第17話:宿命遺伝子
少し歩き、俺たちは近くの広場まで移動した。
石造りのベンチが点在し、中央には小さな噴水がある。休憩所として使えそうな場所だが、今のところ人影はまばらだ。
遠くでは子供たちが追いかけっこをし、甲高い笑い声を響かせている。
日向では一匹の猫が丸くなって眠っていた。
事件や陰謀とは無縁の、あまりにのどかな光景。
「少し話したい。声を周囲に聞こえなくできるか」
「はい」
シャーリニィが小さく頷く。
次の瞬間、空気がわずかに歪んだ。
周囲の音が一段、遠ざかる。
子供の声も、水音も、急に膜一枚隔てた向こう側へ押しやられたようだ。
「遮音の魔法です。外には、私たちの声は漏れません」
良し。
「逃げたくないというのであれば、色々と話してもらうぞ」
「はい……私の知っていることは、すべてお話しします」
ベンチに腰を下ろし、シャーリニィは一度目を閉じた。
遠い記憶を整理するような、そんな仕草だった。
そして、ぽつぽつと語り始めた。
「ハイエルフは、数の少ない種族です」
静かな声で、語りが始まる。
「生まれも、死も、ゆっくりです。最年長の方は……神話時代から生きていると伝えられています」
以前の俺なら、誇張だと切り捨てていたかもしれない。
しかし本物のハイエルフを目の前にすると、現実味が帯びてくる。
「人口が少ないため、里全体が……一つの血族のようなものになります」
なるほど。
人口が少なければ、必然的に血は濃くなる。
「そして――神石についてです」
彼女は額の神石に、そっと指先を触れさせる。
「ハイエルフは、生まれたときから神石を宿しています。ですが、その時の神石は……白いのです」
「白?」
「はい。何の力も持たない、ただの器です」
白い神石。
連想するのは当然、魔物から捕れる魔石。
やはり、ハイエルフは本質的に魔物と同じ存在、その考えが強まる。
「産まれた後、同胞、主に両親が日々、神石に魔力を注ぎます。それで、石は紅く染まり、成長します。同時に……」
シャーリニィは、わずかに言葉を詰まらせた。
「注いだ者に対して、特別な感情を抱くようになります」
「特別、とは?」
「親愛の情……それ以上、と言われています」
それ以上。
曖昧だが、重い言葉だ。
「その色と、血縁者の魔力によって育てられることから、私たちはそれを『血の宿命』と呼んでいます」
胸の奥に、小さな引っかかりが残る。
感情的な好意だけで済む話なのか。
もし、それが精神や意思決定にまで影響するものだとしたら?
「人族に置き換えると、親に逆らえなくなる、みたいな話か」
「……はい」
シャーリニィは小さくうなずいた。
「ですが、通常は問題になりません。魔力を注ぐのは父と母だけですし、ハイエルフは皆、身内のような関係ですから」
閉じた社会。
疑問を挟む余地がない環境。
「産まれた時からそれが当たり前で、疑問は持っていませんでした」
一拍おいて、彼女は続ける。
「あの日までは」
あの日、それは恐らく……
「石を……えぐられてからは、変わりました」
淡々とした口調だが、その奥に感情が滲む。
「もちろん、両親のことは愛しています。感謝もしています。ですが今、思い返すと……違和感があるのです。言われる言葉すべてを、無条件で信じ、従っていたのは……おかしかった、と」
石を失って、『血の宿命』から解き放たれた?
そう考える事ができる。
そして、今の石は俺が与えたもの。
正確には、魔物由来の魔石粉を溶かし、結晶化させた神石だ。
俺に対して、同じような感情を抱いているのか?
あるいは、元となった魔物に?
「いえ、それは無いと思います」
はっきりと否定する。
「ご主人様のことはお慕いしています。感謝もしています。けれど、以前の両親に対する物とは明らかに違います。魔物に対しては何の感情もありません」
なら問題ないな。
魔物の魔石は融かして、魔力以外の要素を取り除いた。俺はその作業を行っただけ。血の宿命に関わる要素は無いか。
良かった、彼女が突然魔物側に寝返る心配も無さそうだ。
そして、彼女を洗脳的な手段で惚れさせても面白くない。
考える。
ハイエルフの特性『血の宿命』
ふと思い出す。彼女が、寝言で口にした言葉。
『大おじい様』
もし、血の宿命が両親だけでなく、
そのまた親、さらに祖先にまで遡って作用するものだとしたら?
まだ状況証拠でしかない。
それでも、敵の正体が見えてきたかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
おそらく、戦う必要がある。
俺の武器は科学と錬金術の知識、そしてシャーリニィ。
準備は粛々と進めた。
まず、一番重要な材料を調達する。ハイエルフの血液だ。
シャーリニィから血を抜く。一度に抜くのは貧血にならない程度。
しかし何度も繰り返す。
量が必要となる。これも彼女の力を増やすためだ。
注射の度、彼女はぎゅっと目をつぶり、ぷるぷる震えながらも痛みに耐える。可愛い。
傷跡は残らない。蒸留して作ったエリクサーは優秀だ。彼女の玉の肌に傷を残すわけにはいかない。
代償として、栄養が必要になる。
「いっぱい食え」
「は、はい……」
宿の食堂に並んだ料理を前に、シャーリニィは少し気圧された様子だった。
だが、遠慮はさせない。
抜いた分は、確実に補充させる。
「ほら、手が止まってる」
「……こんなに食べたこと、ありません」
「喰わないと貧血になるぞ」
彼女の血はいくらでも必要になる。
彼女ばかりに食べさせるのも酷だ。俺も一緒に喰う。
結果として、いつもの倍以上を平らげた。
「食べ盛りなのねぇ」
事情を知らない女将さんは、朗らかに笑ってそう言った。
こちらとしては、曖昧に笑って流すしかない。
夜。
一緒に寝ていると、寝ぼけたシャーリニィが俺の首筋に噛みつくというハプニングも。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二度目の異変は、予兆もなく訪れた。
昼間のこと。
街はいつも通りの喧騒に包まれ、俺は錬金術の準備に没頭していた。空を見上げる理由もなかった。
だがシャーリニィは、はっきりと反応した。
突然、彼女が顔を上げる。
次の瞬間、顔色が変わった。
「どうした」
「……来ました」
問い返すより早く、彼女は胸元を押さえ、わずかに身を強張らせる。
「光です。二回目……間違いありません」
嫌な確信が、即座に現実になる。
錬金術師協会へ向かうと、既に館内は慌ただしかった。
受付も、掲示板の前も、人だかりができている。
「もしかして、またですか?」
俺は確信しているが、それを教える必要は無い。
「はい。数刻前に確認されました」
職員は疲れた顔で即答した。
「発生地点は……前回と同じフラルゴ共和国です。ただし」
「ただし?」
「前回の予想地点は首都でしたが、今回は共和国南部です」
移動している。
しかも、南という事は、こちら側だ。
偶然を期待するのは止めよう。
こちらへ向かっている。そう考えるべきだ。
「近隣の国から冒険者がフラルゴへの調査に派遣されていましたが……」
事務員の顔色は悪い。
「消息不明とのことです」
冒険者が消えること自体は珍しくない。
だが、発生地点に近づいた直後に連絡が途絶えたとなれば、話は別だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして、異常は国外にとどまらなかった。
街路を、鎧姿の兵士たちが駆け抜けていく。
ただ事ではない。
何事かと見ていれば、鐘がなる。甲高い音が、連続で響く。
この街で非常事態を知らせるために設置された警鐘だ。
人々が立ち止まり、顔を上げる。
ざわめきが、じわじわと広がっていく。
何かが起きた。
遠く異国での異常ではない。この街に直接害を及ぼす何かが。
「このリズムは……魔物だ! スタンピードだ!」
誰かが叫んだ。
スタンピード。
魔物が生息域から溢れ、人里へと押し寄せる現象を指す。
それも今回は、飢餓や繁殖過多によるものではない。
逃走だ。
まるで、あそこに『いてはならない何か』が現れたかのように。
宿に戻れば、既に領主館からの使者が来ていた。
息を切らし、額には汗。
「ローゲン殿。領主様より、協力要請です」
内容は聞かずとも分かる。
街の防衛への協力だ。
交易都市アンプラと、二度目の光が観測された地点の間には、魔物の棲む大森林がある。
その森の魔物が、光から逃げるように街の方向へ押し出されている。
通常であれば人里を避ける魔物も、そんな余裕すらないらしい。
後ろにある『何か』から逃げることが最優先。
人里かどうかなど、考慮する余地はない。
本来、街を守るのは軍と冒険者だ。俺が前線に立つ義務はない。
だが、使える戦力はすべて使いたい。
それが領主の本音だろう。
それに俺に従うエルフたちも戦力として数えられる。
これは大きな要素だ。
同時に、『お前たちがこの街にとって、益のある存在であることを示せ』という、暗黙の要求でもある。
「引き受ける、と伝えてください」
使者の眉が跳ねる。
「……よろしいのですか」
「ええ。ただし、私と彼女は、こちらの判断で動きます。軍の指揮下には入りません。それで構いませんね」
「もちろんです。領主様も、その条件を了承されるでしょう」
俺としても、この街は気に入っている。
生活基盤も、物流も悪くない。
今後も住み続けるつもりなら、領主との関係を良好に保つのは得策だ。
協力する理由は、十分にある。
シャーリニィが、静かに俺の隣に立つ。
「まだ、遠いです」
ぽつりと、彼女が言う。
彼女の視線は、遠く北の空を見ていた。
「でも……近づいています」
光の主はまだ遠い。
しかし、魔物の氾濫はすぐそこだ。
逃げ場は、もう無い。




