第21話:ハイエルフの勇者
森の開けた空間で、俺とシャーリニィは並んで立っていた。
人里から十分に距離があり、万が一、ハイエルフ同士の戦闘になっても被害が及ばない場所。
そう判断して選んだ場所だ。
「来ます」
彼女の言葉の直後、空気が張り詰めた。
風が止む。
木々のざわめきが消える。
鳥の鳴き声も、虫の羽音も、まるで誰かが音そのものを消したかのように、同時に断ち切られた。
眼前、魔力の流れがゆっくりと、しかし確実にこちらへ向かって収束してくる。
まるで、世界そのものが息を止め、何かが現れるのを待っているかのように。
景色が歪んだ。
空間が、水面のように波打ち、捻れ、引き裂かれる。
そして、しだいに収まった。
そこに、ひとりの男が立っていた。
長身。均整の取れた肢体。白磁のように冷たい肌。
男にしては長い銀髪が、風もないのにゆるやかに揺れている。
尖った耳。細身の体躯。見た目だけなら、どこにでもいる若いエルフの青年にしか見えない。
しかしそんな一人の人間が、周囲の自然を怯えさせるような圧を放っていた。
「大おじい様……」
シャーリニィが、かすれた声で呟いた。
やはり、彼がそうなのだ。
最古のハイエルフ。
魔王を討った英雄の一人。
そして、彼女の一族の祖。
だが俺は一つ、違和感を覚えた。
彼の目だ。
その双眸は、硬く閉じられていた。
シャーリニィから聞いていた彼の特徴は、澄んだ蒼い瞳。という話だった。
盲目などとは、一言も聞いていない。
「わざわざそちらから来てくれたのかい」
俺の疑問をよそに、彼が口を開く。
穏やかな声だった。敵意も怒気もない。まるで、遠方から訪ねてきた孫を迎える祖父のような口調だ。
「待っていれば、こちらから出向いたものを」
その言葉に、シャーリニィが一歩、前へ出た。
「大おじい様。もう、このようなことは止めてください。皆の神石を解放してください。でなければ……」
彼女は一瞬、言葉を区切り、それでも強い意志を込めて続けた。
「……無理にでも、あなたを止めなければなりません」
震えはない。
恐怖も、肉親に刃を向ける躊躇もあるはずだ。
それでも、それさえも飲み込んだ、覚悟の声。
「優しいね、シャーリニィは」
ヴァルナは、幼子のわがままを宥めるような声音で言った。
「しかし、それは力で私を止められると言っているようにも聞こえるよ?」
「そう言っています。それに――」
シャーリニィは、自分の額を指差した。
「この石は、あなたのものではありません」
しばし、沈黙。
「……困った子だ」
ヴァルナは、静かにそう呟いた。
その声音には、苛立ちも怒りもない。
あるのはただ、子供のわがままに対する、淡々とした困惑だけ。
そして、相変わらず俺に興味は向けられていない。まるで、最初から存在しないかのように。
路傍の石か何かのように。
「宿命があれば、手荒な真似はしなくてよかったんだがね」
血の宿命。
ハイエルフが額の神石によって縛られる、親や直系の祖先から受け継がれる魂の呪縛。
現在のシャーリニィはかつての石を失い、その鎖から解放されている。
「仕方ない」
ヴァルナがそう言った瞬間、世界が弾けた。
「力づくで、行かせてもうとしよう」
轟音。
空気が爆ぜ、衝撃波が大地を叩く。
目に見えない圧力が、森を殴りつける。
同時に、シャーリニィが杖を掲げていた。
ヴァルナから、光が奔る。
それは光というより、全てを押し潰すような、圧縮された魔力の塊。
シャーリニィの魔力が、それを迎え撃つ。
杖から放たれた光が壁となり、向かってくる光を迎え撃つ。
爆発。視界が一瞬、完全な白に塗り潰された。
遅れて、凄まじい衝撃と轟音が鼓膜を打ち抜く。
魔法の応酬が始まった。
光と光が衝突し、空間が軋み、森が悲鳴を上げる。
樹木の幹は引き裂かれ、枝葉は吹き飛び、大地は抉られて土砂が宙を舞った。
その一撃一撃が、ドラゴンすら一瞬で屠る威力。
だが、互いの攻撃は障壁に阻まれ、決定打には至らない。
俺は後方へ下がり、胸元に下げたアミュレットに魔力を流し込む。
紅い宝玉。神石を組み込んだ制御装置だ。
起動と同時に、ヴァルナの周囲に複数の魔法陣が展開された。
空間拘束。
魔力遮断。
移動阻害。
神石を動力源としている以上、相手がハイエルフであっても通用する、はずだった。
だが。
ヴァルナは、片手を、ただ軽く振った。
それだけで、魔法陣は紙屑のように引き裂かれ、光の破片となって霧散した。
「人でありながら、神石を錬成できる者か」
初めて、彼の顔が俺へと向いた。
閉じているはずの視線が、確かにこちらを見ていると感じさせる圧。
「奴隷の戯言としか思えなかったが……」
声は穏やかだ。だが、その奥には背筋を凍らせるほどの冷酷さを感じさせる。
「まさか、家畜が神の真似事とはな」
内心で、舌打ちする。
やはり、行方不明になっていたエルフ、ブラークから情報が漏れていたらしい。
無視しているように見えて、俺のこともしっかり警戒していたわけだ。
次の瞬間、ヴァルナからの圧が鋭くなり、こちらへ衝撃波が放たれた。
だが、それはシャーリニィの障壁に弾かれ、霧散する。
俺は即座に、新たな魔道具を取り出し、引き金を引いた。
轟音。
銃口が火を噴いた。
俺が用意していたのは、銃だ。
銃身はアダマンタイト製。火薬の代わりに神石を用いた魔力駆動式。
俺の設計と、シャーリニィの魔法加工によるものだ。
超高温の炉が必要な金属だが、彼女の魔法なら成形は容易だった。
本職の鍛冶師ではない以上、シンプルなマスケット型にせざるを得なかったが、それでも威力だけなら一級品だ。
弾丸がヴァルナの障壁を打ち、空間が大きく歪む。
同時に、シャーリニィの魔法が重なり、彼の防御を押し込んでいく。
「……おかしい」
ヴァルナが低く呟いた。
「なぜ、それだけの神石で、ここまで戦える?」
シャーリニィの力は、彼の想定を超えていたらしい。
「仕方ない。特別に、見せてあげよう」
ヴァルナはそう言って、ゆっくりと、まぶたを開いた。
「ひっ……」
シャーリニィが、思わず小さな悲鳴を漏らす。
そこにあったのは、人の眼球ではなかった。
無数の、紅い石。
それらが、昆虫の複眼のように密集し、両目の眼孔に埋まっていた。
「あれは……みんなの……」
シャーリニィの声が震えた。
そう、ひとつひとつが、神石。
ハイエルフたちの額から奪われた、彼女の同胞たちの魂。
「さあ、続けようか……」
ヴァルナの瞳が、両目に埋め込まれた無数の神石が、俺たちを見つめていた。
彼本来の神石に加え、両目の神石。
三か所の紅い光が、紅い三つ目のような異様な風貌を形作っている。
ヴァルナは、それらの神石を起動。
空間が悲鳴を上げる。
圧倒的な魔力が奔流となって溢れ出し、空気が熱を帯び、重力が歪み、視界が揺らぐ。
シャーリニィは必死に防御を展開しながらも、わずかに訝しげな表情を浮かべた。
「……なにか、違和感があります」
「違和感?」
「大おじい様の魔力の流れ……噛み合っていないような」
俺も、それに気づいていた。
確かに強大だ。
だが、その力の流れには、微細なズレ、遅延、干渉が存在している。
統一された一つのシステムではない。
寄せ集めの構造。
他人の神石を無理やり束ねたがゆえの、構造的欠陥。
シャーリニィは、はっとしたように叫んだ。
「石が……悲鳴を上げてる……! もうやめてください!」
悲痛な叫び。
ハイエルフたちの神石が、無理な用法によってダメージを受けているのか。
「あなたは、世界のために戦ったのではないのですか!」
「……かつては、な」
その声は、どこか遠い。
戦闘の最中、ヴァルナは語り始めた。
「私は、魔王をこの身に封じた」
『我は、このハイエルフの体に封じられた』
二つの声が、同時に、同じ口から発せられた。
「……え?」
一瞬、惚けるシャーリニィ。
俺も確かに聞いた。一人の口から、二人の声が聞こえたのだ。
一つはヴァルナ。
もう一つは、明らかに異質な存在。
「……どういう、ことだ」
俺は呟く。
「私はかつて魔王を討ち、その魂を封印した。だが……」
『だが、永い年月の中で、我とこの者の精神は溶け合った』
ヴァルナの眼が歪む。笑っているように。
「もはや、私は私であり、魔王でもある」
三つの紅い瞳が、俺たちを見つめていた。




