第1話:毒婦のレッテルと幸せな追放
「エリゼ・フォン・ローゼン! 貴様との婚約を、今ここで破棄する!」
王立学園の卒業パーティー。煌びやかなシャンデリアの下、第2王子カイルの高らかな宣言が響き渡った。 音楽が止まり、貴族たちの視線が一点に集中する。
カイル王子の腕の中には、儚げな表情をした聖女ミナがしがみついていた。そして、彼が指さす先には、紫色のドレスをまとった私――公爵令嬢エリゼが立っている。
「……理由を伺っても?」
私は努めて冷静に問い返した。内心では(ああ、やっぱり来たか)と思っていたけれど。
「しらばっくれるな! 貴様、ミナに毒を盛ろうとしただろう!」
カイル王子が、私の手から小瓶をひったくる。
そこに入っているのは、ドス黒い紫色をした、ブクブクと泡立つ粘液だった。時折、硫黄のような刺激臭が鼻を突く。
会場から「ヒッ」と悲鳴が上がった。
「なんて禍々しい……」
「あれを聖女様に飲ませようと?」
「まさしく毒婦だわ」
ひそひそ話が聞こえてくる。私は小さく溜息をついた。
これだから、化学知識のない世界は困る。
(それ、毒じゃないわよ。『高濃度デトックス・ゼリー』よ)
私の前世は、日本の製薬会社に勤める研究員だった。
過労死してこの世界に転生してからというもの、私は魔法と前世の化学知識を融合させた「新薬開発」に命を懸けてきたのだ。
聖女ミナは、表向きは清楚だが、実は極度の偏食で便秘症だ。そのせいで肌荒れが酷く、厚化粧で隠していることを私は知っていた。
だから、浄化作用のある『暗黒苔』と、整腸作用抜群の『マンドラゴラの根』を配合し、体内の毒素を一気に排出させる特効薬を作ってあげたのだ。
……まあ、見た目はヘドロだし、マンドラゴラの叫び声が残響していて少しうるさいけれど。
「その毒々しい色が証拠だ! ミナを亡き者にして、正妃の座を独占しようとしたのだろう!」
「違います殿下。それはミナ様の肌荒れと……お通じを改善するための……」
「黙れ! 聖女が肌荒れなどするものか! 言い訳も見苦しい!」
カイル王子は聞く耳を持たない。ミナも私の薬を見て震え上がり、「エリゼ様が私に死ねと……うっうっ」と嘘泣きを始めた。
(説明しても無駄ね。成分分析もできないこの人たちに、界面活性の原理なんて理解できるはずがない)
私はすっと表情を消した。
実のところ、この婚約は邪魔だったのだ。王妃教育のせいで、大好きな薬草採取にも行けないし、実験室にこもる時間も削られる。
「……わかりました。その罪、受け入れます」
「なっ、認めるのか!?」
「ええ。皆様がそう仰るなら、それは毒なのでしょう。それで、処分は?」
私の潔さに、王子がたじろぐ。
「こ、国外追放だ! 北の最果て、魔獣が跋扈する『ノースエンド辺境伯領』へ行け! 二度と王都の土を踏めると思うな!」
ノースエンド辺境伯領。
その名を聞いた瞬間、私の目は輝いた(もちろん、顔には出さなかったけれど)。
あそこは極寒の地だが、手つかずの原生林が広がる「薬草の宝庫」だ。王都では手に入らない希少な『雪解け草』や『氷晶石』がゴロゴロしているという。
しかも、あそこを治める辺境伯ジークハルト様は、魔獣討伐にかかりきりで領内の政治には無関心らしい。つまり、誰にも邪魔されずに研究し放題ではないか。
(最高じゃない。むしろご褒美?)
私は口元の笑みを扇で隠し、優雅にカーテシー(お辞儀)をした。
「謹んでお受けいたします、殿下。どうぞ、ミナ様とお幸せに」
私は背を向け、颯爽と会場を後にした。
背後で「反省の色がないぞ!」と王子が叫んでいたが、私の頭の中はすでに、辺境で採取できる植物のリストアップで一杯だった。
ああ、楽しみ。
待っていてね、未発見の化合物たち!
***
翌日。
粗末な馬車に乗せられ、私は王都を出た。
荷物は最低限のドレスと、大量の実験器具、そして愛用の蒸留器だけ。
窓の外、遠ざかる王都を見つめながら、私はポケットに入っていたもう一つの小瓶を取り出した。 黄金色に輝く、美しい液体。
これは『美肌化粧水・試作品』。保存料が入っていないため、冷蔵庫のない場所では3日で腐る。
(ミナ様の部屋にこれのストックを置いてきたけど……ちゃんと冷やして使ってくれるかしら? まあ、あの様子じゃ私の忠告なんて思い出さないでしょうね)
常温で放置すれば、中で雑菌が繁殖し、塗った瞬間に肌がかぶれる劇薬に変わる。
自業自得だ。私は小瓶をしまい、北の空を見上げた。
こうして、悪役令嬢エリゼの追放劇は幕を閉じた。
そして同時に、伝説の『魔女の薬師』の物語が始まろうとしていた。




