第8話:王都に蔓延る奇病
エリゼが辺境伯領で「カビの奇跡」を起こした頃、王都セントラルは静かに、そして急速に、死の影に覆われ始めていた。
発端は、子供たちを中心に広がり始めた奇妙な病だった。高熱を出し、全身に紫色の斑点ができる。通常の治癒魔法もポーションも、全く効果がない。
宮廷薬師は「悪霊の憑依」だと騒ぎ立て、聖女ミナは必死に祈祷を捧げたが、病は治まるどころか、大人にも広がり始めた。
ミナ自身も、エリゼが残した毒性化粧品のせいで顔の炎症が長引き、免疫力が落ちていたのだろう。彼女も体調を崩し、その「聖なる力」は見る影もなかった。
カイル王子は焦燥に駆られていた。
「どうなっている! 聖女の力はどこへ行った! 貴様ら、なぜ病を治せないのだ!」
宮廷薬師たちは怯えながら答える。
「で、殿下。この病は見たことのない毒素に似ており……通常の薬草が効きません。衛生状態の悪化と、栄養の偏りも原因かと……」
王都の権力者は、華やかな宮廷生活の裏で、下水道の整備や食糧管理を怠っていた。また、エリゼのような「科学」的な知識を持つ者が追放されたことで、病の根本原因を究明できる人材もいなかった。
病はついに、王族の親族にまで及んだ。国庫は空になり、食糧供給も滞り、王都の機能は完全に麻痺した。
「このままでは、国が滅びるぞ……!」
カイル王子は、執務室で頭を抱えた。彼が頼れるのは、聖女でも、無能な宮廷薬師でもなかった。
そんな中、一人の老練な騎士団幹部が、震える声で進言した。
「殿下……一縷の望みがございます」
「なんだ! 言ってみよ!」
「北の辺境伯領の噂です。あそこでは、奇跡の薬師がいると。いかなる病も治し、騎士たちは皆、雪のように白い肌で、病に倒れる者がいないと……」
カイル王子は激昂した。
「ふざけるな! あの辺境伯領に、一体何があるというのだ! そもそも、あの土地は毒婦エリゼが追放された場所ではないか!」
「殿下! まさしくその毒婦殿が、辺境を救っているのです! 追放された直後、辺境伯様の『呪い』を解いたのも、その毒婦……もとい、薬師エリゼ様だと!」
騎士団幹部は、隣国から伝わってきた情報や、辺境の商人が持ち込んだ薬の効能を必死に説明した。
肌荒れを治すスライムのジェル。傷の化膿を防ぐ青カビの粉。
すべてが、王都が馬鹿にして追放した「科学」の産物だった。
カイル王子は震えた。怒りではなく、恐怖と屈辱に。
「あの女に、助けを乞えというのか……!?」
「このままでは、王家は崩壊します。辺境伯領は今や、病に侵されない『最後の楽園』。頭を下げて、薬を分けていただくしか道はございません!」
その日の夜。カイル王子は、やつれ果てた聖女ミナの病室を訪れた。
ミナは自分の顔を隠し、声を上げて泣いていた。
「嫌だわ、カイル様……。あの女に、私の顔を見られるなんて……!」
「ミナ、我慢しろ。我々には選択肢がない」
王子は決意を固めた。彼は、かつて「毒婦」と断罪したエリゼに助けを求めるため、辺境への使者を送ることを決定した。
使者に任命されたのは、自らも顔の腫れに悩まされ、ミナの侍女を務めていた女性だった。彼女は、王都の威信を示すために、高価な金銀財宝を積み込んだ馬車を用意した。
「いいか、使者。辺境伯に会ったら、こう伝えろ。『王都の病は、そこの女が持っていた毒素が原因だ。よって、その女の作った解毒薬を、無償で提供せよ』と!」
最後まで、カイル王子のプライドは砕けなかった。彼は、あくまでもエリゼを「罪人」として扱うつもりだった。
しかし、侍女は静かに首を振った。
「殿下。私は、そのようには伝えません」
「なんだと!?」
「辺境伯領の商人は、王都で『不老騎士の霊薬』を売る際、こう言っていました。『薬師エリゼ様は、研究者であり、慈善家ではない。薬が必要なら、対価を払え』と」
侍女は、ミナの悲惨な現状と、辺境伯領の繁栄を目の当たりにし、王都の傲慢さが国を滅ぼしたのだと悟っていた。
「私は、辺境伯領の薬師殿に、『王都の救済』を、正規の商談として依頼してまいります。金銀ではなく、王都の商業権益を担保として」
カイル王子は、侍女の毅然とした態度に反論できなかった。
「……勝手にしろ! ただし、失敗すれば、貴様は斬首だ!」
こうして、王都の威信をかなぐり捨てた使者が、厳寒の北の辺境へと旅立った。
彼らが向かう先には、かつて追放された「毒婦」エリゼと、彼女の庇護者である美しい辺境伯ジークハルトが、冷たい笑みを浮かべて待っていた。




