまだマシな人生を送ることになる。
そんなリスクがあるにもかかわらず、彼女は俺を信じた。初対面の男に自分の人生を預ける覚悟。錬金術を捨てられなかった、その執念。
何が彼女をそこまでさせるのか。それはまだ分からない。
それでも、彼女の存在は間違いなく、俺の助けとなるだろう。




