第9話:元婚約者たちの懺悔
王都からの使者がノースエンド辺境伯領に到着した頃、エリゼの実験棟は、大量の『抗菌物質』の製造でフル稼働していた。
ジークハルトは、王都の使者を受け入れる広間にエリゼを伴って現れた。その場にいたのは、王都から派遣された侍女と、彼女を警護する二人の騎士だけだった。
侍女は、辺境伯の隣に立つ、かつての公爵令嬢エリゼの姿を見て、息を呑んだ。
エリゼは、以前の地味なドレスではなく、辺境の特産品である『氷晶石』の染料を使った、知的な濃紺のワンピースを纏っていた。肌は『スライムジェル』のおかげで透き通るように美しく、何よりもその瞳には、研究者としての自信と、満たされた生活を送る者の穏やかさが宿っていた。
侍女はすぐに膝をつき、深々と頭を下げた。
「辺境伯様、そして、エリゼ薬師様。王都から参りました。王都に蔓延する奇病について、どうかお助けいただきたく、参上いたしました」
侍女はカイル王子から伝えられた傲慢な命令を一切口にせず、王都の窮状と、エリゼの薬が持つ必要性を、必死に説いた。そして、持参した王都の商業権益の証書を差し出した。
エリゼは証書を見もせず、冷たく言い放った。
「王都の病の原因は、わかっています。単純な衛生管理の欠如と、ビタミン欠乏症、そして私の追放によって適切な抗菌治療が途絶えたことです。薬は作れます。ですが、商談ですね」
ジークハルトが静かに口を開いた。彼の声には、辺境伯としての威厳と、エリゼへの深い配慮が滲んでいた。
「我が辺境伯領は、王都との交流を望まぬ。だが、人命救助は騎士の務めだ。そこでエリゼと相談し、結論を出した。王都への薬の提供は、正規の貿易価格で行う」
ジークハルトが提示した価格は、王都の国庫を何年分も空にするほどの、超高額だった。
「この価格は、王都が我が領に負わせた侮辱、そして、エリゼが失った研究時間への賠償金だと思っていただきたい」
侍女は青ざめたが、王都に帰っても待っているのは死だけだ。彼女は即座に受け入れた。
「承知いたしました! エリゼ様、ありがとうございます! 私の治療も、お願いできますでしょうか……?」
エリゼは、侍女の顔を見て、初めて穏やかな笑みを浮かべた。
「ええ、あなたの肌荒れは、私の最新の美容液で治りますよ。その契約書にサインを」
使者が王都へ帰った数日後。
辺境伯城の門前に、二人の哀れな人物が辿り着いた。
カイル王子と、聖女ミナだった。
王子の高慢な使者命令を無視されたと知ったカイルは、侍女の帰りを待たず、ミナを連れて自ら辺境に乗り込んできたのだ。
しかし、辺境伯城は彼らが知る寂れた要塞ではない。活気あふれる商業区を通り、彼らは城の玄関で、エリゼとジークハルトに出迎えられた。
「エリゼ! よくも、このような辺境で私を待たせたな!」カイル王子は、追放した側のくせに、傲慢に叫んだ。
「お待ちしておりませんでした、殿下」
エリゼは、淡々とした声で答えた。彼女の隣には、以前の「呪い」が嘘のように消え去った、最高の美丈夫となったジークハルトが立っていた。
ミナは、エリゼの肌の美しさと、隣に立つジークハルトの威厳に、言葉を失った。
「ジークハルト……君の顔が、元に……まさか、あの毒婦の薬で!?」
ジークハルトは、冷たい視線をカイルに向けた。
「殿下。彼女は毒婦ではない。『辺境伯領の専属薬師』だ。そして、君は彼女を追放した元婚約者。その罪を償いに来たのだろう」
カイル王子は逆上した。
「償う? ふざけるな! お前たちが王都の危機につけこみ、法外な値段を要求したと聞いたぞ! 貴様らは国賊だ!」
その時、ミナが、突然、地面に崩れ落ちた。
「ごめんなさい……ごめんなさい、エリゼ様……!」
彼女は、顔を覆っていた布を取り去った。その顔は、半年間治らない炎症と、奇病の初期症状で、無残に腫れ上がり、膿んでいた。
「私が悪かったの! あの時、あなたの薬を毒だと決めつけて……! 私が使った化粧水も、カイル様が冷蔵庫を置いてくれなかったから腐って……全部、私のワガママのせいよ! 許して、薬をください……!」
ミナの悲痛な懺悔は、計算ではなく、極度の恐怖からくる本心だった。
エリゼは静かにミナを見下ろした。怒りも憎しみもなかった。あるのは、一人の研究者としての冷静な分析だけだ。
「ミナ様。あなたの炎症は、私の抗菌物質と、新しい解毒剤で治ります。ですが、薬は、商談が成立した後で提供されます」
エリゼはカイル王子に目を向けた。
「殿下。あなたへの薬の価格は、先日の提示額よりさらに高くなります。その対価は『王位継承権の放棄』です」
「な、なんだと!?」
「あなたでは、国は治まりません。辺境伯領は、王都の新たな商業と医療の管理者として、王都の運営に介入します。それが嫌なら、王都の民を見殺しにする覚悟で、お帰りください」
カイル王子は顔面蒼白になった。エリゼの要求は、彼の全存在を否定するものだった。
しかし、ジークハルトの冷徹な視線と、ミナの命を救いたいという切実な願いが、彼のプライドを完全に打ち砕いた。
「……わ、わかった。サインする……。王位継承権を、放棄する」
こうして、エリゼは王都の未来を自らの手で支配下に置き、カイル王子と聖女ミナへの、静かで完璧な復讐を遂げたのだった。




