表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

第4話 血を刻む稽古

 土曜の朝。

 旧き狩人に呼び出されたのは、人通りのない廃工場だった。

 夏の光が割れた天窓から斜めに差し込み、舞い上がる埃を照らしている。


「ここなら誰も来ねぇ。……刀を抜け」

 狩人は低い声でそう言い、自分の長い武器を地面に突き立てた。


「え、でも……」

「初手から遠慮するな。稽古でも死人は出るぞ」


 冗談ではないと、すぐにわかった。

 狩人は容赦なく距離を詰め、模擬刀などなく、本物の刃で斬りかかってくる。


 一撃、二撃。

 金属音と同時に、腕の痺れが骨まで響く。

 避け切れず、肩口に触れられただけで皮膚が赤く裂けた。


「痛ぇか? その痛みを覚えておけ。吸血鬼はもっと速く、もっと深く斬ってくる」


 息が荒い。足が地面に吸い付くように重い。

 短刀を握る手が汗で滑る。


「振るんじゃねぇ、断て。血脈には的がある——中途半端に斬れば、そいつは笑って立ち上がるだけだ」


 次の瞬間、彼の刃が首筋すれすれを通り過ぎた。

 空気が裂け、髪が数本、赤錆のように舞う。


 どれくらい時間が経ったのかわからない。

 呼吸が喉で焼け、視界の端がちらちらと白く瞬くその時——


 鉄の扉が音を立てて開いた。

 「随分と殺しに熱心じゃねぇか」

 聞き慣れた低い声。蓮が立っていた。


「出てけ、吸血鬼」

 狩人は吐き捨てるように言う。

 だが蓮は構わず、私に近づいてきた。


「こんなやり方じゃ長く持たない。命削ってまで刃を振っても、途中で壊れるぞ」


「甘ぇこと言ってんじゃねぇ」

 狩人の塩辛い声が工場の天井に反射する。

 「こいつはもうこっち側に足を踏み入れた。甘えは死だ」


 二人の視線が空中でぶつかる。

 稽古の場は、あっという間に決闘の空気に変わっていった。


 蓮が拾い上げた鉄パイプを軽く回し、狩人に向けて構える。

 狩人は笑いもせず、そのまま踏み込んだ。

 パイプと刃が噛み合い、削れた火花が床を散る。


 その隙に、私は膝をつき、短刀を握り直した。

 ——断て。

 狩人の声が脳裏で蘇る。


 気づけば、二人の間に踏み出していた。

 蓮が僅かに目を見開く。狩人が腕を止める。


 「……お前、何やってんだ」蓮の声。

 「稽古を、終わらせる」私の声は震えていた。


 次の呼吸で、短刀の刃を自分の手の甲に軽く当てた。

 鋭い痛みと共に肌が割れ、紅糸がわずかにまた縮む。


「こうやって覚えるんだろ。——代償の重さを」


 狩人と蓮、両方が沈黙した。

 埃と光の中で、短刀の赤い絲が脈打つのが見えた。


 帰り道。

 蓮が先に口を開いた。


「無茶すんな。……記憶まで削られたいのか」

「まだ由佳の顔は覚えてる」

「それを守るために、何本、糸を失う気だ?」


 答えられなかった。

 工場跡の昼の光が、瞼の裏に焼きついて離れない。



 その夜、夢に出てきた由佳は、私の名前を呼ばなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ