四欠片目
学校や街から少し離れると、辺りはすっかり自然で溢れていた。
かき氷の旗や花火大会のポスターはなくても、体で感じる全てが夏らしさを伝えて来る 鳥のさえずりや蝉の声が輪郭をハッキリさせ、川のせせらぎが耳から体温を下げてくれる。山は緑が揺れて吐息を川に吹き降ろす。
自然な静けさに心癒される河原の真ん中。その辺に落ちていた木材を手に、実里は目隠しをしてそろそろ歩いた。彼女の真後ろには大きく実ったスイカがドンと転がっている。
「ところで実里」
盛大に空振りした実里は棒の先を地面に付けたまま振り向く。
「んん~?」
「引っ越しは、いつになる?」
また棒が一振り空を切る。ブゥン、と鳴った音が川に吸い込まれ終わってから淡白な答えが返ってきた。
「週末。土曜には出ちゃうかな」
「そうか……」
勢いの増した風切り音が鼓膜を震わせる。棒切れを指で数える代わりに振り下ろす。
「今日は水曜だから、もうあと三日か」
「あっという間だよね」
沈んだ気持ちになると分かっていた筈なのに、俺は質問したことを後悔した。
そんなの当たり前に決まってる。物心ついた時からいた存在が突然、街から姿を消してしまうのだ。今の記憶喪失なんて可愛く思えてしまうほど、その離別は心へ棘となって刺さる。一思いに貫かず、じんわりと奥へ進んでいく感覚だ。
地面に転がった石に目をそらしていると、パァンッと景気の良い音が河原に鳴り響いた。
顔を向けた先には真っ赤に熟したスイカの中身がお出ましだ。
「やっと当たった!」
「爆散してるじゃんか。アリが寄ってくる前に拾おうぜ」
砕くように割ったスイカを一塊づつ拾う。大きな塊をあらかた回収してから、残りはアリの行列にそのままお裾分けになった。
川に足首を浸しながら俺達はスイカを口に運ぶ。水分と甘みのたっぷり詰まった実を頬張り、種をその辺りへ吹いて飛ばす。実里と種の飛距離を競いながら食べ進めた。
「川って意外とやることないよねー」
「釣りもバーベキューも道具がないし、二人だけだしな」
「そうだよねぇ」
「誰か暇そうなやつ呼ぶか?」
「呼ばなくて良いよー。お互い共通の友だちっていないし」
「そういやそうだっけな」
スイカが甘かったせいか、話しているうちに気が付けば最後のひとかけまで食べ切っていた。分厚い皮の残骸も最後はアリの群れに引き取ってもらう。
足首から上る川の水温に冷やされ、鼻から抜ける甘い余韻を楽しんでいた最中、実里は突拍子のないことを言い出す。
「よし、泳ごっか」
「……はっ!?」
急に立ち上がった実里への反応がワンテンポ遅れた。俺が止められる隙もなく、実里はズンズンと川へ入っていった。
「おま、水着じゃねーんだぞ。着替えもないし!」
「大丈夫でしょ。暑いからすぐ乾くって」
「そういう問題じゃ――って早速かよ」
あっという間に太ももの半ばまで沈むほどの深さまで実里は入っていく。
「きゃー冷たい! でも今日ぐらい暑いとちょうど良いよね~」
「実里! あんまり深いとこに行くな、流されるぞ」
「ここなら平気だよ。危なそうになったらすぐ上がろう」
膝程度の深さの場所まで移動し、実里がまた危険なことをしないようにと近付いた時だった。
「えいっ」
実里は肘まで川に沈めてから、勢いよく振って水を巻き上げる。当然俺を狙っての集中攻撃だ。
無防備だった顔面に雪解け水の冷気が到来する。あまりの冷たさによろけて転びかけた。
「つっめた!?」
「あっはっはっはっは、この悪戯も記憶にないかなぁ?」
「普通に忘れてただけだっての! ほらっ!」
「ぎゃああああああっつめたあぁぁぁぁぁ!?」
仕返しに本気の水かけをしたところ、実里は両腕を抱えて絶叫した。
ここまで来て引くのは俺たちじゃない。気付けば合図もターンもないまま、ルール無用の水かけが始まった。
「あばばばばつめたいつめたい! 男子の腕力はずるいって!」
「これ腕全部浸けるから、やる方もキツいんだって!」
川や海で実里と遊んだことなんて、小学校以来だろうか。中学の時は、お互い部活が忙しかったから、対して遊べなかった気がする。その間に俺たちはお互い、知らない俺たちにちょっとづつ変わっていったみたいだ。
――実里の足は、いつの間にか長くなっていた。
髪は色が抜けて天然の茶髪になりかけ。真っ直ぐだった体の線も、見ない内に丸みを帯びつつある。天真爛漫さの陰にまだ潜んでいるが、可憐という言葉も時折顔を覗かせる。
変化、成長、時間……そんな言葉が錯綜していると、嫌でもまた引っ越しのことが頭を過った。
だがその思考は川の水に溶かして、減りつつある時間をここに留める。この場所にいる目的も、明日の自分のことも、忘れてしまって良いと心が言っていた。
今だけは、何も思い出したくない。何も思い出せなくて良い。
「あっ、み、実里っ! 服! シャツの下、透けてる!」
「えっ? ああ、下はただの体操着だよ」
「そういう問題じゃ……ああもう、知らね!」
「そうこなくっちゃ!」
いい年になった高校生二人の子供じみた川遊び。そいつは遠い日にあった我慢比べの延長戦だ。疲れ果てるか、息ができなくなるまで笑い崩れるまで終わらない。勝負とは名ばかりの時間だ。
このままいつまでも、どこまでも、俺はこうして水遊びをしていたかった。