第20話:静寂の終わり
数日後。
朝の冒険者ギルドは、普段通りに賑わっていた。
掲示板の前では依頼を巡って言い争う声が飛び交い、酒場スペースではすでに杯を傾けている者もいる。
スタンピードという大災厄を乗り越えた直後だ。近隣の魔物も大人しくなっている。
生き残ったことへの安堵が、酒と笑いに変わっているのだろう。
あるいは、殉じた仲間への弔いか。
そんな中、俺は掲示板の前にいた若手冒険者二人に声をかけた。
「アイン、スティル。少しいいか」
二人は振り返り、俺を見ると軽く会釈した。
「おっちゃん! おはよう」
「依頼の相談っすか?」
「いや、森の地形について聞きたい。街の北方の森だ。深部まで入ったことはあるか?」
二人は顔を見合わせ、うーん、と唸る。
「あの森、奥に行くほど地形がめちゃくちゃなんすよ。湿地みたいな場所が増えて、道も消えるし」
「谷が多いって話も聞いたことあるな。急に地面が落ち込む場所とか」
「木の根が絡み合って、地面が盛り上がってるところもある」
「けど、俺たちが行くのは外縁部までっすね。薬草集めとか、ゴブリン退治くらいで……」
なるほど、と頷いたその時、背後から低い声が割り込んできた。
「その辺りは、地面の下も気をつけた方がいいな」
振り返ると、そこに立っていたのは上級冒険者のゴルドだった。
がっしりとした体躯、顎に蓄えた濃い髭、重装備がよく似合う男だ。
「北の森は、見た目ほど単純じゃねえ。地下に空洞が多い。古い洞窟だの、自然の空隙だのな。下手に進むと、崩落して生き埋めだ」
「地下か……」
俺が頷くと、それを聞きつけた周囲の冒険者たちが、次々とこちらに集まってきた。
「おっ、あんた、あの時の錬金術師じゃねえか」
「ポーション助かったぜ」
見覚えのある顔ぶれだった。
スタンピード直前、ポーションを渡した連中だ。
「森の話なら、俺も少し知ってるぞ」
「奥に古い遺跡跡があるって噂もあるな」
「魔物の縄張りは当てにならんだろうなぁ」
思った以上に、情報が集まってくる。
ゴルドが、少しだけ真剣な顔で俺を見た。
「……お前さん、なんでそんなに森を調べてる?」
一瞬、周囲の空気が静まった。
「先日のスタンピード、その原因が、あの森にある可能性がある」
ざわり、と空気が揺れる。
「……マジかよ」
「もっと北の奥地じゃないのか?」
「こっちに近づいてきてるってことか?」
もちろん、真実のすべてを話すわけにはいかない。
「可能性の話だ。だが、無視できない。だから、事前に調べておきたい」
「それって、本来は俺たち冒険者の仕事じゃないのか?」
誰かがそう言うと、他の冒険者たちも顔を見合わせた。
「事情があるんだ」
「おっさん一人で大丈夫かよ」
「護衛は?」
「問題ない。当てはある」
そう言って、俺は横に立つシャーリニィに視線を向けた。
「エルフか……」
「てことは魔術師?」
一人の冒険者が彼女の手元を見て、首をかしげた。
「……なあ、お嬢ちゃん。それ、槍か?」
彼女が手にしている白磁の杖。光沢のある真っ白なもの。魔力によって、うっすらと光を放っている。
しかし、杖と言うには、やや異様な形状のそれを指していた。
途中で緩やかに曲がり、先端は螺旋を描きながら、鋭く尖っている。
確かに、槍のようにも見える。
「嬢ちゃん、槍なんて使えるのか?」
「いや、あれは杖だろ」
口々に言われても、シャーリニィは何も答えず、沈黙を守る。
内気な少女だと思われているのだろう。
「それ、ミスリルか」
「表面だけな」
俺はそう答える。表面にミスリルでメッキ処理したものだ。
「それもそうか。いくらミスリルが軽いと言っても、嬢ちゃんの細腕じゃ重すぎらぁ」
仮に重い魔鉄鋼だったとしても、彼女は魔法を使ってやすやすと持ち上げるだろうが。
この杖の表面はミスリルに封魔塗料を混ぜたものだ。魔力的に中身を感知しづらくしている。
中身は彼女の血液から作った神石製の杖。いわば彼女の分身だ。
銘をラクタ・コンドーラという。
彼女自身が名付けた。
冒険者たちはそれ以上深く追及せず、やがて話題は再び森へと戻っていった。
俺は頷きながら、集めた情報を頭の中で整理する。
地形は複雑。
地下構造は不安定。
魔物の縄張りは変動中。
情報が集まり、俺たちの作戦は煮詰まってきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
冒険者たちからの情報収集を終え、ギルドを出たところで、俺たちは足を止めた。
見覚えのある人物が立っていたのだ。
外見は金髪の少年。幼く見えるが、エルフ。年齢は測りがたい。
この街のエルフたちの代表を務めている人物だ。名は確か、ヘリウス。
俺とシャーリニィの前に進み出ると、恭しく頭を下げた。
「お時間を頂いてもよろしいでしょうか。お二人に、ご報告すべきことがございます」
口調には、儀礼的な整いと、隠しきれない緊張が混ざっていた。
しかしその指先は、わずかに震えているようにも見える。
「構わない。何だ?」
ヘリウスは一瞬だけ言葉を選び、それから静かに告げた。
「北方へ調査に向かった者の一人、ブラークという者が、帰還しておりません」
シャーリニィが小さく息を呑む気配が伝わってきた。
「いつからだ?」
「予定の帰還日を三日過ぎています。連絡も、使い魔も戻っていません」
嫌な沈黙が落ちる。
エルフの一人が音信不通。しかも北方へ向かった者が。
ヴァルナと接触したのかもしれない。
エルフたちは、ハイエルフを神に最も近い存在として信奉している。
その思想は強く、もはや宗教以上。
一方で――
ハイエルフは、エルフを同族とは見なさない。
労働力、資源、あるいは所有物。扱いは、奴隷と同様だ。
シャーリニィと俺に従う彼らだが、もう一人のハイエルフであるヴァルナと出会った時、どうするか。
俺たちとヴァルナが敵対しているとき、どのような行動をとるか。
読めない。
しかも、エルフたちには俺の力を見せてしまっている。
俺の、神石を錬成する技術を。
早まったか?
だが、シャーリニィ以外のハイエルフが現れるなど、予想できるはずもない。
悔やんでも仕方ない。前を見よう。
ヘリウスは震えながら頭を下げていた。叱責を畏れているのかもしれない。
しかしエルフとはいえ、見た目は子供なのだ。怯えさせ、頭を下げさせているのは外聞が悪いな。
「わかった。ご苦労だった。調査は切り上げてくれ」
杞憂で済めばいいが。これ以上、彼らとヴァルナとの接触は避けるべきだ。
「労いの言葉、痛み入ります。承知いたしました。また何かございましたら、いつでもお呼びください」
そう言って少年は下がる。
「色々と、対策を考える必要があるかもしれないな」
「はい……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
決戦の当日。
俺たちは森へ踏み入った。
「行きます」
シャーリニィが短く告げ、杖を構える。
次の瞬間、俺たちの足は地面を離れ、森の天蓋を貫いて空へと持ち上げられた。
飛翔魔法。
通常であれば、冒険者たちが数日かけて踏破する距離。
それを、数分で一気に翔け抜ける。
木々の梢が流線となって後方へ引き延ばされる。魔力障壁によって風圧は感じられない。
シャーリニィの魔法制御は精密、揺れは全く感じなかった。
「あの辺りがいいだろう」
冒険者たちに聞いた情報通り、進行方向に開けた場所がある。
そこであれば、奴を迎え撃つのに丁度良い。
そう思い、降り立った時、シャーリニィの言葉。
「先客がいます」
周囲が暗くなる。
頭上を見上げれば、巨大な影。
「――ドラゴン」
黒い翼。
山のような体躯。
前回討伐したアースドラゴンを、明確に上回る巨体。
漆黒の鱗は光を拒むように鈍く輝き、その眼は、俺たちを正確に捉えていた。
「北方に居た、山の主でしょうね」
冷静に分析するシャーリニィ。
おそらくヴァルナによる魔法の光から逃れてきたのだろう。
そしてスタンピードを引き起こした原因の一つとも思われる。多くの魔物たちは、コイツから逃げて人里へと押し寄せたのだ。
黒竜は、空を侵す侵入者を敵と認識したらしい。
咆哮。
空気が震え、内臓にまで響く圧力。
足が震えそうだ。
しっかりしろ、俺。これから、ドラゴンなんかよりよっぽどヤバい奴を相手にするんだから。
黒竜は翼を大きく打ち、空気を破る音とともに、正面から突進してきた。
しかし俺たちの眼前で静止。
慣性を感じさせないレベルの急停止。言うまでもなく、シャーリニィの魔法だ。
少女は眉も動かさず、白い杖を掲げた。
次の瞬間。
黒竜の巨体が、内側から軋むような音を立てた。
べき。
べきべきべき――。
骨が軋み、肉が圧縮され、鱗が重なり合って歪んでいく。
目に見えない重圧が、竜の全身を包み込んでいた。
地鳴りのような悲鳴が、森と空を震わせた。
だが、それも、数瞬で途切れる。
さらに、竜は圧縮されていく。
肉も。
鱗も。
骨も。
すべてが、ひとつに丸まり、黒い球体となり、さらに縮み、点となり――
そして、消滅した。
まるで重力崩壊を起こした星のように。
森に、静寂が戻る。
「……」
俺は、言葉を失っていた。
倒すだけなら、以前から彼女一人でも可能だった。
だが、これは討伐どころではない。
完全に圧縮、消滅させてしまった。
「どうだ?」
俺が尋ねると、シャーリニィは杖を見つめながら、少し考え込むようにしてから答えた。
「すごく……使いやすいです。まるで、自分の体の一部のようです」
杖の使用感は問題ない。
それどころか――
間違いなく、強化されている。
俺は、静かに頷いた。
「……それでいい」
この力が、必要な相手がいる。
古のハイエルフ、ヴァルナ。
ここで迎え撃つ。
このあたりなら、人里への被害も抑えられるだろう。
しばし待っていると……
風が止み、森の音が、消えた。
耳が痛くなるほどの静寂。
「……来ました」
シャーリニィが小さく告げた。
その瞬間、森がざわめいた。
風でも、動物でもない。
木々そのものが、何かを拒むように軋み、揺れている。
空気が重くなり、視界の奥が歪む。
そして――
やつが、現れた。




