第15話:あの日、彼女が見た光
天を貫く光は、数十秒ほど続いたのち、嘘のように消え去った。
視界に焼き付いた残像が、まだ網膜の奥でちらついている。
静寂が戻ったはずの夜は、どこか歪んで感じられた。
光が収まっても、腕の中のシャーリニィは震えが止まらない。
「シャーリニィ」
呼びかけても、返事はない。
彼女は声を上げることすらできず、ただ俺の胸元に顔を押しつけ、必死にしがみついている。
「大丈夫だ。もう終わった」
そう言っても、彼女の反応はない。
俺の言葉を聞いてなお、身体が言うことを聞かないのだ。
俺は彼女を抱きしめ、ベッドへともどった。
細く、軽い。力を入れすぎれば壊れてしまいそうな身体。
銀色の髪を、ゆっくりと撫でる。
彼女の震えはすぐには止まらなかった。
それでも、少しずつ、ほんのわずかずつ、力が抜けていくのが分かる。
そのまま、夜が過ぎた。
彼女は俺の胸に顔を埋めたまま、俺は彼女を抱きしめて、眠りについた。
そうしているうちに、窓の外が白み始めた。
朝だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街は、昨夜の出来事で持ち切りだった。
「神の降臨だ」
「天罰らしいぞ」
「聖教会の奇跡だとか……」
好き勝手な憶測が、あちこちで飛び交っている。
当の教会はというと、明確な声明は出さず、人々をなだめるだけで様子見を決め込んでいるようだった。
朝食の席でも、シャーリニィはほとんど口をつけなかった。
スープをすくう手は、まだかすかに震えている。
食事を終え、部屋に戻ったあと、彼女はしばらく黙り込んでいたが、やがて意を決したように顔を上げた。
「あの光……」
声は弱々しいが、ようやく語る気になった様子。
「……里が滅びたときに見たものと、とても、よく似ていました」
俺は何も言わず、先を促す。
彼女の視線は、どこか遠い過去を見つめているようだった。
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精霊の森と呼ばれる大樹海、エルフの森。
そのさらに奥、人族はもちろん、一般のエルフでさえ立ち入ることを許されない聖域がある。
そこに、ハイエルフの里は存在していた。
住人は十数人。
外界との接触はほとんどなく、時折、エルフの使者が訪れる程度だった。
「……静かな場所でした」
神石の光に守られ、争いとは無縁の生活。
安全で平和な空間で、各々が祈り、音楽、芸術、踊りなどを楽しむ。
最年少だったシャーリニィは、誰からも可愛がられていた。
魔法を教えてくれる者、歌を教えてくれる者、髪を編んでくれる者。
それが、彼女にとっての世界のすべてだった。
だが、その平穏は唐突に終わりを告げた。
その日も、いつもと変わらない一日になるはずだった。
シャーリニィは里のはずれで、小さな鳥たちを呼び寄せて遊んでいた。
彼女が囁くと、羽音が重なり、枝から枝へと光が跳ねる。
そのときだった。
叫び声。
鋭く、切り裂くような声が、森の奥から響いた。
驚いて振り返ると、里の方角から、光が立ち上っていた。
神石の光とは明らかに違う、乱暴で、不安定な輝き。
嫌な予感が胸を締めつける。
シャーリニィは、咄嗟に探知魔法を展開した。
一人の仲間の気配、それが消えた。
魔法通信が流れ込んでくる。
『襲われた!』
『動けない……』
『石を……神石を、奪われた……』
『逃げろ、シャーリニィ!』
声は混乱し、途切れ途切れで、悲鳴が交じる。
戦いが始まっていた。
それだけは、幼い彼女にも分かった。
だが、次々と気配が消えていく。
一人、また一人と。
どうすれば良いのかわからず、少女は立ちすくんでいた。
そのとき、背後に気配。振り向くと一人の人影。
『××××××』
人影が、何かを口にした。
言葉だったのか、音だったのかさえ分からない。
その瞬間、シャーリニィは身体が動かなくなってしまった。
身体の支配を奪われたかのように。
ゆっくりと、その手が伸びてくる。
額に触れられた瞬間、激痛が走った。
えぐられる。
神石が、引き剥がされていく感覚。
そんな状況でも、彼女は身動きできず、声も出せずにいた。
「シャーリニィ!!」
聞き慣れた声が、悲鳴のように響いた。
次の瞬間、衝撃。
人影が弾き飛ばされる。
両親だった。
父は前に出て、即座に結界を展開する。
魔力を編み込み、幾重もの光の壁を重ねる。
「近づくな……!」
母は圧縮した魔力を撃ち放った。
破壊の奔流が、人影を飲み込む。
だが、人影には効かなかった。
相手に触れた瞬間、魔法が霧散する。
ドラゴンを消し飛ばす光が。
「……なぜ……!」
父の声に焦りが混じる。
それでも二人は下がらない。
血を流し、呼吸を乱しながらも、シャーリニィの前に立ち続ける。
人影が、再び動く。
父は咆哮とともに突進し、全魔力を注ぎ込んだ一撃を叩き込む。
肉体と魂を同時に削る、命を賭した攻撃。
「この子だけは……!」
母が魔力を紡いだ。
それは封印の魔法。
最後に見えたのは、両親が並び立ち、決死の構えで人影に向かう姿だった。
そして、光。
強烈な光に包まれ、意識が途切れた。
次に目を覚ましたとき、そこには誰もいなかった。
両親も、仲間も、敵も。
家のあった場所に戻るが、もうそこに里は残されていなかった。
建物は崩れ、道は森に呑まれれていた。
どれほどの時間が経ったのか、分からない。
数年か。
あるいは、数百年か。
彼女は、ただ森を彷徨った。
やがて人族に捕らえられ、奴隷として売られた。そして、俺の元へ辿り着いた。
「……思い出せないんです」
シャーリニィの声が震える。
「アレの顔も姿も、言葉も。見たはずです。それなのに、思い出せないんです」
トラウマにより、記憶に蓋をしてしまったのかもしれない。
「でも一つだけ、覚えてます。昨日の夜の光、あの魔力の波長は……アレが使った魔法に、よく似ていました」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
正直、理解の及ばない話だ。
俺はシャーリニィの力を、この目で見た。
彼女の魔法は、人の領域を遥かに超えている。
理論も、威力も、規模も。全てが通用しない。
そんな彼女ですら、ハイエルフの基準では若輩。
彼女以上の魔法を使うハイエルフの集団が壊滅させられた。
そんなことが可能なのか?
それこそ神か、それ以上の存在でなければ不可能ではないのか。
神でなければ、邪神。あるいは、その眷属。
そんなものが存在するなら、だが。
存在はしてもおかしくはないか。
そもそもハイエルフ自体、古代文明の人類が人為的に生み出した存在、というのが俺の説だ。
人間を生物学的、あるいは魔術的に進化させてエルフを創る。エルフに魔石を埋め込み、ハイエルフを創る。
方法は分からないが、少なくとも神の奇跡ではない。
そうしてハイエルフを生み出した個人、あるいは集団を神と呼んでいるに過ぎない。
そして技術というものは、独占できない。
対抗勢力が存在しても、不思議ではない。そんな『神』の抵抗勢力が『邪神』と呼ばれることとなった。
そういう意味で、神も、邪神も、邪神の眷属も存在しうる。
ハイエルフも絶対の存在ではない。ハイエルフに打ち勝つ者も存在しうる。
それが、俺の推測だ。
そいつがまた、暴れ出したのか。
俺たちの脅威になるか?
シャーリニィの話では、昨夜の光はかなり遠方で発生している。
ハイエルフを襲った存在が居たとしても、少なくとも、今すぐこの街が襲われる可能性は低い。
直近の危険は無いと判断してよいだろう。
「……ご主人様?」
考え込んでいると、シャーリニィが不安そうにこちらを見上げていた。
不安にさせてしまったか。
「大丈夫だ。すぐに何かが起きる状況じゃない」
そう言って、意識して落ち着いた声を出す。
「ただ、調べる必要はある」
丁度いい。昨日、人手の当てができたところだ。
「エルフたちに動いてもらおう」
「はい」
シャーリニィが小さく頷き、目を閉じる。
祈るような所作。いや、呼びかけか。
数分後、扉が控えめに叩かれた。
「失礼します」
現れたのは金髪の少年。この街のエルフの代表、ヘリウス。
息を切らしているあたり、相当急いできたのだろう。
「昨夜の光について、なにか知っているか?」
「申し訳ありません、我々の知識では何も……」
まあそうだろうな。
「なら調査だ。エルフのネットワークを総動員してほしい」
エルフは同族意識が強く、各地に散っていても連絡は取り合っている。そう聞いたことがある。
そして創霊主である俺と、ハイエルフであるシャーリニィの命令であれば素直に動くだろう。
「発生地点、その状況。それと人族側の動きも」
ヘリウスは即座に理解したようで、表情を引き締めた。
「帝国の動きは問題なく調べられるかと」
帝国には、お抱え魔術師としてエルフが入り込んでいる。
情報は比較的集めやすい。
「ただ、聖教会は……」
顔を暗くするヘリウス。
聖教会のエルフに対する感情はあまり良くない。
エルフと教会、双方共に、自分たちをより神に近い存在と主張するからだ。
「可能な範囲で構わない」
「はっ。必ずや!」
ヘリウスは深く頭を下げ、退出していった。
そのやり取りの間、シャーリニィは終始、平然としていた。
背筋を伸ばし、感情を表に出さない。
だが、俺には分かる。
彼女の指先は、わずかに震えている。
俺の服の裾を、無意識に掴んでいた。
本来なら、俺たちが直接現地へ向かうのが一番早い。
錬金術師としても、興味は尽きない。移動もシャーリニィの力があれば容易だろう。
だが、今の彼女では無理だ。
そして俺自身、危険に自ら近寄りたいとは思わない。
これは、慎重に進めるべき案件だ。
時間をかけて、確実に。
ヘリウスが部屋を辞し、室内には再び静寂が戻った。
扉が閉まる音を合図にしたかのように、シャーリニィは俺の胸に顔を埋め、そのまま離れようとしなかった。
抱き寄せると、彼女の身体は思った以上に冷えている。
「もし……また、同じことが起きたら……」
胸元から聞こえる声は、細く、掠れている。
「御主人様から頂いた石を……失うことがあったら……」
言葉の合間に、微かな震えが混じる。
夜の出来事が、まだ彼女の中で終わっていないことは明らかだった。
「……もう、奪われるのは、嫌です」
指先が、縋るように俺の服を掴む。
神石そのものよりも、それを奪われた瞬間の記憶、無力感と喪失が、彼女を縛りつけているのだろう。
俺は何も言わず、腕に力を込めた。
背中を包み、頭に手を置き、逃さないように。
「大丈夫。誰にも、奪わせない」
そう言って、強く抱きしめる。
「お前は、俺のものだ」
「……はい」
俺の言葉に、ようやく彼女も落ち着いた様子。
胸の中で、俺の体温を感じ、表情も柔らかくなった。
俺はシャーリニィの銀髪をなでながら考える。
しかし、疑問が残る。
今回の発光現象。
シャーリニィが神石を失ってから、数年か、あるいは数百年。
その間、ハイエルフを滅ぼした敵は動きを見せていなかった。
少なくとも、昨夜のような発光現象は確認されていない。
なぜこのタイミングで?
シャーリニィが神石を取り戻した直後に。
偶然なら構わない。
こちらから接触しなければよいだけだ。
しかし、まさか、因果関係はないだろうな?
嫌な可能性を考えてしまう。
腕の中のシャーリニィが、微かに身じろぎした。
蒼い瞳がこちらを見上げている。
思考を切り替える。
頭をなで、口づけを交わす。
彼女のつややかな、桜色の唇。その感触が心地よい。
そして微笑んでやれば、はにかんだ笑顔が返ってきた。
「えへへ、ご主人様……」
可愛い。
そんなシャーリニィの笑顔を見て改めて思う。
彼女を守る。
それが最優先だ。
俺は胸の中で、もう一度だけ同じ言葉を繰り返した。
誰にも、奪わせない。
それが、願いではなく、誓いとなるように。




