十四欠片目
軒に作られた巣の中から、ツバメの親子が飛んで行った。
親ツバメは子の前を飛んで、あの空の先へ連れていく。蒼の中へ溶けていくように。
まだ目を覚ましてない朝の街に親子の鳴き声が小さく響く。それは長かったあたしの夏の終わりを告げるような気がした。
「実里、忘れ物はないか?」
最後の荷物をトランクに積んで、パパは優しく声をかけてくれる。不安げな表情を取り繕おうとしても、上手く笑えてなかったんだろう。
「うん……だいじょうぶ」
幼馴染と飛び出した末に、その彼を命の危険に追いやるような娘を持たせてしまってパパとママに申し訳なかった。多分娘が何の思いで何をしたのか、なんとなく分かっていると思う。その優しさが余計に胸を締め付ける。
こんな親不孝な娘を、両親は温かな手で背中を支えてくれた。
「ごめんね実里。辛いと思うけど、ママたちはついてるから」
「カズくんのことなら、お医者さんも大丈夫と言ってたよ。向こうに着いたら、お便りでも出そう」
「……そうだね。最後まで迷惑かけちゃってごめんね。パパ、ママ」
「気にしなくて良い。さ、行くぞ」
思い出を振り返らないように目を伏して、狭くなった後部座席に乗り込んだ。荷物を積み込んだ軽自動車はゆっくりと見知った道を進んでいく。
悲しくなるから見ないようにしていた風景も、いつの間にか窓ガラス越しに眺めていた。生まれ育った故郷はこんなに小さくて狭かったんだ。あたし十六年は、この小さい箱庭に詰まっていたんだと思わされる。
虫かごや釣竿持ってカズと冒険した夏の蜃気楼が、余計に大きく見せてたのかもしれない。吸い込まれそうだった夏空の下を走った思い出が、どこを見ても街に残ってる。
あの電柱の汚れも、歩道の亀裂も、曲がったガードレールにも。どんなに些細な出来事でも、冒険の舞台には全部、背丈の違うカズの姿が映し出されていた。
その中でも、制服姿で回った最後の冒険の幻影が色濃く残って見えていた。最初で最後の夏の冒険は鮮やかで、そしてあっという間だった。
「記憶思い出させるためって言っておいて結局、最後の思い出作りたかっただけだなんて……やっぱり地獄行きかな」
カズが会いに来ないから良かった。きっと会えなくなることがもっと辛くなると思うから。
またそうやって自分のことだけしか考えられない自分を、心底軽蔑した。どうしようもない、堕ちてしかるべき人間の性根。カズにも、つばめにも、会わせる顔なんてない。
「――って!」
そんな人間の醜い心だ。いるはずのない彼の声を、彼が苦しんでいる今も、こうして聞こえる気がしてしまう――
「待ってくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「……えっ?」
聞き間違いなんじゃないかって思った。横の窓を少し開けると、外の熱気に混ざって声が聞こえて来た。ここで聞けるはずのない声が。
車の後ろを自転車で追いかけて来たカズは幻じゃなかったと、その叫びが教えてくれた。
※
ペダルを蹴って、回して、また蹴った。足の感覚がなくなるまで、息をしていることも忘れるまで、両脚を駆動させた。ペダルの上を走るように漕いだ。
田舎の道なんて知り尽くしている。実里の家からこの街を出るまでの道ぐらいなんてことなく分かる。
その読み通り、彼女の家から二百メートルも離れていないところで実里の家の車が見えた。ナンバープレートの数字がうっすらと見え始めた時、軋む肺からありったけの空気を押し出した。
「止まってくれ、待って――待ってくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
死にそうになりながら放った声は、消える寸前に届いたようだった。車の窓から実里が驚いた顔を覗かせる。
「カズ!?」
実里が顔を引っ込めると、軽は緩やかに速度を落とした。停車した車から実里達が俺のところに駆け寄って来たのを見て、思わずふらっとバランスを崩す。
自転車から飛び降り、膝を着いて荒く息を吸う。散々無酸素状態で走って来たせいで酸欠寸前だった。おじさんおばさんが俺の背を摩る中、貪るように酸素を取り込んだ。
「えっ、ヨルカズくん!? 病院は……って、まさか抜け出したのか!!?」
「おじさん、おばさん、後生の頼みです!」
「っ、頼み?」
それはあまりに唐突で迷惑を省みない、子供じみたお願いだった。
「隣街の水族館まで、俺と実里を連れて行ってください! そこで少しだけ、彼女と話をさせて下さい!!」
突拍子ない申し出に、おじさん達は数秒固まっていた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。言ってる意味がさっぱり……それにその状態で」
困惑するおじさん達が何か言う前に、その場で両膝を突いて頼み込んだ。鳩が豆鉄砲を食ったような顔というものを初めて拝んだ。
「お願いします! どうか、この通りです!!」
「えっ……あ、ちょっと!?」
アスファルトに額をぶつけ、土下座で俺は懇願した。それ以外の方法は思いつかなかった。狡い手だ。子どもがこうしては断れない人たちだと俺は知っていたのだから。
地面をもう一度額で叩こうとした時、両肩にふわりと手を置かれて起こされる。
俺を立たせるとおじさん達はそれ以上聞かず、フラフラな俺の肩を支えて後部座席に乗せてくれた。