第6話:商売繁盛! 魔女の薬箱
『魔女の薬箱』がオープンして数ヶ月。エリゼの店は、今や辺境伯領の観光名所となっていた。
王都や隣国からも、その肌の美しさに嫉妬した貴族や商人たちが、はるばる雪山を越えてやってくる。彼らの目当ては、『スライム保湿ジェル』と『不老騎士の霊薬(UVクリーム)』だ。
エリゼは店の成功に満たされていた。研究費は潤沢で、辺境伯ジークハルトは彼女のために、最新鋭の魔力増幅炉を搭載した実験棟まで建設してくれた。
「エリゼ様、本日の売り上げで、また『竜のレバー』が一頭分購入できますよ」
執事のルーカスが満面の笑みで報告する。竜のレバーは強力な造血ポーションの材料であり、高額だ。
「素晴らしいわ、ルーカス。これで、飲む輸血ポーションの量産体制が整う。辺境伯騎士団の負傷者も減らせるでしょう」
エリゼはあくまで冷静だ。彼女にとって、化粧品の売り上げは、究極の目標である「医療革命」のための単なる手段でしかなかった。
そんなある日、ジークハルトがエリゼの実験棟を訪れた。
「エリゼ、少し休まないか。君が作った『風邪を治すアロマ』を、少し外で嗅いでみないか?」
彼は大きな薬草籠を一つ持っていた。
「薬草採取ですか? 助かります。最近、貴重な『眠りの種』が不足していて」
「ああ、採取だ。だが、今日は仕事ではない」
ジークハルトは、いつもの厳しい鎧姿ではなく、厚手のウールのコートを着ていた。顔の変色は完全に消え、その端正な顔立ちが露わになっている。以前は近づきがたかった彼だが、今は辺境の太陽のように穏やかだ。
エリゼは渋々実験衣を脱ぎ、彼について行った。二人で馬に乗り、辺境の森の奥深くまで進んだ。
到着したのは、雪解け水が流れる小さな滝壺のある場所だった。周囲には、王都では見られない、珍しい薬草が群生している。
ジークハルトは持ってきた籠を地面に置き、蓋を開けた。中には、薬草ではなく、丁寧に湯気が立てられたスープが入っていた。
「ここに来てから、君はまともな食事を摂っていないだろう。これは君が開発した『栄養補給ポーション』の材料を、ルーカスに頼んで調理させたものだ」
エリゼは驚いた。彼女は、薬の効能を高めるために栄養素を分解・濃縮することはできても、料理には全く興味がない。
「……私を、労ってくださっているのですか?」
「ああ。君は私の命の恩人だ。それに、薬草を眺めている時の君の表情を見ていると、私も心が安らぐ」
ジークハルトはそう言って、真っ白な雪の上に敷物を敷いた。
エリゼはスープを受け取り、一口飲んだ。暖かいスープは、彼女の体を内側から温めた。
「美味しいわ……。やはり、複雑な化合物よりも、シンプルな調理法のほうが、人は幸福を感じるのね」
「そうだな。シンプルで、信頼できるものだ」
ジークハルトは、エリゼの横に座り、遠くの森を眺めていた。
「エリゼ。君を追放した王都は、君の薬を『毒』と断罪した」
「ええ、知っています」
「だが、私は君を信じる。君が私に飲ませた漆黒のゼリーが、最高の治療薬だったからだ。君の知識は、この世界が追いついていないだけだ」
ジークハルトはエリゼに微笑みかけた。その笑顔は、彼女がこれまで見てきたどの貴族の笑みよりも、誠実で温かかった。
エリゼは少し頬を染めた。彼女は、研究以外で感情を動かされたのは、この世界に来て初めてだった。
「……ありがとうございます。でも、私は誰かに褒められるために研究をしているわけじゃありません。ただ、真実が知りたいだけです」
「分かっている。だからこそ、君を邪魔しない。ただ、君が研究に疲れた時には、いつでもこうしてスープを持ってくる。君は、私にとって『至宝』であり、この辺境に必要な薬師だからだ」
ジークハルトの言葉には、強い庇護と信頼が込められていた。
そして、二人の間には、穏やかな時間が流れた。エリゼは、珍しい苔を見つけては歓声を上げ、ジークハルトはそんな彼女を静かに見守る。
この時、エリゼは悟った。
王都での婚約は、カイル王子が私という「公爵令嬢」を必要とした政略だった。しかし、ジークハルトが私を必要としているのは、私が「エリゼ・フォン・ローゼン」という一人の『薬師』だからだ、と。
追放された辺境で、彼女は最高の研究環境と、最高の理解者を手に入れた。
「……この辺境から、二度と離れたくないわ」
エリゼは思わず、本音を漏らした。
ジークハルトは、その言葉を聞き、静かに立ち上がった。
「その言葉を聞けてよかった。さあ、そろそろ日が傾く。帰ろう。次の実験の準備もあるのだろう?」
二人は馬に乗り、冷たい風の中を城へと戻っていった。その背中は、互いの存在を信頼し合い、寄り添う、穏やかな夫婦のようだった。
そして、数日後。エリゼの実験棟では、次の大発明、『カビから作った奇跡の粉』の開発が始まろうとしていた。




