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沈む子供  作者: あさま
第二章 ガラス越しの再会
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第2話 ここには、いない




親父が出所した。


それは突然のことで、

ある日祖父母の家に現れた父は

私に向かって優しく声をかけた。


「あや、父さんと一緒に住んでみないか?」


私は即答した。


「住む!」


祖父母の家での日々は、殴られることも、

怒鳴られることも多く、

ただただ、生きるだけの毎日だった。


父と暮らせるということよりも、

祖父母と離れられるという事実が、

私には救いだった。


引越しは早かった。荷物をまとめ、

父に手を引かれて向かった先は、

父が刑務所で仲良くなった人物の家だった。

その人の世話になれるという話だった。


でもそこは、普通の家じゃなかった。


高い塀に囲まれた家の玄関には、

スーツにサングラスをかけた男たちの靴が

無数に並んでいた。

中からは話し声や笑い声、

タバコの煙と線香の匂いが漂ってきた。


そこは「組長の家」だった。


家の中では、「おやっさん」「おじき」「親父」と

ひとりの男を様々な呼び名で呼ぶ声が

飛び交っていた。その中心にいるのが組長だった。


私はその家の二階の一室を与えられ、

二段ベッドの上で寝ることになった。

窓からは屋根に簡単に出られる構造で、

何度かそこに座って空を見上げた。


父はほとんど家にいなかった。


顔を合わせることは少なく、

会話もあまりなかった。

でも会えば優しかったし、嫌な思い出はない。

祖母に殴られていた日々よりは、

何倍もマシだった。


だけど、環境は良くなかった。


家の中は常に人がいた。誰かが怒鳴っていたり、

笑い声が響いたり、電話の声がしたり。

朝も夜も関係なかった。

空気は重たく、壁は薄汚れていて、

光が差し込んでも明るく感じなかった。


組長の息子、通称“まるぼっちゃん”は

私より1つ年下だった。

将来は警察官になりたいらしく、

大人たちに持ち上げられていた。

私は最初から、よそ者扱いだった。


ある日、奥さんに「ゲームでも見てなさい」

と言われたから、そっと画面をのぞいた。


その瞬間、まるぼっちゃんに怒鳴られた。

「勝手に来るなよ!見るなって言っただろ!」


言ってないよ、とは言えなかった。

彼が癇癪を起こすと、

大人にまで物を投げる姿を見ていたから。

怖かった。


誰も私をかばってはくれなかった。


学校でも、居場所はなかった。


引っ越したばかりの頃は、

休み時間に絵を描いていると

たくさんの子たちが集まってきた。

「すごい!」「うまいね!」と褒めてくれて、

同じように絵が好きな男の子とは、

とても仲良くなれた。


でも、それはすぐに終わった。


仲良くなれたと思ってた男の子に

「おはよっ!今日は何の絵描く?」と

声をかけた。

その男の子は、ハッとして、私を見ると

途端に怯えたような悲しそうな顔をした。

目が合って、すぐに逸らされた。


小声で言った。「ごめんね。

関わったらだめって言われたの。」


そのとき、空気が変わったと感じた。



「ねえ、あの子ってヤクザの娘なんでしょ?」

「うちのママが遊んじゃダメって言ってた」

「友達になったら殺されるかも…」



最初はひそひそ話だった。


それが、避けられるようになり、

最後は完全な無視になった。


給食の時間も、図工の時間も、私はひとりだった。

誰とも目を合わせなかった。

話しかけても、返事は返ってこなかった。


怖がっていたのは、子どもたちではなかった。

その親たちが、私という存在を恐れていた。


ある日、理由もわからず悲しくて、

絵を描くのをやめた。

耐えきれずに学校を飛び出して、

泣きながら帰った。 誰も引き止めなかった。


私は、どこにもいなかった。


この家にも、学校にも、居場所なんてなかった。


ひとりの世界の中で、小さな声が語りかけてくる。


「大丈夫?」

「悲しいね」

「さみしいね」


それは、小学四年生の私自身だった。

私が、私の中に沈んでいくのを、

ただ見ているしかなかった。



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