第4話 光の方へ歩き出す
――ばあちゃんよりも、じいちゃんよりも、
私を捨てたお母さんよりも、
私はお父さんが、好きだ。
あの日、あの夜、
父に「怒鳴られた」のに
私はふしぎと嬉しかった。
それは、生まれて初めてだったかもしれない。
怒鳴られたことで、
私は“ああ、私は心配されてるんだ”と、
“自分は、生きていていいんだ”と
どこかで感じたのだと思う。
「お前に何かあったら、どうするんだ」
その一言が、私の心にあたたかく灯った。
父の声は、マッチの火よりも、
ずっとあたたかかった。
火を見て落ち着いていた私が、
もっと深く、心の底から安心できた。
それは、血が通った優しさだった。
殴られた記憶しかなかった“おとな”から、
初めて向けられた本気の心配。
「大切にされてる」と思えたあの感覚は、
それまで私の中には存在しなかったものだった。
あんな場所に住んでいても、
家中にタバコと線香のにおいが染み込んでいても、
父がそこにいてくれるなら――
私はついてきて、よかったと思えた。
それからの私は、ほんの少しずつ、
変わっていった。
まだ、学校は怖かった。
教室のざわめきや、ひそひそ話。
まるぼうが「俺のゲーム見た!」
と怒鳴った後の、周りの白い目。
それは簡単に消えるものじゃなかったし、
私のことを「ヤクザの娘」だと
決めつける親たちの視線も、やっぱり痛かった。
でも、
「もうちょっとだけ頑張ってみよう」と思った。
逃げることだけが、
自分を守る手段じゃないかもしれない、と。
そんなふうに、少しだけ勇気がわいてきた。
「私はヤクザじゃないよ」って。
「だから怖くないよ」って。
言っても信じてもらえないかもしれないけど――
それでも誰かに、
ちゃんと伝えてみよう、と思えた。
自分から誰かに言葉をかけようとするのは、
ほんの小さな一歩だったけど、
私にとっては、大きな一歩だった。
学校から帰ると、よく天井を見上げた。
屋根に登っていた頃の景色を、
思い出していたのかもしれない。
火遊びの余韻と、父の声を、
何度も何度も、心の中でなぞった。
「お前に何かあったら、どうするんだよ」
「父さん、嫌だから」
その声を思い出すたび、
胸の奥に、小さな火がぽっと灯った気がした。
それはマッチの火とは違って、消えない火だった。
私は少しずつ、変わり始めていた。
人と目を合わせるのも、
少しずつできるようになった。
下を向いてばかりいた足元から、ふと視線を上げると、
世界が少しだけ広く見えた。
まだ怖さは残っていた。
でも、胸の奥に“光”が差し込んでいた。
信じてもいいかもしれない。
誰かとちゃんと、話してみてもいいかもしれない。
そんな希望が、私を前に進ませてくれた。
そして――私は、まだ知らなかった。
そのあとすぐに出会う「お兄ちゃんたち」が、
私にとってのもう一つの「居場所」になることを。
血が繋がっていなくても、
学校の先生でもなくても、
一緒にいて笑える人たちが、
この世界にはいたんだ、ということを。
あの頃の私は、少しずつ、
自分の足で“光の方”へ歩き始めていた。
もう、屋根の上にはいなかった。
誰にも届かないところで
息を潜めることもなかった。
私は、この世界にちゃんと立っていた。
小さな足で、小さな希望を踏みしめながら。