第18話:森への光、這い寄る視線
俺たちは冒険者ギルドへ向かった。
建物に近づいた時点で、いつもと違う空気を感じ取る。
併設された酒場から、普段なら絶えず聞こえてくるはずの笑い声がない。
代わりに耳に届くのは、金属が触れ合う乾いた音、革紐を引き締める音、そして低く抑えた声で交わされる短い会話だった。
扉をくぐると、さらにそれははっきりする。
昼間から酒をあおり、依頼板の前でくだを巻いている連中の姿はない。
冒険者たちは皆、武具の点検に集中していた。
鎧の継ぎ目を一つずつ確かめ、刃こぼれを指でなぞり、仲間と視線だけで意思疎通を交わす。
覚悟を決めた者の目だ。
シャーリニィを伴って中へ入る。
普段であれば、これほど目を引くエルフの少女がいれば、即座に声をかける輩が現れる。
だが、今は誰一人として軽口を叩かない。
さすがに、この状況で色気に気を取られるほどの馬鹿はいないらしい。
「錬金術師のおっちゃん!」
声を上げて駆け寄ってきたのは、若い男の二人組だ。
アインとスティル。まだ駆け出しだが、その度胸と行動力は十分。
「エルフ!? おっちゃんの連れか?」
「めっちゃ可愛い……」
二人の視線が、思わずシャーリニィに吸い寄せられる。
「助手みたいなものだ」
それだけ答え、俺は空いている広めのテーブルを一つ借りた。
鞄を置き、留め具を外して中身を開く。
一方のシャーリニィは我関せずといった調子。澄ました顔で俺を手伝う。相変わらず人間に興味は無い様子。
小瓶を並べていく。透明な液体、淡く赤い液体、青みがかったもの。
治癒ポーション、魔力回復、疲労軽減。用途別に瓶が並ぶ。
「これ、例のポーションだろ!?」
「効き目、マジでやばいやつ!」
周囲に聞こえるよう、わざと大きな声で言っているのが分かる。
彼らは以前も俺が渡したポーションを使った。それで一命をとりとめたのだ。
「よお、先生。来てくれたか」
声をかけてきたのは、上級冒険者のゴルド。
傷だらけの鎧、幾度も研ぎ直された大剣。
歴戦の空気を纏った男だ。
「持ってきてくれたか」
「ああ、必要だろう」
俺はポーションを数本取り出し、ゴルドの前に置いた。
彼は中身を一瞥し、深く息を吐く。
「助かる。あんたのポーションは冒険者病にならねえって評判だからな」
「冒険者病? 聞いたことがないな」
知らない病名だ。
「ん? 先生なら当然知ってるもんだと思ってたが……」
ゴルドは簡単に説明してくれる。
「安物の治癒ポーションを使い続けると、傷跡が痛むようになる。最終的に身体が言うことをきかなくなるんだ」
「ああ、薬滓結石症か」
精製技術の低いポーションには、不純物が残る。
それが体内に蓄積し、結石のように悪さをするのだ。
一度や二度では問題にならないが、冒険者のように頻繁に使えば、いずれ表に出る。
一般には冒険者病と呼ばれているらしい。
ポーションを使う頻度の高い冒険者が発症しやすく、そんな俗称がついたのだろう。
ポーションは経口でも効果は発揮する。それなら結石になる心配は無いが、即効性は低い。
非常時に使用する冒険者は、傷口に直接ぶっかけるのだ。結果、発症する。
対して俺のポーションは、一度蒸留して治癒成分だけを集めている。不純物はゼロ。心配は無い。
「ほら、お前らも」
そう言って小瓶を新人の二人にも渡す。
「非常時だ、後払いでいい」
「……前の分、まだ返せてないのに」
「なのに、また借りるなんて……」
「こんな状況だ。仕方ないだろ」
俺はさらに二本、追加で置く。
「生きて戻れ。返すのは、それからでいい」
二人はしばらく瓶を見つめ、やがて揃って頭を下げた。
「……必ず戻る」
「生きて、返すぜ!」
「それでいい」
他の冒険者たちにも、同様にポーションを配っていく。
冒険者の多くはその日暮らしだ。高価なポーションの代金を持つ者は少ない。
ほとんどの者に貸すことになった。かなりの額になる。
返ってこない代金もそれなりになると思われる。
だが、問題はない。俺は金には困っていない。
これで十分街に貢献したと言えるだろう。錬金術師としては。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌朝。
俺たちは、街外れに残された古い物見塔の上に立っていた。
本来なら立ち入り禁止区域だ。
基礎部分に亀裂が入り、石段も崩れかけている。数年前から封鎖され、誰も近づかなくなった遺物。
だが、シャーリニィの浮遊魔法にとっては関係ない。音も立てず、痕跡も残さず、俺たちは塔の頂へと降り立っていた。
高所からの視界は圧倒的だった。
街並み、その外縁、城壁。そして、その向こうに広がる森。
そしてその森は、明らかにおかしかった。
「いやな雰囲気だな」
素人の俺でもわかる。
本来は生命力に満ちているはずの緑が、どこか濁っている。
色が沈み、空気が重く、風の流れが乱れている。
森全体が、息を殺しているようだった。
やがて、その理由がはっきりと姿を現した。
地面が、ざわついた。
最初は錯覚かと思った。
だが次第に、土煙が立ち、枝が折れ、獣の鳴き声が重なり始める。
「来るぞ……」
森の縁から、魔物が溢れ出す。
ゴブリン、オーク、コボルト、リザードマン、などなど。
統率も秩序もない。ただその数だけが、尋常でなく多い。
種類も体格もばらばらな群れが、一斉に、街へ向かって雪崩れ込んでくる。
逃走。
狩りでも、侵攻でもない。背後から何かに追い立てられている動き。
ただひたすらに、背後から迫る脅威からの逃亡だけを考えている。
森の全ての魔物が出てきているのではと思えるほど。
すべてが、街へ向かっている。
だが、俺たちは動かない。
シャーリニィなら、単独でこの街を守り切ることも不可能ではないだろう。
だが、そこまでやるメリットは薄い。
俺たちは、錬金術師とその助手に過ぎない。
この街を守る、そのための冒険者と領軍だ。
ほどなくして、森の前で戦端が開かれた。
冒険者たちが先陣を切る。
剣が振るわれ、矢が走る。魔術の炎が炸裂する。
兵士たちは盾を構え、陣形を組み、大群を正面から抑える。
さらに後衛の冒険者が討ち漏らしを狩り取る。
叫び声。
金属音。
魔法の破裂音。
混乱はあるが、致命的ではない。
経験のある者が前線を支え、未熟な者を下げている。
連携は取れている。
思ったより、悪くない。
このままなら被害は出ても、街が呑み込まれることはない。
そう判断しかけた、その瞬間――
咆哮。
空気が震えた。
音というより、空気の振動として肌で感じる。
低く、重く、腹の奥を直接殴りつけてくる。
地面が揺れ、物見塔の石壁が震える。
森の奥。
木々を押し倒しながら、それが姿を現した。
「……でかいな」
思わずつぶやく。
鱗に覆われた巨体。
四肢は太く、尾は丸太のように地を叩く。
ワニに似た頭部。開いた口の奥に並ぶ歯だけで、人の背丈ほどもある。
言ってしまえば、巨大なトカゲ。
アースドラゴン。
翼こそないが、竜に分類される魔物。
防御力、質量、生命力。どれを取っても、他の魔物とは別次元。
それが、突進する。
それだけで、戦場が壊れた。
冒険者が跳ね飛ばされ、盾ごと兵士が吹き飛ぶ。
剣は弾かれ、矢は鱗で砕け、魔法は表皮で散る。
一撃。
それだけで、前線が崩壊した。
兵士の士気が落ちる。
冒険者が武器を落とす。
今この瞬間、皆が想像しているだろう。最悪の結末を。この街の終焉を。
これは、仕方ないな。
誰が悪いわけでもない。
相手が悪すぎる。
「シャーリニィ」
「はい」
詠唱は無い。
彼女が手を差し出す。白い指がドラゴンを指差す。
次の瞬間――
一閃。
細く、鋭い、一直線の光が、シャーリニィの指からドラゴンへと走る。
距離も、空気も、質量も無視して。
光線は正確に、アースドラゴンの頭部を貫いた。
ドラゴンが瞬きする。何が起きているのか理解できない様子。
次の瞬間、破壊音。
アースドラゴンの頭部が、内側から弾け飛んだ。
内部から破裂したかのように、頭部が弾け飛ぶ。
鱗も骨も脳も、霧状になって消えた。
巨体は二歩、三歩とよろめき、
そのまま、地響きを立てて崩れ落ちる。
「な、何だ!?」
「今のは……」
「軍の砲撃魔術か!?」
前線がざわつく。
誰も、正確には見ていない。
見えたとしても、「街の方から光が飛んだ」程度だ。
俺たちの仕事だと気づいた者は居ない。
領主にはバレるだろうが、この程度なら問題ない。
これはまだ、『超一流のエルフ』であれば可能とされる範疇だ。
正体不明の援護に戸惑っていた冒険者や兵士たちだが、すぐに正気に戻る。体勢を整えていった。
残りの魔物が駆逐されていく。
アースドラゴン以降、俺たちが出張る程の脅威は見当たらない。
順調だ。
この街は、守られた。
俺が息を吐いた、その時だった。
『石の匂いにつられて、目だけ飛ばしてみれば』
声。
頭の中に直接響く、不快な響き。
『誰かと思えば……シャーリニィではないか』
反射的に空を仰ぐ。
そこにあったのは――目玉。
正確には、翼の生えた巨大な眼球。
脈動し、宙に浮かび、こちらを覗き込んでいる。
シャーリニィが、はっきりと息を呑んだ。
「その声は……」
一瞬の沈黙。
「……大おじい様?」
目玉が、愉快そうに瞬いた。




