第23話:小さな決着
戦いは終わった。
勇者と魔王の伝説も、これで本当に幕引きと言ってよいだろう。
俺は周囲を見回す。
そこは、つい先ほどまで森だった。樹海と呼ぶに相応しい、深緑の世界が広がっていたはずの場所は、今や見る影もない。
地面は裂け、谷となり、山となり、クレーターが連なる荒野。天変地異の様相を呈している。
深い谷底には霧、切り立った岩山は刃のようにそびえ立つ。土は焦げ、石は砕け、草一本残っていない。
そこにあったはずの自然は、もう見る影もなかった。
これが、ハイエルフ二人の戦いの痕跡。
魔王と同化した英雄と、その血を引く少女の衝突が、地形までを変えてしまったのだ。
シャーリニィは何も言わず、俺の傍らに立つ。
長い銀髪が風に揺れ、蒼い瞳が荒野を静かに見つめていた。
彼女は何も語らない。ただ、胸の奥で何かを噛み締めるように、静かにその景色を見渡している。
ここで起きた出来事すべてが、彼女にとっては過去の清算であり、喪失でもあった。
「帰ろう」
俺がそう言うと、彼女は一瞬だけこちらを見てから、小さく頷いた。
「……はい、ご主人様」
俺たちはふわりと浮かび上がる。
シャーリニィの飛翔魔法によって、俺たちは空へと舞い上がった。
荒野を見下ろしながら、街の方角へと向かう。
進むにつれ、破壊の痕跡が薄れていくのが分かった。森の街側は原型を留めており、やがて街道が見え、畑が広がり、人の営みが戻ってくる。
だが、街に近づくにつれ、戦いの余波が、別の形で現れていることにも気づかされた。
外壁のあちこちに残る、焦げ跡と崩落。門の外には、まだ片付けきれていない瓦礫の山。周囲の草原には、黒く焼けた円形の跡が、点々と散らばっている。
二度目のスタンピードが起きていたのだ。
それでも、一度目ほどの規模ではなかったらしい。城壁の内側にまで被害が及んでいる様子は見えない。
森に巣食っていた弱い魔物たちは、最初の大移動ですでに街へ押し寄せ、冒険者たちによって討伐され尽くしていたのだろう。
残っていた凶悪な魔物たちは、ヴァルナとシャーリニィの戦いの余波で吹き飛ばされたか、消滅したに違いない。
俺たちは森の出口付近で着地した。
そこには、状況を調査していた冒険者たちの一団がいた。
俺たちの姿を認めるや、ざわめきが広がる。
「戻ってきたぞ!」
「あんたら……無事だったのか!」
誰かがそう叫ぶと、周囲の視線が一斉に集まった。
安堵、驚愕、そして警戒。それらが入り混じった空気。
「まあ、なんとか、な」
俺がそう返すと、すぐに伝令が走る。
そして予想通り、俺たちはそのまま領主館へと呼び出されることになった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺たちは重厚な造りの応接室へと通された。
ほどなくして現れた領主の顔には、明らかな疲労の色が浮かんでいた。目の下にはうっすらと隈があり、ここ数日まともに眠れていないことが窺える。
しかし、その視線は鋭く、こちらを値踏みするような光を宿していた。
「無事だったようだな」
その声には、安堵と、警戒が同時に混じっている。
「街の北部で、大規模な破壊が起きたと報告を受けている。もし何かを見たのであれば、説明してもらおう」
俺は椅子に腰を下ろし、言葉を探した。
「遠目に、何かが戦っているのは見ました。詳細は分かりませんが、かなりの規模でしたね。決着はついたようですし、近づくのは危険だと判断して、そのまま戻ってきました」
「……ほう」
領主は目を細める。
「原因は不明だが、危険は去った、と?」
「少なくとも、これ以上街が襲われることはないと思います」
嘘ではない。
だが、すべてを語るつもりもない。
「貴様の言葉の根拠は?」
「ありません」
領主はしばらく沈黙したあと、深く息を吐いた。
「……分かった。現時点では、それで十分だ。街としては復旧と警戒に専念する」
それから、こちらをまっすぐに見据える。
「だが――」
一瞬、言葉を切り、
「君たちの存在が、今後、街にとって福となるか災いとなるかは、まだ分からん。互いに、慎重でありたいものだな」
「同感です」
俺は淡々と答えた。
領主はそれ以上追及することはなかった。
だが、その目に浮かぶ警戒が、消えていないことだけは、はっきりと分かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
領主館を後にし、宿へ戻る頃には、すでに夕暮れが迫っていた。
空は茜色に染まり、通りには一日の終わりを告げるような人の流れができている。
スタンピードの混乱も落ち着き、街には日常が戻りつつあった。
正直、クタクタだ。
俺たちの足取りは重い。
身体の傷はポーションで癒えている。だが、疲労までは消えてくれない。筋肉の奥に残る鈍い重さと、頭の芯に居座る倦怠感が、じわじわと全身を蝕んでいる。
伝説に残るような戦闘に巻き込まれていたのだ。脇役とはいえ、何度も命の危機を感じた。
精神的な消耗も、想像以上だった。
「今夜は、ゆっくり寝たいな」
思わず、口に出ていた。
「そうですね。とても、長い一日でした」
いつも澄ました表情を崩さない彼女も、さすがに疲れが見える。肩の力が抜け、歩調も重い。
彼女もまた、限界まで力を使い切ったのだ。
早く飯を食って、風呂に入って、ゆっくりと寝たい。
それ以外、今日はもう、何も考えたくない。
――そう思っていたのだが。
「ようやく見つけたぞ!」
宿の扉を開けた途端、耳障りな声がロビーに響き渡った。
ゆっくりと視線を向けると、そこに立っていたのは、見覚えのある顔。
派手な服装、尊大な態度、そして鼻にかかった声。
最悪だ。
「何のご用でしょうか、プルンブ様」
そこに居たのは貴族の男、プルンブ。
帝都の錬金術師研究所にいた俺を追い出した張本人。
貴族の息子という立場を笠に着て、俺の研究成果を奪うために冤罪を吹っ掛け、研究所から追放した男だ。
「何の用、だと? 決まっているだろう!」
奴は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、ずかずかとこちらに歩み寄ってきた。
「まったく、ずいぶんと手間を掛けさせてくれたな。手紙を何通出しても返事がない。だからこうして、直々に出向いてやったというわけだ。感謝しろ」
馬車で何日もかかる道のりを、わざわざやって来たのか。
ご苦労なことだ。
「それで?」
「決まっているだろう。研究資料の件だ。貴様、資料を妙な暗号で書きやがって!」
苛立ちをにじませた言葉が返ってくる。
「暗号、ね」
実際は暗号などではない。
俺は研究内容を前世の言語、日本語で記していた。
理由は単純、日本語の方が書き慣れているから。
そしてもう一つの理由、こいつのような輩に研究内容を盗ませないためだ。
案の定、コイツは俺の残した研究成果が読めなかった。
期待通りの反応に思わず笑ってしまう。
「何がおかしい!」
顔を真っ赤にして震える貴族のボンボン。
「貴様がちゃんと資料を残していれば! 研究を完成させなければ俺は……!」
どうやら見切り発車で俺を追放したせいで、コイツは追い詰められているらしい。
読めない資料とにらめっこするばかりで成果を出せず、何の評価も得られていないのだ。
奪った資料ゆえに、誰かに相談することもできず、こうして自ら俺を探しに出向く必要があった、と。
哀れなやつだ。
「だがな……もう一度、機会をやろう」
血走った目で、嫌な笑みを浮かべる。
「光栄に思え。俺様の研究を手伝わせてやる。お前は再び帝都へ戻り、俺の管理下で働くんだ」
「お断りします」
即答。
「……何だと?」
プルンブの表情が凍りつく。
「貴様、俺様の誘いを断るというのが、何を意味しているか、解っているのか?」
凄んでくる。
この国は、身分社会だ。
平民である俺は、貴族であるプルンブには絶対服従。
本来なら。
だが――
「黙りなさい」
鈴のように冷たい声が響いた。
そこで初めて、プルンブが俺の背後に視線を向ける。
そこに立っているのは、シャーリニィ。
ハイエルフの少女。
「な、何だ、その小娘は……」
光を放つ銀糸の髪、透き通った蒼い瞳。白い肌、整った顔立ち。
どんな貴族令嬢であっても敵わないであろうほどの美少女だ。
プルンブは、一瞬、言葉を失って見惚れていた。
しかし、当のシャーリニィは一切容赦しない。
「消えなさい」
「なっ――!?」
悲鳴を上げる間もなく、彼は宿の扉を通過、外へと放り出される。
通りを越え、路地裏へ。そこに置かれていたゴミ箱に、頭から突っ込んだ。
「ぐぼっ!?」
奇妙な悲鳴。
そして、そのまま動かなくなった。
宿の中は、しんと静まり返った。
宿の主人は目を丸くし、他の宿泊客も、呆然と口を開けたままだ。
沈黙を破ったのは、外から聞こえてきた足音だった。
二人の兵士が路地裏へと駆け寄っていく。
どうやら、俺を監視していた領主の兵たちらしい。
「……あれは?」
一人の兵士が宿へとやって来て、俺に尋ねた。
「営業妨害と騒乱行為の現行犯、でしょうか」
俺が淡々と答えると、兵たちは一瞬、互いに顔を見合わせた。
そして、深いため息。
「連れていけ」
兵士たちはゴミ箱からプルンブを引っ張り出し、運び去っていった。
プルンブは気絶しているらしい。大人しく運ばれていく。
宿の中に、再び静けさが戻った。
そして、俺に向かって振り向くシャーリニィ。
「邪魔も居なくなりましたし、食事にしましょう。ご主人様」
にっこりと微笑む銀髪の美少女。
「そうだな」
本来であれば、身分社会において貴族の命令は絶対。
しかし、人知を超えた存在であるハイエルフが、人族の法に縛られるはずもない。
やがて、宿の主人が深く息を吐いた。
「あんたらがいると、ほんとに厄介な客が来るな」
「すみません」
「まあ、いいさ。今日のところはな」
今日のところは、か。
そろそろ、宿を出るべきかもしれない。
自分の家が必要だ。
研究設備を整え、外部の干渉を遮断するための、専用の拠点。
宿では、どうしても限界がある。
金はある。
領主や商人との伝手も、それなりにできた。
「そろそろ、本格的に探してみるか」
俺がそう呟くと、シャーリニィが静かにこちらを見る。
「アトリエ、ですか?」
「ああ。腰を据えて研究できる場所だ。ここでは、どうしても落ち着かない」
「……それは、とても良いと思います」
彼女は、小さく笑みを浮かべた。
騒動の余韻が残る宿の中で、俺は改めて思う。
戦いは終わった。
だが、平穏な日々が、ただ待っているわけではない。
むしろ、錬金術師としてはこれからが本番だ。
新たな拠点。新たな研究。
そして、俺の研究を狙う者たち。
色々と、考えるべきことは山積みだ。
しかしまあ、今夜のところは――
上手い飯を食って、暖かい風呂に入って、シャーリニィを抱いて、すべて忘れて眠りたい。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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これにて第一章、完結です。
第二章ではアトリエ探しと、新ヒロインちゃんの登場から始まるかと思います。
引き続き、「王水の錬金術師」をよろしくお願いいたします。




