第14話:地の神、天の光
翌朝の宿は、妙に空気が重かった。
朝食の時間になっても、食堂に集まる客は少ない。誰もが無意識のうちに意識を外へ向けている。
扉の向こう、宿の前に陣取るエルフたちの気配が、ここまで伝わってくるようだ。
席に着くと、宿の主人がずかずかと近づいてきた。
「……なあ、あんたら」
無愛想な声。それ自体はいつものことだが、今朝はそこに苛立ちと疲労が滲んでいた。
「あのエルフの連中、どう考えてもそっちの嬢ちゃん目当てだろう」
やはり誤魔化しようは無いか。
「なんとかしてくれ。このままじゃ商売あがったりだ」
有無を言わせぬ調子。
確かに、朝から宿の前に跪くエルフの集団は異様極まりない。客も減るかもしれない。
最悪の場合、今日中に出て行けと言われても不思議ではない。
「すいません。すぐに何とかします」
「頼むぜ。ったく……最初はただの、貧相なエルフの連れだと思ってたんだがな」
主人がため息をつくと、厨房から料理を運んできた女将さんが、慌てて割り込んできた。
「ちょっと、あんた! なんて失礼なこと言うのさ!」
ぴしゃりと主人を睨みつけると、今度は勢いよくシャーリニィの前に回り込んだ。
「こんなに綺麗な子が、ただのエルフなわけないじゃない!」
まるで宝石でも鑑定するかのように、顔立ちから耳、銀の髪までをまじまじと眺める。
「あんた……エルフの国のお姫様だったんだね! だからあんな大勢で拝みに来てるんだろ」
お姫様。
一般人の認識では、そうなるのか。
彼らは、ハイエルフという存在そのものを知らない。聞いたことはあっても、それは物語の中の登場人物だ。現実に存在する人としては認識されないのだろう。
なので、理解しやすい枠組みに当てはめる。
王侯貴族。姫。女王。
たしかに、シャーリニィはエルフのお姫様、と言われても納得できる麗しさだ。
実際のところ、ハイエルフは統治者というより宗教的指導者に近い。信仰の象徴であり、精神的支柱だ。
だがまあ、間違ってはいないのか?
「えっと、その……」
女将の勢いに押され、さすがのシャーリニィもたじたじだ。
俺以外の人間には基本的にそっけない彼女だが、こうした好意を真正面から向けられる経験は、ほとんどないのだろう。
「姫様でも女神様でも何でもいいがな」
主人が、げんなりした様子で肩をすくめる。
「仕事の邪魔だけは勘弁してくれ」
主人の方は現実的だ。
確かに、この状況をこれ以上放置するわけにはいかない。
宿の都合もあるし、俺にとっても都合が悪い。
仕方ない。
「シャーリニィ」
「はい」
澄んだ声で返事が返ってくる。
「一つ、提案がある」
俺は、これから取る作戦を語った。
彼女はそれを黙って聞く。そして。
「……ご主人様の、御心のままに」
にっこりと微笑み、そう答えた。
その笑顔にわずかな期待と、楽しげな色が混じっていたことには、俺は気づかないふりをした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺は宿の食堂を借り切った。
一般客は立ち入り禁止。
主人にも女将にも席を外してもらい、扉を閉め、内側から鍵を掛ける。
念のため、シャーリニィに簡易の結界を張らせた。外から覗かれる心配はない。
この場にいるのは、俺とシャーリニィ、そして例のエルフたちだけ。
エルフは十三人。
男女は半々ほど。全員が金髪で、年齢を感じさせない若々しい容姿をしている。
だがその態度は統一されていなかった。
落ち着きなく視線を彷徨わせる者。
祈るように手を組み、ぶつぶつと聖句を呟く者。
あるいは、露骨な敵意を隠しもせず、俺を睨みつけてくる者。
信仰心と混乱と、そして人族への蔑視。
それらが入り混じり、場の空気はピリついていた。
「人族よ」
最初に声を上げたのは、血相を変えた若い男だった。
「御石のお方を、今すぐ解放せよ。神に連なる御方を縛るなど、許されるはずがない! 神以外に、御石のお方を縛ってよい存在など、この世に存在しない!」
露骨な敵意。
俺が、シャーリニィを縛っていると認識している。間違ってはいない。間違ってはいないが……
「よせ!」
制止の声が飛ぶ。
一人の金髪の少年が、前に進み出た。
外見は十代の前半ほど。
「お初にお目にかかります、御石のお方」
少年はまず、シャーリニィに向かって深く一礼した。
その所作は、他のエルフよりもはるかに洗練されている。
「そして……隣におられる、人族の方」
言葉を選びながら、形式的に俺にも頭を下げる。
敬意というより、礼儀としての最低限だ。
「私はヘリウス。この街に住まうエルフの代表を務めております」
名乗りのあと、再び頭を下げる。
「我が同胞が騒ぎを起こし、貴殿らの安寧を乱したこと、代表として謝罪いたします」
外見は十代のそれ。だがエルフの年齢を外見から推察するのは困難。
他のエルフが大人しく黙っている辺り、実際の年齢は相当のものなのだろう。
「謝罪はいい。だが、このまま街中で騒ぎを起こされるのは困る。俺たちは静かに暮らしたいんだ」
俺がそう言うと、少年は苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「理解はしています……けれど我々にとって御石のお方、ハイエルフは、失われた神話そのもの。その御姿を拝して、ただ通り過ぎることなど、種の本能が許さないのです」
本能が許さない、か。
そう言いつつも、俺と対話しようとしているあたり、他のエルフよりは理知的だ。
背後のエルフたちは違う。
シャーリニィを崇拝する視線と、俺を忌避し、見下す視線が、露骨に交錯している。
「我々は、御石のお方に導かれることを望んでおります」
ヘリウスが、静かに言った。
「私は、あなたたちに興味は無い」
即答。
シャーリニィの声は冷たく、感情がない。
「けれど」
一拍。
「私と共に、ご主人様に仕えるというのなら――近くにいることを許す」
ざわり、と空気が揺れた。
「ご主人様……!?」
「人族に仕える、だと……?」
信じられない、という声。
怒りと屈辱が混じったざわめき。
その瞬間。
「今日ここで見聞きしたこと」
シャーリニィの声が、すっと場を切り裂く。
「外部に漏らすことは、一切許さない」
静か。だが、拒絶は許されない声音。
「違えた者は……分かっているわね?」
全員が息を呑んだ。
そして、ほぼ反射的に頭を下げる。
シャーリニィが一歩下がり、俺に対して礼。
「こちらの方は……創霊主」
「……は?」
間抜けな声が、あちこちから漏れた。
創霊主。
それは、エルフたちが神話の中でのみ語る名。
霊を統べ、石を刻む、神の称号。
「かつて私は、神石を失った。つい先日まで、私は石を失ったハイエルフ、エルフ未満の存在だった」
シャーリニィが語る。
「そんな私に、新たな神石を与えてくださったのが――このご主人様」
額に埋め込まれた、紅い宝石。
ハイエルフの力の源。
「御石が失われる!?」
「神の奇跡そのものが!?」
混乱が収まらないエルフたちをよそに、俺は作業を始める。
机の上に、小瓶を並べた。
魔王水。シャーリニィの体液から生み出した液体。
そこへ、魔石粉を投入する。
「な……!?」
泡立ち、溶けていく。
「魔石が……溶けた……!?」
決して溶けないとされる魔石が、あっさりと溶融する。
「まさか。神の領域だ……」
だが、真の衝撃はここからだ。
魔王水は溶融限界に至る。そして結晶化。
ビーカーから取り出される、紅い結晶。
光と魔力を放つ、深紅の宝石。
「……神、石」
誰かが、呟いた。
「そう」
シャーリニィが、静かに頷く。
「ご主人様が、このように生み出し、私に与えてくださったのが――この神石」
エルフたちは、シャーリニィの額と、俺の手の中の神石を、交互に見る。
そして理解する。
それが、同一の存在であることを。
「魔石を……霊的な核を、統べる者……」
ヘリウスの声が震えた。
彼は、ゆっくりと膝を折る。
その体は、シャーリニィではない。
俺へと、向けられていた。
「万物の霊を合成し、神の石を刻む者……まさか、神が、人族の姿を借りて現れようとは……」
「我らの主を救いし、真なる主……」
一人、また一人。
エルフたちが俺に向かって跪いていく。
納得していない者もいる。
だが、シャーリニィが視線を向けるだけで、慌てて頭を下げた。
俺は神ではない。ただの錬金術師だ。
しかし、エルフたちを納得させるためには必要な方便か。
跪くエルフたちを見下ろすシャーリニィはいつもの無表情。
しかし、心なしか頬が緩んでいた。
瞳の奥に宿る、微かな悦び。
エルフたちが、俺に屈服するその光景を前に。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エルフたちは、その場で解散させた。
人前で俺たちに関わらないこと。
街中で名前を呼ばないこと。跪かないこと。
拝むなら、見えない場所でやること。
干渉は一切しないこと。
必要があれば、こちらから連絡する。それまでは沈黙を守れ。
そう念を押した。
彼らは従った。
不満や戸惑いを完全に飲み込めてはいないだろうが、少なくとも表には出さないと誓った。
シャーリニィの一言と、俺が示した力。その二つが、彼らにとっては絶対だったのだ。
宿の主人も、なんとか納得してくれたようだ。「あの連中がいなくなったなら、まあいいか」とぼやきながら、厨房に戻っていった。
完全に納得したわけではないだろうが、商売が通常に戻るなら深く追及する気はないらしい。
結果として、平穏な日常が戻った。
だが、このまま宿暮らしを続けるわけにはいかない。
改めて、そう思う。
各種錬金術の素材に商品。なにより魔王水。
そして、シャーリニィという存在。
どれもが、仮住まいには不向きだ。
いずれにしても、自分の家、アトリエが必要だ。
外部から隠し、好きなだけ実験ができ、誰にも邪魔されない拠点。
魔王水で資金は稼げる。
手段はいくらでもあるだろう。エルフという手足も手に入ったことだし。
頃合いだ。
本腰を入れて、腰を落ち着ける場所を探す時期に来ている。
そんなことを考えながら、夜、ベッドに横になっていた。
腕の中には、シャーリニィ。
抱き寄せると彼女の体温が、柔らかな身体が心地よい。
彼女は、俺の胸に額を預け、静かに目を閉じている。
昼間の出来事が嘘のように、穏やかな寝息。
そのまま、微睡みに落ちかけた――その時。
「……あ」
小さな声。
腕の中の少女が、僅かに身を強張らせた。
「どうした?」
問いかけた、その直後。
外が、明るくなった。
一瞬、朝かと思うほど。だが違う。光の質が違う。
月明りではない。
火事でもない。
窓から差し込む光は、白く、強く、どこか不自然だった。
慌てて身体を起こし、窓を開く。
見て見れば、遠方、空へと立ち上る光の柱。
発光源はかなり遠くに思える。国外かもしれない。少なくとも、この街ではない。
住民たちも気づいたらしい。街のあちこちから、声が上がる。
「何だ、今の光は……?」
「火事か!?」
「空が……?」
人々が起き出し、街全体がざわめき始める。
その中で。
シャーリニィが、俺の腕にしがみついてきた。
その身体が震えている。
「シャーリニィ、どうした?」
問いかけるが、彼女は窓の外を見つめたまま動けない。
「あれは……そんな……」
いつも冷静で、感情を露わにしない彼女が震えている。
その事実に背筋が冷える。
彼女は、あの光が何を意味するのかを知っている。
俺の平穏な生活は、まだ遠くにあるのかもしれない。




