第12話:彼女の首輪
薄いカーテン越しに差し込む朝の光で、目を覚ました。
ゆっくりと目を開ける。
すると視界の端、すぐ隣に――
少女の顔があった。
思わず、見惚れる。
長い銀色の髪が枕に広がり、柔らかな光を反射している。
整った横顔。長い睫毛。規則正しい寝息に合わせて、わずかに動く桜色の唇。
眠っている今でさえ、これほどだ。
シーツに隠れてはいるが、その下には一糸まとわぬ極上の曲線がある。
昨夜の彼女の、あられもない姿や仕草を思い出し、喉が小さく鳴る。
そうだ、思い出す。
昨夜の出来事を。
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静かな部屋。
物音一つなく、互いの息遣いだけが近くに感じられる。
シャーリニィは無防備に俺にすり寄ってくる。
別に彼女は媚びているわけでも、誘惑してくるわけでもない。
ただ純粋に、全幅の信頼と無邪気な好意を寄せてくる。
卵から孵ったばかりのヒナが、目の前の動物を親と認識するように。石を与えた俺に懐いているのだ。
もし相手が小動物であれば、ただ愛でるだけでよかっただろう。
しかし、シャーリニィは美少女だ。
その身体のラインが、女性らしい香りが、俺を惑わせる。しばらく禁欲していた身には刺激的すぎた。
悩む。
立場を傘に着ていいのか。
主であることを理由に、伽を命じるような真似をしていいのか。
彼女は俺に従うだろう。
きっと、何の疑問も抱かず、喜んで身体を差し出す。
だが、それでいいのか。
俺の良識が主張する。こういうことは、もっと対等な関係を築いてから……
そう思う一方で、別の考えも浮かぶ。
シャーリニィは、俺の力によって神石を取り戻した。
俺を、神のごとく崇めている。
この状況から、これ以上、関係を深めることなどできるのか?
「? ……あっ」
不意に、シャーリニィが息を呑んだ。
そして頬が、みるみる赤く染まる。
しまった。
俺の情欲に、気づかれてしまったか。
彼女も男女のそう言った関係は知っている。
奴隷商に教えられたはずだ。
「ご主人様が、お望みでしたら……」
小さくそう呟き、彼女はためらいがちに、服に手をかける。
「待て」
思わずそれを止める。
ここで誤魔化すのは、違う。
彼女に察させ、自発的に委ねさせるのも、違う。
言い訳はやめよう。
俺は、この娘が欲しいのだ。
彼女に言わせる必要は無い。俺の言葉で伝えるべきだ。
「シャーリニィ」
「はい」
真っ直ぐな返事。
迷いのない瞳が、こちらを見上げている。
「俺の、ものになれ」
一瞬の間。
そして彼女は、花が綻ぶように微笑んだ。
「……はい♡」
そういうことになり、夜はふけていくのだった。
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宿の食堂に降りると、すでに焼き立てのパンの匂いが漂っていた。
俺とシャーリニィが並んで席に着いた瞬間、女将がにやりと笑う。
「おやおや、今日はずいぶん仲がよろしいことで」
皿を置きながら、わざとらしく肩をすくめた。
「……何のことでしょう」
「何って。昨夜は壁が薄くてねぇ?」
ぐいっと身を乗り出し、声を潜める。
「若いっていいねぇ。久しぶりに甘酸っぱい気分になったよ」
完全に気づいている。
横を見ると、シャーリニィは一瞬きょとんとしたあと、意味を察したらしく、耳まで真っ赤になって俯いた。
「ご、ご主人様……」
「気にするな。食べよう」
言葉とは裏腹に、俺の方が落ち着かない。
女将はくすくす笑いながら、今度はシャーリニィの方をまじまじと眺めた。
「それにしても……あんた、昨日よりずっと綺麗になったねぇ」
「え……?」
シャーリニィは思わず自分の髪に触れる。
「髪は艶々だし、肌もつるっとしてる。血色もいい」
「そ、そうでしょうか……」
自覚はないらしい。
「女は恋をしたら綺麗になる、とは言うけどね、そんな程度じゃないね」
女将はちらりと俺を見る。
「ねぇ、旦那。あんたが作った薬かい?」
「……違います」
即答した。
「えー? でも昨日まで、そんな感じじゃなかったよ?」
「体調が良くなっただけです」
事実ではある。
色々と。
「ふぅん……」
女将は納得していない顔で腕を組む。
「ま、いいさ。秘密は誰にでもある」
そう言って、パン籠を押し出してくる。
「その代わり、彼女を大事にしなよ」
「……もちろんです」
「なら、よし」
満足そうに頷き、厨房へ戻っていった。
ようやく一息つける。
「ご主人様」
「気にするな。あの人なりの挨拶だ」
「……はい」
そう答えて、シャーリニィはほっとしたように微笑んだ。
シャーリニィは少し安心したように微笑み、パンを小さくちぎった。
朝の光の中で、銀色の髪がきらりと輝く。
確かに、女将の言う通りだ。
昨日より、明らかに綺麗になっている。
彼女の魔力が、本来あるべき状態へと完全に戻ったからだ。活性化した魔力は肉体の隅々まで巡り、歪みや停滞を正す。
肌の艶も、髪の張りも、生命力そのものが違う。
シャーリニィ自身は、まだそれを自覚していないらしい。
ただ、調子が良い、としか思っていない。
まあ、問題は無い。
「食事が終わったら、外出の準備だ」
「はい!」
ぱっと咲いた笑顔は、朝日に負けないほど眩しい。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺たちは二人、森へと向かった。
シャーリニィの力を、実地で確認するためだ。
彼女の装備も整えた。
動きやすさを優先し、簡素な服を選ばせた。革のブーツに短剣一本。防具と呼べるものはほとんどない。駆け出し冒険者の標準装備。
だが、隠しきれないものもある。
銀色の髪はまとめてもなお目を引き、整った顔立ちは粗末な装備と釣り合わない。冒険者というより、お忍びで冒険者ごっこをしているお嬢様だ。
冒険者ギルドなんかに近づけば、速攻でガラの悪い連中に絡まれそうだ。
彼女の足取りは軽い。
森へ向かう道すがら、彼女は終始上機嫌だった。
ときおり首元に手をやり、にやけたような笑みを浮かべている。
そこには黒革のチョーカー。
「えへへ……」
服と一緒に買ってやったものだ。
市内で活動する以上、身分を示す印は必要になる。
奴隷という立場を明示するためのもの。市民階級である俺と同行するには、避けて通れない条件。
支配の魔道具などではない。
魔術的拘束力も、自分で外すのも自由な、ただのアクセサリーだ。
もっとも、彼女にそんなものは通用しないだろうとは考えられる。
ハイエルフとしての力を取り戻した彼女には、どんな物理的な錠も、魔術的な支配も通用しない。
――それこそ、石を失った原因にでも遭遇しない限り。
しかし、つけてやったときの反応は予想以上だった。
プレゼントを貰った子供のように、喜んでいた。
ともかく、そんな装備で俺達は街道を進む。
左右は森。人の手がほとんど入っていない区域。
「シャーリニィ。何か感じるか?」
「はい」
彼女は足を止め、右手側の森を指差した。
「こちらの方向です。少し進んだ辺りに、ゴブリンが六体」
やはり呪文も、特殊な動作もない。
耳を澄ますくらいの仕草で、全て把握している。
俺たちは街道を外れ、森へ踏み込む。
以前の俺なら、決して足を踏み入れない領域。一人なら、間違いなく回避していた。
しばらく進む。
彼女の足取りは相変わらず軽く、緊張感の欠片もない。まるで安全な草原を散策しているかのよう。
「念のため確認するが、問題はないんだな?」
「何がですか?」
きょとんとした表情。
彼女にとって、ゴブリンが脅威になるという発想すらないのだ。
俺なら一匹に襲われただけで、嬲り殺しにされかねない相手だというのに。
シャーリニィが歩みを止め、進行方向の茂みを指した。
「そこにいます」
俺の目には、何の変哲もない森の一部にしか見えない。
隠れているらしい。全然分からない。
「処理しても、よろしいでしょうか」
ゴミが落ちてるので掃除しましょうか。その程度の、日常的な雰囲気の質問。
「ああ。任せる」
俺達に存在を察知されたことに気づいたのだろう。飛び出してくる子鬼。
次の瞬間。
ゴブリンの一体が、音もなく崩れる。
肉片すら残らず、塵となって散る。
悲鳴なし。
断末魔なし。
魔力による完全分解。
理解が追いつく前に、残りも消える。
剣も、魔法陣も、詠唱も不要。
視線を向けただけで。
森に残るのは、深い静寂。
風が枝葉を揺らす音すら、どこか遠い。
さきほどまでそこにあったはずの気配――敵意も、殺気も、綺麗さっぱり消えている。
「終わりました。隠れていた残りも、すべて消しています」
何事もなかったかのように、彼女は振り返る。
鎧袖一触なんてレベルじゃない。
視線を向けただけで、ゴブリンは塵となり、痕跡すら残さず消失した。
戦闘と呼ぶこと自体が、おこがましい。
「……どうしました?」
俺が言葉を失っているのに気づいたのだろう。
彼女は少し不安そうに、下から覗き込んでくる。
「ああ、いや。シャーリニィは頼りになるなって思ったんだ」
「ほんとですか!?」
ぱっと、花が咲くように表情が明るくなった。
ただ認められたことが嬉しい、そんな笑顔。
俺は彼女の頭を撫でてやる。銀髪のサラサラとした感触が心地よい。
そして考える。
伝説級。
そんな言葉ですら、生温い。
これほどの力を、彼女は俺の一存で行使する。
何の気負いもなく、何の躊躇もなく。
恐らく、俺の命令であれば、相手がゴブリンでなく、人間であったとしても。
俺が、彼女を制御する必要がある。
その事実を、改めて噛みしめる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後は森を抜け、街道へ戻る。
午後の陽光を浴びた城門が見えた瞬間、俺は息を吐く。思っていた以上に緊張していたらしい。
魔物に、そしてそれ以上に、彼女の力に。
通りに入ると、視線が集まる。
露骨ではない。だが、誰もが一度は振り返る。
理由は当然、シャーリニィの存在。
銀糸の髪は歩くたびに淡く揺れ、肌は朝の光を弾くように澄んでいる。簡素な服装にもかかわらず、街並みの色彩から浮き上がるほどの美しさ。
冒険者、商人、衛兵。立場を問わず、無意識に足を止めてしまう。
当の本人は、気づいていない。
俺の半歩後ろを歩き、時折こちらを見上げて、俺と視線が合えば安心したように微笑む。
問題は、見てくるだけでは済まない相手と出会ったことだ。
通りの角。
向かいから歩いてきた一人の男が、ぴたりと動きを止めた。
尖った耳。淡い翠の瞳。輝く金色の髪。
間違いなく、エルフ。
その男の視線は、一直線にシャーリニィへ吸い寄せられている。
驚愕。否定。理解不能。
感情がめまぐるしく浮かんでは消え、最後に残ったのは、純粋な畏怖。
「……まさか」
掠れた声が漏れる。
彼の身体は、石像のように固まったまま。
次の瞬間。
男はその場に膝をつき、頭を深く垂れた。
街の喧騒が、遠くに聞こえる。




