第16話:沈黙の国、帝都の手紙
朝、宿の前が妙に騒がしかった。
人の話し声と、普段は聞こえない蹄の音が混じっている。
窓から外を覗いた瞬間、俺は納得した。
宿の正面に、一台の馬車が止まっている。
装飾は控えめだが、造りは良い。磨き込まれた車体の側面には、紋章が刻まれていた。
間違いなく、貴族の使いだ。
ほどなくして、廊下を駆ける足音。扉が遠慮なく叩かれた。
「お、おいあんた! 大変だぞ!」
宿の主人の声だ。
「領主様から呼び出しだ。今すぐ来いって……!」
来るべきものが来た、というところか。
用件は、おおよそ予想が付く。
俺は身支度を整え、シャーリニィに目を向ける。
彼女は昨夜より幾分落ち着いていた。貴族と聞いても、興味なさげな様子。
「一緒に行くぞ」
「はい」
短く答え、彼女は自然と俺の後ろに立った。
馬車に乗り込む際も同じだ。半歩後ろ。相変わらず周囲に興味はなく、俺だけを見ている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
領主の館は、街の規模に比して立派な造りだった。
厚い石壁と高い天井。権威を誇示するための建築だ。
過去には異国の軍隊を迎え撃った歴史を持つ、要塞としての趣を残していた。
応接室に通されると、まず目に入ったのは大きな窓と重厚な調度品。
そして、その中央に立つ人物だった。
年の頃は五十代半ば。整えられた口髭に、貴族らしい落ち着いた佇まい。
だが、目だけは違う。鋭く、冷静で、人を値踏みする目だ。
「よく来てくれた」
領主はそう言って、軽く笑う。
「ロディーム伯だ」
「錬金術師の――」
名乗ろうとすると、領主は先に言葉を重ねてきた。
「知っている。ハイド・ローゲン、一級錬金術師。帝都研究所所属――だった、か」
一瞬、間が空く。
「……よくご存じで」
「街に滞在する『要注意人物』は、把握しておく主義でね」
冗談めかした口調だが、視線は一切笑っていない。
促され、俺はソファーに腰を下ろす。
シャーリニィは無言のまま、俺の背後に立った。
その位置関係を、ロディーム伯は一目で理解したようだった。
「……そのエルフが、噂の?」
「ええ」
領主は頷き、話を切り出す。
「昨日の件だ。昨夜から今朝にかけて、この街に住むエルフが十三人、全員だ。全員が、君の泊まる宿に集結した」
机の上で、指が軽く組まれる。
「エルフは少ない。だが、一人一人が人族の一流魔術師に匹敵する存在だ。そんな連中が、一か所に固まる。街を預かる者として、見過ごせる話ではない」
尤もな判断だ。
「理由を聞かせてもらおう」
俺は考える。
全てを隠すのは無理だ。だが、出す情報は選ぶ。
「お察しの通り、彼らが集まった理由は、彼女です」
背後のシャーリニィは特に反応は無い。相変わらず平然としているのだろう。
「彼女は、ハイエルフです」
「……ほう」
その言葉に、領主の表情が変わった。警戒と、好奇心が同時に浮かぶ。
「エルフたちにとって、ハイエルフは特別な存在です。一目拝もうと、集まってしまいました」
「おとぎ話の存在かと思っていたのだがね」
俺は頷く。
「ええ、私もそう思っていました。先日まで」
「とてつもない力を持つとは聞くが……どの程度だ?」
核心。
「恐らく、通常のエルフで彼女に敵う者は、存在しないかと」
嘘は言っていない。
だが、人知を超えた存在とまでは、想像できないはず。伝える必要もない。
領主は数秒、黙考した。
「ならば、彼女の傷をどうやって治療した? 奴隷商でもポーションは使ったはずだ。その額、宝石を埋めただけではあるまい」
シャーリニィの額、赤い神石を見て言う。
「特性の薬で」
「具体的には?」
「機密です」
伯爵の目が鋭くなる。
空気が、わずかに張り詰めた。そして。
「……仕方あるまい」
ロディーム伯は小さく息を吐いた。
彼も理解しているのだ。
エルフたちがシャーリニィを中心に集まっていること。
そのシャーリニィが、俺に従っていること。
俺を敵に回せば、エルフ十三人と、それ以上の力を持つハイエルフを敵に回すことになる。
それは、この街にとって最悪の選択だ。
「この街と敵対するつもりはない。それだけは、約束してくれるな?」
「もちろんです」
即答する。
こうして会談は、表向きは何事もなく終わった。
だが別れ際、彼が呟いた言葉が若干、気になった。
「ポーションで治せない傷を癒した、か……」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
領主館を後にして、次に俺たちが向かったのは錬金術師協会。
この街において、魔術と科学の情報が最も集まる場所だ。
石造りの建物は、いつものように人の出入りが多い。
錬金術師、その見習い、職員に商人。
薬品と金属の匂いが、半ば常に漂っている。
受付に名を告げると、職員の対応は早かった。
一級錬金術師の肩書きは、こういう場面では便利だ。
「昨夜の発光現象について、協会で把握している情報を」
「少々お待ちください」
職員が奥へ引っ込む。
待つ間、壁際の掲示板に目を走らせた。ポーションの依頼書、素材の入荷情報、研究発表の告知。特別変わったものは見当たらない。
ただ、普段よりも協会への人の出入りが多いように感じられた。
戻ってきた職員の顔は、わずかに硬い。
「現時点では確定情報ではありませんが……発生地点について、協会内で有力視されている場所があります」
「それは?」
「フラルゴ共和国です」
「ああ……」
ある意味、納得できる場所だ。
フラルゴ共和国。
名目上は共和国だが、実態は完全な独裁国家だ。
軍部が独裁し、外部との交流を極端に嫌う。国民は重税に苦しんでいるとか。
さらに聖教会からは、以前から異端国家として扱われている。邪神信仰の疑いがあるとかで。
政治的にも、宗教的にも、孤立した地域である。
「昨夜以降、共和国の錬金術協会との連絡が取れていません」
「通信魔道具でも?」
「通常であれば、定時連絡があります。ですが……昨夜を境に、完全に沈黙しています」
情勢の不安定な国だ。通信が途絶えること自体は、驚くべきことではない。
だが、同時刻にあの発光現象が発生しているとなれば、話は別だ。
「協会としては、事故、実験の暴走……あるいは政変の可能性も考えています」
「なるほど」
俺はそれ以上、深くは聞かなかった。
今の段階では、誰も確かなことは言えない。
受付を離れようとしたところで、別の職員が近づいてきた。
手には一通の封筒。
「ローゲン様。帝都から、お手紙が届いています」
「帝都?」
――プルンブ。
帝都研究所の同僚だ。元同僚か。
俺を帝都研究所から追い出した張本人。貴族のボンボン。能力よりも家柄で地位を得た男。
手紙の内容は、おおよそ想像がつく。
俺が残した研究資料が読めない。
再現できない。
戻ってきて説明しろ。
そんなところだろう。
奴は俺に嫉妬し、研究を奪うために冤罪を仕立て、俺を追い出した。
だが俺は対策を取っていた。
研究資料を前世の言語、日本語で書いていたのだ。
この世界の誰にも、あいつではなおさら解読できない研究資料。
案の定、奴は俺の研究を読めず、右往左往していたわけだ。
最終的に解読を諦め、プライドを捨てて俺に泣きつくことを選んだか。
ざまぁ。
清々する。良い気味だ。
だが、今はそれどころではない。
無視でいい。
手紙の封を切ることもなく、俺は封筒をシャーリニィに手渡す。
「焼いといてくれ」
「はい」
一瞬、火がともる。
次の瞬間には、彼女の手の中の手紙は灰になっていた。
受付の女性はなにか言いたそうな顔でそれを見ていた。
貴族からの手紙を開封もせず焼いたことについてか、屋内で火を使ったことか。
両方か。
その時――
「そんな……! なんとかならないんですか!?」
切羽詰まった声が、協会内に響いた。
視線を向けると、すぐ隣の受付で、ひとりの少女が職員に食ってかかっている。
年の頃はシャーリニィと同じくらいか。オレンジ色の髪を短めのポニーテールにしている。動くたび、跳ねるように揺れていた。
あどけなさの残る顔立ちは可愛らしいが、今の表情は必死。
握りしめた拳が、小さく震えている。
「そう言われましても……規定ですので……」
職員は困ったように視線を泳がせ、型通りの言葉を返すしか無い。
「あれは?」
小声で尋ねると、受付の女性が同じく声を落として答えた。
「おそらく、見習いの子ですね。確か……錬金術師だった父親の助手をしていたはずです」
「父親が?」
「ええ。先日亡くなられまして。独り立ちする前に、師匠を失った形になります」
なるほど。
事情は理解できた。
錬金術師の世界では、師弟関係がそのまま生活基盤になることも多い。
後ろ盾を失った見習いが行き場を失うのは、珍しい話ではない。
気の毒だとは思うが、俺には関係ないな。
俺はそれ以上関心を向けることなく、踵を返した。
協会を出ると、空は驚くほど穏やかだった。
昨夜の異常が嘘のように、街は日常を取り戻している。
だが、フラルゴ共和国の沈黙が意味するものを考えると、背中に冷たいものが走る。
フラルゴ共和国とエルフの森は、地理的にそう遠くない。
嫌な予感は、確実に形を持ち始めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
協会を出てしばらく歩いたところで、俺は足を止めた。
人通りの少ない路地。石畳に落ちる影が、やけに長い。
シャーリニィも立ち止まり、俺を見上げる。
その表情は落ち着いているようで、奥底には張りつめたものが残っていた。
「――逃げるか?」
思考を整理するために、あえて口にした言葉。
彼女の身を守る最善策を考えれば、選択肢としては十分に現実的だ。
光の主は、ハイエルフの里を滅ぼした元凶。それは恐らく、間違いない。
そして今回、またそれが動き出した可能性がある。
一国を滅ぼしたか、少なくとも機能不全に陥れた。
強大な敵だ。
しかもシャーリニィの復活を察知している可能性すらある。
危険だ。
遠く離れ、身を隠す。
一つの選択肢としてはありだろう。
だが、シャーリニィは即座に首を横に振った。
「逃げたく……ありません」
声は小さいが、迷いはなかった。
「両親や仲間、それと……以前の、私の石の仇ですから」
彼女は額に手を当てる。
そこにあるのは、俺が与えた神石。
かつて奪われ、そして取り戻した力の象徴。
同時に、彼女が背負ってきた喪失の記憶そのものでもある。
復讐心、という言葉では足りない。
それは存在理由に近い感情だ。
「そうか」
聞いてみただけだ。
仮に逃げるにしても、どこへ逃げるというのか。
フラルゴから、この街のシャーリニィを察知されたとしたら、どこまで逃げればよいのか。検討もつかない。
考える。
ハイエルフたちの敵の強さについて。
彼女の話では、里にいた者たちは皆、シャーリニィ以上の魔法の使い手だった。
それほどの存在が、為すすべもなく滅ぼされた。
不可解な点が、二つある。
一つ目。
シャーリニィが、突然動けなくなったこと。
敵に何かを言われた直後、身体の自由を奪われたという。
恐怖や威圧だけで説明できる現象ではない。
精神支配か、物理的操作か。いずれにせよ、通常の魔法とは性質が違う。
二つ目。
両親の魔法が、打ち消された点。
防がれたのではない。
相殺でもない。
まるで、最初から存在しなかったかのように消えたという。
これは異常だ。
敵の能力なのか、それともハイエルフの魔法の弱点なのか、どちらだ?
どちらにせよ、正体を突き止めなければ話にならない。
仕組みを理解し、対策しなければ、立ち向かうことすらできない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宿の部屋で、シャーリニィは俺の腕の中で眠っていた。
しかし完全に安らいでいるわけではない。何やら夢を見ている様子。
ときおり、眉がわずかに寄る。
「……大お祖父様……」
少女の寝言。
小さな声。
「どうして……」
ん?
大お祖父。
つまり、両親よりもさらに前の世代。ひい爺さんくらいだろうか。
それがあの敵と、関係があるのか。
問いかけに答える者はいない。
シャーリニィは再び静かな寝息に戻り、夢の続きを見ることはなかった。
疑問ばかりが増えていく。
答えは出ないまま、俺の意識も、夢の中へと落ちていった。




